幌延町の、数々の秘境駅 観光誘致の取り組み
天塩川(てしおがわ)に沿って宗谷本線(そうやほんせん)を北上すると、
- 幌延町(ほろのべちょう)
のエリアに入ってきます。
そして、
- 糠南駅(ぬかなんえき)
- 雄信内駅(おのっぷないえき)※廃止
といった秘境駅に到着します。
北海道・特に道北(どうほく)の地域では人口減少が著しく、多くの駅が廃止の危機にさらされています。
そんな中、ユニークな秘境駅が多数存在するのも事実であり、特に鉄道マニア・鉄道ファンからの注目を集めています。
今回紹介する
- 糠南駅(ぬかなんえき)
- 雄信内駅(おのっぷないえき※廃止)
も、幌延町公認の秘境駅であり、町を上げての秘境駅を利用した観光客誘致の取り組みが行われています。
天塩中川駅を過ぎて、増えてくる「三日月湖」
天塩中川駅(てしおなかがわえき、北海道中川郡中川町)を出てさらに北上してゆくと、北緯45度とトナカイの町・幌延町(ほろのべちょう)に入ります。
そして、
- 問寒別駅(といかんべつえき、北海道天塩郡幌延町)
に着きます。
この辺りは「三日月湖(みかづきこ)」というような湖が多くなります。
三日月湖とは、そういう名前の湖なのではなく、本当に「三日月のような形をした湖」という意味です。
この三日月湖は、天塩川(てしおがわ)が曲がりきれなかったことによって出来た川になります。
天塩川の水が氾濫したとき、
- 急カーブを曲がりきれずに水が溢れてしまい、
- その溢れた水が(天塩川から)そのまま切り離されしまい、
- まるで三日月のような形の湖となって、
- 天塩川と分離された
ことで、「三日月湖」が形成されてしまったのでした。
なんと「物置」が駅舎!?糠南駅
問寒別駅を過ぎると、やがて
- 糠南駅(ぬかなんえき、北海道天塩郡幌延町)
に着きます。

糠南駅(ぬかなんえき)は、なんと物置が駅舎(待ち合い室)という、なんともユニークな駅として知られます。

糠南駅は、幌延町公認の秘境駅です。幌延町は秘境駅を使った町おこし・観光PRを、積極的に広く行っています。
ちなみに余談ですが、「PR」とは、パブリックリレーションズ(広報)のことをいいます。
つまり、公(おおやけ)に町の良さを知らしめることです。観光PRとは、自分達の町の良さを世の中に広く知らせることをいうのですね。
糠南駅は上・下ともに1日にわずか3本(朝・昼・夜に1本ずつ)しか列車が来ないため、1日の利用者はずっと0人という状態になっています。
というか周辺に民家がほぼなく、周辺には可愛らしいタヌキさんぐらいしかいない(?)ため、地元民の移動の足として駅が利用される機会は、おそらくほぼ皆無だと思われます。
しかし「物置が駅舎」という、なんともインパクト大な駅のため、鉄道ファンであれば誰しも一度は降りてみたいであろう、聖地的な駅でもあります。
糠南駅は、北海道の秘境駅の中では、日本一の秘境駅として名高い
- 小幌駅(こぼろえき、北海道虻田郡豊浦町)
と並んで、かなりインパクト大な秘境駅ではないかと思われます。

ゴーストタウン・雄信内駅(※廃止)

続いて、
- 雄信内駅(おのっぷないえき、北海道天塩郡幌延町)
に到着します。
雄信内駅(おのっぷないえき)は、駅周辺がゴーストタウン(幌延町の公式ページより)となっています。
こちらも先述の糠南駅(ぬかなんえき)と同じく、幌延町公認の秘境駅になります。
元々、少なくとも昭和の高度経済成長期くらいまでは、雄信内駅の周辺はまだ普通に民家や商店などが立ち並ぶ集落がありました。
しかし人口減少による過疎化により、建物はみな植物で覆われてしまい、今やその町があった面影はほぼ無くなってしまっているため、ゴーストタウンのようになっています。
特に、
- 冬はありえないほどの雪が降り、
- 老朽化した建物は、雪の重さで潰されてしまい、
- この「雪の重さ」によって建物は崩壊してしまい、
- そこに草木が生い茂って、建物の残骸が草木に埋もれてしまい、
- パッと見は草木だらけの景観となってしまう
というわけです。
糠南駅と雄信内駅は列車の本数が極端に少ないため、ひとたびこれらの駅で降りると「次の列車は普通に約4~6時間後」といった具合になります。
なので、まともに行くと下車するだけでもリスクが高い駅になります。
しかし、逆方向の列車であれば約2~3時間ほどで来るため、一旦逆方向(の糠南駅または雄信内駅まで)に折り返すという、「箱ダイヤ」と呼ばれる乗り方であれば(それでも約2~3時間も各駅で待つのはきついので、それなりに用意は必要です)、なんとか秘境駅めぐりを楽しめる可能性もあります。
よく時刻表を調べた上で、下車してみましょう。
例:「箱ダイヤ」を駆使して、雄信内駅で下車したい場合
10時14分 雄信内駅着(※もう止まりません)
・2時間の間、ゴーストタウン巡りを楽しむ
・真冬の時期は避けましょう
12時04分 雄信内駅発 宗谷本線・名寄行(※もうありません)
※これを逃したら、次は18時まで列車が無いです!絶対に遅れないように!
14時??分 名寄駅着
このように一旦、名寄駅(なよろえき)方面まで(逆方向に)戻ってくる必要があります。
そのため、稚内方面へ行くことは
- 諦めて旭川駅まで戻るか、
- それとも特急列車で、天塩中川駅・音威子府駅あたりで稚内方面行きへ乗るか、
- あるいは稚内駅に夜に着いても問題ない場合は、上記のような形で雄信内駅で降りてみる
のもありでしょう。
いずれも、時刻表には十分に気をつけ、前もって知識の準備をしておくことが大切です。かなり上級者の乗り鉄さん向けといえるでしょう。
あと、後述の通り2025年春には雄信内駅は廃止となる予定なので(※既になりました)、本記事執筆時点で残りのチャンスは「北海道&東日本パス」がまだ使える(寒くならない)2024年9月30日までがベターかもしれません(※)。
※現在では無意味な情報です。

廃止のピンチ(※) 雄信内駅
そして雄信内駅は、どうやら2025年には廃止される模様です(※されました)。
理由は、幌延町が維持管理費用の支出を打ち切るということをJR北海道に対して通知したからです。
北海道の利用者が少ない駅は、まずJR北海道によって各自治体に
- 「廃止してもいいか」
- 「町の維持管理費用負担による存続をさせるか」
の、いずれかの選択を要求されます。
そしてこのJR北海道の要求に対して、各自治体は秘境駅の存続か廃止を決める必要があるわけです。
雄信内駅は2020年に、幌延町が2021年度から、「ふるさと納税」によって得られた税収などを資金源とした、町による維持管理に移行することを発表しました。
つまり、ふるさと納税によって全国各地から集めたお金を使って、駅を維持していくことを決めたわけですね。
そして実際に2021年、幌延町による維持管理に移行しました。
当駅の存続理由について、幌延町としては
であるため、町としては是非とも(自費を負担してでも)残したかったわけですね。
しかし幌延町は2024年7月になって、幌延町が2025年度以降の維持管理費を(JR北海道に対して)支出しないことを、JR北海道に通知したとのことです。
つまりこれは事実上、雄信内駅の廃止を決定したということです。
というのも、今後の雄信内駅は駅舎などの修繕費として、約500万円が必要となってくることがわかったからです。
いかんせん木造の駅舎のため(しかもかなり古い)、
- そのまま放っておくと腐って倒壊したり、
- 真冬の豪雪によって、雪の重さで(駅舎が)崩れてしまう
などのリスクもあるからですね。
したがって、約500万円という高額な修繕費用がかかるわけですが、
- さすがにそこまでの負担をしてまで、幌延町にとって果たしてメリットがあるのか
- 町民にとってのメリットがあるのかどうか
を考えたときに、やはり廃止の道という苦渋の選択をせざるを得なかったわけでしょう。
そして2025年3月、雄信内駅は惜しまれつつも廃止となりました。
ゴーストタウンの秘境駅として多くの鉄道ファンから認知されていたこともあり、その記憶はいつまでもみんなの心の中に残り続けることでしょう。
サロベツ原生花園と北緯45度、そしてトナカイがいる町・幌延町
やがて、幌延駅(ほろのべえき、北海道天塩郡幌延町)に到着します。

幌延町(ほろのべちょう)は、トナカイが飼育され、北緯45度線が通る町でもあります。
幌延駅からは、かつて西海岸の羽幌(はぼろ)方面に向かう列車・羽幌線(はぼろせん)も出ていました。



核の最終処分場と「幌延問題」
幌延町には、核の最終処分場を誘致(ゆうち)することによって生じた「幌延問題(ほろのべもんだい)」というものがあります。
原子力発電などにおいて、核を燃料とするときに、どうしても「廃棄物」というものが出てしまいます。
原子力発電は火力発電よりも大きなパワーで発電が出来るというメリットがありますが、その一方で副産物として、放射性物質の(有害な)廃棄物まで出てしまうというデメリットもあるのです。
その放射性物質の廃棄場所をどこにするかで、日本政府は常にその場所・自治体(市町村)を探しているという状態なのです。
かつてそれに対して幌延町が手を上げて、最終処分場の誘致計画をしたことから、いわゆる「幌延問題」のはじまりとなったのでした。
もしそれに協力した場合、数億円もの協力金が政府から支給されることと、また処理施設を建設するための雇用が生まれ、さらに処理施設で働く職員の雇用が生まれます。
そこだけを取ってみれば、確かに町にとっては施設を作るメリットもあるわけです。
しかしご存じの通り、核の放射性物質には健康に被害をもたらすリスクがあるため、関係ない町民にとっては不安でしかありません。なので反対運動が激化したりして町に混乱が生じることにもつながります。
そのため、核の最終処分場の誘致には、基本的にはどこの町民も嫌がります。
放射性物質を地下に埋めるにしても、溢れてきた放射能が人体にどんな影響があるのか気にする人は多いでしょう。
たとえ、どれだけ国から
「科学的には人体に影響ないと、実験で既に証明されていますから、どうぞ皆さん安心してください!」
などのように説明されたとしても、それでもやっぱり
「万が一、放射性物質が流出したらどうなるのか」
というふうに、町民の気持ちとしては、決して不安が消えることはないでしょう。
特に北海道は「食の宝庫」であり、幌延町の周囲には酪農(らくのう)を行うための牧場もたくさんあります。
また、核の廃棄物は再利用できるわけでもなく、土に帰る(地球に帰って、新たな資源として生まれ変わる)ということもありません。
本当にただ有害かもしれない物質を、自分達が住んで食事をして寝るための町に、あえて置いて埋めておくことに、やはり抵抗感を示す住民が多いことは仕方ないでしょう。
しかしそれでは、国としても(捨てる場所が無くて)困ります。
国は、核の最終処分場を誘致してくれる自治体(市町村など)を、常に探している状態なのです。
やはり住民の理解を得るために、国がしっかりと安全性とそのメリットを説明することが、何よりも重要となってくるでしょう。
あなたは、こうした複雑な核の最終処分場問題について、どう考えるでしょうか。
天塩郡と、その歴史
幌延町(ほろのべちょう)や
- 遠別町(えんべつちょう)
- 天塩町(てしおちょう)
- 豊富町(とよとみちょう)
が属する地域は、天塩郡(てしおぐん)という郡でまとめられています。
遠別町(えんべつちょう)は、西側の日本海側の町であり、稲作の北限の町と言われています。
お米・稲は寒さに弱く、昔は北海道では育たなかったため、アイヌ民族は稲作はせずに、
- 魚釣りをしたり、
- アザラシやクマ等を捕まえたりして、
食べたりするという生活を行っていたのでした。
なのでアイヌ民族は、米を食べるために、本州からの輸入(?)に頼っていました。
そのため、
- 江戸時代には、後述する松前藩(まつまえはん)からお米を買い(売ってもらい)、
- その代わり、先述の魚や毛皮などを、松前藩に支払う
という形で、お米をゲットしていたのでした。
もちろん、
- アイヌ民族が差し出す物の量
よりも、
- アイヌ民族がもらえるお米等
の方が少なく、アイヌ民族にとっては不利な交易だったのでした。
そのため、江戸時代には「シャクシャインの戦い」などの反乱が頻発したのです。
シャクシャインの戦いについては、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。
話を元に戻します。
長い間、寒い北海道では育たなかった稲でしたが、時代とともに稲は品種改良が進み、寒さに耐えられるようになってきたのでした。
そのため、現在では北海道の多くの地域でも稲作が行われています。
その稲作の北の限界地域が、遠別町というわけです。
遠別町よりも北の地域で稲作を行うのはさすがに厳しい、というわけですね。
天塩(てしお)地域は、江戸時代には松前藩(まつまえはん)によって「テシホ場所」という商売の拠点が開かれていました。
松前藩(まつまえはん)とは、函館(はこだて)の南西にある松前町(まつまえちょう)を拠点としていた、江戸時代の藩です。
「場所」とは、松前藩とアイヌ民族が、物々交換(交易)、つまり現在でいう輸入・輸出を行うための場所です。
その松前藩とアイヌ民族は、本州と物々交換をやっていたのですが、「場所」はその拠点でした。
以下が、その物々交換(交易)を行っていた品物です。
- 松前藩:本州でしか採れないお米や、アイヌ民族にとっては貴重な食器など
- アイヌ民族:北海道でしか採れないおいしい魚や、防寒のために重宝した「毛皮」など
を、それぞれ物々交換(交易)してきたのでした。
もちろん松前藩に差し出す量よりも、アイヌ民族がもらえる量の方が少なかったのでした。
そのため、この不公平が先述の「シャクシャインの戦い」などに代表されるアイヌ民族の反乱につながる要因となりました。
江戸時代後期になると、いわゆる「南下政策」を強力に進めるロシアの脅威に、日本国内では怯えていました。
南下政策とは、ロシアが「凍らない港(不凍港)」を求めて南の暖かい地域に進出してくることです。
ロシアは冬は-20度くらいは普通にいく極寒の地域であり、港の海の水は凍ってしまい、軍艦も船も何も動かすことができません。
そのため、ロシアとしては困るので、南の暖かい地域にどんどん進出してきていいました。
北海道(蝦夷地)はまさにそのターゲットになりかねなかったので、ロシアに近い天塩(てしお)地域の防衛は、江戸幕府にとっては(明治政府にとっても)重要だったのです。
こうしたロシアの南下政策に備えて、江戸時代後期には天塩郡の地域は「天領」となりました。
天領とは、江戸幕府が直接支配する地域のことです。つまり「藩」による支配ではない(藩に統治を任せず、江戸幕府が直接統治する)ということです。
では、なぜ天塩郡を幕府の「天領」としたのか。
それは幕府が直接管理した方が都合がよいからです。
もし仮に「天塩藩(てしおはん)」などを作らせたら、江戸からあまりに遠すぎる地域なので(「外様(とざま)」というレベルじゃない)、もし力や財力を蓄えられて軍事的に反乱などを起こされたら大変ですよね。
江戸から遠く離れた地域は外国にも近く、下手をすれば外国から武器を勝手に購入して、その上で外国と結託して江戸幕府に謀反・反乱を仕掛ける恐れもあったのでした。
そのため、幕府からの信用がありませんでした(実際に幕末にそれをやったのが、薩長同盟をはじめとする藩です)。
例えば鹿児島県にあった薩摩藩(さつまはん)も、琉球王国(現在の日本・沖縄県)に近く、琉球との貿易で儲けておりかなり財力があり、それが幕府にとっては脅威だったのでした。
そのため、膨大な旅費や人件費のかかる「参勤交代」などでわざと徹底的に幕府から財力を削がれていたのでした。
話がズレましたが、このようにして、江戸幕府は北海道北部の防衛を、徹底的に固めていったのでした。
サロベツ原生花園
幌別町と豊富町(とよとみちょう)からさらに西へは、「サロベツ原生花園」というものがあります。
原生花園(げんせいかえん)とは、「手付かずの花園」「地球が誕生した時のままの花園」という意味になります。
基本的には、花園(かえん)といえば誰かが人為的に植えたり、人間の手が入っていたりするものです。綺麗な状態を保ったり、植物が健康な状態を保ったりするためですね。
しかし北海道には、ほとんど人の手が入っていない、手付かずの原野が多く残っています。
自然の美しさのまま育っているため、本州ではみられないような独特の美しさを放っているのです。
北海道のはずれには、こうした
「人類開始以降、人間の手が加えられていない、地球が誕生したときのままの林」が広がっているわけです。
オロロンライン 北海道の旅人たち
また、西海岸にはオロロンラインという道路も広がり、はるか遠くに利尻島(りしりとう)・利尻富士(りしりふじ)が眺められます。
北海道ではバイクや車などを駆使して、格安で旅をする人も多いのですね。
近年ではそうして北海道を旅するYouTuberも多く登場してきています。
いわゆる「車中泊」だったり、ライダーハウスに泊まるなどして、経費を削減しているわけです。
ライダーハウスとは、バイク旅の人々(ライダー)に向けた簡易・格安宿泊施設です。
一泊無料~2,000円程度とかなりの格安で泊まれるのですが、他のライダー(客)との集団生活になるので、それなりのコミュニケーションが苦手な人には合わない施設かもしれないので、留意しなければなりません。
逆に、他人とワイワイするのが好きな人には、ピッタリの宿泊施設といえるでしょう。
次は、抜海・稚内方面へ
次は、いよいよ稚内市(わっかないし)に入ってゆきます。
2025年3月をもって残念ながら廃止が決定してしまった、日本最北の秘境駅・木造駅・無人駅の
- 抜海駅(ばっかいえき、北海道稚内市)
にも近づきます。
今回はここまでです。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
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