冬の【東京→北海道】鉄道旅18(最終回)(帰り)【前編】盛岡→一ノ関 胆沢城跡の横を過ぎ行く

冬の東北本線・盛岡→一ノ関の鉄道旅と、胆沢城の歴史などについて、初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!

冬の東北本線・盛岡→一ノ関盛岡駅を出て、一ノ関へ

第一回からずっと続けてきた冬の北海道旅シリーズも、今回で最終回です。
今回で盛岡駅から仙台駅を経て、東北新幹線で東京へ戻るという行程になります。

盛岡駅(岩手県盛岡市)

盛岡駅(岩手県盛岡市)

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:盛岡駅を出発!(岩手県盛岡市)

盛岡駅を出発!(岩手県盛岡市)

盛岡駅もりおかえき(岩手県盛岡市)を出ると、東北本線の車窓すぐに雫石川しずくいしがわの景色が印象的です。

そして、

  • 花巻駅はなまきえき(岩手県花巻市)
  • 北上駅きたかみえき(岩手県北上市)
  • 水沢駅みざさわえき(岩手県欧州市)

と過ぎてゆきます。

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:東北本線で、どんどん進もう!

東北本線で、どんどん進もう!

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:胆沢城跡の横を過ぎ行く

アテルイと坂上田村麻呂の戦いの拠点・胆沢城

盛岡駅から幾分か南下してくると、北海道よりも気温がだんだんと暖かくなってくるような感じにも思えます
また、雪の量も北海道に比べたら徐々に減ってくるため、外の地面に積もる雪の分厚さも、徐々に薄くなってきているように思います。

岩手県奥州市おうしゅうしの領域に、入ってくると、胆沢城いさわじょうの跡地の横を通ります。

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:胆沢城付近を通る(東北本線)(岩手県)

胆沢城付近を通る(東北本線)(岩手県)

奥州市には、胆沢城いさわじょうという、平安時代のお城がありました。
ただ、お城といっても、さくをめぐらせた屋敷のようなものでした。
なので現代の我々が想像するような(立派な天守閣のあるような)お城とは、ちょっと違うんですね。

平安時代、東北地方に派遣された坂上田村麻呂

平安時代の西暦802年、朝廷から東北地方に派遣された坂上田村麻呂さかのうえのたむろまろという武士がいました。
胆沢城は、その坂上田村麻呂が、

  • 蝦夷えみしのリーダー・アテルイ(阿弖流為)

と戦うための拠点としていた場所になります。
蝦夷えみしとは、東北地方にいた朝廷に従わない者のことを、朝廷側からの呼称になります。

坂上田村麻呂とアテルイの戦い

坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろは、平安時代に朝廷から「東北のならず者(蝦夷)を打て」と命令され、東北地方へ派遣された武将です。
当時は、東北地方にいた朝廷に従わない者たちを「蝦夷えみし」と呼んでいたのでした。
アテルイ(阿弖流為)とは、その時の蝦夷えみしのリーダーです。
坂上田村麻呂は、いわば蝦夷を征伐するために朝廷から派遣された、いわば陸奥守むつのかみと呼ばれる武士のリーダーです。

胆沢城・坂上田村麻呂・アテルイの戦いについては、以下の記事でさら詳しく解説していますので、ご覧ください

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第33番 平泉に到着! 金色堂、安倍氏、奥州藤原氏など戦いや栄華の歴史
鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:衣川と平泉

東北本線を、さらに南下してゆきます。

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:東北本線を、さらに南下!(岩手県)

東北本線を、さらに南下!(岩手県)

岩手県奥州市おうしゅうし水沢駅みざさわえきを過ぎると、やがて

  • 衣川ころもがわ

という川を渡り、平泉駅ひらいずみえきに到着します。

衣川(東北本線)(岩手県)

衣川ころもがわという川の近くには、衣川館ころもがわやかたという、平安時代のやかたがありました。
やかたとは、お城ほどは大きくない、簡易な防御施設を備えた、昔のエライ人が暮らす場所になります。

源義経が、悲劇の自害となった衣川館

衣川館ころもがわやかたは、あの源義経みなもとのよしつねが、最後に悲劇の自害となった場所です。

源義経みなもとのよしつねは、あの源頼朝みなもとのよりともの弟であり、源平合戦では

  • 壇ノ浦だんのうらの戦い

で平氏を敗北に追い込むなど、かなり活躍しました。
その後兄・頼朝と対立し、衣川館に追い込まれた後、悲劇の自害に追い込まれたのでした

「義経は実は生きていた」物語

そんな悲劇の自害をした源義経ですが、実は自害せずに生きていたのでは、という設定のストーリーや都市伝説がたくさん生み出されました。
これを判官贔屓はんがんびいきといいます。
それは「義経は実は死なずに生きていたことにして欲しい」という願望によって生まれたストーリーです。

義経は平泉・衣川を脱出して青森・北海道に生き延び、チャレンカというアイヌ民族の女性と恋におちた後、なんと大陸・モンゴルへ渡ってチンギス・ハンとして降臨したという都市伝説まであるのです。

詳しくは以下の記事の、神威岬かむいみさきのエピソードをご覧ください。わかりやすく解説しています。

冬の【東京→北海道】鉄道旅13【前半】 倶知安→小樽 アイヌと義経の歴史のあと【わかりやすく解説】
北海道・小樽の観光や歴史について、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:平泉駅に到着

奥州藤原氏栄華の地・平泉

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:平泉駅(岩手県西磐井郡平泉町)

平泉駅(岩手県西磐井郡平泉町)

やがて、平泉駅ひらいずみえき(岩手県西磐井郡平泉町)に到着します。
平泉の栄華と繁栄は、それはとんでもない歴史をたどっています。
その平泉の歴史については、以下の記事でとてもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第33番 平泉に到着! 金色堂、安倍氏、奥州藤原氏など戦いや栄華の歴史
鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

※先程の「坂上田村麻呂」のときと同じページになります。

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:一ノ関駅に到着

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:北上川に沿って南下、一ノ関駅へ(東北本線)(岩手県)

北上川に沿って南下、一ノ関駅へ(東北本線)(岩手県)

北上川きたかみがわに沿って南下すると、やがて一ノ関駅いちのせきえき(岩手県一関市)に到着します。

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:一ノ関駅(岩手県一関市)

一ノ関駅(岩手県一関市)

一ノ関駅では、たくさんのピカチュウが出迎えてくれます。

一ノ関駅・ピカチュウがお出迎え(岩手県一関市)

一ノ関駅に到着!(岩手県一関市)

一ノ関駅に到着!(岩手県一関市)

一ノ関の偉人・大槻三賢人の像

冬の東北本線・盛岡→一ノ関:一ノ関駅前・大槻三賢人の像(岩手県一関市)

一ノ関駅前・大槻三賢人の像(岩手県一関市)

一ノ関駅の西口には、大槻三賢人おおつきさんけんじんの像があります。

大槻三賢人とは?

大槻三賢人おおつきさんけんじんとは、一ノ関出身の3人の偉人たちです。

また、一ノ関駅にある「大槻三賢人」のうち、真ん中の人物を大槻玄沢おおつきげんたくといいます。

大槻玄沢おおつきげんたくは、簡単にいえば、江戸時代に当時の日本では最先端のオランダの医学を学び、日本に広めた人物です。
大槻玄沢の名前は、先輩の医学者である

  • 杉田玄白すぎたげんぱく
  • 前野良沢まえのりょうたく

の2人の名前から採られたものです。

おまけ:筆者の自撮り写真エトセトラ

東北本線・盛岡から一ノ関駅へと向かう場面。(岩手県)

東北本線・盛岡から一ノ関駅へと向かう場面。

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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