房総半島一周の旅1 東京を出発! 房総半島一周の旅へ(東京→葛西臨海公園)

今回からは、「房総半島一周の旅」について書いていきます!
房総半島の鉄道での旅を究極に楽しくするよう、小学生にでもわかりやすく解説します。
また、実際に旅行に行かなくても(行けない人でも)楽しめるよう、ご自分の部屋や通勤・通学移動中にでも読みながら楽しめるように書いてゆきます!

(京葉線)
東京駅→越中島駅→新木場駅→葛西臨海公園駅→舞浜駅→新浦安駅→市川塩浜駅→南船橋駅→新習志野駅→海浜幕張駅→検見川浜駅→千葉みなと駅→蘇我駅

※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの

「房総半島一周」

房総半島一周
それは単純に、房総半島を(反時計回りに)鉄道で一周しようというものです。

「青春18きっぷ」などで、房総半島の旅へ

青春18きっぷ(5日間で12,050円、1日2,410円)」があれば、一日もあれば房総半島を回れるでしょう。

しかし、似たような切符である「北海道&東日本パス」を使えば7日間で11,330円であり、1日当たり1,610円となるので、こちらの方がかなりお得になります。
纏(まと)まった休みが取れるという方々(例えば学生さんやリタイア後の方、フリーランスの方々)には、北海道&東日本パスがオススメです。

しかし逆に、土日くらいしか休みが取れない会社員の方々などにとっては、日を分けて使える青春18きっぷ(※)の方が無難でしょう。

※2024年冬から、青春18きっぷは日を分けての使用は不可になり、5日間連続ルールとなりました。

何歳でも利用できる、青春18きっぷ

青春18きっぷは(その名称から)年齢制限があるものだと誤解されやすいのですが、実際には何歳からでも購入が可能です。
むしろ、青春18きっぷを利用されている方々の中には、既にリタイアされた後の年配の方々も多い印象もあります。

また販売期間は春・夏・冬のみであり、年中買えるわけではないため、注意しましょう。

ただ一周するだけでなく、一味違った旅を

房総半島一周」とは言うものの、ただ単に一周するというだけでは面白くありません。

各地の「地理」「歴史」や「経済」などについても深掘りしてゆき一味違った感じで面白さを追及していきたいと思っています。

そもそも「房総半島」とは?

ここでまず、「超基本的」なことについて確認しておきます。

房総半島(ぼうそうはんとう)」とは御存じの通り、千葉県の右下(南東)に突き出た半島のことをいいます。

房総半島(千葉県)は、以下大きく3つに分かれます。

  • 下総国(しもうさのくに):千葉県北部
  • 上総国(かずさのくに) :千葉県中部
  • 安房国(あわのくに):千葉県南部

安房国の「」の文字と、上総・下総の「」の文字をかけ合わせて、「房総半島」というわけです。

上総国が下、下総国が上ということに注意

ここで、

  • 上総国が下
  • 下総国が上

ということに疑問を持つ方も多いでしょう。
これは、昔は京都に近い方を「上」としていたことに起因します。

その昔、まだ東京~千葉の陸路は湿地・湿原であり、草が生い茂る地域だったので、陸の道路はありませんでした

一方、上総エリア(千葉県中部)からは東京湾を横断する海上交通があったため、こちらの方が京都に近いということで、千葉県中部が「上総(かずさ)」となるのです。

東京駅から、京葉線で蘇我方面へ

まずは東京駅(とうきょうえき、東京都千代田区)から、京葉線(けいようせん)で蘇我駅(そがえき、千葉県千葉市)まで向かいます。

蘇我駅(そがえき)は房総半島の左上、まさに付け根のような位置にあり、ここで房総半島の東側の外房線(そとぼうせん)と、西側の内房線(うちぼうせん)に分かれてゆきます。

「京葉線」とは

京葉線(けいようせん)は、

  • 東”
  • 千”

をそれぞれ結ぶための路線です。

1970年代に初めて開通したため、1872年から続く我が国の鉄道の歴史としては、かなり新しい路線といえます。

海辺(東京湾近く)を通る路線です。

総武線とは

総武線(そうぶせん)は、

  • 下”“国(しもうさのくに)
  • “蔵国(むさしのくに)

を結ぶ路線です。
武蔵国(むさしのくに)とは、現代の東京都と埼玉県にあたる地域をいいます。

こちらは明治時代の開業であり、日本の他の全国の主要路線と同時期に開通した路線となります。
つまり、1970年代に京葉線が出来るまでの長らくの間、東京~千葉間の鉄道での移動は総武線がメインだったのですね。

総武線は、京葉線よりもやや北の内陸部を通る路線になります。

蘇我駅からは、内房線で反時計回りに一周

今回は蘇我駅(そがえき)から内房線(うちぼうせん)に入り、その後は房総半島を反時計回りに一周することにします

元々は、「成田新幹線」のホームだった、東京駅・京葉線ホーム

東京駅の京葉線(けいようせん)のホームは、地下のずっと南の位置にあります。

むしろ有楽町(ゆうらくちょう)に近いくらいの位置に存在し、元々は「成田新幹線」で使われるはずのホームでした。
それだけに、まるで新幹線の駅のように大きく豪華なホームになっています。

ただし、「成田新幹線」は様々なトラブルが原因で実現せず、その代わり今は京葉線のホームとなっているわけです。

「成田新幹線」とは?

成田新幹線」とは、計画では東京駅成田空港を結ぶ予定だった、今や幻となった新幹線路線のことです。

千葉県民にとってメリット皆無だった、成田新幹線

ではなぜ成田新幹線が実現せず反対に遭ったのかというと、簡単にいえば沿線の住民にとっては騒音がうるさいだけであり、メリットが無かったからです。

というのも、東京駅~千葉市のあたりまでは、新幹線の駅が建設される予定が無かったのです。

それは少しでも新幹線を速く成田空港に着かせるために、途中駅を少なくする必要があったからです。
新幹線が時速200km以上で高速走行するには、十分な加速距離と十分な減速距離が必要です
そのため、駅間距離は長くなるのです。

途中駅無し 沿線住民にメリット無しの新幹線

しかしこの計画のままだと、東京駅を出た新幹線は、最低でも千葉市まではずっと走りっぱなしとなってしまい、止まらないことになります。
新幹線が猛スピードで走行すると、途中の沿線上の住民にとっては騒音がうるさいものとなります。
また、(沿線上には)駅がないため住民が新幹線を利用する機会もなく、沿線住民にとってメリットはほぼ無いということになります。

自分たちが利用することのない新幹線によって轟音にさらされるだけでは、住民の反対は必然的のものとなります。

東京都知事・千葉県知事もが反対し、新幹線計画は頓挫に

そのため、当時の東京都知事であった美濃部亮吉(みのべ りょうきち)さんや、当時の千葉県知事も「成田新幹線を作るメリットは無い」として反対し、成田新幹線の計画・構想は夢の泡となって消えてしまいました。

新幹線の線路を建設するには、その通過するすべての都道府県の知事の許可が必要なのです。
つまり、それぞれの知事が一人でもNGを出すと、新幹線の建設はできないのですね。

現在は、新幹線用だったはずのホームを、京葉線ホームとして活用

こうした経緯により、元々は(成田)新幹線のホームだったはずだったものを、先述の通り東京駅の京葉線(けいようせん)のホームとして利用しているわけです。

江戸時代の「成田街道」

ここて、ちょっと昔(江戸時代まで)の話になります。

昔は、成田街道(なりたかいどう)といって、江戸から成田方面へと続く道がありました。
それは人々が何日もかけて(徒歩または馬などで)歩いて移動する(旅をする)道です。
何日も歩いて移動するため、途中には泊まるための「宿場町」が置かれます。

「平将門の乱」を鎮めるために建立された、成田山新勝寺

ではなぜ、多くの人々が成田の方へ向かっていたのか。
それは、江戸時代には成田山新勝寺(しんしょうじ)というお寺参りが、とても流行っていたからです。

成田山新勝寺(しんしょうじ)は、平安時代の940年に、関東地方で大暴れした平将門(たいらのまさかど)による反乱が、無事に鎮(しず)まることを願って造られたお寺になります。

「平将門の乱」とは?

平将門(たいらのまさかど)は、自分のことを「新皇(しんのう)」と称しました。

つまり
俺は天皇陛下よりも偉いんだぞ!
などのように宣言
し、関東地方を荒らし回ったのでした。

しかし朝廷から派遣された軍団により、奮闘むなしく鎮圧されてしまいました。

戦前までは、平将門の評価は低かった

平将門は自分のことを「天皇よりも偉い」と主張したのですから、(天皇は神様と同じくらい尊いとされている)日本でこのような発言をすることは、相当ヤバいことです。

当然ながら平将門は、天皇は絶対神聖不可侵(しんせいふかしん)だった戦前に「逆賊」「国賊」(=国へ歯向かう者)として、悪人扱いされていました。

地下から地上へ、海に近いエリアへ

ではここから、京葉線に乗り込み、千葉県方面へと向かってゆきます。

東京駅を出ると、八丁堀駅(はっちょうぼりえき、東京都中央区)を過ぎ、列車はしばらく地下を通り、やがて地上に出てきます。

八丁堀(はっちょうぼり)とは、江戸城のお堀に由来した地名です。

すると景色が一気に明るくなり、また周辺も港湾都市として景色が壮観になるため、気分も良くなります。 

地上に出ると、「埋め立て地」や「運河」といった地域が多くなります。

また、このあたりで江東区(こうとうく)の深川(ふかがわ)という地域も近くなります。

東京都江東区(こうとうく)は、東京都の南東の端にある、港湾に近いエリアです。

松尾芭蕉「おくのほそ道」のスタート地点・深川

深川(ふかがわ)は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」という、江戸時代に東北地方への旅をした時に、ここをスタート地点として旅立っていった場所になります。

江戸時代「明暦の大火」の避難地域にもなった、深川

また深川は、江戸時代に明暦の大火(めいれきのたいか)という大火災における避難地域としても使われました。

江戸時代初期の1657年、明暦の大火(めいれきのたいか)とよばれる大火災が江戸の町を襲いました。
そのとき、被害を逃れるためたくさんの人々がこの「深川」の地域に流れてきました。

江戸時代は木造建築の家屋(かおく)が多く、一旦こうした火災が起きると、隣の家屋にとても燃え移りやすかったのです。

「運河」がとても多い地域へ

運河(うんが)とは、町なかに船を通すために作られた、人工的な水の通り道のことです。

昔は車やトラックなどが無かったため、町なかに荷物を運ぼうと思えば、舟に載せて運ぶほうが効率的がよかったのです。
町なかに舟を通すために、運河が造られたわけです。

現在では(江戸や大坂などの大都市の)運河の大半は用済みとなって埋め立てられていますが、北海道の「小樽運河(おたるうんが)」などのように埋め立てられずに残され、観光地化されているケースもあります。

小樽運河については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

次は、葛西臨海公園へ

次は、葛西臨海公園(かさいりんかいこうえん)に止まります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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