房総半島一周の旅14 房総半島の南東の海岸沿い、御宿・大原・上総一宮をゆく

今回は、房総半島南東の海岸沿いである、御宿・大原・上総一ノ宮といった地域の話題となります。この地域の旅行を低予算かつ充実して楽しむポイントを、わかりやすく解説します!!

(外房線)
安房鴨川駅→安房小湊駅→行川アイランド駅→上総興津駅→鵜原駅→勝浦駅→御宿駅→大原駅→上総一ノ宮駅→茂原駅→大網駅

※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの

勝浦駅(かつうらえき、千葉県勝浦市)を出ると外房線(そとぼうせん)に従って北東へ進み、上総一宮(かずさいちのみや)・茂原(もばら)・大網(おおあみ)方面へと向かってゆきます。

やがて御宿駅(おんじゅくえき、千葉県夷隅郡御宿町)に至ります。

御宿(おんじゅく)とは、かつて北条時頼(ほうじょう ときより)がここに宿を置いたことからその名前になりました。

北条時頼は、鎌倉幕府5代目執権(しっけん)です。執権とは鎌倉幕府の将軍に代わって政治を行う重要なポストであり、他に有名な執権としては2代目執権の北条義時(よしとき)、8代目執権の北条時宗(ときむね)らがいます。義時は「13人の合議制」の一人として有名で、時宗はモンゴル襲来(元寇)のときの執権です。

御宿町(おんじゅくまち)のある夷隅郡は、「いすみぐん」と読みます。

御宿駅を出ると、やがて「いすみ鉄道」との分岐線である、大原駅(おおはらえき、千葉県いすみ市)に到着します。

大原駅(おおはらえき)は、第三セクター路線である「いすみ鉄道」との分岐駅でもあります。第三セクターとは、半分が民間、半分が公営という形式の組織です。
いすみ鉄道は、元々はJR東日本の木原線(きはらせん)という鉄道路線であり、大正時代に木更津~大原間の開通を目的として建設されました木原線の由来は、「更津」「大」に由来しています。つまり現在木更津駅から出ている久留里線(くるりせん)と接続するはずだった路線なのです。

しかしそれは実現することはなく、1988年にJR東日本から「いすみ鉄道」にその経営が引き継がれました。これが「いすみ鉄道」が第三セクターである所以(ゆえん)です。つまり、いすみ鉄道と沿線自治体(線路の周辺の町)がお金を出しあって運営しているという形式になります。

そしていすみ鉄道・いすみ線は途中の上総中野駅(かずさなかのえき、千葉県夷隅郡大多喜町)で小湊鐵道(こみなとてつどう)と接続し、市原市の五井駅(ごいえき)に至る路線です。
以上を踏まえると、房総半島の真ん中を通って、反対側へと至る路線は、大正時代に想定していたもの(木更津~大原)とは異なる形(市原・五井~大原)という形で実現したということです。

大原駅を出ると、やがて上総一ノ宮駅(かずさいちのみやえき、千葉県長生郡一宮町)に到着します。

上総一ノ宮(かずさいちのみや)とは、上総国(かずさのくに)の一宮(いちのみや)である玉前神社(たまさきじんじゃ)という神社に由来します。

上総国(かずさのくに)とは、千葉県の中部のことをいいます。
一方、千葉県北部のことを下総国(しもうさのくに)、千葉県南部のことを安房国(あわのくに)といいます。
ここで地図上で上の方が「」、下の方が「」となっていますが、これは昔は上総国の方が京都に近かったことに由来しています。

というのも、大昔は現在の東京~千葉の区間にあたる地域はまだ道がなく、ただの野生の湿地(つまり、原生の草が生えているだけの土地)だったため、人々は通る(往来する)ことは出来ませんでした。

そのため、大昔の人々は陸ではなく海上ルートを通って京都の方面まで行っていたのでした。だいたい木更津・君津・富津あたりの海岸から船出していたわけですね。
昔は京都に近い方を「」、遠い方を「」として位置付けていました。新潟県の「上越」「中越」「下越」というネーミングも同じ理由です
そのため、海上ルートのあった上総のほうが京都に近いため、地図上では「下」にあるのに「上総国」となったわけです

(くに)とは、奈良時代の律令制における、全国のエリア分けのことであり、現在でいう「都道府県」に該当します。ただし、千葉県の場合は先述の通り、下総・上総・安房の3つの国からなります。

一宮(いちのみや)とは、その国で一番格式の高い神社のことをいいます。その国では一宮をトップとして、二宮(にのみや)、三宮(さんのみや)と続きます。また、一宮・二宮・三宮といった神社は、上総一宮尾張一宮などのようにその地域の地名の由来にもなったりします(他にも有名なところでは、神戸の「三ノ宮」など)

似たような制度に、官幣大社(かんぺいたいしゃ)というものがあります。

官幣大社(かんぺいたいしゃ)は、明治時代の「近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)」と呼ばれる制度における神社のランク・格付けであり、当時は欧米列強と戦うために天皇が神聖不可侵な存在だっため、天皇により近く(関連性が高く)重要な神社がより格式高い神社に選ばれていた、ということになります。

そして「一宮」は、必ずしも「官幣大社」とは限りません。もちろん静岡県の三嶋大社(みしまたいしゃ。伊豆国一宮、官幣大社)のように一宮が官幣大社を兼ねている場合も多くありますが、愛知県の熱田神宮(あつたじんぐう。尾張国三宮、官幣大社)や新潟県の弥彦神社(やひこじんじゃ。越後国一宮、国幣中社)などのように異なっている場合もあることを覚えておきましょう。

玉前神社(たまさきじんじゃ)は、先述の通り上総一宮の地名の由来となった神社であり、その名の通り上総国一宮にあたる神社となります。また、神武天皇(じんむてんのう)のお母さんにあたる玉依姫(タマヨリビメ)を祀(まつ)る神社になります。神武天皇とは、日本の初代天皇であり(現代の令和の天皇陛下は第126代)、日本神話によれば紀元前660年2月11日に神武天皇が奈良県橿原市(かしはらし)において即位し、日本を建国したとされています。そのため2月11日は「建国記念日」として祝日になっています。神武天皇については以下で分かりやすく解説しているので、詳しくは、以下の記事をご覧ください

鉄道唱歌 関西編 第38番 畝傍山と橿原市 神武天皇の即位した、日本のはじまりの地

上総一ノ宮駅を境に、ここからは線路の本数が増え「複線」となります。
つまり線路が二本(以上)になる、ということです。
複線になると列車の行き違いが容易となるため、単線の時のようにどこかの駅で列車の行き違いを待つ必要が無くなります
また、ここからは千葉・東京、そして神奈川県逗子(ずし)・久里浜(くりはま)方面への直通列車が増えます。

余談ですが、ついこの間、京葉線(けいようせん)の通勤快速が2024年3月のダイヤ改正をもって廃止になるということで、世間的に問題になり、一宮町の馬淵正也(まぶち まさや)町長が「暴挙と言わざるを得ない」と反対の声を上げたことで話題になったことがありました。

京葉線(けいようせん)とは都と千県の間を(東京湾の)海沿いに走る路線のことです。
この京葉線の通勤快速が朝夕の時間帯で廃止になるという発表をJR東日本が打ち出したことで、沿線住民からの猛反発を受けました。
というのも、通勤快速が止まる駅」という理由でその街(沿線上)に引っ越した人もいるので、通勤快速が失くなったら一気に東京への通勤などで不便になるからですね。

また上総一ノ宮駅は、東京から快速一本で乗り換え無しで来られることも町の強みの一つであり、通勤快速が廃止となると一宮町への(東京からの)朝夕の通勤が一気に不便になるため、町の人々の生活スタイルにも影響してくるからですね。

2024年3月以降、京葉線を走る快速列車は通勤時間とはかけはなれた昼間のみとなり、朝・夕の列車のほとんどは普通列車(一部は特急列車)となっています。これにより、通勤時間が最大20分長引くことになり、それまで通勤快速の恩恵を受けていた方々がいつもより早起きをせざるを得なくなったなど、かなり困惑する事態となったようです。しかし一方で、それまで通勤快速が止まらない駅から乗っていた人々にとっては各駅停車(普通列車)の本数が多くなったことから、むしろ便利になったという意見もあります。

このように、鉄道の廃止問題は地域住民や地域経済の死活問題になることがあります。しかしその一方、JR東日本をはじめとする鉄道会社からすれば経営の予算問題を解消したい思惑など、両者の意見が食い違うと問題になることがあり、深く考えさせられる部分があります。

次は、茂原(もばら)、大網(おおあみ)に止まります!

注意
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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