上川駅から約40分、白滝駅に到着
上川駅(かみかわえき、北海道上川郡上川町)から約40分、とても長い移動距離を経て、やがて
- 白滝駅(しらたきえき、北海道紋別郡遠軽町白滝)
に着きます。

かなり心細い山岳地帯と峠を越えてきたため、白滝駅に着いたときは、少し心がホッとします(私だけですかね?)。
白滝駅の近辺にはかつて「白滝シリーズ」とも呼ばれ、「白滝」がつく駅がなんと5つも存在していました。
つまり、
- 奥白滝駅
- 上白滝駅
- 白滝駅
- 旧白滝駅
- 下白滝駅
という5つの駅があったというわけです。
そのうち白滝駅以外は現在ではすべて廃駅となっており、「信号所」または「駅跡」となっています。
信号所とは、前回も解説した通り、列車の行き違いを行わせるための設備です。
詳しくは、前回の記事をご覧ください。


また、ここからは北見国(きたみのくに)およびオホーツク総合振興局の領域に入ってゆきます。
北見国(きたみのくに)とは、前回も解説した通り、北見市や網走市(あばしりし)を中心とした、オホーツク海沿いのエリアのことです。
明治時代に蝦夷地が北海道と改められたときに、つけられた国名です。
詳しくは、前回の記事をご覧ください。↓
道東の旅2 石北本線・上川→白滝 駅間距離約40分の国境を越える
オホーツク総合振興局(そうごうしんこうきょく)とは、網走市にその本拠地が存在する、このオホーツク海沿いのエリアを管理するための行政区分です。
北海道はとても広く、道庁所在地の札幌市だけでは北海道全体の面倒をみきれないわけです。
そのため、北海道は全部で14の「振興局(しんこうきょく)」のエリアに分かれているというわけです。
たった一人の女子高生を待ち続けた、旧白滝駅
白滝駅のやや北東に存在した旧白滝駅(きゅうしらたきえき)は、2016年の廃止までたった一人の女子高生を待ち続けていた駅ということで知られます。
旧白滝駅の近くには、かつて2016年まで、遠軽町(えんがるちょう)の高校まで通う女子高生が住んでいました。
遠軽町は、白滝駅からさらに東にある町です。
お父さんは毎日娘さんを車に乗せて旧白滝駅まで連れていってあげていたため、お父さんにとっては娘さんと貴重な会話・コミュニケーションが取れるという、とても素敵な時間だったといいます。
その女子高生さんが遠軽町の高校に通うために、旧白滝駅では
- 登校の朝1本・下校の夕方1本
- 旭川方面のもう2本
の列車が設定されているのみでした。
つまり、一部の普通列車は通過するほど、本数の少ない駅だったわけです。
まさに、彼女の登校の時間に合わせて、列車のダイヤが組まれていたわけですね。
そして彼女が2016年の春に高校を卒業したと同時に、旧白滝駅は廃止となったのでした。
彼女の卒業を、旧白滝駅はずっと見送り続けていたわけです。
真冬の雪で真っ白な駅のホームで、たった一人の女子高生が待ち、列車が迎えにくるという風景の写真を見たこともあるのではないでしょうか。
そしてその女子高生は、高校卒業後は東京の学校に進学したといいます。
丸瀬布駅・瀬戸瀬駅を過ぎて、遠軽駅へ
いわゆる「白滝シリーズ」のエリアを過ぎると、次は
- 丸瀬布駅(まるせっぷえき)
- 瀬戸瀬駅(せとせえき)
を過ぎてゆきます。


やがて遠軽駅(えんがるえき、北海道紋別郡遠軽町)に到着します。


かつて遠軽駅から北へ出ていた、名寄本線
遠軽駅(えんがるえき)からは、かつて
- 名寄本線(なよろほんせん)
という路線が出ていました。
遠軽駅は北へ延びた構造の線路になっています。
それは、かつて北の方面に「名寄本線」という線路が出ていたことの名残というわけです。
名寄本線(なよろほんせん)は、遠軽を北に出て、
- オホーツク海側の、湧別町(ゆうべつちょう)
- 同じく、オホーツク海側の紋別市(もんべつし)
- 内陸部・北西の名寄市(なよろし)
の方面へ向かっていたのでした。
名寄市と名寄本線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
道北・宗谷本線の旅4 名寄→美深→音威子府 天塩川沿いをゆく
しかし明治時代にこれだけたくさん存在していた北海道の鉄道路線でしたが、
- 1960年代以降の自動車普及(モータリゼーション)の加速
- 炭鉱の閉山などによる、人口減少
- 札幌一極集中
などが原因で、これらの鉄道路線は次々に廃止されていったのでした。
明治時代には、北海道には石炭や魚介類をはじめとするたくさんの資源が眠っていた(ことがわかった)ため、多くの人々が北海道に移住してきました。
この移住のことを「入植」ともよばれます。
つまり、多くの野心家の人たちが
「北海道で一発当てて大成功するぞ!」
と言う感じで、とりわけ1880年代頃からたくさんの実業家たちが北海道に移住してきて、私財を投資して開発をしたりしてきたのでした。
また、当時は「北海道に移住してきたら儲かる」というような風潮もあったわけです。
特に「石炭」は、いざ戦争になったときに必要な「蒸気船」や「(兵士や食糧・軍事物資を運ぶための)鉄道」などの動力機関を動かすのには特に必要であり、重宝されました。
つまり、石炭を掘り出せば掘り出すほどに(そういう蒸気船や蒸気機関車などの建設・製造を行う企業が)買ってくれたのでした。
そうした背景から、石炭が眠っている炭鉱がたくさん存在する北海道に、どんどん人々が移住してくるのもわかります。
しかし戦後、1960年代の高度経済成長期に入ると、自動車が普及してきます。
ドアツードア(家から家へ)で移動できる自動車の方が便利だったことから、次第に鉄道の利用客は減っていくようになりました。
また、エネルギー革命により、エネルギーが先述の石炭から「石油」に変わっていったのでした。
そのため、それまで石炭をたくさん掘り出していた炭鉱・鉱山は不必要なものとなり、次々に閉山しゆくこととなりました。
すると、それまで炭鉱・鉱山で働いていた人々は、職を失うことになってしまったのでした。
そのため、住民たちは新たな仕事を求めて町を出てゆき、札幌や東京などの都市部へと引っ越していくことになったのでした。
これによって沿線人口が減り、鉄道は石炭も人も運ぶ機会が減少していったのでした。
そのため、北海道のあちこち(もちろん全国の過疎地域でも)で鉄道は廃線に追い込まれていったのです。
そしてかろうじて現存している北海道の鉄道路線も、札幌都市圏を含めてすべての路線が赤字であり、廃止の議論がなされている路線もたくさんあるのです。
みんなで北海道へ行って、北海道を元気にしましょう!
この記事を読んでくださっているあなたが、少しでも北海道の鉄道旅行をする興味を持つ機会になれれば幸いです。
遠軽の開拓者の心の支えとなった、キリスト教
遠軽町(えんがるちょう)には、キリスト教の教会が多く存在します。
これは先ほども解説した、明治時代における北海道開拓(かいたく)のときに、遠軽に移住してきた方々がキリスト教を信仰をしていたためです。
後述の通り、キリスト教は厳しい気候の北海道を開拓する人々にとっては、心の拠り所となる存在でした。
先述の通り、
- 明治時代の北海道には、たくさんの石炭が埋まっていることがわかったこと
- 北海道は様々な資源の宝庫であることから、「北海道に移住すれば儲かる」というような風潮もあったこと
から、多くの人々が北海道に移住してきて、せっせと開拓事業に励んだのでした。
加えて、前回も解説したロシアの南下政策に備えて、北海道の防御力を固める必要性も出てきたため、多くの「強い人達」が北海道に移住してきました。
その強い人達とは、江戸時代に「武士」だった人達です。
明治時代になると士農工商が廃止され、元々武士だった人達の中には職を失った人達も多くいたのでした。
そのため、(国の命令で)北海道の警固にあたるために移住してきた人達もいたのでした。
「屯田兵(とんでんへい)」などはまさにその例ですね。
ロシアの南下政策と北海道開拓については、前回の記事でも分かりやすく解説しておりますので、ご覧ください。
道東の旅2 石北本線・上川→白滝 駅間距離約40分の国境を越える
開拓者たちは北海道という慣れない土地で、過酷な環境な中でも開墾(かいこん:何もない土地を耕して、切り開いていくこと)を強いられました。
何もない土地に水を引いて、田んぼを耕し、なんとか人が住めるような土地にしていったのです。
北海道は冬の極寒がすごいですから、本州より南の温暖な土地から移住してきた開拓者たちにとっては、かなりこたたことでしょう。
また、町内を流れる湧別川(ゆうべつがわ)が氾濫を起こしたとき、それに巻き込まれるのではという恐怖もあったことでしょう。
それだけ苦労して農作業に勤しんだにも関わらず、不作に見回れようもんなら。それはとても心が折れたはずです。
キリスト教は、明治時代の遠軽のそうした開拓者たちの心の拠り所(よりどころ)となってきたわけですね。
また、開拓者たちはキリスト教とはいわなくても神社を建てたりして、お祭りという行事を楽しみ・目標・励みにして頑張ってきたりもしたのでした。
そのようにして、明治時代の開拓者たちは神様の存在を心の拠り所にしたりしながら、過酷な環境での開拓を乗り越えてきたわけです。
遠軽駅からは、進行方向を変えて南へ
遠軽駅はスイッチバックの構造(「人」の形をした、先頭から突っ込んでバックをする線路の構造)となっています。
そのため、遠軽駅からは進行方向が逆になります。
なぜ遠軽駅がスイッチバックの構造なのかは、先述の通り名寄本線(なよろほんせん)が北方面へ出ていたことの名残です。
そして、険しい常紋トンネル(じょうもんトンネル)を過ぎて、留辺蘂(るべしべ)方面へと向かってゆきます。
今回はここまでです。次回は
- 留辺蘂(るべしべ)
- 北見(きたみ)
方面へと向かってゆきます!
コメント