中央線鉄道唱歌 第55番 木曽福島に到着!木曽地域の中心地 関所や宿場もあった町

まずは原文から!

福島町(ふくしまちょう)は御料局(ごりょうきょく)
木曾(きそ)の支廳(しちょう)のある處(ところ)
水を隔(へだ)てゝ兩岸(りょうがん)に
連(つら)なる家は一千戸(いっせんこ)

さらに読みやすく!

福島町(ふくしまちょう)は御料局(ごりょうきょく)
木曽(きそ)の支庁(しちょう)のある処(ところ)
水を隔(へだ)てて両岸(りょうがん)に
連(つら)なる家は一千戸(いっせんこ)

さあ、歌ってみよう!

♪ふくしまちょうは ごりょうきょく
♪きそのしちょうの あるところー
♪みーずをへだてて りょうぎしに
♪つらなるいえはー いっせんこー

(中央西線)
塩尻駅→洗馬駅→贄川駅→奈良井駅→藪原駅→宮ノ越駅→木曽福島駅→上松駅→須原駅→野尻駅→南木曽駅→坂下駅→中津川駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

木曽の中心地・木曽福島に到着

宮ノ越駅(長野県木曽郡木曽町日義)を過ぎると、窓の景色は木曽川と山に囲まれた、美しい町並みの景色が登場します。

木曽福島の町並みが近づく(中央本線の車窓より)(長野県)

やがて列車は、木曽福島駅(きそふくしまえき、長野県木曽郡木曽町)に到着します。

木曽福島駅(長野県木曽郡木曽町)
木曽福島駅(長野県木曽郡木曽町)

木曽福島駅は、険しい木曽路の中でも最も大きな駅です。
また、木曽福島駅が存在する木曽町は、木曽地域で最も大きな町です。

立地的に長野県塩尻市(しおじりし)と岐阜県中津川市(なかつがわし)のちょうど中間地点にあります。そのため、まさしく「木曽の中心」ともいえる地域でしょう。

木曽福島駅は、特急「しなの」も止まる、木曽路では数少ない駅です(他にも、一部の特急列車のみ南木曽駅にも停車)。

木曽福島駅で降りて、ひと休み

木曽福島駅の周辺には、お土産店や茶店などがたくさん並んでいます。
コーヒーやアイスクリームや軽食など、簡単な休憩ができます。
また、駅から少し歩きますが、坂を下ってゆくとスーパー(イオン)やコンビニ(セブンイレブン)もあります。

このように木曽福島駅にはたくさんのお店や、他に観光名所もあります。
そのため、「青春18きっぷ」で木曽路の旅をされる方は、木曽福島駅で必ず途中下車されることをオススメします。

江戸時代から木曽の「木材」を管理・管轄していた中心地

尾張藩の直轄地

木曽福島には木曽の支庁があり、木曽で採れた木材などを管理する、幕府の直轄地(ちょっかつち)として栄えてきました。
正確には、木曽は徳川幕府と縁のある尾張藩の直轄でした。

尾張藩とは、名古屋城を拠点とする、尾張徳川家による藩です。
藩とはいっても、ほとんど幕府寄りの藩(親藩)ともいえるでしょう。
少なくとも、江戸からめっちゃ遠い、鹿児島・薩摩藩のような外様藩とは、同じ藩でも、扱いがまるで異なります。

木曽のヒノキを扱い、各地へ販売してきた

木曽のヒノキ(檜)を中心とする木材は、標高の高い寒く厳しい環境で育つため、とても強くて耐久性の高いものとなっています。

また、木曽川に舟を通し、舟に大量の木材を積むことで、各地に出荷して販売することもできました(販路が拡大し、より大きく利益が上がる)。

まだ鉄道や高速道路が無かった時代は、木曽川は交通の便として非常に重要でした。

「支庁」とは?

支庁」とは、明治時代における木曽地域を管理・管轄するための役所です。

木曽地域は後述するように、国を支えるための木材がたくさん採れる場所でした。
そのため、それらの木材を集め、必要に応じて出荷し、またどれくらい売れたか、また利益がいくら上がったかなどの計算・管理などの業務をする必要があります。
また、そうなると木曽に住んで働く人も増えてきます。
そのため、彼らの給料を計算したり、また彼らが収める税金を管理して、また木曽地域に必要な電気・道路などのインフラを造ったり治したりしてゆきます。

いわば、現代の「役場」だと思ってもらえればよいでしょう。

木曽川を挟んで、狭い谷に密集する町並み

木曽福島の町並みと、町を流れる木曽川(長野県木曽郡木曽町)

木曽福島は、木曽川を挟んで、すぐ背後に山が迫っているという、わずかな平地にたくさんの家が連なっています
これは歌詞にある通りですね。

木曽福島の町並みと、町を流れる木曽川(長野県木曽郡木曽町)

木曽地域は木材の産業が中心であり、林業として働く人々が多くいます。
すると彼らをもてなすための商店も増えめいくため、こうして町は発展してゆきます。

木曽福島は、なぜ幕府の直轄地になったのか

そもそも「直轄地」とは?

直轄領(ちょっかつち)とは、幕府の直営する場所になります。つまり、幕府が直接、管理運営する場所ということです。
「~藩」というわけではありません。

「藩」は、幕府ではなく、大名が直接支配する領域になります。

シンプルに「儲かる」から

ではなぜ、木曽を幕府が直轄するようになったのたかというと、木曽ではたくさんヒノキが採れる(ことによって大きな利益が上がる)からです。
そのヒノキは、伊勢神宮や江戸の武家屋敷などで使われてきた木材となります。

他にも重要視された直轄地

他にも、直轄地として

  • 金がザックザク採れる、新潟県の佐渡金山(さどきんざん)
  • 銀がガッポリ採れる、島根県の石見銀山(いわみぎんざん)
  • 鎖国の日本において、独占的に貿易の利益を得られる(ライバルのいない)港の「長崎

なども、幕府の直轄地とされました。

幕府が優先的に儲かるようにし、藩には儲けさせない仕組み

もしこうした儲かる「ドル箱」みたいな地域を「藩」に任せると、まずその利益は「藩」のものとなり、その利益を差し引いた税額が幕府に納められます。
つまり藩が「中抜き料」「仲介手数料」を取る形になるため、その分幕府の税収は減ってしまいます。
また他の理由として、下手に「藩」に任せて儲けさせてしまい、財力を蓄えられると、軍事力を強化して幕府に対し反乱を企てられる危険性もあったからでしょう。

なので木曽福島・佐渡金山・石見銀山・長崎港、そして全国各地の(ドル箱みたいな儲かる)直轄地は、みな幕府の主体でその運営が成されてきたのですね。

(※正確には、木曽は徳川幕府に縁の深い、尾張藩の直轄地になります。)

江戸時代に「木材」「金」「銀」はとても重要だった

江戸時代は日本でしか採れない「金」や「銀」は、外国にとっても喉から手が出るほど欲しいわけであり、幕府は大量の金銀を掘らせ、海外へ輸出しました。
そしてその分、外国の高級品などを輸入(ゲット)できるので、江戸幕府は大きな利益を上げることができたのですね。

木曽路を行き交う人たちを、厳しく取り締まっていた関所

また、関所(せきしょ)もここ木曽福島にありました。
まだ飛行機が無かった時代は陸を移動するしかなく、そういう意味では木曽路は唯一、美濃~甲斐~武蔵の区間を移動できる一本道でした。
すると必然的に、ここ木曽福島に「関所」という人々をフィルタする目的のゲートが置かれるのはわかる話です。

関所では、不審者のチェックや、また鉄砲などの武器を持ってないかなどのチェックが行われます。
また、通行料を取ることで、それが関所の貴重な収入源になったりもしました。

中山道の宿場町「福島宿」

木曽福島には、中山道の宿場町「福島宿」もありました。

中山道・福島宿(長野県木曽郡木曽町)

木曽福島は、特急列車も止まる重要駅です。
もしこの先、中津川までの普通列車のみの移動が大変ならば、諦めて特急列車に乗る選択肢も視野に入れましょう。

次は、御嶽山(おんたけさん)の話題となります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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