中央線鉄道唱歌 第17番 笹子トンネルを通る 世界はまるで1万5千フィートの闇に包まれたよう

まずは原文から!

横に貫(つら)ぬくトンネルは
日本一(にっぽんいち)の大工事(だいこうじ)
一萬五千(いちまんごせん)呎(フィート)餘(よ)の
常夜(とこよ)の闇(やみ)を作りたり

さらに読みやすく!

横に貫(つら)ぬくトンネルは
日本一(にっぽんいち)の大工事(だいこうじ)
一万五千(いちまんごせん)フィート余(よ)の
常夜(とこよ)の闇(やみ)を作りたり

さあ、歌ってみよう!

♪よーこにつらぬく トンネルはー
♪にっぽんいちのー だいこうじー
♪いちまんごーせん フィートよの
♪とこよのやみをー つくりたりー

(中央東線)
高尾駅→相模湖駅→上野原駅→四方津駅→鳥沢駅→猿橋駅→大月駅→初狩駅→笹子駅→(笹子トンネル)→甲斐大和駅→塩山駅→山梨市駅→石和温泉駅→酒折駅→甲府駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

笹子駅(ささごえき、山梨県大月市笹子町黒野田)を過ぎると、「笹子トンネル」という当時としては日本一の長さだったトンネルを通ります。

笹子トンネルを通る(中央線、山梨県)

笹子トンネルは歌詞にある通り、中央線鉄道唱歌のできた明治時代の1911年当時は「日本一長いトンネル」でした。
その長さは約5,000m(正確には4,656m)にもなります。

歌詞によればその長さは「1万5,000フィート余り」と表現されています。
1フィートは約0.3mですから、

15,000×0.3=5,000mです。

だいたい合っていますね。

鉄道が日本で誕生したばかりの明治時代の1870年代には、そもそもトンネル自体が珍しいという時代でした。
そのため列車がトンネルに入ると、まるで世界が急に夜になったと感じられたようでした。

鉄道唱歌 東海道編 第24番でも、

いつしか又も暗(やみ)となる 世界は夜かトンネルか

とありますよね。

これは当時としては珍しかったトンネルにいきなり入ったため、それまで昼だった世界が「急に夜になったのか」と勘違いしそうになった様子ではないかと思われます。
ちなみにこのトンネルは静岡県の「牧の原トンネル」といい、1889年に開通した全長1,056mのトンネルになります。

鉄道ができた明治時代の当初はなかなか長いトンネルは掘れず、峠道や山岳地帯においては仕方なく勾配のきついルートを採用したり、車両を引っ張る補助機関車の連結などで対応してきました。

しかし時代が進むにつれ、「なるべく直線を確保する」「なるべく勾配を避ける」目的で、何千メートル級のトンネルが次々に掘られるようになります。

1883年 柳ヶ瀬トンネル 1,352m(福井県、滋賀県)
1889年 石部トンネル 約2,200m(静岡県)
1889年 牧の原トンネル 1,056m(静岡県)
1898年 金山トンネル 1,656m(常磐線)
1903年 笹子トンネル 4,656m(山梨県)
1914年 生駒トンネル 3,388m(大阪府、奈良県)
1931年 清水トンネル 9,702m(群馬県、新潟県)
1934年 丹那トンネル 7,804m(静岡県)
1942年 関門トンネル 約3,600m(山口県、福岡県)
1953年 深坂トンネル 5,170m(福井県、滋賀県)
1962年 北陸トンネル 13,870m(福井県)
1964年 新丹那トンネル 7,959m(丹那トンネルの4倍の速さで完成)
1967年 上越線・新清水トンネル 13,500m
1979年 上越新幹線・大清水トンネル 22,221m
1988年 青函トンネル 53,850m

などです。

※約2,200mと書いているのは、「上り線」「下り線」で別々のトンネルを使用していて、それぞれわずかに距離が異なるためです。

東海道線が開通し始めた明治時代の1880年代の頃は、トンネルの長さはせいぜい1,000m~2,000m程度でした。ただ当時としてはこれでも充分に画期的でした。なぜなら人々はトンネルのおかげで、険しい峠道を越える必要が無くなったからです。
鉄道唱歌 東海道編にも出てくる静岡県の「石部(せきべ)トンネル」や「牧の原トンネル」は、日本の鉄道の歴史としては最初期のトンネルといってもいいでしょう。
トンネルが無かった時代は、旅人たちは「宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)」や「日本坂(にほんざか)」、「小夜の中山峠(さよのなかやまとうげ)」等、昼でも薄暗くて山賊まで出て来かねないような険しい峠道を通っていくしかなかったのでした。

初期のトンネル工事は、「つるはし(トンカチの先が尖ったような器具)」のような原始的な器具で自力で掘ったり、また爆薬を使ったりと、かなり危険そのもので、工場の事故による犠牲者も多発しました。
また、トンネル工事は地下を掘る行為と一緒のため、掘ると大量の「湧き水」が発生してしまうので、トンネル内が大量の湧き水で溢れて工事の人々が溺死するという事故と常に隣合わせでした。

現代では「シールド工法」といって、安全な機械で掘り進めることができますから、本当にトンネルの技術は速くて安全なものになりました。

1903年に掘られた笹子トンネルの約5,000m(正確には4,656m)という長さが、明治時代後期の当時としてはいかに長かったかがわかります。

それが1930年代に入ると、上越国境(じょうえつこっきょう)の「三国トンネル」や、静岡県の「丹那(たんな)トンネル」、福井県・滋賀県の「深坂(ふかさか)トンネル」などといった8,000m以上にもおよぶ長大トンネルが掘られるようになりました。

ただし「丹那トンネル」は1918年から掘り進めてから1934年の開通まで、実に16年もの期間がかかっています。
そのトンネル工事は常に”事故”や”災害”と隣合わせであり、掘った時に出てくる大量の湧き水に苦しめられ、また地震によって天井が崩れたりして、67名という多数の犠牲者が出ました。
そのため現在は、丹那トンネルの前後の入口付近には亡くなった方々に対する慰霊碑が建てられています。
しかし1964年に開通した東海道新幹線のために掘られた「新丹那トンネル」は、上記の教訓を生かしてわずか4年で掘られています。

1962年に開通した福井県の「北陸トンネル」に至っては、なんと13kmにも及ぶようになります。
この北陸トンネルは、関西圏と北陸圏との特急列車による速達運転(人々や荷物を速く移動させる)という重要な役割があったので、当初から「オール電化」という(汽車を用いない)電車の仕組みでした。
しかし「電車であれば(蒸気機関車のように火を燃やさないから)トンネル事故は起こらない」などという間違った認識により火災対策が疎かになってしまっていました。
そのため1972年11月、夜中に寝台列車が北陸トンネル内を走行中、ビュッフェ車(食堂車のようなもの)から火が出てしまい、あっという間に他の車両に燃え移り、大火災が発生していまいました。
しかも当時の国鉄のルールでは「トンネル内で事故が起きたら、車両はトンネル内で停車しなければならない」という誤ったルールまで存在しため、炎上した車両はトンネルの奥深くの位置でルール通りに停車し、燃え続けるままとなってしまいました。
これにより救助や消火活動が遅れてしまい、真夜中のために就寝中だった乗客はみな犠牲となり、30人が死亡し714人が負傷するという最悪のトンネル事故となってしまいました。

この事故の教訓を受けて、「トンネル内の消火設備の強化」「燃えにくい素材への変更」「トンネル内で事故が起きたら、停車せずに突っ切る」といった新しい施策が盛り込まれるようになりました。

笹子トンネルも、2012年に天井の崩落により事故が起きています(こちらは中央本線ではなく、中央自動車道の方です)。

このように、「トンネルの歴史」は、残念ながら「事故の歴史」でもありました。

他にも、トンネルの奥深くまで酸素が届かなくなって「酸素欠乏症」になる、トンネル内で蒸気機関車の煙が充満する、石炭の不完全燃焼により一酸化炭素中毒になる、天井が落ちてくる落盤事故、そして自動車同士の追突事故などがありました。

また、トンネルを安全に保つということは、湧き水を大量に退避させるということなので、周辺の地域としては農業や生活に必要な水まで吸い上げされることにもなります。
これにより、深刻な水不足を招く事にも繋がってしまいます。
そのために、トンネル建設と維持のために吸い出した地下水は、必ず周辺の地域に返すといった施策も必要になってきます。

現代のトンネルは、こうした過去の様々な事故の教訓が生かされ、我々の見えないところで様々な安全対策がなされています。
普段我々が何気なく通っているトンネルですが、現代の我々が安心しきってトンネルを通れるというのは、過去の人々の犠牲と、その教訓のもとに成り立っていることを忘れてはならないと同時に、こうした昔の人々の苦労を知ることで、現代の我々の当たり前の幸せに対して感謝することができるようになります。

笹子トンネルを脱けると、次は武田勝頼終焉の地である、甲斐大和駅(かいやまとえき)に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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