山陰鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
後醍醐天皇と名和長年にゆかりある地理について、やさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
御来屋町はこゝなれや
其功績は今も尚
名和神社とぞ仰がるゝ
さらに読みやすく!
御来屋町は ここなれや
其功績は 今も尚
名和神社とぞ 仰がるる
さあ、歌ってみよう!
♪みくりやまちはー ここなれやー
♪そのいさおーしは いまもなおー
♪なわじんじゃとぞ あおがるるー
鳥取駅→湖山駅→宝木駅→浜村駅→青谷駅→泊駅→松崎駅→倉吉駅→由良駅→八橋駅→赤碕駅→御来屋駅→名和駅→大山駅→淀江駅→伯耆大山駅→米子駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
大山の麓を走り、米子方面へ 御厨駅に到着
列車は現在、鳥取県の倉吉から米子へ向かっている最中になります。
また、まもなく大山の麓を走ります。
やがて、御来屋駅(鳥取県西伯郡大山町)に到着します。

「君」とは、「天皇」や「王様」「統治者」などの意味で使われる場合がある言葉です。
「御」という字も、「天皇の~」「神様の~」という意味で使われる字です。
「御船」とは、神様や天皇が乗られる船のことをいいます。
ここでは、後醍醐天皇が隠岐の島から脱出したときに乗られていた船のことをいいます。

はるか遠くの隠岐島(鳥取県)
後醍醐天皇の船を迎えた、御来屋
御来屋は、隠岐の島を脱出した後醍醐天皇の舟を迎えた場所である事を意味します。
「御」は前述の通り、「天皇」「神様」などを意味します。
ここでは言うまでもなく、後醍醐天皇のことです。
「来」とは、後醍醐天皇が脱出して来られたことを意味します。
ちなみに御厨と書くと、天皇や皇族に差し出す料理を作る厨房という意味になります。
余談ですが、2020年に、静岡県磐田市に「御厨駅」が新しくできました。
隠岐の島から脱出し、名和長年にかくまわれた後醍醐天皇

名和駅(鳥取県西伯郡大山町)
後醍醐天皇は、鎌倉時代の終わりに、「笠置山の戦い」において敗れ、隠岐の島に流されてしまいました。
「笠置山の戦い」については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

なぜ後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒そうと思ったのか?
なぜ後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと思ったのかというと、
- 北条氏の政権独占状態で政治が腐敗し、人々の不満が増大したこと
- 二度にわたる元寇で、武士に恩賞が与えられずに、困窮した武士がたくさんいたこと
など、様々な要因が挙げられます。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。

後醍醐天皇の隠岐脱出を助けた、名和長年
隠岐の島に流されてしまった後醍醐天皇ですが、隠岐から脱出する際に、名和長年の力を借りました。
そして、追ってくる鎌倉幕府の勢力から守るために、前回解説した
- 船上山
にたてこもり、この「船上山の戦い」に勝利します。
そして後醍醐天皇や名和長年は、
- 楠木正成
- 新田俊貞
- 結城宗広
といった武将とともに、北条氏を滅亡させ、鎌倉幕府を倒すのです。
名和長年を神様として祀る、名和神社
今はその手柄(功績)は、大山の麓の、名和神社にあります。
名和神社は、名和長年を神様として祀る神社です。
また、
- 名和駅(鳥取県西伯郡大山町)
が最寄駅となります。

名和駅(鳥取県西伯郡大山町)
大山は次回も解説しますが、標高1,729mの、中国地方で最も高い山です。
次回は、大山の話題へ
次は、大山の話題になります!
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