中央線鉄道唱歌 第48番 稲荷山駅と、久米路橋の恐ろしい物語 やがて篠ノ井駅から信越本線へ

まずは原文から!

粂路(くめじ)の橋に行く人の
下車(げしゃ)する驛(えき)は稻荷山(いなりやま)
次は篠井(しののい)停車塲(ていしゃじょう)
信越線(しんえつせん)の連絡點(れんらくてん)

さらに読みやすく!

久米路(くめじ)の橋に行く人の
下車(げしゃ)する駅(えき)は稲荷山(いなりやま)
次は篠ノ井(しののい)停車場(ていしゃじょう)
信越線(しんえつせん)の連絡点(れんらくてん)

さあ、歌ってみよう!

♪くめじのはーしに ゆくひとのー
♪げしゃするえきは いなりやまー
♪つーぎはしののい ていしゃじょう
♪しんえつせんのー れんらくてん

(篠ノ井線)
塩尻駅→村井駅→松本駅→田沢駅→明科駅→西条駅→聖高原駅→冠着駅→姨捨駅→稲荷山駅→篠ノ井駅

(信越本線)
篠ノ井駅→川中島駅→長野駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

姨捨駅を下り、長野方面へ

坂をずっと下り、姨捨山(冠着山)を後ろに走る(篠ノ井線の車窓より)(長野県)

姨捨駅(おばすてえき、長野県千曲市)を過ぎると、列は坂道をずっと下へ降りて行きます。
坂を降りてゆくと、姨捨の棚田(おばすてのたなだ)が、窓の右後ろ側に見えてくるようになり、かなり綺麗な景色となります。
そして、徐々に善光寺平(ぜんこうじだいら)に近づいてきます。

長野県の代表的な平野「善光寺平」

善光寺平(ぜんこうじだいら)とは、長野県長野市を中心とした平野です。
長野県では、四つの主要な平野部のことを「~平(だいら)」といいます。
他にも、

松本平(まつもとだいら)
伊奈平(いなだいら。「伊那谷(いなだに)」ともいう)
佐久平(さくだいら)

といった平野があります。
これらの四つの平(たいら)は長野県歌「信濃の国」でも歌われています。
佐久平(さくだいら)は、新幹線の駅名にもなっています。

稲荷山駅に到着

列車はやがて、稲荷山駅(いなりやまえき、長野県長野市篠ノ井)に到着します。

稲荷山駅(長野県長野市篠ノ井)

この稲荷山駅の約5kmほど西の山岳地帯に、久米路橋(くめじばし)という、かつてより洪水で恐れられてきた地域にかけられた橋があります。

久米路橋にまつわるエピソード 「キジも鳴かずば撃たれまい」

久米路橋のある久米路峡(くめじきょう)は、今でこそ犀川(さいがわ)の作る美しい峡谷となっています。
しかし、昔から何度も何度も洪水のたびに橋が流されてきた、苦難の絶えない場所でした。

なので、久米路橋には何と「人柱」という恐ろしい伝説が存在しています。
人柱とは、人間を柱のように建物の中に埋めるという儀式です。はっきりいって残酷ですが、昔はこれを行うことで建物などが災害から守られると信じられてきました。

久米路橋も、この人柱を埋めることで流されないことを祈願することが行われたのです。

ちなみにこの行為は現在では普通に刑法199条違反・殺人罪、刑法208条違反・暴行罪であり、もし公務員がこれをやると刑法193条違反・公務員職権濫用罪になります。
まあ、簡単にいえば犯罪であり人権侵害にもなるのであってはなりません。
しかし昔はなかば宗教的儀式のように行われてきたのでした。

以下が、久米路橋の人柱の物語です。

昔むかし、犀川の氾濫で、何度も橋が流され、また流域の村人たちは苦しめられてきました。
これに対処するため、人々は人間を柱に埋めることで、洪水を防ぐことに決定しました。
しかし、何の罪もない人を埋めるのは残酷のため、誰か罪人を見つけ、その人間を埋めてやろうとしたのです。

そんな時、貧しい畑仕事をやっていた父親と、病気に苦しむが暮らしていました。
娘の病気がどうしても治らず、ただ「小豆(あずき)のお菓子を食べたいよ~」と漏らしていたので、父親はなんとかして娘に小豆のお菓子を食べさせたいと願うようになります。
しかし、父親はお金がありませんから、やむを得ずに小豆を盗み出し、その小豆で作ったお菓子を娘に食べさせます。
すると嫁はみるみる回復し、元気になりました。

その後、父親は畑仕事に出ていたのですが、その時に娘は

「小豆のお菓子を食べちゃったよ~」

人前で歌ってしまったのです。
その小豆が、盗まれたものだとも知らずに。

もちろん小豆を盗まれた側はたまったものじゃありませんので、娘のこの歌のせいで父親が小豆を盗んだ犯人だとバレてしまいます。

そして父親は窃盗犯として連れていかれてしまい、久米路柱の人柱として埋められてしまいました。

父親を連れていかれた娘は大泣きしましたが、程なくして泣き止み、以後娘はほとんど口も聞かなくなりました。

それから何年か経ったある日、娘はキジが鳴いた瞬間、猟師に撃たれるところを目撃してしまいました。
キジは鳴くまでは猟師に気付かれなかったのですが、鳴いた瞬間に猟師にバレてしまい、撃たれてしまったのです。

撃たれたキジを見て、娘は
鳴きさえしなければ、撃たれずに済んだのに。
とつぶやいたと言います。

これが、「キジも鳴かずば撃たれまい」ということわざの語源になった故事となりました。なおこれは大阪府大阪市淀川区の、東淀川駅(ひがしよどがわえき)付近の長柄橋(ながらばし)にも、同じような伝説があります(どちらが先なのかは、すみませんがわかりません)。その内容は、長野県の犀川久米路橋を大阪府の淀川長柄橋に置き換えたら、マイナーな違いはありますがだいたい同じような内容となります(この説明も余計な蛇足だったらすみません)。

キジも鳴かば撃たれまい」ということわざは、余計な事さえ言わなければ何の災いやトラブルは発生しない、ということの例えです。

秘密に伏せておけば何の誤解やトラブルを招かざるに済んだことを、余計なことを口走ってしまったせいで問題やトラブルに発展する、といった戒めをいいます。

キジの場合は、鳴きさえしなければ撃たれることはありませんでした。

の場合も、小豆のお菓子を食べたことをうっかり言わなければ、父親が連れていかれることは無かったわけです。

何でもバカ正直に話してはいけない、という、昔の人の教訓にも思えますね(^^;)

もちろん、父親の場合も盗むこと自体はよくないですが、病気の娘を助けたかった(しかしお金が無かった)という正当性や大義・情状(じょうじょう)もあったわけなので、盗んだ側を直ちに罪人扱いするのは確かに簡単ですが、こうした盗っ人を少しでも減らすような社会にする必要があります。
それは国の社会保険制度だったり、生活保護だったり、まだ日本では制度化されていませんがベーシックインカム(毎月、最小限の給料を国が支払い保証する制度)といった制度なども今後もしかしたら必要になってくるかもしれません。
貧すれば鈍する(ひんすればどんする)」という言葉がありますが、逆をいえば人間は貧しいなどの理由で切羽(せっぱ)詰まることがなければ、盗みや詐欺などを行わないわけです。
なので人々(特に働くことができない社会的弱者)が、健康で文化的な最低限度の生活を営める社会の仕組みがより必要になってくるのかもしれません(これは日本国憲法第25条にも書かれている通りです)。
皆さんは、どう思うでしょうか。

ちなみにベーシックインカムには反対する人もいるので、もし賛成ならベーシックインカム導入を公約に掲げている政治家に一票を、反対なら反対を訴えている政治家に一票を、選挙に行って(民主主義のルールに従って)投票するようにしましょう。

話がめっちゃ長くなりすみません!!
私は、久米路橋の人柱のエピソードを知って、ここまで色々と考えさせられました。

長野県歌「信濃の国」でも歌われる久米路橋

久米路橋は長野県歌「信濃の国」でも

心してゆけ 久米路橋

と歌われています。
心して」という風に歌われてますから、 それだけ昔は恐れられて危険な橋であったことが分かります。

篠ノ井駅からは、信越本線に乗り換え 川中島・長野方面へ

善光寺平まで下ってくると、やがて信越線との分岐点である、篠ノ井駅(しののいえき、長野県長野市篠ノ井)に到着します。

篠ノ井駅(長野県長野市篠ノ井)
篠ノ井駅(長野県長野市篠ノ井)

ここから信越本線に乗り換え、長野まで向かいます。
ちなみに逆方向の南へ向かえば、上田(うえだ)・佐久平(さくだいら)・小諸(こもろ)・軽井沢(かるいざわ)、さらに群馬高崎東京方面へと続きます。

次回は、長野市の川中島(かわなかじま)や善光寺(ぜんこうじ)などの観光になります。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント