【東京都】羽村市・玉川上水の源に行ってきた!

今回は以前、東京都羽村市(はむらし)の玉川上水取水口(たまがわじょうすいしゅすいこう)、通称・羽村取水堰(はむらしゅすいぜき)に行ったときのレポになります。江戸時代ある兄弟人々の水を供給するための苦難の工事の歴史を、わかりやすく解説します!

玉川上水・羽村取水堰(東京都羽村市)

江戸時代から人々の飲み水を提供してきた、玉川上水

玉川上水(たまがわじょうすい)は、江戸・東京の街に飲み水をはじめとする生活用水を提供するための、人工的な川のことをいいます。
上水(じょうすい)とは、簡単にはいえば飲み水や洗濯・生活に必要な水のことをいいます。
対義語は、下水(げすい)になります。
江戸時代にはたくさん人口が増え、江戸の町中では徐々に水不足に陥ってきました。
その水不足を解消し、江戸の人々に対して水を行き届けるようにするため、玉川上水の工事の必要性にせまられました。

玉川上水は、今回紹介する羽村市において多摩川(たまがわ)から水を取ってきて、東へ東へと進み(途中、立川市・小平市・小金井市・三鷹市・武蔵野市や杉並区などを経由)、新宿区の四ッ谷(よつや)に至ります。全長約42kmにも及ぶ、長大な人工の川です。
現代でも東京都水道局によって管理されています。

また、作家・太宰治が1948年6月13日に愛人とともに「入水自殺」を遂げたのも、太宰治の最後の自宅があった東京都三鷹市の、三鷹駅付近を流れる玉川上水でした。太宰治は「自殺マニア」としても知られ、それまでにも4回も自殺未遂を繰り返しています。

四谷大木戸の水番所から、江戸の各地へ水を供給していた

玉川上水四ッ谷(よつや)の四谷大木戸(よつやおおきど)に至ると、水番所(すいばんしょ)という場所で水質が綺麗に整えられ、さらに水量を調節した上で、江戸の各家屋に対して流れ供給されていきました。つまり一旦、水番所に集められ、そこから分散して各家屋に対して水が供給されるイメージです。
ちなみに四谷大木戸(よつやおおきど)とは、四ッ谷にあった江戸城に入ってくる不審者を取り締まるための場所です
四谷大木戸の水番所は、上記のように江戸の生活水を扱う重要な役職でした(現代の水道局も同じ)。

羽村取水堰(はむらしゅすいぜき)は、多摩川(たまがわ)から玉川上水(たまがわじょうすい)へと水を取ってくる場所です。

多摩川。羽村取水堰付近。(東京都羽村市)

多摩川(たまがわ)とは、東京都の西側を流れる大きな川です。末は、神奈川県川崎市羽田空港の近くの海(東京湾)に注ぎます。

江戸時代のはじめ、幕府からお金の支援を受けながら玉川上水の工事を行ったのが、今回紹介する後述の玉川兄弟(たまがわきょうだい)であり、玉川上水へと(江戸の人々の生活に必要な)水を多摩川から取ってくるための取水口が、ここ東京都羽村市にあるわけです。

まずは羽村駅からスタート!多摩地域の街・羽村市へ 多摩川の羽村取水堰へGO!

舞台はまず羽村駅(はむらえき、東京都羽村市)から始まります。

東京都羽村市(はむらし)は、東京都の西部にあたる多摩地域(たまちいき)の街となります。

人口1,400万人を誇る東京都は大きく分けて、以下の三つの地域に分類されます。

東京都都区部(23区)
多摩地域(たまちいき)
島嶼部(とうしょぶ)

東京都都区部(23区)とは、東京都東部を占める、いわずと知れた日本の中心地です。皇居国会議事堂などをはじめとする国の中心機関がある千代田区(ちよだく)、高年収層・裕福層の多い港区(みなとく)、東京都庁のある新宿区(しんじゅくく)、若者とITの街である渋谷区(しぶやく)なども、みんな東京都23区に属します。なので「東京都東京市千代田区」とは言いません。あくまで「東京都千代田区」になります。
ちなみに「東京市」は、戦時中の1943年まで実際に存在した市になります。

多摩地域(たまちいき)は、東京都の西部にあたる地域になります。このあたりは「」が多くなり、主に立川市(たちかわし)、八王子市(はちおうじし)・福生市(ふっさし)・青梅市(おうめし)などがあります。
東京都だけあっていずれも立派な街なのですが、西にいけば行く程、自然にあふれのどかな雰囲気になります。新しい街並みが開発され家族でも住みやすくなっているため、多摩地域は東京都心へのベッドタウンとしても人気があります。
なかでも奥多摩町(おくたままち)はとにかく自然に溢れ、ここが東京都なの?と言わんばかりです。
今回紹介する羽村市(はむらし)も、多摩地域に属します。

島嶼部(とうしょぶ)とは、いわゆる小笠原諸島(おがさわらしょとう)などに代表される離島部分になります。
沖縄県のはるか南にある「沖ノ鳥島(おきのとりしま)」も、信じられないことに東京都に含まれます(しかし島といっても本当にわずかに突き出た岩のため、いわゆる「領土問題」あり)。

また、日本のはるか東の太平洋に浮かぶ「南鳥島(みなみとりしま)」もなんと東京都であり、日本最東端の地になります。しかし南鳥島は国の職員のみ上陸が許可されており民間人の立入りは禁止のため、民間人が立ち入れる場所での日本最東端の地は、北海道根室市(ねむろし)の納沙布岬(のさっぷみさき)になります。納沙布岬の向こうには、いわゆる「北方領土」があります。

玉川上水の礎を作った、玉川兄弟

話がだいぶズレてすみません。

羽村駅は、立川駅(たちかわえき、東京都立川市)から青梅線(おうめせん)に乗り換え、拝島(はいじま)・青梅(おうめ)方面へ向かうと、約20分ほどで着きます。

玉川兄弟の像。羽村取水堰より。(東京都羽村市)

ここには、玉川兄弟(たまがわきょうだい)という、江戸時代に玉川上水(たまがわじょうすい)を造った兄弟の銅像があります。
玉川兄弟(たまがわきょうだい)は元々は「玉川」という苗字すらない農家であり、6,000両(一両=約10万円のため、現在価値で約6億円)といわれる幕府からの支援金・工費を投入して、川越藩の監督のもと、玉川上水取水堰を作っていったわけです。

玉川兄弟の像と撮影!

日野での工事の失敗 平坦な関東平野では、水がうまく流れなかった!

玉川兄弟による玉川取水口の工事は、少なくとも2度失敗したそうです。

最初は、日野(ひの)の掘削に挑みます。東京都日野市(ひのし)は、新撰組(しんせんぐみ)鬼の副長だった土方歳三(ひじかた としぞう)の出身地てす。
しかし日野市での掘削は挫折してしまいます。なぜかというと、肝心の飲み水となるべき水が、地面にどんどん吸い込まれる現象が起こることが判明したからです。これでは使い物になりません。
この「水を吸い込む地面」のことを、水喰土(みずくらいど)といいます。この水喰土は、関東ローム層の、水を吸い込みやすい独特の地層だったことが関係しているといいます。
水喰土によってせっかく流されてきた水が全部吸われてしまい、使い物になりません。

しかも関東平野は基本的に平坦であり高低差があまりないため、せっかく掘っていざ水を流しても、平坦な流路では全然水が流れてくれません自然の川の水は、高低差があるからこそ(高い方から低い方へ)流れているのですね。これによって、新たに測量・調査を行い直すことになり、次は後述する福生(ふっさ)の地から工事することになりました。

こうして日野での最初の上水の掘削・開発は失敗したのです。そしてその失敗の責任を問われた役人たちは、こともあろうに(東京都府中市の地において)処刑されてしまいました。その処刑の現場で役人たちが「かなしい」と嘆いていたため、府中市の現場には「かなしい坂」という坂道が存在しています。

福生からの工事に挑むも、またもや失敗

日野が失敗したため、今度は羽村市のやや南東にある福生(ふっさ)の地域で掘り進める作業を行うことにしました。現在の東京都福生市(ふっさし)にあたり、横田米軍基地(よこたべいぐんきち)のあるところですね。
しかし、福生からの掘削では岩盤(=とても硬い岩の層)にぶつかってしまい、硬すぎて掘れなくなってしまいました

兄さん!ここは硬すぎて掘れないよ!
うむ・・・やむを得まい。福生を掘るのも諦めるか。これで二度の失敗か・・・幕府になんと説明すればいいのか・・・」

このように、ここは上水(川)を作るのには相応しい土地ではないという結論に至り、頓挫(とんざ)してしまっています。また福生においても先述の水喰土(みずくらいど)に水をみんな吸われてしまったため、現在の福生市には「みずくらいど公園」という公園・観光地があり、そこに玉川兄弟が掘り進めて失敗した水喰土の遺構が史跡として残っています。

ちなみに東京都福生市(ふっさし)は、横田米軍基地(よこたべいぐんきち)があり、たくさんのアメリカ人の方がおられます(私もよくランニング中の米軍・アメリカ人の方に気さくに挨拶されます)
また、横田米軍基地の上空はアメリカ軍の領空のようになっており、民間の飛行機は飛ぶことができないため、羽田空港を離陸した飛行機はより南の相模湾(さがみわん)の上を飛んでゆきます

三度目の正直で、羽村からの掘削に成功 江戸の町に水が行き渡るように

話を元に戻しますが、玉川兄弟はこれで二度にわたる失敗となりました。

三度目の正直で、今度は羽村(はむら)からの掘削工事を開始しました。
しかし、現在の新宿のやや西にある高井戸(たかいど)という地域にさしかかったところで、お金が尽きてしまいました。
幕府から渡された約6,000両(約6億円)もの資金が底をつき、やむを得ず自身の畑や家を売ったりして工事を続投しました。玉川兄弟は元々は苗字すらない農家だったので、農家の命ともいえる畑を売るのはなかなか断腸(だんちょう)の思いだったと思います。自身の財産を犠牲にしてでも玉川上水を完成させたのですから、銅像が建てられたりするのですね。

そうして江戸初期の1653年、不屈の精神で完成させたのが、今回の羽村市の玉川上水取水堰というわけです。そして翌年の1654年に、実際に先述の四谷大木戸水番所から、江戸の町に水が供給されていったのです。

玉川兄弟の功績と、その後

玉川兄弟の像(東京都羽村市)

玉川兄弟の不屈の力と、諦めない力はすごいですね。
その功績をたたえ、玉川兄弟の像が建てられているわけです。

玉川兄弟は元々農民の出身なので、苗字はありませんでした。しかし玉川上水を造った功績をたたえられ、幕府から「玉川」の苗字を名乗ることが認められたのでした。

しかも、その後の玉川上水の管理業務を、世襲(せしゅう)することまで認められました。
世襲(せしゅう)とは、親から子へとその職を引き継ぐ仕組みのことです。これにより、子孫の職業がずっと安泰になります。
しかしこれだと、たとえ親がどれだけ偉大でも、子供にやる気なかったり、水道の管理業務に興味なくて「画家になりたい!」などと言い出す可能性まであります。そうなると、世襲制ではむしろ仕事がうまくいかなくなり、業務が崩壊していまうリスクもあります。むしろやる気のない子供に任せるよりも、スキルの高い外部の人間を採用した方が、うまく業務が回る可能性もあります。ましてや玉川上水は江戸の人々の生活水となる重要インフラですから、しっかりと仕事をしてもらわなければ困るわけです。
この玉川家による水道管理業務の世襲制はうまくいかなかったのか、約80年後の1739年にはその世襲制の権限を剥奪されてしまいました。理由はよくわかりませんが、上記のような「世襲あるある」のために水道管理業務が崩壊してしまったからなのかもしれません(調べたら、実際に三代目のときに不祥事を起こしたことが原因のようでした)。

玉川上水はその水質を保つため、厳重に守られた

玉川上水は東京・羽村から新宿区・四ッ谷(よつや)にまで至る約42kmに及ぶ人口の川なわけですが、江戸時代はここに汚物を流す・体を洗う・魚釣りをやる・ゴミを捨てる行為は御法度(ごはっと)として、厳重に取り締まられました。人々(武士も含まれる)の生活にかかわる水なので、川を汚そうものなら「切り捨て御免」などとして命が助からなかったかもしれません。

また、玉川上水のあちこちには、「~をしてはならない」と書かれた高札場(こうさつば)がありました。

玉川上水の桜 桜の花びらが、水を綺麗にすると信じられていた!

玉川上水の回り(土手や堤(つつみ))には、たくさんの桜が植えられました。
これは昔、桜の花びらが水を綺麗にしてくれると人々に信じられていたからです。
また、桜を植えることによって観光名所になることや、お花見の客が土手(堤)の地面をたくさん踏んでくれることで、地面を固めて丈夫にしてくれることを期待したものです。

特に、東京都小金井市(こがねいし)を流れる玉川上水の桜は、明治時代~大正時代にかけて関東の桜の名所となりました。
桜のお花見のために小金井で仮の駅が設置され、それが現在の武蔵小金井駅となりました。
また、その植えられた桜は奈良県の吉野や、茨城県桜川市(さくらがわし)から取り寄せたものであり、当時としては非常に珍しい桜であったことから、なお人々がお花見のためにやってきた、とのことです。

小金井については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

中央線鉄道唱歌 第6番 武蔵小金井に到着 関東の桜の名所、小金井公園へ

多摩川は、末は東京湾に注ぐ川

多摩川(たまがわ)は、末は神奈川県川崎市の東端と羽田空港のすぐ西横を通り、東京湾に注ぐ川になります 。
このあたりは東海道線も通る(川崎駅がすぐ間近)、下流部分になります。
多摩川(下流部分)には、六郷の渡し(ろくごうのわたし)というものがありました。いわゆる「渡し舟(わたしぶね)」と呼ばれるものです。
なぜ渡し舟があったのかというと、昔は軍事的な理由で橋をかけることができなかったからです。
また江戸時代当時の橋は、ひとたび川が氾濫するとすぐに橋が流されてしまっていため、「だったら最初から橋なんかかけなくていい」ということで、代わりに「渡し舟」で川を渡っていたのでした

社会見学や歴史探訪は、大人になってからでも楽しい!

羽村取水堰の見学を終えると、羽村駅まで戻ります。
帰りは福生駅(ふっさえき)・立川駅あたりで休憩して、帰宅しました!
とても勉強になった日でした。
社会見学とは、大人なってからも楽しいものですね!

おまけ:筆者の自撮り写真

最後に、その他撮った私(筆者)の写真を載せておきます!

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