中央線鉄道唱歌 第58番 木曾の桟と寝覚の床 詩にも詠まれた木曽の名所を過ぎゆく

まずは原文から!

棧(かけはし)の名は殘(のこ)れども
命をからむ蔦(つた)もなく
寢覺の床(ねざめのとこ)のあさ衣(ごろも)
木曾(きそ)の川波(かわなみ)靜(しづ)かなり

さらに読みやすく!

桟(かけはし)の名は残(のこ)れども
命をからむ蔦(つた)もなく
寝覚の床(ねざめのとこ)のあさ衣(ごろも)
木曽(きそ)の川波(かわなみ)静(しづ)かなり

さあ、歌ってみよう!

♪かけはしのーなは のこれどもー
♪いのちをからむー つたもなくー
♪ねざめのとーこの あさごろもー
♪きーそのかわなみ しづかなりー

(中央西線)
塩尻駅→洗馬駅→贄川駅→奈良井駅→藪原駅→宮ノ越駅→木曽福島駅→上松駅→須原駅→野尻駅→南木曽駅→坂下駅→中津川駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

列車は現在、木曽福島駅(きそふくしまえき、長野県木曽郡木曽町)を出発し、松駅(あげまつえき、長野県木曽郡上松町)方面へ向かってゆく最中となります。

すると、古くから交通の難所とされた、「木曽の桟(かけはし」の横を通ります(ただし列車はトンネルの中なので、列車から「木曽のかけはし」を見ることはできません)。

木曽の桟(きそのかけはし)とは、松尾芭蕉の歌にも読まれた、木曽川の崖っぷち・断崖にかけられた非常に危険な橋となります。
それは崖っぷちに申し訳程度の丸太で打ち込んで作ったような、本当に簡素で危ない橋でした。
今は、崖に沿って綺麗な道路が舗装されてますので、そこまで危険なわけではありません。むしろ現代の道路は安全です。

松尾芭蕉の歌には、

桟(かけはし)や 命をからむ 蔦(つた)かつら

と詠まれました。

つまり、にからみつくような(つた)があり、松尾芭蕉も命懸けでここを通ったことがうかがい知れます。
恐らく落ちたら死ぬでしょうし、歴史的にもそうした事故は多かったことでしょう。実際、ここは中山道(なかせんどう。江戸時代、まだ鉄道や自動車が無かった時代に、人々が通った道)のルートでしたので、多くの旅人たちを苦しめてきた難所でした。

また、これは松尾芭蕉が長野の善光寺の旅に出たときの、「更級紀行(さらしなきこう)」のときのものです。松尾芭蕉も、美濃(みの。岐阜県)から中山道・木曽路を通って、長野へ旅をしたのでした。途中で姨捨山(おばすてやま)にも寄っています。

そして、次回と順番が前後しますが、上松駅(あげまつえき、長野県木曽郡上松町)を過ぎると、窓の右下に「寝覚の床(ねざめのとこ)」という景勝地が登場します。
こちらは、列車の窓からもかろうじて見下ろすこもができます。

寝覚の床(長野県)

寝覚の床(ねざめのとこ)とは、木曽の谷にある、「浦島太郎の伝説」も存在する景勝地でございます。
真っ白な岩がとても整った形で侵食され、しかも木曽川の色が微妙にエメラルドグリーンのため、「白と緑」みたいな色合いも抜群の景勝地となります。

寝覚の床は、浦島太郎が竜宮城から戻ってきた時に、そこで「目が覚めた場所である」とされています。
浦島太郎は、上松町(あげまつちょう)の土地と寝覚の床の景勝地が大変気に入ったようです。

木曽の桟」と「寝覚の床」は、長野県歌「信濃の国(しなのなくに)」の第4番でも歌われています。

次は、上松駅風越山(かざこしやま)、そして木曽駒ヶ岳の話題となります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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