山陰鉄道唱歌 第24番 米子に到着!山陰の重要都市・伯耆国の商業地

まずは原文から!

此処(ここ)は伯耆(ほうき)の米子町(よなごまち)
商業(しょうぎょう)日々(ひび)に榮(さか)ゆきて
錦(にしき)の浦の夕波(ゆうなみ)に
通う汽船(きせん)の賑(にぎ)わしさ

さらに読みやすく!

此処(ここ)は伯耆(ほうき)の米子町(よなごまち)
商業(しょうぎょう)日々(ひび)に栄(さか)ゆきて
錦(にしき)の浦の夕波(ゆうなみ)に
通う汽船(きせん)の賑(にぎ)わしさ

さあ、歌ってみよう!

♪こーこはほうきの よなごまちー
♪しょうぎょうひびに さかゆきてー
♪にしきのうーらの ゆうなみにー
♪かようきせんのー にぎわしさー

(山陰本線)
鳥取駅→湖山駅→宝木駅→浜村駅→青谷駅→泊駅→松崎駅→倉吉駅→由良駅→八橋駅→赤碕駅→御来屋駅→名和駅→大山駅→淀江駅→伯耆大山駅→米子駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

山陰の主要都市の一つ・米子市へ

伯耆大山駅(ほうきだいせんえき)を過ぎて、日野川(ひのがわ)を渡ると、やがて山陰地方の重要駅の一つ・米子駅(よなごえき、鳥取県米子市)に着きます。

米子駅(鳥取県米子市)
米子駅(鳥取県米子市)

伯耆国(ほうきのくに)とは、現代の鳥取県西部のことをいいます。一方、鳥取県東部のことを因幡国(いなばのくに)といいます。

鳥取県米子市(よなごし)は、鳥取市と松江市との間に位置する、山陰の重要都市です。

米子市の北は境港(さかいみなと)に近く、またすぐ北西には中海(なかうみ)にも近いので、水の交通の便にはすごく優れています。
そして米子市は、歌詞にもあるように山陰の商業の重要都市の1つになります。

米子市の西にある「中海(なかうみ)」

米子市のすぐ北西にせまる中海(なかうみ)は、元々は大きな湾でした。
しかし、次回解説する弓ヶ浜(ゆみがはま)という大きな砂州(さす)が出来たために、海に蓋(ふた)がされてしまいました。
それは、前回解説した日野川(ひのがわ)の水が運んできた砂がたまって、弓のような細長い陸地が出来たのでした。
こちらは次回も言及します。

歌詞にある「錦の浦」とは最初は何のことかよくわからなかったのですが、よくよく調べてみると米子駅のすぐ北西の海岸エリア(米子城のすぐ南西部)に、錦海町という地名があるので、「錦の浦」は単に米子城周辺の海岸エリア、という認識で問題ないと思います。

歌詞にある汽船(きせん)とは、蒸気で動く船のことです。
明治時代は列車も「汽車(蒸気機関車)」でしたし、船も「汽船」でした。
それは、石炭を大量に燃やし、その燃えた火で大量の水を沸騰させ、その時生じた蒸気でモノを動かす仕組みです。これが当時としては画期的な技術でした。
なので、当時の日本では石炭がとても重要なエネルギーでした。
その石炭を大量に掘るため、北海道の夕張炭鉱(ゆうばりたんこう)や幌内炭鉱(ほろないたんこう)などが栄えたわけです。

鉄道唱歌 北海道編 北の巻第16番 夕張炭鉱の繁栄と、その衰退

鉄道唱歌 北海道編 北の巻第9番 岩見沢と、かつての幌内炭鉱への道

しかし高度経済成長期の1960年代になると、「エネルギー革命」がおこり、石炭から石油へとエネルギーが転換していきました。それに伴い、日本全国の炭鉱や、石炭を運んでいた貨物列車は衰退していくことになるのです。

話がズレましたが、エネルギーや乗り物を動かす仕組みについて、皆さんが何らかの興味関心を持つきっかけになれば幸いです。

次は、弓ヶ浜(ゆみがはま)と境港(さかいみなと)の話題となります!

注意
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