中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
中央線沿線のまとめ・美濃の名所などを、やさしく解説しています!
↓まずは原文から!
甲斐にはめでし富士の嶺
諏訪の湖木曾の谷
美濃の名所も訪ずれぬ
さらに読みやすく!
甲斐にはめでし 富士の嶺
諏訪の湖 木曽の谷
美濃の名所も 訪ずれぬ
さあ、歌ってみよう!
♪かいにはめでしー ふじのみねー
♪すーわのみずうみ きそのたにー
♪みののめいしょも おとずれぬー
中津川駅→恵那駅→釜戸駅→瑞浪駅→土岐市駅→多治見駅→高蔵寺駅→春日井駅→勝川駅→大曽根駅→千種駅→鶴舞駅→金山駅→名古屋駅
※鉄道唱歌に関連する駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの
はるばると、中央線を駆け抜けてきた
列車は既に、愛知県名古屋市に到着しています。
長かった中央線の旅も、いよいよ終盤です。
「なまよみの甲斐」とは
「なまよみの甲斐」とは、詩の枕詞になります。
つまり、昔の歌において「定型文」的に使われてきたフレーズである、ということになります。
恐らく深い意味はないと考えられますので、ここでは特に深追いはしないことにします。
甲州街道の道と、富士山
思えば東京を出発し、甲州街道を過ぎ、富士山の見える甲斐国を過ぎてきました。
山梨県ではこの富士山をはじめ、多くのブドウ畑や北岳(標高3,193mの日本第2位の山)などのアルプスに囲まれてきました。

甲府からの富士山(山梨県甲府市)
八ヶ岳、アルプス、高原地帯を過ぎてきた
やがて山梨県を過ぎると、列車は一気に高原地帯へ向けて坂を登ってゆき、周囲の
- 「甲斐駒ヶ岳」
- 「八ヶ岳」
などの標高2,000m~3,000mにも及ぶアルプスの山々の横を、一気にのぼってきました。

南アルプスの山々(山梨県)
また、鉄道も標高900m~1,000mにも及ぶ、高原地帯を走ってきたのでした。

八ヶ岳(長野県)
信州・長野 諏訪の湖
そして信州・長野県に入ると、諏訪の湖も眺めてきたのでした。

諏訪湖(長野県)
険しい木曽の谷
長野・善光寺まで寄り道をした後、木曽路を一気に下ってきたのでした。

木曽の山々(長野県)
木曽路は、
- 高くて深い谷に囲まれ、
- 奈良井宿では標高900mにも達し、
- 秋でも結構冷え込む
というような、厳しい環境でした。

奈良井川と奈良井宿(長野県)
320余マイル(約512km)を、一気に駆け抜けてきた
そして、次回の歌詞にもある通り、その距離にして320余マイル(約512km)。
そういった距離を、鉄道で一気に駆け抜けてきたのでした。
本当に、鉄道の技術というものは素晴らしいのだかなと感じさせられます。
美濃国(岐阜県)の名所も訪れよう
歌詞にある美濃国とは、現在の岐阜県南部のことをいいます。
なお、岐阜県北部は「飛騨国」といいます。
「国」とは、現在でいう都道府県のようなものであり、奈良時代の律令制におけるエリア分けのことを言います。
美濃出身の名将・明智光秀
明智光秀も、美濃国の出身です。
明智光秀は、京都府福知山市を主に拠点に構えていました。
しかし出身は、あくまで美濃国になります。
明智光秀の2つの出身地
明智光秀の故郷については、
- 岐阜県可児市
- 岐阜県恵那市明智町
が有力な候補地として挙げられています。

太多線・可児駅(岐阜県可児市)
可児市には、
が存在します。
このことから、可児市は明智光秀ゆかりの地として知られています。
一方、恵那市明智町は、
- 明知鉄道の終点であること
- 明智光秀にまつわる史跡が数多く残ること
などの根拠(エビデンス)から、光秀の生誕地として、地元では強くアピールしています。
明智光秀については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。



美濃と尾張の間の名所・国宝「犬山城」

国宝・犬山城(愛知県犬山市)
国宝・犬山城は、愛知県犬山市にあるお城です。
- 尾張国
- 美濃国
の両方の境に位置する、室町時代に建てられたお城です。
織田信長の叔父である織田信康によって建てられました。
犬山城は、現存する日本最古の様式を持つ天守閣があるため、歴史的にもとても価値の高い城として認識されています。
なぜ犬山城が、絶妙な位置にあるのか?
また、なぜ犬山城が美濃国・尾張国の間に存在しているのかというと、
になります。つまり、
- 美濃・尾張の両国を、広く見渡せる
- しかも防御力の高い山の上にある
- 木曽川が、自然のバリヤーの役割を果たしてくれる
- 木曽川の水運が使えるため、交通にも便利である
という、まさに当時としては一等地にあるわけなので、城ができないわけがない、というわけですね。
次回で、いよいよ最終回!
長かった中央線鉄道唱歌の旅も、次が最後です!
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