道東の旅7【後編】 原生花園を堪能!釧網本線・原生花園→浜小清水→知床斜里

釧網本線・原生花園駅→知床斜里駅の鉄道旅と、原生花園の地理・歴史などを、旅行初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!

季節限定の駅・原生花園駅へ到着

北浜駅きたはまえき(北海道網走市北浜)から、

  • 知床斜里しれとこしゃり
  • 釧路くしろ

方面へ、オホーツク海沿いに東へ列車を進めると、やがて、

  • 原生花園駅げんせいかえんえき(北海道斜里郡小清水町)

に着きます。

原生花園駅(北海道斜里郡小清水町)

原生花園駅(北海道斜里郡小清水町)

原生花園駅(北海道斜里郡小清水町)

原生花園駅(北海道斜里郡小清水町)

期間限定で開かれている、原生花園駅

原生花園駅げんせいかえんえきは、おおよそ4月末~10月末の期間限定で営業している駅になります
2024年は、4月25日~10月31日までの期間の営業になります。
つまり「冬は空いていない」ということですね。

したがって、原生花園駅は「年中空いている(降りられる)わけではない」という点に注意しましょう。

小清水原生花園(北海道斜里郡小清水町)

そもそも「原生花園」とは?

原生花園げんせいかえんとは、簡単にいえば「人の手にらないお花畑」のことです。

つまり人類が誕生してから、そのままの状態で存在しているお花畑、ということになります。

普通の花園は、人の管理の手が入る

一般的なお花畑といえば、よりお花たちを綺麗に見せるために、人による何らかの手を加えたりして、綺麗にします。

観賞用という観点上、少しでも見栄えをよくするために

  • 綺麗
  • 手間がかからない
  • コスパの良い

などの条件が揃ったお花が選定され、植えられてメンテナンスされ、一般の人々に公開されることで「きれ~い!」と言ってもらえるわけです。

人の手が加えられておらず、自然のままで存在している原生花園

しかし、原生花園の場合は、こうした

  • 「人によって育てられ、維持管理されている」

というわけではありません

あくまで「自然そのまんまの花や植物」からなっています。
そのため、独特のお花や植物が見られることで知られます。

北海道に多く存在、価値の高い原生花園

もちろん、北海道でなくてもこうした「自然そのまんまの植物」が生えている原っぱはあると思います。
しかし、単に「草ボーボーで無造作に生えているだけの場所」というだけでは、さすがに「原生花園」とまでは言えず、「観光名所」にはなかなかなりにくいでしょう。

なので北海道の広大な原野だからこそ、原生花園はとても映えるし、観光名所として素晴らしいわけですね。

原生花園駅付近より(北海道斜里郡小清水町)

原生花園駅付近より(北海道斜里郡小清水町)

今や「観光資源」として重要な原生花園

原生花園は、北海道ではオホーツク海の沿岸あたりをはじめ、道東(北海道東部)から道北(北海道北部)にかけて、多く広く存在します。
言い換えれば、北海道の北東部にいけばよく見られるということです。

一方、北海道の南西部あたり(札幌や函館あたりなど)では、原生花園は(あるとは思いますが)あまり見られませんね。

観光資源として、とても重要となった原生花園

原生花園は、今回紹介する小清水原生花園こしみずげんせいかえんが全国的に有名になったことから、それによって多くの観光客が訪れるようになりました。
これにより、他の地域でも地元のイメージアップを図るため、「原生花園」を次々に観光PRとして猛プッシュしていくようになりました。

もし原生花園が大バズリしたら、地元に観光客がたくさん訪れてくれるようになり、お金を落としてくれて町の発展につながり、雇用が生まれ人々の給料も上がり、経済効果の向上という嬉しい効果が期待されるというわけですね。

観光客の増大は、地域の経済効果にもつながる

例えば、小清水原生花園がメディアやネット等で取り上げられ超話題ともなれば、全国から(海外からも)たくさんの観光客が原生花園にやってきます。

そのため、

  • 近くの街である網走市のホテルを予約して、
  • 網走市で食事をして、
  • 網走市で宴会や打ち上げなどをやり、
  • 網走市でお土産を買って帰る

といった購買活動経済活動につながり、この地域(小清水町や斜里町などの町も含む)の経済が発展してくるようになるわけです。

なので原生花園は、観光資源として非常に重要な意味を持ちます。
釧網本線に駅(原生花園駅)が設置されるくらいですから、その重要性がわかります。

原生花園からのオホーツク海(北海道斜里郡小清水町)

原生花園からのオホーツク海(北海道斜里郡小清水町)

浜小清水を過ぎ行く

原生花園駅をさらに東へ進むと、

  • 浜小清水駅はまこしみずえき(北海道斜里郡小清水町)

を過ぎてゆきます。

「八王子千人同心」という武士グループによって作られた道路

小清水町こしみずちょうは、江戸時代後期に八王子千人同心はにおうじせんにんどうしんと呼ばれる武士たちによって、道路が建設されました。
その道路は、現在の標茶町しべちゃちょうあたりから摩周湖ましゅうこの東を通り、小清水町あたりを結ぶというルートでした。

八王子千人同心とは?

ここで八王子千人同心はちおうじせんにんどうしんとは、江戸幕府のおサムライさんたちのグループです。
現在の東京都八王子市はちおうじしにて結成され、八王子を本拠地にしていたため、八王子市千人同心といわれるわけです。

八王子市については、以下の記事でも解説しているため、ご覧ください

中央線鉄道唱歌 第9番 日野や豊田も過ぎて、八王子に到着!織物で栄えた都市
中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

なぜ彼らが、北海道にやってきたのか?

ではなぜ八王子の武士たちが、江戸時代にこの北の大地・オホーツク海沿岸の地域にやってきたのか。
それはここまでずっと読んできてくれてくれた方には大体想像つくかとは思いますが、それは「ロシアの脅威」に備えるためです。
つまり、北海道の警固にあたるためでした。

江戸時代後半に頻発した、国境付近の軍事衝突

また、江戸時代も後半になると、

  • 「日本と貿易がしたいロシア」
  • 鎖国さこくかたくなに貫いて貿易をしようとしない日本」

との間で、度々軍事衝突が起きていました。

また、江戸時代後期にもなると、ヨーロッパの各国は、蒸気船をどんどんパワーアップさせてゆきました。
すると、船の性能が向上してゆき、世界中の色んな国へ進出するようになっていました。

それに伴って、日本の近海にも外国船が出没するようになってきたのでした。
すると、「異国船打払令」を出してことごとく外国船を追い払おうとするなど、江戸幕府はとにかく外国船を警戒していたような時期でした。

「国防」の重責も担った、江戸時代の武士たち

江戸時代、「武士」には現代でいうところの「自衛官」のような国防の役割もあったのでした。
そのため、八王子千人同心の武士たちは幕府に命じられて蝦夷地(北海道)にまでやってきていたのでした。

そして現在の北海道苫小牧市とまこまいしが、八王子千人同心の蝦夷地防衛・開拓における拠点となっていました。
なので、八王子市苫小牧市は、姉妹都市の関係にあります。

慣れない環境 かなり過酷だった北海道の防衛

しかし八王子千人同心の武士たちは、北海道という極寒の慣れない土地にかなり苦しめられ、衰弱して倒れていったりもしたそうです。

かなり過酷な、蝦夷地(北海道)防衛の任務だったのではないかと思われます。

知床斜里駅へ

やがて止別駅やむべつえき(北海道斜里郡小清水町止別)を過ぎ、知床斜里駅しれとこしゃりえきに到着します。

今回はここまでです!お疲れさまでした!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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