山陰鉄道唱歌 第29番 松江を出て、宍道湖の横を行く 玉造温泉・荘原・直江と進む

まずは原文から!

湖水(こすい)を右に眺(なが)めつゝ
湯町(ゆまち)・荘原(しょうばら)・直江驛(なおええき)
彼方(かなた)に見(み)ゆる 山々は
島根岬(しまねみさき)と知られたり

さらに読みやすく!

湖水(こすい)を右に眺(なが)めつつ
湯町(ゆまち)・荘原(しょうばら)・直江駅(なおええき)
彼方(かなた)に見(み)ゆる 山々は
島根岬(しまねみさき)と知られたり

さあ、歌ってみよう!

♪こすいをみーぎに ながめつつー
♪ゆまちしょうばら なおええきー
♪かなたにみーゆる やまやまはー
♪しまねみさきとー きこえたりー

(山陰本線)
米子駅→安来駅→荒島駅→東松江駅→松江駅→玉造温泉駅→宍道駅→荘原駅→直江駅→出雲市駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

松江駅を出て、宍道湖を右に走る 出雲方面へ

松江駅(まつええき、島根県松江市)を出ると、宍道湖(しんじこ)を右に進むことになります。

宍道湖(山陰本線の車窓より)(島根県松江市)

歌詞冒頭の「湖水(こすい)」とは、ここでは言うまでもなく宍道湖(しんじこ)のことをいいます。宍道湖は、前回も解説した通り、日本で7番目に大きな湖であり、海水と真水が混じった汽水湖(きすいこ)になります。また、「シジミ」という貝でも有名です。

松江駅から一つ行くと、乃木駅(のぎえき、島根県松江市浜乃木)という駅があります。
これは日露戦争の時に活躍した指揮官である、乃木希典(のぎ まれすけ)に由来があるのかな?と興味持って調べましたが、その関連性についてはわかりせんでした(^^;)
ちなみに乃木希典(のぎ まれすけ)とは、日露戦争における旅順(りょじゅん)攻略において、多数の犠牲者を出しながらもなんとかミッションを達成した指揮官です。
現代では東京の乃木神社(のぎじんじゃ)に神様として祀られ、乃木坂(のぎざか)という坂道や、延(ひ)いてはアイドルグループ乃木坂46の由来にもなっています。

玉造温泉(旧・湯町駅)に到着

玉造温泉駅(島根県松江市玉湯町湯町)

歌詞にある湯町(ゆまち)とは、現代の玉造温泉駅(たまつくりおんせんえき、島根県松江市玉湯町湯町)のことをいいます。玉造温泉駅は、明治時代の開業当初は「湯町駅」と呼ばれていました。

玉造温泉(たまつくりおんせん)は、松江や出雲の奥座敷(おくざしき)ともいえるような、都会から遠すぎない絶妙な位置(しかも、宍道湖のすぐほとり)にあります。
奥座敷(おくざしき)とは、都会からちょっと離れた温泉街という意味で使われる言葉です。例えば、東京の奥座敷というと、熱海(あたみ。静岡県)や鬼怒川温泉(きぬがわおんせん。栃木県)などが挙げられます。

「青めのう」とよばれる宝石を用いた、勾玉の名産地

またこのあたりは、島根県の「青めのう」という宝石を用いた、勾玉(まがたま)の名産地です。
勾玉(まがたま)とは、三日月型をしたお守りのような石(宝石)です。
勾玉は、「青めのう」と呼ばれる、出雲地域で産出される独特の宝石で造られます。
この勾玉が、幸せを導いたり、災いから遠ざけてくれたり、ネガティブな気持ちを和らげてくれると言われています。

木次線との分岐駅・宍道駅

ここで、玉造温泉駅と庄原駅(しょうばらえき、島根県出雲市斐川町)との間に、宍道駅(しんじえき)という駅があります。
この宍道駅(しんじえき)は、木次線(きすきせん)との分かれ道になります。

宍道駅(島根県松江市宍道町)

木次線(きすきせん)は、島根県と広島県を南北に縦に結ぶ、陰陽連絡路線(いんようれんらくろせん)の一つです。つまり、中国地方に貫く路線の一つです。
営業係数(100円を得るために必要なコスト)が、6,000を越えるという、スーパー赤字路線ともされます。参考までに、東京の山手線の営業係数は「53」なので、かなりの黒字路線といえます。
木次線は途中で奥出雲も経由し、斐伊川(ひいがわ)に沿って南下し、山奥深くに入って進みます。
木次線は険しい中国山地を縦に貫くため、カーブが多く、勾配もきついため、列車もスピードが出にくく、高速バスに比べて不利な状況になっています。木次線は、まだ自動車や高速道路が普及していなかった1960年までは、中国地方を縦に貫く本当に重要路線として機能しており、急行「ちどり」といった速達列車も設定されていました。しかし、高度経済成長期以降に、まっすぐで綺麗な高速道路が整備されると、人々はみな自動車で広島~松江間を往復するようになるため、木次線のその役割は徐々に失われていくことになりました。

ただ、木次線はこれだけの赤字路線ではありますが、車窓からの中国山地の景色はとても美しく、なかでも全国的に珍しい出雲坂根駅(いずもさかねえき、島根県仁多郡奥出雲町)の「三段スイッチバック」が有名です。
スイッチバックとは、「人」の形をした線路のことであり、一旦先頭から突っ込んで、バックして反対側の線路に移る、ということをします。これによって列車は距離を稼ぐことができるため、急勾配が険しい地形に対応することができます。
しかし現代では列車の性能が向上したり、トンネルが出来たことで急勾配を登る必要が無くなったりと、スイッチバック形式の駅は珍しくなりつつあります。
なので出雲坂根駅の「三段スイッチバック」は、とても貴重で魅力的です。

荘原駅・直江駅を過ぎて、次回は斐伊川を渡る

宍道駅(しんじえき)を過ぎると、次は荘原駅(しょうばらえき)・直江駅(なおええき)を過ぎます。いずれも斐川町(ひかわちょう)の駅です。斐川町は元々簸川郡(ひかわぐん)に属する町でしたが、2011年に合併され出雲市の一部となりました。

荘原駅(島根県出雲市斐川町)
直江駅(島根県出雲市斐川町)

宍道湖の北にある、島根半島

歌詞の最後にある島根岬(しまねみさき)とは、現代ではこれに該当する地名がないため、正直よくわかりませんでした。おそらく、宍道湖の北にある島根半島のことを言っているのだと思われます。島根半島は、単なる宍道湖を囲む陸地ではなく、立派な半島になります。宍道湖から東へは大橋川(おおはしがわ)・中海(なかうみ)・境水道(さかいすいどう)を経て、鳥取県境港市(さかいみなとし)から日本海へと通じています。そのため、完全に東側は水によって分断されていて、陸続きではありません。なので単なる陸地なのではなく、半島なのですね。

宍道湖の北にある陸地・山々は、実は「半島」である。昔はあの山々を「島根岬」と呼んでいたのだろうか。

また恐らくですが、斐伊川(ひいがわ)より北の、遥か向こう側に長く続いた山々が見えるので、この山々のことを当時は「島根岬」と呼んでいたのでしょう。
その山々(島根岬)のふもとに、出雲大社があります。

次は、斐伊川(ひいがわ)を渡ります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします

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