房総半島一周の旅24【前編】 【江戸川区】江戸川・荒川を渡る

総武本線および江戸川(江戸川区)の地理・歴史などを、わかりやすく解説してゆきます!
旅行初心者の方にも、やさしく解説してゆきます!

今回は、千葉県から東京へ戻る工程へ

今回は千葉県の旅をめでたく終え、東京へ戻ってゆく行程となります

江戸川・荒川・隅田川を渡り、錦糸町・両国・浅草橋という地域に至ります。

(総武本線)
千葉駅→稲毛駅→新検見川駅→幕張駅→津田沼駅→船橋駅→市川駅→(江戸川)→新小岩駅→(荒川)→平井駅→亀戸駅→錦糸町駅→両国駅→(隅田川)→浅草橋駅→秋葉原駅

※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの
※錦糸町駅からは「支線」扱いであり、運転系統は「中央・総武線」となる

市川駅を出て、東京都に戻ってくる

前回に引き続き、市川駅いちかわえき(千葉県市川市)を過ぎると、再び東京都へ戻ってきます

また、市川駅を出ると、千葉県と東京都の県境をなす江戸川えどがわを渡ります

久しぶりの東京都

この江戸川を渡ると、東京都に入るわけです。

今回の旅では、本当に久しぶりの東京都ということになります。

思えば葛西臨海公園駅かさいりんかいこうえんえき(東京江戸川区)を過ぎて、東京ディズニーランドの最寄駅である舞浜駅まいはまえき(千葉県浦安市)に入ってから以来ですね。

その時の記事は房総半島の旅の第2回になりますので、まだ見られていない方は以下の記事是非ご覧ください

房総半島一周の旅2 葛西臨海公園に到着!東京の貴重な海の景色 そして飛び交う飛行機

江戸川区の行程へ

ちなみに江戸川区えどがわくという地名は、言うまでもなく、その名前の通り、江戸川区の東側を流れている江戸川えどがわに由来しています。

江戸川区は、都心へのアクセスも比較的良い地域になります。
それに加えて公園も多いことから、ファミリー層(家族持ちの人々)に人気のあるベッドタウンとして発展してきました。

「江戸川乱歩」「江戸川コナン」とは無関係

小説家・江戸川乱歩の名前は、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーに由来しています。
なので、今回の江戸川とは無関係です。
(もちろん、江戸川コナンも無関係。)

江戸川乱歩は、ポーの作品を敬愛しており、その名前をもじって「江戸川乱歩」と名乗るようになりました。
江戸川乱歩の本名は、平井太郎ひらいたろう です。

江戸川乱歩の作品は、名探偵・明智小五郎が有名です。また、少年探偵団などが登場します。

江戸川

かつては渡良瀬川の下流部分だった、江戸川

江戸川えどがわは、元々は栃木県を流れる渡良瀬川わたらせがわの下流部分であり、その下流部分は太日川ふといがわという名前でした。

渡良瀬川わたらせがわとは、主に栃木県を流れる川です。

つまり栃木県を流れる渡良瀬川は、下流部分で太日川ふといがわと名前を変え、東京湾に注いでいたのです。

江戸時代に、ルートが東に付け替えられた利根川

ちなみに現在の渡良瀬川は、茨城県古河市こがしのあたりで利根川とねがわと合流して、東の銚子ちょうしへ注いでいます。
これは江戸時代になって、銚子へと注ぐように、東へと(幕府による工事によって)大きくルートを変更されたことが理由です。

これを、利根川東遷事業とねがわとうせんじぎょうといいます。

銚子利根川の関係については、以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください

房総半島一周の旅17 銚子へ到着!国内屈指の水産都市

東京湾に注ぐ江戸川

現代の江戸川は、

  1. 茨城県南部の境町さかいまちのあたりで、
  2. 利根川と分岐して南へ流れ
  3. やがて東京湾に注ぐ

という川になります。

つまり渡良瀬川は、いったん利根川と合流し、さらに江戸川と分岐することになります。

そのため、現在でも渡良瀬川は(トータルでは)江戸川となって東京湾に注ぐ川である、ともいえます。

すなわち、

  • 「利根川を間に挟むか」

を省けば、江戸時代までの(先述の)太日川とよばれていた時期と同じで、東京湾に注ぐ川です。

洪水被害の防止などの理由で、川の付け替えが行われた江戸時代

このように江戸時代には、

  • 人々を洪水の被害から救うため
  • 舟による水運(荷物を運ぶこと)で、舟が関東地方を自在に行き交うことができるようにするため

川のルートが人為的な工事によって、たくさん変更されているのです。

ここでは、江戸時代以前と現在では川(渡良瀬川・利根川・江戸川)のルートが異なっていた、ことを知っておくとよいでしょう。

荒川を渡る

東京都に入るとほどなくして、

  • 小岩駅こいわえき(東京都江戸川区)
  • 新小岩駅しんこいわえき(東京都葛飾区)

と過ぎます。

新小岩駅を過ぎると、荒川あらかわを渡ります。

元々は、荒川の一部だった隅田川

荒川あらかわは、元々は現在の隅田川すみだがわでした。
つまり現在の隅田川は、明治時代までは「荒川」だったのです。

そこに新たに「荒川放水路」という、洪水に備えたより大きく真っ直ぐな川が作られて、そちらが荒川の本流となったわけでした。

放水路ほうすいろとは、洪水に備えて一時的に水を退避させるための、人工的な川です。

後にできた放水路の方が、荒川の本流となった

その荒川放水路が明治時代に出来たことに伴い、後から出来た放水路の方がメインの「荒川」という扱いとなりました。

そして、元々メインだった方の荒川は、後に「隅田川」に改められたのです。

荒川放水路ができるきっかけとなった「明治43年の大洪水」

ではなぜ荒川放水路が作られたのかというと、明治43年(1910年)大規模な氾濫をおこし、甚大な被害が出てしまったことがきっかけです。

詳しくは、以下の記事をご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第3番 赤羽を過ぎて、荒川の橋を渡る

次回は、江東区→墨田区へ

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤っになっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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