【静岡】伊豆・三島の旅 源頼朝ゆかりの地をめぐる【観光・歴史】【わかりやすく解説】

静岡県伊豆の国市・蛭ヶ小島からの富士山
  1. 伊豆箱根鉄道で、源頼朝と北条政子のゆかりの地をめぐる
  2. 東京駅から三島駅へ まずは三島駅からスタート
    1. 東京~三島へは、「ひかり」または「こだま」で!
      1. 三島までなら、「こだま」の方が、むしろ楽?
      2. 近年は(昔から?)、こだま号でもしばじば満席!
    2. 三島駅に到着
  3. 伊豆の入口・三島 かつては東海道の宿場町
  4. 三島市をこよなく愛した小説家・三島由紀夫
    1. 昭和の小説家・政治活動家、三島由紀夫
    2. 日本の未来を憂い、クーデターという暴挙に
    3. バルコニーでの演説後、自害へ
    4. 三島由紀夫が憂いていた、日本の未来と現状
    5. 日本の未来が暗くても、あなたの未来が暗いとは限らない
    6. あなたらしい、自由なライフスタイルを
  5. 伊豆箱根鉄道で、韮山駅へ
    1. 1日フリーきっぷ「旅助け」で
    2. 三島駅の発車メロディー「HAPPY PARTY TRAIN」とともに出発、伊豆の旅へ
    3. 沼津のアイドル「Aqours」
    4. アニメ「幻日のヨハネ」ラッピング車両も
    5. 三島広小路・田町などを過ぎ行く
  6. 韮山駅へ到着
  7. 源頼朝公配流の地・蛭ヶ小島へ到着!
    1. 平安末期、武士の存在感が増大
      1. 武士たちが、自分たちの強さに気付きだす
      2. 1160年「平治の乱」で、源氏の敗北・平氏の天下へ
      3. 頼朝は、伊豆のこの地に流罪へ
      4. 戦いは、いつも「勝ちすぎない」ことが重要
      5. 20年間を、伊豆・蛭ヶ小島で過ごす 北条政子と出会う
      6. 元々は北条氏の拠点だった、伊豆一帯
    2. 以仁王の挙兵、源氏の逆襲劇
      1. 木曽で旗揚げした、源義仲
      2. 頼朝も、石橋山で敗れる
      3. 房総半島へ上陸した頼朝
      4. 檀ノ浦で、平氏を滅ぼす
    3. 源頼朝を支えた、北条政子
      1. 英雄の妻となる女性は、彼の苦労時代を支えた女性のみ
      2. 当時は「犯罪者」同然だった頼朝を、必死に支えた政子
      3. 今は富士山に向かって立つ夫婦
    4. 承久の乱に勝利した、鎌倉幕府の御家人
      1. 朝廷軍に怯える幕府軍
      2. 北条政子の言葉で勇気づけられる武士たち
      3. 朝廷軍を撃破した、鎌倉の武士たち
      4. 承久の乱で敗れた、後鳥羽上皇と順徳天皇
      5. 同じく隠岐に流された、後醍醐天皇
    5. 承久の乱に勝利した、御家人・武士達の末路 贅沢な暮らしで破滅に
      1. 「一生懸命」という言葉の由来に
      2. 栄光のあと、浪費で落ちぶれる武士たち
      3. 二度にわたる「元寇」 自費での戦いで、御家人たちは困窮に
      4. 武士達を救う「徳政令」 しかしかえって国内は混乱
  8. 伊豆箱根鉄道・伊豆長岡駅にて休憩 今回の旅も終わり
  9. おまけ:筆者の自撮り写真エトセトラ

伊豆箱根鉄道で、源頼朝と北条政子のゆかりの地をめぐる

今回は、鎌倉幕府を開いた源頼朝(よりとも)をめぐる旅について、様々な雑談やトリビアなどを交えながら書いていこうと思います。
今回は静岡県伊豆の国市(いずのくにし)にある、源頼朝が平氏に一旦敗れ、罰として流されてきた土地である蛭ヶ小島(ひるがこじま)をめぐる旅について解説します。

蛭ヶ小島からの、富士山の方を向く源頼朝・北条政子の像(静岡県伊豆の国市)

東京駅から三島駅へ まずは三島駅からスタート

まずは東京駅から、東海道新幹線で三島駅(みしまえき、静岡県三島市)へと向かいます。

東海道新幹線・三島駅までGO!

東京~三島へは、「ひかり」または「こだま」で!

三島駅へは2時間に1本の割合で「ひかり号」も出ていますが、「こだま号」でも充分かと思われます。
小田原駅での約5分の停車時間(「のぞみ」等に追い抜かれるための時間)を、うまく待てるかどうかの違いです。

三島までなら、「こだま」の方が、むしろ楽?

むしろこだま号の方が、「自由席料金」かつ「自由席の車両が多い」ため、楽に行けるというメリットもあります。
また、こだま号であれば「30分に1本出ている」という便利さもあります。

東京~名古屋の区間は、全国の新幹線でも特に交通量が多い区間となるため、各駅停車の「こだま号」でも”1時間に2本”という多さです。

近年は(昔から?)、こだま号でもしばじば満席!

ただし近年では、こだま号ですらも「16号車全て満員」というケースもあり、「さすが東京~名古屋間の新幹線は、日本屈指の過密新幹線だなぁ」と思わされます。

そんな状況のため、JR東海が少しでも早くリニア中央新幹線を作って、パンパンで逼迫(ひっぱく)状態の東海道新幹線のトラフィックを分散したい、という気持ちもわかります(^^;

三島駅に到着

東京駅から新幹線で約1時間、三島駅(静岡県三島市)に到着します。

三島駅(静岡県三島市)
三島駅(静岡県三島市)

伊豆の入口・三島 かつては東海道の宿場町

静岡県三島市(みしまし)は、官幣大社(かんぺいたいしゃ)・三嶋大社を中心に栄えた街です。
また、東海道の宿場町・三島宿(みしましゅく)もありました。

さらに伊豆箱根鉄道によって伊豆半島の真ん中・修善寺駅(しゅぜんじえき、静岡県伊豆市)まで通じており、さらに修善寺駅からは伊豆半島各所へのバスも出ているため、伊豆半島各所への観光の入口となる街でもあります

三嶋大社三島宿など、三島市の基本的な知識については以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

三島市をこよなく愛した小説家・三島由紀夫

ここで本題とは関係ない、ちょっとへヴィな話題が入ります。
せめて教養のために読んでいただければ幸いです。

昭和日本を代表する小説家に、三島由紀夫(みしま ゆきお)という人物がいます。

昭和の小説家・政治活動家、三島由紀夫

三島由紀夫は、本名を平岡公威(ひらおか きみたけ)というのですが、伊豆への出張の際に三島市をとても気に入ったこと、また三島市からは雪をかぶった美しい富士山を眺めることができるため、「三島」「雪」のイメージから「三島由紀夫」というペンネームを考えついたのでした。

三島由紀夫は偉大かつ天才的な小説家ではあったのですが、同時に政治活動家・思想家でもありました。
つまり、日本の政治に対して様々な思想を訴える人物、という別の側面も持っていたのです。

日本の未来を憂い、クーデターという暴挙に

三島由紀夫は、戦後に弱体化した日本のことを憂(うれ)い、1970年に市ヶ谷(いちがや)にある自衛隊の駐屯地(ちゅうとんち)に対してクーデターを仕掛けたのです。

市ヶ谷(いちがや)とは、東京都千代田区にある地名で、防衛省もある全国の自衛隊の本拠地ともいうべき場所です。

駐屯地(ちゅうとんち)とは、陸上自衛隊の「基地」のようなものです。
陸上自衛隊は「移動」を前提としているので、あくまで「その場所に駐屯している」という位置付けであることから「基地」ではなく「駐屯地」という言葉を使います
なお、海上自衛隊・航空自衛隊では「基地」と呼びます。

クーデター」とは、半ば暴力的・武力的に国家を転覆させるため、政府などの公的機関に対して攻撃することです。
もちろんこれは刑法77条の内乱罪(ないらんざい)にあたる犯罪行為であり、「死刑」または「無期禁固」となる非常に重い罪になります

三島由紀夫は1970年に、まずは「交渉」「対話」などの「ごく普通の理由」を名目として(偽って)市ヶ谷の自衛隊駐屯地に侵入しました。
しかし、会話がほどよく盛り上がってしたところで、突然に刀を振り回し、総監(=自衛隊のエラい人)を人質にとって駐屯地に立てこもりました
すると三島は自衛官全員を表に集合させることを要求し、地上に集合した自衛官たちに向かって、なんとバルコニーの上から演説を始めたのです。

バルコニーでの演説後、自害へ

三島由紀夫はバルコニーの上から、

今こそ全員立ち上がれ!でないと日本はダメになってしまう!

などといった趣旨の演説を行ったのですが、いかんせんマイクも拡声器も何もない状態での演説だったため、三島の声は罵声(ヤジ)と怒号にかき消されてしまい、必死の演説もむなしく、その声は自衛官たちには全然届きませんでした。

もはやこれ以上の演説は無意味だと悟った三島は、
天皇陛下万歳!
と叫んだ後、日本の未来に絶望し、その場で自殺をしてしまったのでした

三島由紀夫が憂いていた、日本の未来と現状

三島由紀夫のこうした行為は決して褒められるものではなく、当時はメディアからも批判を浴びせられたりしました
国家反逆のクーデターを仕掛けたのだから、それも仕方ありません。

しかし三島の予想した通り、皮肉にもその後の日本は衰退の一途をたどることになってゆきます。「三島の憂いた通りの世の中」になっていったのです。

昭和の終わりから平成にかけて、バブルが崩壊してからの日本は一気に不景気となり、今や国全体として衰退が加速し、今の日本はもはや世界から置いていかれ気味になっています。

もし今の日本を三島由紀夫が見ていたら、
ほら、言わんこっちゃない
と思うことでしょう。

日本の未来が暗くても、あなたの未来が暗いとは限らない

日本のこれからの未来は正直「暗い」といえ、その傾向に改善は残念ながら見込めません。

しかしもしあなたがこの日本社会を嫌になったら、東京(などの都市部)からなるべく人の少ない地域に移住して、いわゆる「FIRE(ファイヤ)」を達成して「遁世(とんせい)」をすることです。

FIREとはもちろん「炎」のことではなく、Financial(財政の) Independence(独立した) Retire Earlyの略であり、いわゆる「アーリーリタイヤ(若い年齢で引退すること)」の一つです。

つまりFIREとは、資産やお金をたくさん作って、会社員やアルバイト等をやらずに一生自由に暮らすことを目的としている、比較的新しい生き方・手法です。
その手法にはフリーランス・YouTuber・投資など、さまざまなものがあります。
もちろん、全く何もせずに一生暮らそうと思ったら2億円ほど必要であり、まずそんなお金は今時ほとんどの人は稼げないでしょう。なので、上記のようにフリーランス・YouTuber・投資などをやりながら、自分のあったやり方でお金を稼ぎつつ、(会社員やアルバイト等をやらずに)世の中から距離を置いて暮らす方法を身につければいいでしょう。

遁世(とんせい)とは、世の中(浮き世憂き世)から距離を置いて生活をすることです。
例えば、昔は奈良県の吉野(よしの)や高野山(こうやさん)など山奥深い地で、浮き世(人々の生活の中心地である京都などの都会)を離れて、残りの人生を謳歌する人たちが(仏教の修行をする人達も)いました。

また、移住ブームともいえる現代の移住先の例としては、東京の多摩地区・栃木県・群馬県・房総半島・神奈川県・湯河原(ゆがわら)・静岡県・熱海(あたみ)などといった地域が挙げられるでしょう。
近年では移住に特に力をいれている越後湯沢(えちごゆざわ)や、夏でも涼しい房総半島の南・千葉県・勝浦(かつうら)などが人気あるようです。

あなたらしい、自由なライフスタイルを

もし会社員としてうまくやれている場合は無理にFIREする必要はないのですが、自身がいわゆる「社会不適合者」である自覚のある方(「もう会社員なんか嫌だ」「自分には向いていない」という方)には、こうしたFIREという生き方を選択するのも一つの手です。

三島由紀夫のように、いくら日本の未来に絶望したからといって、自殺をはかる必要性は決してないのです。そう考えれば令和の現代は良い時代になったといえ、決して暗いことばかりではありません

いきなり本題とは関係ない、暗くてダークな話題ですみませんでした。
明るいテーマでゆきましょう!

伊豆箱根鉄道で、韮山駅へ

三島駅からは、伊豆箱根鉄道・駿豆線(すんずせん)に乗り、

  • 伊豆長岡(いずながおか)
  • 修善寺(しゅぜんじ)

方面へ向けて出発します。
目的地は、韮山駅(にらやまえき、静岡県伊豆の国市)です。

伊豆箱根鉄道・三島駅(静岡県三島市)

1日フリーきっぷ「旅助け」で

伊豆箱根鉄道・駿豆線は、「旅助け(たびだすけ)」という1日フリーきっぷを使えば、1,100円で乗り放題になります
三島駅(起点)~修善寺駅(終点)の区間が550円ですから、「この区間の往復」+「途中の各駅での途中下車」をするだけで元が取れます。

沿線の観光を楽しむためには、この「旅助け」は必須アイテムになります。まさに「旅を助けてくれるアイテム」ですね。

三島駅の伊豆箱根鉄道線ホームに停車する、「幻日のヨハネ」ラッピング車両(静岡県三島市)

三島駅の発車メロディー「HAPPY PARTY TRAIN」とともに出発、伊豆の旅へ

三島駅はAqours(アクア)が2017年に発表した楽曲である「HAPPY PARTY TRAIN」の発車メロディーが流れる中での発車です。

「HAPPY PARTY TRAIN」は、通勤時間を避けた10時~15時の時間帯に、観光客向けに流れる発車メロディーになります。

沼津のアイドル「Aqours」

Aqours(アクア)とは、三島市の隣の沼津市(ぬまづし)を舞台としたアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」に登場する、9人の女子高生グループであり、またそのキャラを担当する9人の声優グループのことです。
詳しくは、以下の記事でも解説しております。

アニメ「幻日のヨハネ」ラッピング車両も

また伊豆箱根鉄道・駿豆線ではそのラブライブ!サンシャイン!!の公式スピンオフ作品である「幻日のヨハネ」のラッピング車両も走ります。
このラッピング車両が出来た時には、主人公・ヨハネの声優を担当されている小林愛香(こばやし あいか)さんも、伊豆箱根鉄道の取材に訪れておられました。

スピンオフ作品」とは、いわゆる「派生作品」などの意味の言葉です。ビジネスの分野でも、派生した企業が誕生することも「スピンオフ」といいますよね。
私(筆者)も、脳内のみ限定で「ラブライブ!サンシャイン!!」のスピンオフ物語をたくさん考えています。 
その一つが「浦の星女学院」が怪獣に襲われ、高海千歌ちゃんがカプセル怪獣「うちっちー」を呼び出し、さらに千歌ちゃんがウルトラセ●ンに変身して怪獣を倒すという、わけのわからないストーリーです。

かなり余談・雑談が入りましたが、本題に戻りましょう。

三島広小路・田町などを過ぎ行く

三島駅を出発すると、

  • 旧東海道と交差する、三島広小路駅(みしまひろこうじえき)
  • イトーヨーカドー三島店にも近く便利な、三島田町駅(みしまたまちえき)
  • 伊豆箱根鉄道の本社がある、大場駅(だいばえき)
  • 函南町(かんなみちょう)の中心地域である、伊豆仁田駅(いずにったえき)

などの駅を過ぎてゆきます。

韮山駅へ到着

やがて、今回の目的地である韮山駅(にらやまえき、静岡県伊豆の国市)に着きます。

伊豆の国市には、世界遺産の韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)があります。
ただ、韮山反射炉へは、もう一つ先の伊豆長岡駅(いずながおかえき、静岡県伊豆の国市)の方が最寄駅です。
しかし、その伊豆長岡駅からも徒歩20分くらいはかかるので、少し遠いでしょう。
時間に余裕があるときにでも是非行ってみましょう。

韮山駅から徒歩で5~10分ほど東へ進むと、今回のまさに目的地・蛭ヶ小島(ひるがこじま)へ到着します。

源頼朝公配流の地・蛭ヶ小島へ到着!

蛭ヶ小島からの富士山(静岡県伊豆の国市)
蛭ヶ小島(静岡県伊豆の国市)

蛭ヶ小島(ひるがこじま)は、源頼朝(よりとも)にゆかりある場所です。

平安末期、武士の存在感が増大

平安時代の末期の1156年に保元の乱(ほうげんのらん)という皇族同士の争いが起こり、朝廷のボディーガードともいうべき武士たちの力を借りることになります。
それまでは朝廷の言いなりになって働いていた武士たちの存在感が、この戦いを機に増してくることになります。

武士たちが、自分たちの強さに気付きだす

この頃になると、武士たちは徐々に力をつけ初めていたため、「あれ?朝廷や貴族っていっても、ただ偉いだけであんまり強くないんじゃね?」などと、武士が感じ始めていた時期でした。

そして、その武士たちの中に平氏(へいし)・源氏(げんじ)の一族がいました。

1160年「平治の乱」で、源氏の敗北・平氏の天下へ

この平氏と源氏の対立が決定的になり、1160年に平治の乱(へいじのらん)が起きます。
この戦いにおいて源氏は敗れ、平清盛(きよもり)率いる平氏は栄華を極めていくことになります。

そして、
平氏にあらずんば人にあらず
というレベルまでに驕(おご)り高ぶり、全国に平氏に不満を持つ人々が多くなっていました。

頼朝は、伊豆のこの地に流罪へ

先述の「平治の乱」にて敗れたわずか14歳の若き頼朝は、伊豆のこの地に流罪(るざい)となってやってきたのでした。

なぜ流罪になったのかというと、当時は死罪よりも、
「あえて都から離れた不便な場所に追いやり、あえて惨めな思いをさせる」
ということが行われたからだと考えられています。

また、例えば負けた相手が「天皇」だった場合、さすがに「神様」と同じくらい尊い存在である天皇を殺してしまうのはさすがに畏(おそ)れ多いということで、「流罪」という措置が取られたものと思われます。

伊豆・蛭ヶ小島・源頼朝と、北条政子の像(静岡県伊豆の国市)

戦いは、いつも「勝ちすぎない」ことが重要

源氏(げんじ)も先祖をたどれば清和天皇(せいわてんのう)という天皇の子孫だったりして、良い血統の持ち主・良い家系の出身でした。
なので平氏としても、ここで負けた源氏を死罪にするのは憚(はばか)られたのかもしれません。
もし死罪にすると他の源氏一族から恨まれたりして、復讐・反逆されるリスクが怖かった、という事情もあったことでしょう。

戦いとは、いつの時代も勝ちすぎないことが重要なのかもしれませんね。

伊豆・蛭ヶ小島・源頼朝と、北条政子の像(静岡県伊豆の国市)

20年間を、伊豆・蛭ヶ小島で過ごす 北条政子と出会う

話を本題に戻します。

先述の通り、伊豆の国市・蛭ヶ小島(ひるがこじま)は、源頼朝が流れ着いた場所になります。
彼は平安末期の1160年~1180年までの約20年間もの期間をここで過ごし、このとき後の妻となる北条政子(ほうじょう まさこ)と出会いました。

伊豆・蛭ヶ小島・源頼朝と、北条政子の像の前にて(静岡県伊豆の国市)

元々は北条氏の拠点だった、伊豆一帯

現在の伊豆の国市の一帯は、元々は北条氏(ほうじょうし)という一族の拠点でもあったのですね。

ちなみに後の戦国時代に、伊豆・相模(さがみ。神奈川県西部)あたりを支配した一族である後北条氏(ごほうじょうし)と今回の北条氏は、血縁関係は無く無関係です。

以仁王の挙兵、源氏の逆襲劇

頼朝が伊豆に流れ着いてからの20年後、1180年の以仁王の挙兵(もちひとおうのきょへい)によって、全国の源氏に対して平氏追討の命令が出されました

木曽で旗揚げした、源義仲

このとき長野県・木曽(きそ)にいた源義仲(よしなか)も、木曽宮ノ越(みやのこし)の南宮神社(南宮大社)にて、旗揚げ(はたあげ)を行いました。

源義仲は別名「朝日将軍(あさひしょうぐん)」「旭将軍」「木曽義仲(きそよしなか)」とも呼ばれます。

義仲木曽・宮ノ越の関係性については、以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください

義仲と頼朝はいとこ同士の関係でしたが、お互いに全然協力しないばかりか、むしろ対立してしまい、最終的には義仲は頼朝に滅ぼされてしまいました。
詳しくは以下の記事でわかりやすく解説していますので、ご覧ください

頼朝も、石橋山で敗れる

頼朝も「以仁王の挙兵」には応じましたが、伊豆よりやや北東の神奈川県・真鶴(まなづる)で行われた「石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)」において敗れてしまいました。

このときに頼朝に参戦に応じたのが、湯河原駅(ゆがわらえき、神奈川県足柄下郡湯河原町)の前に銅像が建っている土肥実平(どひ さねひら/どい さねひら)という人物です。
また、湯河原・真鶴には頼朝が逃げて隠れたという「ししどの窟(いわや)」があります。

石橋山の戦い」と湯河原については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

そして頼朝は、真鶴(まなづる)から相模湾・東京湾へと出港してゆきました。

房総半島へ上陸した頼朝

やがて頼朝は房総半島の南西部にある安房勝山(あわかつやま)あたりに上陸します。

源頼朝は、その巧みな交渉力とカリスマ性で、房総半島にいた(平氏に不満を持つ)武士たちを次々に味方に率いれてゆきました
その時、真っ先に頼朝に味方についたのが、現在の千葉県の由来になっている一族の千葉氏になります。

頼朝上陸の地・安房勝山(あわかつやま)のエピソードについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

頼朝に協力した、千葉県の由来にもなっている千葉氏については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

檀ノ浦で、平氏を滅ぼす

やがて勢い付いた源氏は、

  • 富士川の戦い(静岡県)」
  • 一ノ谷の戦い(兵庫県)」

にて勝利します。

そしてついには、1185年、山口県下関市の「檀ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)」において平氏を滅ぼします。

やがて源頼朝は1189年に東北の奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)をも滅ぼし、1192年、ここに鎌倉幕府を立ち上げたのでした。

源頼朝を支えた、北条政子

蛭ヶ小島で、富士山の方を向く源頼朝・北条政子の像(静岡県伊豆の国市)

北条政子は、伊豆に流されてきた当時は犯罪者と同然の扱いだった源頼朝を、つきっきりで支えたのでした。
そして源頼朝は平氏を打倒し、征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)に任命され、鎌倉幕府を開くに至ったのでした。
そして北条政子は、そんな偉大な大将軍の妻となったのです

英雄の妻となる女性は、彼の苦労時代を支えた女性のみ

これは現代の婚活とは「逆の関係性」を感じます。

ハイスペ男性を狙う婚活女性は、「既に完成された金持ちの男性」を最初から狙う傾向にあり、それが男性に敬遠されていく結果、上手くいかないわけです。
私の経験上、成功者の男性の妻となっている女性は、その男性が学生時代やまだお金が無かった時代から付き合っていた(支えてきた)彼女であるパターンが多いです。
なので、婚活において「既に完成された金持ちイケメン」と最初から出会える(結婚できる)わけがないのです。

例えば、男性がまだ若くてお金が無くて苦労している時には女性から見向きもされなかったのに、成功して金持ちになった瞬間に寄ってくる女性に対して、いい気分になる男性は恐らくいないでしょう

当時は「犯罪者」同然だった頼朝を、必死に支えた政子

そう考えると、北条政子は素敵ですね。
頼朝がまだ「犯罪者」として落ちぶれて流れ着いた時代に、必死で頼朝を信じて支え続けたのです。
そうなれば、頼朝も政子に対して恩義を感じ、「自分が頑張っていける(これた)のは政子のおかげだ」と感じて結婚を決意するのは、当然といえば当然です。
いつの時代も、努力無くしていい相手との結婚は出来ないようになっているのですね。

今は富士山に向かって立つ夫婦

蛭ヶ小島の源頼朝と北条政子は、富士山を向いて立っています。

この地域は北条氏の拠点であり、また富士山の見えるとてもよい場所なので、実際の頼朝公は流罪の身分だったとはいえ、そこまで悪い生活は送っていなかったのではないか、とも推測されます。

北条政子の像(静岡県伊豆の国市)

承久の乱に勝利した、鎌倉幕府の御家人

鎌倉幕府が出来てしばらくした1221年、京都の朝廷にいた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、鎌倉に向けて兵を挙げます
再び、政権を朝廷に取り戻すためですね。

朝廷軍に怯える幕府軍

そんな攻めてくる天皇の兵を前に、鎌倉の御家人たちは恐怖してしまいます。さすがに御家人・武士とはいえ、天皇とは神様みたいに尊い存在です
「天皇の軍」と戦うということは、いわゆる「朝敵(ちょうてき:天皇・朝廷に対する敵)」とみなされることと同じであり、国家反逆にも等しい畏(おそ)れ多い行為だったのです。

北条政子の言葉で勇気づけられる武士たち

そんな萎縮(いしゅく)する鎌倉の御家人・武士たちに対して、北条政子が声をかけます。
それは
頼朝公の恩は、山よりも高く、海よりも深いのです。

というものです。
なぜかというと、鎌倉幕府ができるまでの武士は「朝廷のいいなり」であり、いいように使われてきたに過ぎませんでした。
しかし頼朝が鎌倉幕府を建ててくれたおかげで、武士達の身分は高くなり、朝廷の言いなりという冷遇ぶりもなくなりました。
これが北条政子の「山より高く海よりも深い」という、頼朝への恩というわけです。

朝廷軍を撃破した、鎌倉の武士たち

これによって御家人たちは一致団結して強くなり、後鳥羽上皇率いる朝廷軍を撃破してしまいました
主にその戦場は、滋賀県大津市・琵琶湖の南の瀬田の唐橋(せたのからはし)でした。

承久の乱で敗れた、後鳥羽上皇と順徳天皇

この「承久の乱」に敗れた後鳥羽上皇は、島根県の北・隠岐の島(おきのしま)に流罪(るざい)となりました。
また、後鳥羽上皇の息子である順徳天皇(じゅんとくてんのう)は、佐渡島(さどがしま)に流罪となってしまいました。
順徳天皇は、佐渡島から都(京都)に帰ることは結局できず、失意のうちに佐渡にてその生涯を終えることとなりました。

佐渡順徳天皇については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

同じく隠岐に流された、後醍醐天皇

余談ですが、鎌倉時代の末期にも後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が、後鳥羽上皇も同じく島根県の隠岐(おき)に流されています。
以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

承久の乱に勝利した、御家人・武士達の末路 贅沢な暮らしで破滅に

「一生懸命」という言葉の由来に

北条政子による勇気付けの後に「承久の乱」に無事勝利した鎌倉の武士たちは、恩賞として西国(さいごく)の土地をたくさん得ることができました。

西国(さいごく)とは、今でいう西日本のことです。
鎌倉の武士たちの主な収入源は、その「土地」にありました。土地から収穫される作物こそが、まさに収入源だったのでした。

なので武士たちは、自分達の土地を命をかけて守る必要がありました。
そのため「一所懸命(一つの土地に命をかける)」という言葉が生まれ、それが長年にかけて「一生懸命」という言葉に変化しました。
これがいわゆる「一生懸命」と言う言葉の語源となります。

栄光のあと、浪費で落ちぶれる武士たち

しかしその後、西国・京都で贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の生活を送ってしまい、あっという間に散財して借金を重ねてしまうような武士もいました。
関東地方・神奈川県にある鎌倉よりも、はるかずっと昔から日本の中心として栄えてきた京都には、酒や女遊びができる場所が元々たくさんあったからですね。

二度にわたる「元寇」 自費での戦いで、御家人たちは困窮に

そして鎌倉時代の後半に入り、1274年と1281年の2回にわたってモンゴル襲来(元寇)にあい、鎌倉の御家人・武士たちは膨大な自費を投入して必死に戦ったものの、なにせ相手は外国。恩賞を貰えることができませんでした。

先述の通り、鎌倉時代の恩賞は「敵地から没収した領土・土地」だったからです。
外国である元(げん)を追い払うための「防衛戦」に勝利したところで、敵地の領土を恩賞としてもらうことはできません。
また、戦費も基本的に自費で投入していたため、恩賞無しで武士たちは大赤字になってしまい、借金をする武士が増えてしまいました。

武士達を救う「徳政令」 しかしかえって国内は混乱

そこで1297年、武士達を救うために永仁の徳政令(とくせいれい)が出され、借金がすべてチャラ(帳消し)にされました。
しかし「貸した人たちの生活」は、徳政令で借金を返してもらえなくなったことでめちゃくちゃになり、かえって国内が崩壊していくこととなります。
そして先ほど少し紹介した(隠岐島から脱出した)後醍醐天皇(ごだいごてんのう)や楠木正成(くすのき まさしげ)などの手により、1333年に鎌倉幕府は滅亡、室町時代へと繋がっていったのでした。

この鎌倉幕府の滅亡楠木正成らの戦いについては、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

伊豆箱根鉄道・伊豆長岡駅にて休憩 今回の旅も終わり

蛭ヶ小島の観光を終えた後、伊豆の修禅寺(しゅぜんじ)にも行ったのですが、こちらに関してはまた別の機会に書きます。

伊豆箱根鉄道・伊豆長岡駅(いずながおかえき)にて、最近出来た「イズーラ(IZUーLa)」にて休憩~!

イズーラの名前の由来は、たぶん伊豆と静岡弁の「ずら」をかけたものだと思われます。
ちなみに「ずら」は結構有名な静岡弁だったりするのですが、残念ながら今では少し珍しい言葉になります。
ちょっと前であれば伊豆(や静岡県)の田園地帯あたりで、かなりご高齢の方々が「ずら」という言葉を使っていたそうなのですが、現在では高齢者であっても「ずら」という言葉は使わない、という印象となっています。
やっぱりラブライブ!サンシャイン!!国木田花丸ちゃんの「ずら」は可愛いです。

いずっぱこについては、また別の機会に書きたいと思います!

おまけ:筆者の自撮り写真エトセトラ

ここでは、本文のスペースの都合で載せきれなかった写真を載せてゆきます!

三島へ向かう新幹線にて
三島市・白滝公園にて
伊豆の国市・蛭ヶ小島にて(静岡県伊豆の国市)
蛭ヶ小島にて(静岡県伊豆の国市)
蛭ヶ小島にて(静岡県伊豆の国市)
蛭ヶ小島にて(静岡県伊豆の国市)

今回の旅でも、伊豆の素敵な気候と自然をたくさん満喫することができました!

ちゅうい!おわりに!

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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