道北・宗谷本線の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
塩狩峠の地理・歴史について、やさしく解説してゆきます!
比布から、塩狩・和寒へ
比布駅(北海道上川郡比布町)を出ると、
- 蘭留駅(北海道上川郡比布町)
を過ぎて、
- 塩狩
- 和寒
方面へ向かってゆきます。
窓の景色はとっくに「旭川の市街地」という感じでは無くなってきており、既に北海道らしい原野が広がっています(冬なら真っ白)。
そして、塩狩峠という、険しい峠に向かってゆきます。
「天塩国」と「石狩国」を結ぶ、塩狩峠
塩狩峠は、上川盆地と名寄盆地を結ぶために出来た交通の要所・峠道です。
「上川盆地」とは、南側の旭川市を中心とする盆地であり、後述の石狩国の領域に含まれます。
「名寄盆地」とは、北側の名寄市を中心とする盆地であり、後述の天塩国の領域に含まれます。
- 「塩」は、天塩国に由来しています。
- 「狩」は、石狩国に由来しています。
天塩国は、北海道北部の地域のことをいいます。
石狩国は、札幌市~旭川市あたりの地域のことをいいます。
国とは、奈良時代の律令制における日本の古いエリア分けであり、現在の都道府県に該当します。
しかし北海道の場合は少し事情が異なり、明治時代になってやや暫定的につけられたエリア分けになります。
北海道が正式に日本の一部になったのは、明治時代から
北海道は江戸時代までは「蝦夷地」であり、まだ日本の一部ではありませんでした。
しかし明治時代になって、蝦夷地を日本の一部である「北海道」に組み入れ、そのときに「国」というエリア分けを行ったのでした。
そうしてできた国が「天塩国」「石狩国」などであり、その二つの国を隔てて結ぶ峠が塩狩峠というわけです。
険しい塩狩峠を越える

塩狩峠をゆく(宗谷本線)
塩狩峠を上っていくと、再び一気に下ってゆきます。
冬の期間では、本当に真っ白な雪の険しい峠道になります。
三浦綾子さんの小説で知られる、塩狩峠における悲劇の物語
塩狩峠は、三浦綾子さんのエピソードで有名です。
三浦綾子さんは、1922年旭川市生まれの作家です。
それは明治時代の1909年のストーリーになります。
真冬で雪の深い塩狩峠を、一生懸命に登っていた列車がそこにありました。
しかし最後尾の客車(=お客さんを載せた車両)の連結が外れてしまい、客車がものすごい勢いで雪の峠道を下り落ちていったのです。
しかし勇敢な運転手が、線路に飛び込んで体を客車に挟んで犠牲になったため、落ちてゆく客車はストップし、乗客の命は全員救われました。
塩狩峠には、こうした明治時代のエピソードがあるのです。
豪雪地帯の線路の管理は、本当に大変である
現代の列車は、どんなに雪深い地域であっても脱線などの事故が起きにくいような仕組みになっているのですから、鉄道の技術の素晴らしさがわかります。
そして、過去の先人たちの犠牲や苦労がよくわかります。
しかし現在のJR北海道も、真冬の線路の除雪作業などで膨大なコストがかかる区間であるにも関わらず、(繁忙期を除いて)乗客が少ないという現状もあるのです。
塩狩峠の頂点に位置する、塩狩駅

塩狩駅(北海道上川郡和寒町)
やがて、険しい塩狩峠の頂点に位置する
- 塩狩駅(北海道上川郡和寒町)
に到着します。
しかしながら、この塩狩駅も、沿線の人口減少から、常に廃止のピンチに陥っています。
しかし和寒町の維持費用の負担という努力によって、なんとか維持管理されているというわけです。
塩狩峠を降り、和寒駅(和寒町)に到着!
長く険しい塩狩峠を下ってゆくと、やがて景色が開けて、和寒町の平野と集落が車窓に登場します。
ほどなくして、
- 和寒駅(北海道上川郡和寒町)
に到着します。

和寒駅(北海道上川郡和寒町)
「わっ、寒い!」と感じる和寒町
和寒はいかにも寒そうな地名ですが、本当に寒く、冬は-15度~-20度は当たり前の極寒の地域となります。
2008年1月19日にはなんと-39.4度を記録し、
2020年2月9日にも-38.9度を記録したそうです。
どれだけ寒すぎるんだって話ですね(^^;
1985年1月24日には、その日の最高気温がなんと-21.2度だったそうです。
つまり、それ以上の気温には上がらなかったということであり、水はずっと凍ったままということになります。
まさに「わっ、寒っ!」です。(←このギャグが一番寒い・・・)
「サム(sam)」は、アイヌ語で「~のそばに」
ちなみに似たような地名には、札幌市の
- 「発寒」
- 「発寒中央」
などがあります。
アイヌ語で「サム(寒)」は「~のそばに」という意味になります。
私が冬の時期に和寒町へ行ったときは-3度くらいでしたが、真冬の北海道としては全然マシな方であり、むしろ暖かくすら感じました。(^^;)
-10度~-20度くらいは当たり前の真冬の北海道に行くと、-2度~-3度くらいであればむしろ暖かい方だと感じたりします。
気温が「プラス」の度数になると、もはや温暖に感じたり・・・このあたりの感覚がバグってしまうんですよね。
北海道に来ると、体感温度がまるでバグる
逆に、北海道を出て、青森・八戸市まで来ると、気温がだいたい2度くらいになります。
これは本州ではかなり寒い気温レベルですが、北海道の極寒に慣れた身としては、「暑い」とすら感じた記憶もあります(^^;
ちなみに八戸市は、太平洋沿いの気候のいい地域となります。
そのため、東北地方でも比較的温暖な地域ということになります。
本州で生活していたら、気温が1度まで下がったら極寒でストーブが欲しくなりますよね。
和寒町では、その極寒や豪雪を生かしたスキーが盛んです。
次回は、剣淵・士別・名寄方面へ
次は、
- 剣淵
- 士別
- 名寄
方面へ向かってゆきます!
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