中央線鉄道唱歌の歌詞(姨捨駅、姨捨山の観光・歴史など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
姨捨山にてる月は
秋は田毎にうつろひて
四郡の平野朧なり
さらに読みやすく!
姨捨山に てる月は
秋は田毎に うつろいて
四郡の平野 朧なり
さあ、歌ってみよう!
♪おばすてやまにー いるつきはー
♪あーきはたごとに うつろいてー
♪しぐんのへいやー おぼろなりー
塩尻駅→村井駅→松本駅→田沢駅→明科駅→西条駅→聖高原駅→冠着駅→姨捨駅→稲荷山駅→篠ノ井駅
(信越本線)
篠ノ井駅→川中島駅→長野駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
姨捨駅に到着
列車は現在、篠ノ井線(しののいせん)で松本から長野方面へ向かっています。
冠着山(かむりきやま)、通称・姨捨山(おばすてやま)のトンネルをくぐると、やがて姨捨駅(おばすてえき、長野県千曲市)に到着します。

姨捨駅(長野県千曲市)
「姨捨伝説」の残る、姨捨山
姨捨山(おばすてやま)は、かつて年老いたお婆さんを捨てていた山という伝説があります。
普通に可哀想なことなので、現代でこれをやると余裕で「人権侵害」だと言われそうですね。
SNSでは余裕で炎上しそうです。
というか、現代でこれをやると刑法217条違反の「遺棄罪(いきざい)」にあたり、犯罪となります。
年老いたお婆さんを、姨捨山という危険な場所に移置(いち)・置き去りにしているため、普通に遺棄罪が成立します。
絶対にやってはなりません。
姨捨山の物語
以下が、姨捨山の物語です。
昔ある夫婦と、夫の母親である年老いたお婆さんがいました。
すると嫁が、

そんな役立たずの老婆なんか、山に捨ててきなさい!
という、もはや人権侵害でSNS炎上確定の、酷すぎることをいいます。
そんな毒嫁の言いなりになった旦那は、母親に対して

山で素晴らしい催し物があるから、おんぶ(背負うこと)していくで。
と嘘を言います。
そんな嘘をついて、夫は母親を山へ捨ててきてしまいました。
すると夫は、更級(さらしな)の姨捨山に照る月を見ながら、

月はとても綺麗なのに、私の心は慰められません。
といって、山に捨ててきた母親を元に戻したといいます。
これが「姨捨山」の物語です。
歌詞にも
「栞(しおり)」という言葉の由来
もう一つ、こんな伝説もあります。
年老いた母親を山へ連れてきた息子でしたが、お婆さん(母親)は息子のために、来た道の木の枝を折り、その枝を息子のために、道にバラ巻いていたのでした。
そしてお婆さん(母親)は、息子にこう言いました。

ここまで枝を折ってきたから、その枝を便りにお帰り。
なんて素晴らしいお母様でしょうか。
息子はこのお母さんの行動・言動に感動し、お母さんを家まで連れて帰ったのだといいます。
この枝を折る行為が、
と変化したのでした。
栞(しおり)とは、こうしたエピソードから転じて「旅の道しるべ」「手引き」などのことをいいます。
まさに、お母さんが折って来た枝こそが、「道しるべ」となったのでした。
冠着山(姨捨山)・姨捨駅の歴史やエピソード等
松尾芭蕉の「更科紀行」
更級(さらしな)とは、長野県千曲市(ちくまし)の地名です。
しなの鉄道・千曲駅(ちくまえき)の西に千曲川(ちくまがわ)が流れます。
また、
- 川の西は、更級地域
- 西には、姨捨山や月見堂、棚田(たなだ)
があるイメージです。
姨捨山は、松尾芭蕉の「更級紀行(さらしなきこう)」など、また多くの詩人から詩に詠まれた場所になります。
更級紀行とは、松尾芭蕉が美濃(みの。岐阜県)から木曽路を通って、長野の善光寺(ぜんこうじ)まで旅をするという物語です。
途中で姨捨山にも寄って詩を詠んだわけです。
長野県歌「信濃の国」においても、
詩歌(しいか)に詠みてぞ 広めたる」
と歌われていますね。
著き(しるき)とは、「有名な」と言う意味です。
現代でも「著名(ちょめい)な」といいますよね。
雅士(みやびお)とは、松尾芭蕉のような歌人のことをいいます。
更級(さらしな)は「更科(さらしな)」とも書きます。
長野県は元々は「信濃国」といい、昔は「科(しな)」という植物が多かったことから、
というようになりました。
なので長野県には「~科(しな)」という地名が多いといえます。
「姨捨の棚田」
また、姨捨山の麓(ふもと)にある棚田(たなだ)には、秋には月が田んぼ毎(ごと)に映って、とても美しくなります。
つまり、複数の段々重ねのマス目のような田んぼに、夜に1つずつ月が映るということです。
例えば、田んぼが30個あれば、それに映る月も30個になります。
これを「田毎の月(たごとのつき)」といいます。
田毎の月については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

この「姨捨山の棚田」「田毎の月」は、歌川広重の浮世絵にも描かれてきました。
こちらは当時まだカメラや写真が無かった時代の風刺画や風景画であり、現代版Instagram(インスタ)と思ってもらえればいいでしょう。
誰だって旅に出れば、スマホで景色をパシャパシャ(撮影)やりたくなりますよね。
あれと同じで、昔はカメラがなく絵に残すくらいしかなかったわけですが、現代人がスマホでSNSに載せる行為と同じということでしょう。
長野「四つの郡」を照らす、月の明かり
また姨捨山の付近には、昔からとても美しい「田毎の月」が眺められると言われてきた月見堂(つきみどう)というお寺もあります。
四郡(しぐん)とは、ここでは川中島四郡(かわなかじましぐん)のことをいいます。
奈良時代の律令制においては、都道府県は「国」と呼ばれていました。
さらに、その「国」の下には「郡」というさらに細かい区分がありました。
その川中島四郡の平野に照る月が、「おぼろである」というのです。
「おぼろなり」とは、月が雲で欠けてぼんやりしている様子をいいます。
姨捨駅のスイッチバック
姨捨駅(おばすてえき)は、スイッチバックで有名です。
「スイッチバック」とは?
「スイッチバック」とは、一旦先頭から突っ込んで客を乗り降りさせ、再びバックして本線に戻り、駅を出発する構造のことです。
姨捨駅はきつい勾配(坂道)の位置にあります。そのため、
- 一旦、平地の駅ホームに、先頭から列車を突っ込む
- お客様を乗り降りさせる
- 再びバックして本線に戻り、再びきつい坂道をく
という手順をとります。
なぜ姨捨駅は、スイッチバックなのか?
ではなぜ姨捨駅は、スイッチバック構造なのか。
それは昔は、きつい勾配の上に列車を止めておくことが難しかったからです。
また、単線(線路が1本しかないこと)のときの列車行き違いの待避所としての役割もありました。
現代ではこうした問題は改善され、
- 列車の性能が向上したこと
- 複線化したこと
もあって、列車行き違いの退避スペースも必要なくなりました。
そのため、スイッチバック構造の駅はほとんど廃止されています。
しかし、今ではスイッチバック構造の駅は珍しくなり、観光要素もあるため、敢えてスイッチバックを残しているという駅もあります。
「日本三大車窓」の一つでもある
姨捨駅ホームからの善光寺平の景色は絶景であり、「日本三大車窓」とも呼ばれます。

姨捨駅からの景色(長野県千曲市)
次は、稲荷山駅へ
次は、稲荷山駅(いなりやまえき)に止まります!
コメント