中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
高尾・相模湖の地理・歴史などを、やさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
紅葉林に日は落ちて
草より出でゝ入る月の
山の端近き與瀬の驛
さらに読みやすく!
紅葉林に 日は落ちて
草より出でて 入る月の
山の端近き 与瀬の駅
さあ、歌ってみよう!
♪もみじばやしにー ひはおちてー
♪くさよりいーでて いるつきのー
♪やまのはちかきー よせのえきー
高尾駅→相模湖駅→上野原駅→四方津駅→鳥沢駅→猿橋駅→大月駅→初狩駅→笹子駅→(笹子トンネル)→甲斐大和駅→塩山駅→山梨市駅→石和温泉駅→酒折駅→甲府駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
八王子駅を出て、高尾方面へ 高尾駅(旧・浅川駅)に到着
八王子駅(東京駅八王子市)を出ると、いよいよ(中央線における)東京都の最西端部分に近づいてゆきます。
やがて列車は、高尾駅(東京都八王子市)に到着します。

高尾駅(東京都八王子市)
かつては「浅川駅」と呼ばれていた高尾駅
歌詞にある「浅川」とは、かつての高尾駅(東京都八王子市)のことです。
高尾駅は、明治時代の開業当初は浅川駅と呼ばれていました。
「浅川」とは?
また、浅川は、高尾付近を流れる実際の川の名称でもあります。
「浅い川」というくらいですから、まだ橋が無かった昔の人にとっては、浅くて渡りやすい川だったのでしょう。
昔は、川に橋をかけるのは大変だった
昔の人にとっては、橋をかけることは非常に大変でした(洪水のときに何度も流される)。
また、川の向こう岸に渡ること自体も大変だったのでした。
なので、橋をかけずに済む「浅い川」というのは、現代の我々が思っている以上に、昔の人々にとっては重要だったのでしょう。
逆に言えば、「浅い川」だけに、水の量が少ないため、水不足や日照りのときには困ることになります。
水が無い川には、昔の人によって水無川という名前が付けられることになります。
ちなみに「水無川」は、神奈川県秦野市を流れる川です(もちろん、本当に水がまったく無いわけではありません)。
八王子・高尾の名スポット・高尾山
高尾の観光スポットとして、絶対に外せないのが、何と言っても高尾山(標高599m)です。
高尾山は都心からも比較的容易に来ることができ、ケーブルカーなどを駆使すれば頂上にも登りやすいため、都内に住む人でも手軽な登山を楽しむことができます。

高尾山からの富士山(東京都八王子市)
頂上に登れば富士山まで見えるため、同じ東京都とは思えないほどの美しい自然が、辺り一帯に広がります。
高尾駅で乗り換えて、山梨方面へ
高尾駅から先の
- 大月
- 甲府
- 小淵沢
- 松本
といった山梨県・長野県方面へ向かう場合、多くの場合はここ高尾駅で乗り換えることになります。

夕暮れの高尾駅(東京都八王子市)
一気に山岳地帯へ
高尾駅を出ると、その景色は一気に山岳地帯の様相を呈するようになります。
それはまるで、それまでの東京の都会的な景色がウソのように豹変します。
そして、戦争中に悲劇のあった「湯の花トンネル(いのはなトンネル)」をくぐります。
悲劇のトンネル「湯の花トンネル」
戦時中、湯の花トンネル付近を走っていた列車が米軍の空襲攻撃から必死に逃げるため、なんとか湯の花トンネルに駆け込んだのでした。
しかし、湯の花トンネルは距離が短いため、列車の”後ろの部分”はトンネルからはみ出してしまい、はみ出た部分は米軍機に総攻撃され乗客はみな犠牲になってしまったという、悲劇のトンネルでもあります。
現代でも、湯の花トンネルには慰霊碑が建てられ、戦争の悲惨さを思い知らされます。
険しい「小仏峠」
そして、小仏峠という険しい峠道を過ぎてゆきます。
小仏峠は、ちょうど山梨県と首都圏をへだてるような峠道です。
ここを戦国時代に、
- 甲斐国(山梨県)の武田氏
- 武蔵国(東京都、神奈川県の東部)の北条氏
の両者が、それぞれ戦の出陣のために何度も通ったという、まさに甲斐国と武蔵国をバリアーのように隔てる難関の峠道です。
相模湖駅(旧・与瀬駅)へ到着
一旦神奈川県(相模原市)に入る
険しい山道を抜けていくと、列車は間もなく神奈川県(相模原市)に入ります。
つまり、ここで一旦神奈川県に入って、その後にすぐ山梨県に入るというイメージです。
そして列車は、旧・与瀬駅こと相模湖駅(神奈川県相模原市)に到着します。
相模湖は桂川の水がたくさん溜まった一部分になります。
桂川は、このあと
- 「相模川」
と名前を変え、神奈川県茅ヶ崎市あたりで相模湾に注ぎます。
次は、上野原へ
次は山梨県に入り、上野原駅に止まります!
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