房総半島一周の旅8 源頼朝ゆかりの地、安房勝山へ はるばる海を渡ってきた土地【わかりやすく解説】

房総半島一周の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
安房勝山・頼朝上陸の歴史などを、やさしく解説してゆきます!

今回は、安房勝山と頼朝上陸の話題

今回の房総半島の旅は、あの鎌倉幕府を開いた源頼朝ゆかりの場所である安房勝山駅についての話題です!

(内房線)
蘇我駅→八幡宿駅→五井駅→姉ヶ崎駅→袖ケ浦駅→木更津駅→君津駅→大貫駅→上総湊駅→浜金谷駅→安房勝山駅→富浦駅→那古船形駅→館山駅→千歳駅→安房鴨川駅

※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの

源頼朝・房総半島上陸の地、安房勝山へ

浜金谷駅はまかなやえき(千葉県富津市金谷)を出てさらに南へ進めると、

  • 安房勝山駅あわかつやまえき(千葉県安房郡鋸南町)

に到着します。

安房勝山駅(千葉県安房郡鋸南町)

安房勝山駅(千葉県安房郡鋸南町)

今回は、頼朝よりともにゆかりあるこの地の話をしてゆきます。

安房勝山駅は、鋸南町きょなんまちの駅になります。

鋸南町きょなんまちとは、前回少し解説した鋸山のこぎりやまの南にある町だから、という意味からだと思われます。

安房国あわのくにとは、現在の千葉県南部の地域ことをいいます。
そのため、千葉県南部には安房あわ~という地名が多くなります。

安房勝山の海。左奥の島は「浮島」。(千葉県安房郡鋸南町)

安房勝山の海。左奥の島は「浮島」。(千葉県安房郡鋸南町)

源頼朝は、なぜ房総半島へやってきたのか~源平合戦から鎌倉幕府成立へ

安房勝山の地は、いわゆる源頼朝が海を渡って房総半島へ上陸してきた場所になります。

そのエピソードは、平安時代さかのぼります。

平安時代末期、武士の力の成長

平安時代末期になると、この頃には武士が

本当は貴族の連中よりも、俺たちの方が強いんじゃね?

と思い始めてきました。

元々は、朝廷や荘園のボディーガードだった武士

元々武士は、朝廷や貴族からいいように使われているボディーガードのようなものでした。
もちろん武士には、荘園(当時一般的だった、巨大な農園のようなもの)を守るためのボディーガードとしての役割もありました。

例えば、当時の奥州おうしゅう(東北地方)では、朝廷に従わない蝦夷えみしという部族が、東北地方でやりたい放題やっていました。
これは朝廷にとっては脅威なので、そんな奥州に11世紀半ばごろに派遣された頼義よりよしや、その息子の義家よしいえなどが有名です。

源義家について詳しくは、以下の記事でも解説していますのでをご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第33番 平泉に到着! 金色堂、安倍氏、奥州藤原氏など戦いや栄華の歴史
鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

いずれも「源氏」であり、後に頼朝の世代になって頭角を現してくるのです。

朝廷や貴族の弱体化、武士が台頭してくる時代へ

しかし12世紀の中頃(平安時代の終わり)になると、貴族の皆さんが貴族同士で醜い政権争いなどを行うようになり、まともな政治ができる状態ではなくなります

すると、朝廷の政治は弱体化してゆき、今度は武士達が徐々に力を付けはじめてきます。

貴族は身分が高いだけで、決して能力が高いわけではない。
こんな人達に日本は任せておけない

と言わんばかりに、武士は力を付けはじめ、政治に対しても大きな影響力を持つようになります

その代表格が、清盛きよもりをはじめとする平氏へいし一族です。

「平治の乱」で、源氏の敗北・平氏の天下へ

1160年に起きた、平氏と源氏の戦いである「平治の乱へいじのらん」において、源氏は平氏に敗北します。

平氏にフルボッコに負けた源氏は、酷い刑罰を受けることになります

まず、源頼朝の父である義朝よしともは、京都から鎌倉(神奈川県)へ逃げる途中で、愛知県・知多半島ちたはんとうの地において滅ぼされてしまいました。

伊豆に流罪となった、若かりし日の頼朝

そして息子の頼朝は殺されこそしなかったものの、伊豆に流罪るざいとなってしまいました。

正確には、現在の静岡県伊豆の国市いずのくにしにあたる蛭ヶ小島ひるがこじまという場所に流罪となってしまったのです。

蛭ヶ小島(静岡県伊豆の国市)

しかし頼朝はそこで、後の妻となる北条政子ほうじょうまさこと出会い、約20年間は伊豆で暮らしていました。

ただしこの蛭ヶ小島は、とても広くて長閑のどかな場所であり、また富士山もとても綺麗によく見えるという、流罪の場所にしては決して悪くはない場所です
また、北条氏の拠点もあった場所です。

蛭ヶ小島へは、伊豆箱根鉄道・駿豆線すんずせんの、韮山駅にらやまえき(静岡県伊豆の国市)が最寄駅です。

この地域(韮山・伊豆の国市)あたりを走る伊豆箱根鉄道・駿豆線は、こうした富士山のよく見える景色を進んでゆきますよね。

繰り返しになりますが、蛭ヶ小島は現在では観光地としても景色・気候ともによい場所です。
つまりこの20年間は、頼朝にとっては決して悪くない期間だったのかもしれません。

頼朝はこの20年もの期間、うかつに動こうとせず、ずっと平氏打倒のためのチャンスを狙っていたのでした

蛭ヶ小島については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

【静岡】伊豆・三島の旅【後編】 源頼朝ゆかりの地をめぐる【観光・歴史】【わかりやすく解説】
源頼朝配流の地、伊豆・蛭ヶ小島の観光・歴史について、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

以仁王の挙兵 石橋山の戦いで敗れ、真鶴から船出

そしてその20年後、1180年に以仁王もちひとおうの呼び掛け(「全国の源氏よ、今こそ平氏を倒せ!」というもの)が行われ、これに応じた源氏一同は、平氏打倒のために挙兵することになりました。

もちろん、頼朝も立ち上がります。

しかしそのすぐ後、神奈川県の伊豆に近い場所で行われた「石橋山の戦い」で破れてしまいました。
 
その戦いの行われた真鶴まなづる湯河原ゆがわらの地には、頼朝が隠れたという「ししどのいわや」があります。
真鶴町では港近くに、湯河原町では山側にあります。

石橋山の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

湯河原の観光・歴史と、土肥実平についてわかりやすく解説!【神奈川県】
湯河原の観光・歴史について、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

真鶴より船出、房総半島・安房勝山へ

その後頼朝は、真鶴まなづる(現在の神奈川県足柄下郡真鶴町)から房総半島へ向けて船出したのでした。

相模湾・東京湾を渡り、やがて房総半島のこの地(安房勝山)に上陸したということになります。

房総半島上陸後の頼朝

房総半島に上陸した頼朝は、房総半島の平氏に不満を持つ武士たちを次々に味方につけてゆき、巨大な軍団となってゆきました。

それもあってか、房総半島には頼朝にゆかりある地名がいくつかあります。

頼朝が99の矢を置いた、九十九里浜

例えば、九十九里浜くじゅうくりはまは、頼朝が99の矢を置いたという伝説に由来します。

頼朝が馬を乗り換えた場所・幕張

また、幕張まくはりは、その地で頼朝が馬を乗り換えたえた、とも表現できる)という伝説があることから、「馬加まくわり」という地名になり、それが時代とともに「幕張まくはり」に変わりました(ただし、この伝説は確定のものではなく、諸説あり)。

勢い付いた源氏 檀ノ浦で平氏を滅ぼす

その後の頼朝率いる源氏グループは、

  • 静岡県での「富士川の戦い
  • 兵庫県での「一ノ谷の戦い

などで次々に勝利してゆきました。

最後には、1185年に北九州・関門海峡かんもんかいきょうで行われた「壇ノ浦だんのうらの戦い」で平氏を滅ぼしました。

檀ノ浦の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 山陽・九州編 第29番 「早鞆の瀬戸」「檀ノ浦の戦い」かつて源平合戦のあった古戦場
鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

そして1192年、頼朝は征夷大将軍せいいだいしょうぐんに任命され、鎌倉幕府を開いたのでした

安房勝山の海(千葉県安房郡鋸南町)

安房勝山の海(千葉県安房郡鋸南町)

現代の交通は、とても便利になった

ちなみに現代では、頼朝公のように海を渡らなくとも、前回・前々回紹介した

  • 東京湾アクアライン
  • 東京湾フェリー

などで渡ることができます。

一方、大昔の人は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)源頼朝のように、はるばると海を渡って、房総半島へと来ていたのでした。

このように現代では、道路・フェリー・鉄道などで来ることができますから、交通の技術の発展と文明の進歩は素晴らしいものだと実感させられます。

おまけ:筆者の写真

安房勝山・源頼朝上陸の地での筆者(千葉県)

次回は、館山へ

次は、館山たてやまに止まります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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