房総半島一周の旅25 秋葉原へ到着!東京へ帰還 水運・火除け・電器・オタクの街から、オフィス街へ

今回は千葉県の旅をめでたく終え、東京秋葉原へ無事戻ってきたという流れとなります。水運・火除地・闇市・電気街・オタクの聖地・オフィス街と変貌を遂げてきた秋葉原の歴史などの豆知識を、わかりやすく解説します!

(総武本線)
千葉駅→稲毛駅→新検見川駅→幕張駅→津田沼駅→船橋駅→市川駅→(江戸川)→新小岩駅→(荒川)→平井駅→亀戸駅→錦糸町駅→両国駅→(隅田川)→浅草橋駅→秋葉原駅

※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの
※錦糸町駅からは「支線」扱いであり、運転系統は「中央・総武線」となる

錦糸町・両国を西へ進むと、秋葉原へ

錦糸町(きんしちょう)・両国(りょうごく)を過ぎると、やがて秋葉原駅(あきはばらえき、東京都千代田区)へ到着します。
今回の房総半島一周の旅では、この秋葉原をゴールということにさせていただきます。つまり、房総半島一周の旅シリーズは、今回が最終回です。

オタクの聖地のみではなかった、時代とともに異なる秋葉原の歴史

秋葉原(あきはばら)は、時代によって

水運の拠点→明治時代の火除地→戦後の闇市→電気街→オタクの聖地→令和のオフィス街

という街の変遷をたどる、とてもダイナミックな街でもあります。

秋葉原はかつて、「水運」の街だった

秋葉原は今でこそ「オタクの聖地」として世界に知られていますが、江戸時代の昔は水運(すいうん)の拠点として発展してきました。

水運(すいうん)とは、舟でたくさんの荷物(米・食料品・生活必需品など)を運ぶ仕組みです。
昔は貨物列車やトラックなどがなかったため、に荷物を載せて運んだ方が効率がよかったのです。舟で移動するため、江戸時代の日本各地の主な町の中には人工的な川(「運河」や「お堀」)などがめぐらされていました
秋葉原の場合は、町の南を流れる神田川(かんだがわ)が、舟の主な通り道でした神田川とは、「南こうせつとかぐや姫」の歌で有名な、あの「神田川」です。
話を戻しますが、つまり、秋葉原駅の南側を流れる神田川に到着する船に大量の荷物を載せ、やや東の隅田川(すみだがわ)と合流し、さらに隅田川から東京湾に到達し、やがては東京湾から全国の各地に舟で荷物を届ける、というものでした。

秋葉原の水運は、主に「材木」で栄えました。材木とは、木造建築の家屋(かもく)などを作るために必要となる部品です。大工さんが野生のゴツゴツした木をいきなりポンと渡されたところで家などできるわけないので、ある程度はきれいに加工して整った部品(木材)という形で、大工さんに供給されるわけです
江戸時代は武家屋敷(ぶけやしき。武士が住む立派な家)などをはじめとする木造建築の家屋が多かったでしょうから、材木を扱う運ぶ人たちは忙しかったことでしょう

明治時代の大火災をきっかけに、「秋葉原」の地名が生まれる

時代は代わり、明治時代となります。 
明治時代はじめの1870年に、秋葉原を襲った大火事が起きたことにより、多くの人々が避難を余儀なくされました
その避難の場所(火除地/ひよけち)として選ばれたのが、現在の秋葉原駅のやや北にある、秋葉神社のある辺りの広場でした。
秋葉原の名前の由来は、この秋葉神社で祀(まつ)られる火除けの神様・秋葉権現(あきばごんげん) に由来します。

しかし秋葉原の秋葉神社に祀られている火除けの神様は、本当の秋葉権現ではありません

1870年の秋葉原の火災では、明治天皇は江戸城の神社から勧請(かんぜい。神様を遠くからお招きすること)した神様(秋葉権現ではない別の火除けの神様)を祀ったのでした。
しかし江戸の人々からは「火除けの神様といえば、秋葉権現さま」というイメージが既に定着していたこともあり、招かれた先述の神様も「秋葉権現」だと誤解され、
秋葉権現さまのいる火除地→秋葉原
となったのが、秋葉原の名前の由来となっています。

ちなみに秋葉権現の総本社は、静岡県浜松市天竜区にある秋葉神社になります。
秋葉神社は、静岡県浜松市天竜区(てんりゅうく。浜松の中心市街地の、はるか北の山間部エリアです)にある神社です。
浜松市はとても広く、はるか北の山岳地帯にまで市域が広がっているのです飯田線(いいだせん)の秘境駅・小和田駅(こわだえき)も、浜松市天竜区に位置する駅です。

昔は防火設備延焼防止技術消防設備消防に関する法律などが整っていませんでしたから、それだけ火除けの神様にお祈りすることは重要だったのです

戦後は「闇市」として発展してきた、秋葉原

戦後になると、秋葉原では闇市(やみいち)とよばれる店が流行することになります。
闇市(やみいち)とは、戦後の物資不足のときに登場した、非合法で物を売るお店のことです。
戦後の荒廃した世の中では、何にしても物が足りず、人々はまともに買い物もできませんでした
しかし当時の食べ物はみな配給制であり、その配給される物資も微々たるもので、とても人々に供給が追い付かず、餓死する人も出てしまったのです。
買い物ができなければ、食べることはおろかまともな生活すらできません。もし、近所のスーパーやコンビニが全て閉業してしまったらどうなるか、想像してみましょう。きっと暴動略奪などが起こり、世の中の治安はかえって荒れてしまうでしょう。
そんな中(人々を救うためなのか、その当時売れば独り勝ちできたからなのか)登場したのが、戦後の「闇市」というものでした。闇市は、農村などから極秘ルートで物資を仕入れて販売する、ということを行っていました。

闇市はあくまで非合法(国の許可無し)のため、国・警察・GHQによって一掃されてしまい、その跡地に出来たのが、当時の大学生が電気を作って売っていたラジオ無線などの店でした。
このラジオや無線などのお店が発展して、現在のような「電気街」として発展してきたという経緯があります。

今でも秋葉原のラジオ・無線のお店には、抵抗器(電気を流れにくくし、感電などを防ぐ道具)・コンデンサ(電気を蓄えておき、必要に応じて放出・放電する道具)・インバーターコンバーター直流交流を変換する機器。電車でも使われています)などの、マニアックな機器がたくさん売られています
このように秋葉原では無線に興味なくても、またオタクでなくても、とにかく珍しい品がたくさん売られていてとても面白いです。

かつての万世橋駅の遺構、そして万世橋の下にある「謎の空間」

現在の中央線・神田駅(かんだえき)と御茶ノ水駅(おちゃのみずえき)の間には、万世橋駅(まんせいばしえき)という駅がありました。
現在は廃駅となっていますが、立派なレンガ造りの遺構は現代でも残っており、圧巻です
また秋葉原の地下には、地下鉄銀座線万世橋駅の遺構もあるそうです。
約100年前の地下鉄の駅の遺構が、秋葉原のマンホールの下に眠っているというのは凄いです。
もちろん民間人が入って見学などはできないでしょうが、まるで地下に眠っている、巨大なダンジョンのようですね。

そして現在の神田川にかかる橋である、万世橋(まんせいばし)南側の公衆トイレの下には、一体何に使われていたのかわからない「謎の空間」があります。
その空間が果たして何に使われていたのか、その真相は現在ではわからないとされています。

秋葉原・万世橋と、その下(写真やや左下)にある「謎の空間」(東京都千代田区)

オタクとアイドルの聖地として変貌・進化した秋葉原

秋葉原は、1990年代~2010年頃にかけて「オタク文化」の聖地のようになってきました。まだAmazonなどのネット通販が一般的でなかった頃は、秋葉原に来なければマニアックな製品が買えなかったこともあり、秋葉原はそんなマニアックでニッチな製品が安く買える聖地でもありました。こうしたマニアックな要素が、オタクたちの心をくすぐり、秋葉原はいつしかオタク達の心の居場所となってゆきました。

そしてこの頃には「アキバ系」という言葉や、オタクが女性と恋におちる「電車男」というドラマも流行りました。

2005年には「AKB48劇場」がスタートしAKB48がデビューしましたが、最初のお客さんはなんとわずか7人でした。
それが2012年には東京ドームでライブを行うほどになり、AKB48は国民的アイドルに成長しました
2010年代の日本はアイドル全盛期・アイドル戦国時代であり、この頃は若い女の子たちが一躍スターを目指して人気を競い合っていたのでした。
そのアイドル人気合戦の頂点にいたのが、他ならぬAKB48でした。

また2010年代を代表するアニメ「ラブライブ!」も秋葉原がスタート地点であり、秋葉原UDX昌平橋(しょうへいばし)などの聖地がたくさんあります。ラブライブ!は、少子化・生徒数減により廃校の危機に陥った学校(女子高)を、女子高生9人がμ’s(ミューズ)というスクールアイドルクループを結成して人気を集め、学校を廃校の危機から救うというストーリーのアニメです。
この頃はアイドル・アニメ・メイドカフェ・ゲームなど、秋葉原の文化は凄まじいものがありました

オタクの街から、令和のオフィス街へ

そんな全盛期を誇ったアニメ聖地の秋葉原も、令和となった最近ではそういった印象が薄れていっています
というのも、東京都による再開発が推し進められた結果、様々なオフィスビルなどが多く立ち並ぶようになり、オタクだけの街という感じでは徐々に無くなりつつあります
一昔前の「絵に描いたようなオタク(チェック服+リュック背負う+メガネ着用+ハチマキかぶる、というステレオタイプなイメージのオタク)」はほぼいなくなり、むしろ普通のサラリーマンも多く行き交う街になってきました

こうしたコアでマニアックな印象が秋葉原から排除されてきた結果、「最近の秋葉原はつまらなくなった」「秋葉原は衰退した」「オタクの居場所が無くなってきた」という辛辣な意見も残念ながら(ネット上を中心に)存在しています。

個人的には、秋葉原はもっとオリジナリティあふれる、1日ずっと居続けても飽きない、そんな街になればいいなぁ、と思っています。
従来のメイドカフェとは違った、近年出てきた形態の店である「コンカフェ」は、たまに行くと面白いです。

あとがき:房総半島一周の旅を終えて

さて、房総半島一周の旅シリーズは、今回で最後になりますが、いかがだったでしょうか。
千葉県のありとあらゆる場所を見てきましたが、東京に近い地域は栄えているとはいえ、千葉県の奥深くの地域には人口減少などの課題を抱え、人口減少の深刻な地域もあるのです。
また、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)や源頼朝(よりとも)など、歴史上の人物にゆかりある地域が房総半島にはとても多かったことを学んでいたいただけたことと思います。

皆さんがこれで千葉県そして房総半島の列車旅について、少しでも興味を持っていただけたら幸いです

さあ、あなたも青春18きっぷ北海道&東日本パスを握りしめ、楽しい楽しい房総半島の旅へ!

注意
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説ることに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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