まずは原文から!
商業(しょうぎょう)日々(ひび)に榮(さか)ゆきて
錦(にしき)の浦の夕波(ゆうなみ)に
通う汽船(きせん)の賑(にぎ)わしさ
さらに読みやすく!
商業(しょうぎょう)日々(ひび)に栄(さか)ゆきて
錦(にしき)の浦の夕波(ゆうなみ)に
通う汽船(きせん)の賑(にぎ)わしさ
さあ、歌ってみよう!
♪しょうぎょうひびに さかゆきてー
♪にしきのうーらの ゆうなみにー
♪かようきせんのー にぎわしさー
鳥取駅→湖山駅→宝木駅→浜村駅→青谷駅→泊駅→松崎駅→倉吉駅→由良駅→八橋駅→赤碕駅→御来屋駅→名和駅→大山駅→淀江駅→伯耆大山駅→米子駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
米子駅(米子市)に到着
伯耆大山駅(ほうきだいせんえき)を過ぎて、日野川(ひのがわ)を渡ると、やがて山陰地方の重要駅の一つ・米子駅(よなごえき、鳥取県米子市)に着きます。

米子駅(鳥取県米子市)

米子駅(鳥取県米子市)
伯耆国(ほうきのくに)とは?
伯耆国(ほうきのくに)とは、現代の鳥取県西部のことをいいます。
一方、鳥取県東部のことを因幡国(いなばのくに)といいます。
山陰の主要都市・米子市
鳥取県米子市(よなごし)は、鳥取市と松江市との間に位置する、山陰の重要都市です。
米子市の北は境港(さかいみなと)に近く、またすぐ北西には中海(なかうみ)にも近いという位置関係にあります。
そのため、水の交通の便にはすごく優れています。
そして米子市は、歌詞にもあるように山陰の商業の重要都市の1つになります。
米子市の西にある「中海(なかうみ)」
米子市のすぐ北西にせまる中海(なかうみ)は、元々は大きな湾でした。

中海(山陰本線の車窓より)(鳥取県)
しかし、次回解説する弓ヶ浜(ゆみがはま)という大きな砂州(さす)が出来たために、海に蓋(ふた)がされてしまいました。
それは、前回解説した日野川(ひのがわ)の水が運んできた砂がたまって、弓のような細長い陸地が出来たのでした。
こちらは次回も言及します。
歌詞「錦の浦」とは?
歌詞にある「錦の浦」とは、最初は何のことかよくわからなかったのですが、よくよく調べてみると米子駅のすぐ北西の海岸エリア(米子城のすぐ南西部)に、錦海町という地名があります。
そのため、「錦の浦」は単に米子城周辺の海岸エリア、という認識で問題ないと思います。
歌詞「汽船」とは?
歌詞にある汽船(きせん)とは、蒸気で動く船のことです。
明治時代は列車も「汽車(蒸気機関車)」でしたし、船も「汽船」でした。
石炭と水で動く、蒸気機関
蒸気機関とは、
- 石炭を大量に燃やす
- その燃えた火で、大量の水を沸騰させる
- その時生じた蒸気で、モノを動かす
という仕組みです。これが当時としては画期的な技術でした。
なので、当時の日本では石炭がとても重要なエネルギーでした。
蒸気機関およびそれを実用化させたジェームズ・ワットについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
明治時代の主力エネルギー・石炭を掘り出していた「炭鉱」
その石炭を大量に掘るため、北海道の
- 夕張炭鉱(ゆうばりたんこう)
- 幌内炭鉱(ほろないたんこう)
などが栄えたわけです。
詳しくは、以下の各記事でも解説していますので、ご覧ください。
エネルギー革命とともに、石炭は衰退
しかし高度経済成長期の1960年代になると、「エネルギー革命」がおこり、石炭から石油へとエネルギーが転換していきました。
それに伴い、日本全国の炭鉱や、石炭を運んでいた貨物列車は衰退していくことになるのです。
話がズレましたが、エネルギーや乗り物を動かす仕組みについて、あなたが何らかの興味関心を持つきっかけになれば幸いです。
次回は、境港へ
次は、弓ヶ浜(ゆみがはま)と境港(さかいみなと)の話題となります!
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