山陰鉄道唱歌 第34番 日本海に船出して、隠岐の島・西郷港へ 海に広がる夕日の景色

まずは原文から!

日本海(にっぽんかい)に船出(ふなで)して
隠岐(おき)へ向(むか)へば西郷港(さいごうこう)
見よ海上の夕景色(ゆうげしき)
つゝ゛く千里(せんり)の波(なみ)赤(あか)し

さらに読みやすく!

日本海(にっぽんかい)に船出(ふなで)して
隠岐(おき)へ向(むか)えば西郷港(さいごうこう)
見よ海上の夕景色(ゆうげしき)
つづく千里(せんり)の波(なみ)赤(あか)し

さあ、歌ってみよう!

♪にっぽんかいにー ふなでしてー
♪おきへむかえばー さいごうこう
♪みよかいじょうの ゆうげしきー
♪つーづくせんりの なみあかしー

(山陰本線)
米子駅→安来駅→荒島駅→東松江駅→松江駅→玉造温泉駅→宍道駅→荘原駅→直江駅→出雲市駅

(境線)
米子駅→弓ヶ浜駅→境港駅

(隠岐汽船)
境港→西郷港

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

全34番に及んだ山陰鉄道唱歌の旅も、これが最後となります。

日本海の景色(山陰本線の車窓より)

ここからは、日本海に旅立って隠岐の島(おきのしま)へ向かうという流れになります。
現在は隠岐の島へは、鳥取県の境港(さかいみなと)から行くことができます。
境港から、隠岐の島への船が出ています。やや北の七類港(しちるいこう)からも船が出ていますが、鉄道ユーザーにとっては境港からのアクセスが無難でしょう。

西郷港(さいごうこう)とは、隠岐の島(おきのしま)の南部にある港のことを言います。

隠岐の島は、鎌倉末期に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が戦いに敗れ、流されてきた場所でございす。
また隠岐の島は、1221年の「承久の乱(じょうきゅうのらん)」で、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が流されてきた場所でもあります。

なぜ「隠岐の島(おきのしま)」が流罪(るざい)の地になったかというと、恐らくそれは都(みやこ。京都)から遠く、(流された人にとっては)心寂しくて途方に暮れるような地であることが理由の一つとして挙げられます。
ある意味「死ぬ」よりも残酷な仕打ちをさせることが目的だったとも言えるでしょう。

また、昔はいくら罪人とはいえ、さすがに(神様にも等しい)天皇を殺害するのは憚(はばか)られたため、流罪という措置がとられたのでは、とも考えられます。

隠岐の島(おきのしま)は、ローソク島という美しい島が印象的です。
夕日が岩の上にかかり、まるでローソクのように、美しくなることから、ローソク島とよばれるわけです。

夕日の海に、延々と広がる千里(それだけ長く続く)の波がとても赤い、ということになります。

夕日に赤く染まるその波が、どこまでも印象的だということになりますね。

今回をもって、山陰鉄道唱歌の旅は終わりでございます。
これによって、山陰地方の旅も終わりです。

皆さんも、山陰地方の旅に出かけましょう!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします

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