中央線鉄道唱歌 第15番 大月の名所・岩殿山 主君・武田勝頼に背いた部下とは

まずは原文から!

川を隔(へだ)てゝ聳(そび)ゆるは
岩殿山(いわどのやま)の古城蹟(こじょうせき)
主君(しゅくん)に叛(そむ)きし奸黨(かんとう)の
骨また朽(く)ちて風寒し

さらに読みやすく!

川を隔(へだ)ててそびゆるは
岩殿山(いわどのやま)の古城蹟(こじょうせき)
主君(しゅくん)に背(そむ)きし奸党(かんとう)の
骨また朽(く)ちて風寒し

さあ、歌ってみよう!

♪かーわをへだてて そびゆるはー
♪いわどのやまのー こじょうせきー
♪しゅくんにそむきし かんとうのー
♪ほねまたくちてー かぜさむしー

(中央東線)
高尾駅→相模湖駅→上野原駅→四方津駅→鳥沢駅→猿橋駅→大月駅→初狩駅→笹子駅→(笹子トンネル)→甲斐大和駅→塩山駅→山梨市駅→石和温泉駅→酒折駅→甲府駅

列車は既に、山梨県大月市(おおつきし)に到着しています。
今回は、山梨県大月市の名所である、岩殿山(いわどのやま)についての話題となります。

岩殿山(山梨県大月市)

岩殿山(いわどのやま)は、大月駅から北東すぐ(桂川の向こう)にある、標高634mの山です。
標高634mは、なんとあの東京スカイツリーと同じ高さになります。
岩殿山は、大月駅のホームから非常によく見える、駅北東にある、逆おわん型の山です。

ただ東京スカイツリーと同じ高さとはいっても、ぱっと見はスカイツリーのようなすごい大きさではありません。
大月駅の標高がそもそも約360mですから、その上に約270mの山(岩殿山の本体)が乗っかっているというイメージでよいでしょう(合計で約634m)。

また、他に東京スカイツリーと同じ高さの山として、新潟県弥彦村(やひこむら)の、弥彦山(やひこやま)があります。
弥彦山の麓(ふもと)には、弥彦神社(やひこじんじゃ)という神社があり、天香山命(あめのかごやまのみこと)という神様が祀(まつ)られています。
つまり、神話の時代(古事記や日本書紀などの日本神話に登場する神様たちが日本にいた時代)に、天香山命は越後国(えちごのくに。現在の新潟県)に降り立ち、農耕や釣りを教えて、畑を耕し、これによって新潟県の基礎が出来上がったとされています。だから越後国の神様なのですね。

甘党(かんとう)とは、いわば「ろくでなし」「裏切り者」のことです。
ここでは、かつての武田勝頼(たけだ かつより)の部下だった、小山田信茂(おやまだ のぶしげ)のことをいいます。

主君(しゅくん)とは、ここでは武田勝頼のことをいいます。武田勝頼は、山梨県の歴史上の偉大な人物である武田信玄(しんげん)の子であり、1575年の「長篠の戦い」で織田信長の鉄砲隊に敗れたことで知られます。

長篠の戦い」で織田信長に大敗した勝頼は、その後急速に衰えてゆきます。
味方にはどんどん裏切られ、地元の甲斐国に対しても重い増税を課していたため、民衆の気持ちも勝頼からは離れてゆきました。

そして織田信長は武田勝頼を殲滅するため、尾張(愛知県)から木曽路(きそじ)と諏訪湖を通って、山梨県方面へ攻め入ります。
勝頼は甲府の西から追ってくる織田軍を防ぎきれず、甲府を捨てて、ひたすら逃げ回るようになります。
そして西から追ってくる織田軍から逃げるため、甲府の東にあたるここ大月の岩殿山(いわどのやま)にいる部下だった小和田信茂にかくまってもらおうとします。
しかしここで、小和田信茂にすらも裏切られます。
仕方なく岩殿山に逃げ込むのは諦めて、勝頼は岩殿山の西にある、少し手前の「天目山(てんもくざん)」に逃げ込みます。
しかしここで織田軍の追っ手に捕まり、武田勝頼は天目山で虚しく自害を遂げています。

なので天目山のある甲斐大和駅(かいやまとえき)のある辺りは、「武田氏終焉の地」とされています。

大月駅を出ると、次は甲府方面へ向かいます。
次は、初狩駅(はつかりえき)・笹子駅(ささごえき)に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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