冬の【東京→北海道】鉄道旅3 新白河を出て、郡山方面へ

新白河駅を出て、郡山方面へ

列車は前回で、白川の関(せき)・新白河駅(しんしらかわえき、福島県西白河郡西郷村)に到着しました。
ここで、郡山(こおりやま)方面の列車に乗り換えます。

新白河駅は、「村」にある!

新白河駅はなんと日本で唯一「」に存在する新幹線駅になります。
新白河駅の所在地は、実は白河市ではないんですよね。西郷村(にしごうむら)という「」にあります。

しかし新幹線ホームの北端部分は、わずかに白河市の領域にかかっています。

白河駅から眺められる、白河小峰城

新白河駅から一つゆくと、白河駅(しらかわえき、福島県白河市)に到着します。白河駅は、正真正銘、白河市の駅になります
白河駅の左側には、白河小峰城(しらかわこみねじょう)がそびえ立ちます。
白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、後述する戊辰戦争(ぼしんせんそう)のうちの戦いの一つである「白河城の戦い」の舞台となった場所です。

戊辰戦争の重要戦地となった、白河

白河城の戦い」は、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)においては、その戦いの勝敗を決める重要な局面となりました。
この戊辰戦争で、新政府軍から北へと逃げる旧幕府軍は新政府軍を迎え討ちました。
しかし旧幕府軍は敗れてしまい、さらに北へ北へと逃げていくきっかけとなったわけです。しまいには北海道・函館の五稜郭(ごりょうかく)に追い詰められ、旧幕府軍の一グループである新撰組(しんせんぐみ)は降伏しています。

また、戊辰戦争では西の会津若松城鶴ヶ城)でも旧幕府軍は籠城(ろうじょう)しましたが、約20日にもおよぶ新政府軍からの攻撃を受け続け、城の中に立てこもった人々は食糧不足に陥り、女性を中心に次から次へ倒れてゆきました。
そして約20日後、会津若松城は降参してしまいました。
燃え上がる会津若松城(鶴ヶ城)を見て最後を覚悟した白虎隊(びゃっこたい)の少年たちが、次々に自害していったのです。

白河城の戦いについては、以下の記事でも詳しく解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第18番 白河の関、そして戊辰戦争の古戦場

白河は、かつての結城氏の本拠地だった

白河には、かつて結城氏(ゆうきし)という一族がいました。
結城氏は、現在の茨城県結城市(ゆうきし)の出身の一族になります。結城市は、結城紬(ゆうきつむぎ)で有名な街です。
その結城氏の一族が鎌倉時代に白河に移住し、その子孫が繁栄したことで、「白河結城氏」として土着(どちゃく:その土地の民として、すっかり定着すること)した形となっています。

その白河結城氏の有名な一人に、結城宗弘(ゆうきむねひろ)という武将がいました。
結城宗弘(ゆうき むねひろ)は、鎌倉時代の末期に後醍醐天皇に忠実に仕え、楠木正成(くすのき まさしげ)とともに足利尊氏と戦った人物です。
鉄道唱歌 関西・参宮・南海編 第20番でも歌われています。
詳しくは以下の記事でわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 関西編 第20番 三重県津市・結城神社 結城宗広の後醍醐天皇への忠義の跡

結城氏の出身地である茨城県結城市についても、以下の記事でわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第8番 小山から水戸線へ 結城・岩瀬を訪問

白河は、江戸時代から交通の重要リレー地点だった

江戸時代後期の1800年代になると、ロシアの南下政策(なんかせいさく)が目立つようになりました。ロシアは冬は-20度を下回ることが普通の極寒の地のため、港が凍って船が出せません
そのため、暖かい南の国へと進出していったため、蝦夷地北海道)もそのターゲットになりねない状況でした。
また、当時鎖国していた日本に対し、ロシアが(日本と貿易して利益を上げることも目的として)長崎根室にたどりついて日本に入国しようとし、日本が拒否したためそこで衝突が起きたりという事件が多発しました。
これらの事件により、日本はロシアをかなり警戒するようになっていました

そのため、ロシア進出の脅威から蝦夷地(北海道)の防御力を高めるため、人々が江戸(東京)~蝦夷地(北海道)の間を往来するという機会増加しました。

そのちょうど途中地点に位置する白河は、まさに江戸~蝦夷地を行き交う人々たちにとっての中継点となりました
つまり、移動中・遠征中の人々が休憩したり、食事したり、宿泊したりするのに重要だった町というわけです。

新白河駅を出て、須賀川・郡山方面へと向かう

白河駅を出ると、泉崎駅(いずみざきえき、福島県西白河郡泉崎村)・矢吹駅(やぶきえき、福島県西白河郡矢吹町)を過ぎてゆき、やがて鏡石駅(かがみいしえき、福島県岩瀬郡鏡石町)に着きます。

鏡石町(かがみいしまち)には、明治時代の文部省唱歌「牧場の朝(まきばのあさ)」の由来となった岩橋牧場(いわせぼくじょう)があります。

牧場の朝」は、鏡石町の「町歌」に匹敵するほどの、町を象徴する重要な歌として位置付けられています。
「牧場の朝」は、1968年にNHKの「みんなのうた」にて公開されました。

「牧場の朝」は、現在では久喜駅(くきえき、埼玉県久喜市)の発車メロディーとして、「アマリリス」という曲とともに使われています。

ウルトラマンの生みの親・円谷英二の出身地、福島県須賀川市

福島県須賀川市(すかがわし)はウルトラシリーズの産みの親である円谷英二(つぶらや えいじ)、そして1964年東京オリンピック・男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉(つぶらや こうきち)の出身地として有名です。
須賀川市ウルトラマン、そして円谷幸吉との関係性は、以下の記事でもさらに詳しくわかりやすく解説していますので、ご覧ください

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第19番 須賀川、郡山、猪苗代 多くの偉人のゆかりの地

交通の要衝・郡山駅へ

須賀川駅(すかがわえき)を出て北上し、水郡線(すいぐんせん)との分岐点である安積永盛駅(あさかながもりえき、福島県郡山市)を過ぎると、やがて郡山駅(こおりやまえき)に着きます。

「郡山」の名前の由来 昔は「郡」という行政のまとまりがあった

郡山(こおりやま)とは、奈良時代の律令制における「(くに)」「(ぐん)」といったエリア分けに由来します。
(くに)」とは、いわば現在の都道府県に該当します。
(ぐん)」とは、「国」よりもさらに細かいエリア分けになります。
郡の中心となる機関を郡衙(ぐんが)といい、郡のトップにあたる役職・人を郡司(ぐんじ)といいます。
その郡衙となる、政治の中心地の置かれていた場所のことを昔は「」とも呼んでいたケースがあることから、それが全国各地にある郡山(こおりやま)という地名の由来になっています。

郡衙(ぐんが)とは、先述の通り郡の中心となって政治する機関です。
現代風にいうと、「郡庁」「郡役場」みたいなイメージでしょうか。
郡司(ぐんじ)も、今でいうと「郡長」であり、「市長」のような位置付けですね。
ただし現代の地方自治における「郡」には、「郡庁」「郡役場」のような郡の中心となる機関はありません
「市長」「市議会」などはあっても、「郡長」「郡議会」などは存在しないわけです。

全国各地にもある「郡山」の地名

じゃあ郡の中心機関である郡山って、(防御力の高い)山の上にあったの?と思うところですが、必ずしも山の上にあったとは限りません
もちろん「山」は高いところにあり防御力が高い地形となるので、昔は確かに山の上に郡の中心機関があったというケースもあります。
しかし、必ずしも山の上にあったとは限らないようです。
山は「高い」というイメージから、昔は「政治の最高機関」という意味で「山」という語句が使われていたようです。

奈良県にも同名の市名があり、こちらは「大和郡山市(やまとこおりやまし)」として、「大和(やまと)」という旧国名を付けて(市名が重複しないよう)区別しています。
大和国(やまとのくに)とは、現在の奈良県のことをいいます。

広島県の安芸高田市(あきたかたし)にある吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)は、山の上に築かれた城です。広島の英雄的武将である毛利元就(もうり もとなり)の本拠地・出身地でもあります。
ちなみに安芸高田市は、石丸伸二(いしまる しんじ)・前市長がネットを巧みに駆使したことで話題・有名になり、また2024年の東京都知事選挙でも得票数2位と大健闘したことから一躍話題になりましたね。

明治時代に「安積開拓」で発展した、郡山

郡山市は、明治時代に安積開拓(あさかかいたく)によって発展してきた歴史のある街です。

開拓(かいたく)とは、未開の(何もない)土地を、田んぼを耕し、道路や鉄道などのインフラを造り、人々の往来を活発にし、荷物を運びやすくし、その土地を便利かつ肥沃(ひよく)に、生産性ある(作物などを作って、お金を稼げる)土地にすることです。

明治時代になって、先述のように東京~北海道往来する人々が増えたので、その途中地点として重要だった郡山(安積)を、安積疎水(あさかそすい)という人工の川を作ってあちこちに水が行き渡るようにしたのでした。水があちこちに供給されるようになったので、農業工業が発展し、結果として郡山の街が発展してきたのでした。

ちなみに開拓と似たような言葉に「干拓(かんたく)」「灌漑(かんがい)」などの言葉がありますが、全然違う言葉なので、惑わされないようにしましょう。

以下が「干拓」「灌漑」の語句の違いです。

干拓(かんたく):海や湖を(ダム・堤防・水門などで)せき止めして、干上がらせ、陸地を作り、田や畑などを作る(お金を稼げる土地にする)ことで、農業の生産性を上げることです。
干拓で出来た土地の例として、千葉県の印旛沼(いんばぬま)や、秋田県の八郎潟(はちろうがた)、長崎県の諫早湾(いさはやわん)、オランダの街などが有名です。

灌漑(かんがい):水を農地に引っ張ってくること。これにより、(近くに)川や湖がない土地であっても、農業ができるようになります。
灌漑の技術がまだ無かった弥生時代などの大昔には、川に近い土地などをめぐって人々の(「ムラ」ごとの)争いがよく起こりました。

安積(あさか)の地名は、安積永盛駅(あさかながもりえき、福島県郡山市)にその地名が残っていますね。
安積永盛駅は、冒頭でも少し述べたように水郡線(すいぐんせん)との分岐駅です。
水郡線(すいぐんせん)は、安積永盛駅(郡山市)から南東へ進み、茨城県の県庁所在地・水戸市(みとし)に至る路線です。
水戸」と「郡山」の頭文字もそれぞれ取って、「水郡線」というわけですね。

東西南北の重要都市へ延びる、郡山

郡山市は、

:福島市・仙台市方面
:いわき市方面
西:猪苗代町(いなわしろまち)・磐梯町(ばんだいまち)・会津若松市(あいづわかまつし)方面
:白河市・栃木県・東京方面

のように、十字型に各重要都市方面へ交通が分岐しています
なので、郡山市は交通の要衝(ようしょう)・拠点といえます。

たくさんの魅力がある、会津方面 かつて奥磐梯へ続いていた、沼尻鉄道

郡山からは西へ磐越西線(ばんえつさいせん)が延びており、野口英世(のぐち ひでよ)の出身地である猪苗代町(いなわしろまち)や、猪苗代湖(いなわしろこ)・磐梯山(ばんだいさん)へと至ります。

磐梯山(ばんだいさん)の麓(ふもと)の川桁駅(かわげたえき、福島県耶麻郡猪苗代町)からは、かつて奥磐梯(おくばんだい)方面へと向かう沼尻鉄道(ぬまじりてつどう)が出ていました。

沼尻鉄道(ぬまじりてつどう)は磐梯山(ばんだいさん)の東側を北へ走る路線であり、福島出身の作曲家・古関裕而(こせき ゆうじ)の作曲の「高原列車は行く」のモデルになった路線です。
また磐梯山の裏側の地域である奥磐梯(おくばんだい)には、「高原列車は行く」の3番の歌詞にもある「五色沼(ごしきぬま)」もあります。

沼尻鉄道硫黄の歴史については、次回改めて詳しくわかりやすく解説します!

また、磐越西線については以下の記事でもさらに詳しく解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第20番 磐越西線に少しだけ寄り道

会津若松駅(あいづわかまつえき、福島県会津若松市)からは、磐越西線のさらに新潟県方面へ至る線路と、只見線(ただみせん)が出ています。

只見線(ただみせん)も磐越西線と同じく、西の新潟県に至る路線です。
長年豪雨のために線路が寸断されていましたが、人々の願いと懸命な努力により2022年10月に復活しました

磐越西線と並行して流れる、阿賀川(阿賀野川)

磐越西線(ばんえつさいせん)は、阿賀野川(あがのかわ)と阿賀川(あがかわ)に沿って走る、新潟方面へと続く路線です。

(ばん)→磐梯(福島県の、このあたり)
(えつ)→越後国(えちごのくに)・新潟県

なお、阿賀川と阿賀野川は同一の川であり

福島県:阿賀川(あがかわ)
新潟県:阿賀野川(あがのかわ)

と、県によって名前が変わります。

新潟県側の阿賀野川には、白鳥の湖として有名な瓢湖(ひょうこ)があります。

「喜多方ラーメン」や「赤ベコ」でも知られる、会津の魅力

磐越西線で北西へしばらく行くと、喜多方駅(きたかたえき、福島県喜多方市)に着きます。
喜多方市(きたかたし)は、何といっても喜多方(きたかた)ラーメンが有名です。

また福島県西部(会津地方)では、「赤ベコ」という玩具(がんぐ。おもちゃ)も有名です
ベコ」とは、東北地方で「牛」という意味です。
赤ベコは、「幸運を呼ぶ牛」ということで親しまれています。
厄除け病気治癒のためにも用いられ、江戸時代に天然痘(てんねんとう)という病気が大流行したときに、赤ベコが病気から会津地方の人々を守ってくれたという逸話まであります

郡山駅を出て、福島方面へ

本日も最後まで読んでくださってありがとうございまさした!
次は郡山駅を出て、福島(ふくしま)方面へと向かってゆきます!

【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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