まずは原文から!
小野の社(やしろ)を伏(ふ)し拜(おが)み
善知鳥(うとう)を越えて右に見る
峠の麓(ふもと)鹽尻(しおじり)は
篠井線(しののいせん)の分岐點(ぶんきてん)
さらに読みやすく!
小野の社(やしろ)を伏(ふ)し拜(おが)み
善知鳥(うとう)を越えて右に見る
峠の麓(ふもと)塩尻(しおじり)は
篠井線(しののいせん)の分岐點(ぶんきてん)
さあ、歌ってみよう!
♪おーののやしろを ふしおがみー
♪うとうをこえてー みぎにみるー
♪とうげのふーもと しおじりはー
♪しののいせんのー ぶんきてんー
(中央東線)
岡谷駅→(塩嶺トンネル)→みどり湖駅→塩尻駅
(中央東線・辰野支線)
岡谷駅→辰野駅→小野駅→塩尻駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
辰野駅を出て、小野経由で塩尻方面へ
辰野駅(たつのえき)からは、中央線・辰野支線(たつのしせん)を通って、塩尻駅(しおじりえき)を目指していくことになります。
かつては小野経由の線路しか無かった
諏訪方面から塩尻まで行くには、昔は辰野・小野経由の道を通って行くしかありませんでした。
それは、現在のような岡谷(おかや)~塩尻のルートでは、勾配が非常にきついルートを採用するのが難しかったためです。
1983年・塩嶺トンネルの開通で、岡谷~塩尻間がショートカットに
しかし、1983年に開通した約6,000mの塩嶺トンネル(えんれいトンネル)できてからは、岡谷~塩尻間がショートカットになりました。
塩嶺トンネルは、現在のように岡谷(諏訪地方)と塩尻を、北西にまっすぐ結ぶトンネルです。
塩嶺トンネルが開通してからは、速達性の重要視される特急「あずさ」は、所要時間が短くなることになったのでした。
昔の旅人たちにとっての難所・塩嶺峠(塩尻峠)
塩嶺峠(えんれいとうげ)は、古くから旅人たちにとっては難儀(なんぎ)な峠道でした。
塩嶺峠は「塩尻峠」ともいいます。
小野駅に到着
辰野駅を出ると、歌詞にあるように小野神社(おのじんじゃ)の最寄駅である小野駅(おのえき、長野県上伊那郡辰野町)を過ぎます。

小野神社とタケミナカタ
小野神社(おのじんじゃ)は、諏訪大社の神様であるタケミナカタが、タケミカヅチとの戦いに破れて諏訪へと逃げ込もうとしたとき、既にそこに地元の神様がいたため、やむを得ず一旦この地に止まろうとしたときにできた神社だそうです(諸説あり)。
これは「古事記」などの日本神話における「大国主の国譲り」において、タケミナカタが敗北したときの物語です。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。
善知鳥(うとう)とは?
また善知鳥(うとう)とは、「ウトウ、ウトウ」と鳴く鳥の鳴き声に由来する、ちょうどこの周辺に存在する地名です。

塩尻駅に到着
やがて塩尻駅(しおじりえき、長野県塩尻市)に到着します。

中山道・塩尻宿
長野県塩尻市(しおじりし)は、中山道(なかせんどう)の宿場町である塩尻宿のあった場所になります。
中山道(なかせんどう)とは、江戸時代に江戸~京都を約20日かけて徒歩または馬で旅をしていた道です。
人々は何日もかけて移動するため、泊まるための町が宿場町というわけです。
塩尻宿は、実際には現在の塩尻駅の南東にあるみどり湖駅(長野県塩尻市)あたりが最寄駅になります。
また、塩尻宿は先程述べた、険しい塩尻峠(塩嶺峠)を下ってきた旅人たちにとっては一息つくための宿場だったことでしょう。
逆に、諏訪方面へ向かう旅人たちにとってはこれから険しい塩尻峠に挑むために、英気を養う場所となったことでしょう。
東西南北・四方向への交通の要衝・塩尻
塩尻駅は以下の東西南北4つの方角への分岐点にもなっている、交通の重要拠点といえます。
- 東:諏訪・甲府・東京方面
- 西:木曽路・名古屋方面
- 南:辰野・伊那・飯田・豊橋方面
- 北:松本・長野・糸魚川・新潟
次回は、「塩尻峠の戦い」についての話題
次は、塩尻峠の戦いについての話題となります!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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