前回で、花咲線(はなさきせん)で根室(ねむろ)から釧路(くしろ)へ戻りました。
今回は釧路駅(くしろえき、北海道釧路市)を出て、根室本線(ねむろほんせん)で西へ進み、白糠(しらぬか)・浦幌(うらほろ)・豊頃(とよころ)・池田(いけだ)・幕別(まくべつ)を経て、帯広(おびひろ)方面へ向かう行程となります。
上記の写真は根室本線のどこかの車窓なのですが、覚えてなくてすみません(^^; しかし、上記のような北海道らしい原野・湿原の景色が延々と続き、とても飽きがこない車窓となっています。
釧路を出る前に、せめて市の名所・幣舞橋(ぬさまいばし)でも見てゆきましょう。
釧路なのに、東海道新幹線の駅!? 新富士駅に到着
釧路駅を出ると、まずは新富士駅(しんふじえき、北海道釧路市)に着きます。
新富士駅は、もちろん東海道新幹線の駅・新富士駅(静岡県富士市)ではありません。
ここでは、北海道釧路市の根室本線の駅になります。
静岡県から進出してきた「富士製紙」で栄えた、釧路市
新富士駅の駅名は、静岡県を拠点としていた富士製紙(ふじせいし)に由来します。
明治時代に富士製紙は、北海道の豊富な資源を求めて、静岡県富士市から釧路へ進出してきたのです。
富士製紙の歴史については、以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 東海道編 第18番 富士山の麓をゆき、源平の戦いの富士川を渡る
紙は、「水」と「木材」の多い地域でよくできます。
なので、昔から水と木材が豊富の地域が、製紙工場の拠点として選ばれやすい傾向にありました。例えば明治時代からの製紙業が盛んな場所といえば、東京都北区の王子(おうじ)や、岐阜県中津川市(なかつがわし)などが挙げられます。
王子については、以下の記事でも詳しく解説していますので、ご覧ください。
岐阜県中津川市については、以下の記事でも詳しく解説していますので、ご覧ください。
中央線鉄道唱歌 第62番 中津川に到着!恵那山の麓、紙・宿場・栗に知られる街
北海道では、他に苫小牧市(とまこまいし)の王子製紙が有名です。
苫小牧市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 北海道編 北の巻第18番 苫小牧、ウトナイ湖、そして白老のアイヌ民族の町
しかし時代は「ペーパーレス」となりました。
いわゆる「新聞離れ」「本離れ」がどんどん進んだ結果、みんなスマホやパソコン等でニュースや書籍を見るような時代となってしまいました。
そうした時代の煽(あお)りをうけ、紙を作っても売れなくなってしまった結果、富士製紙(日本製紙)の釧路工場は、2021年にむなしくも撤退してしまうこととなってしまいました。
撤退の際に、釧路市からは
「なんとか撤退せずに残ってくれませんかね?
もし街から工場が無くなってしまったら、そこで働く人々の雇用も失われてしまいます。
なんとか残ってください。」
という具合にかなり嘆願(たんがん)をされたようなのですが、それも空しく、残念ながら撤退が決まってしまいました。
工場が街から無くなると、そこで働いていた人々は再就職先を求めて、札幌・東京といった大都市に転出(引っ越し)してしまいます。これは釧路市にとっては人口減少につながるため、とても痛いことです。
釧路の衰退と、釧路の魅力 涼しさは最強!
こうした事情もあり、現在の釧路市の衰退ぶりは全国的にもかなり深刻な状態になっているのです。
釧路駅前のゴーストタウン(廃墟ビル)がかなりネット上でネタにされたり、しかもメディアでも報道されたりするなど、どちらかというと「おもしろおかしく紹介される」というような状態になってしまっています。
こうしたことも「釧路=ヤバい」みたいなイメージを加速させる要因になってしまっています。
もちろん、釧路の人口を上回ってしまった苫小牧市(とまこまいし)にも、苫小牧駅前に巨大な廃墟ビル(旧サンプラザビル)があったりして、この存在も「人口16万人の都市の玄関口として相応しくない」として苫小牧市民の悩みの種となっています。
釧路の魅力はやはり、なんといっても
「夏の涼しさ」
「冬はそこまで寒くない(北海道にしては雪があまり積もらない)」
「広大な大自然」
にあります。
釧路は「夏でも20度そこそこの、涼しい土地」であり、それに加えて太平洋側の良好気候のため、冬でもそこまで雪が積もらないなど、北海道にしてはとても過ごしやすい地域なのです。
例えば札幌・旭川といった主要都市は、同じ北海道でも夏は30度を越えるため、結構暑いですからね・・・。
天気予報で「東京=36℃、釧路=24℃」みたいな報道がなされるたびに、本州の人にとっては釧路には「うらやましいほどの涼しさ」があるわけです。
近年の日本の夏は「異常な暑さ」ともいわれており、気温そのものの暑さだけでなく「湿度」という要因・要素もからむため、この「湿度」「ムシムシ感」のせいで実際の気温は35度でも体では(体感温度では)40度くらいにも感じられたりするわけです。一般に、湿度が上がれば上がるほど、人間はより不快に感じるのです。
ネットでも
「日本の夏 おかしい」
「日本の夏 世界一暑い」
「日本の夏 アフリカより暑い」
「日本 暑すぎ 住めない」
「日本 涼しい場所 おすすめ」
みたいな感じの検索ワードが多々あり、それだけ多くの人々が日本の夏の暑さに苦しめられていることがわかります。
もちろん実際は50℃もあるアフリカの方が暑いわけですが、日本の夏は独特の「ムシムシする暑さ」があるため、その不快さに集中力や体力を奪われ、苦しむ人が多いということでしょう。また都会だと、高層ビルに挟まれて熱がこもる「ヒートアイランド現象」などもかなり悩みの種となります。
そのため、夏でも24度しかない釧路には本州の人にとっては羨ましい涼しさがあるわけです。
近年では釧路に短期滞在(ショートステイ)・短期移住したい人も増えているようです。
例えば東京や都会の暮らしに限界を感じ、暑がりでかつお金・資産に余裕のあるFIRE勢(アーリーリタイア勢)の人たちには、やはり釧路は「魅力的な移住先」といえるのではないでしようか。
大楽毛駅・白糠駅・音別駅を過ぎる
新富士駅を出て、ずっと海沿いに西へ進むと、
大楽毛駅(おたのしけえき)・庶路駅(しょろえき、北海道白糠郡白糠町)・白糠駅(しらぬかえき、北海道白糠郡白糠町)・音別駅(おんべつえき、北海道釧路市音別町)と過ぎてゆきます。
なお、音別駅のあるあたりは釧路市ではあるのですが、釧路市のメインの領域とは分断されている、いわゆる「飛び地」となっています。
まずは大楽毛駅(おたのしけえき、北海道釧路市大楽毛)に着きます。
いかにも楽しそうな駅名ですね。
そんな「おお、楽しげ」な地名の由来はもちろんアイヌ語であり、アイヌ語の「オタ・ノシケ(砂浜の・中央)」です。
つまり砂浜の真ん中にあったアイヌ民族たちの町、ということです。
つまり町の発祥の地(町の歴史が始まった土地)が、砂浜の中央に位置していたことに由来しているわけです。
たぶん、砂浜でたくさんのお魚(=アイヌ民族たちの宝)が釣れた日には、夜になって家(=チセ)で釣れたお魚に感謝するという儀式を行い、酒でも交えながらお楽しげにドンチャン騒ぎをしたのかもしれませんね。
少なくとも、私にはそんな楽しそうなアイヌの人々の姿が想像されます。
アイヌ民族たちにとって、お魚という存在は神様のような存在であり、お魚を食べることによって生きていけるわけなので、お魚が釣れることを神様に感謝するための儀式はとても重要だったのです。また、アイヌ民族の家のことはチセといいます。
庶路駅(しょろえき、北海道白糠郡白糠町庶路)を過ぎると西庶路駅(にししょろえき)を過ぎ、次に白糠駅(しらぬかえき、北海道白糠郡白糠町)に着きます。
白糠(しらぬか)には、恋問海岸(こいといかいがん)まいう海岸があります。
恋問海岸(こいといかいがん)ってなんかロマンチックな名前ですが、こちらもアイヌ語由来となっています。
その昔、アイヌの若者男性と女の子が、この海岸を見ながら、素敵なデートをしていたのでしょうか。
しかし、昔はアイヌ同士でも対立があったので、許されない恋もありました。相手が敵側のアイヌ出身であれば、もちろん結婚も許されません。
なので彼氏(=対立する相手アイヌ側)が紛争などで殺されてしまうと、彼女は海に飛び込んだ・・・なんていう悲劇の逸話もあったことでしょう。
少なくとも、北海道のあちこちには、こうしたアイヌの「悲しい恋の物語」の伝説が残されているのです。
南に広がる、海の景色 ヲタフンベチャシ跡
白糠駅を過ぎると、音別駅(おんべつえき)・音別川(おんべつがわ)・旧・直別駅(ちょくべつえき)跡・ヲタフンベ海岸・ヲタフンベチャシ跡の横を過ぎて、やがて厚内駅(あつないえき)へ着きます。
この辺りは、後述する、2010年に公開された新垣結衣さん主演の「ハナミズキ」の舞台・聖地となります。
また先ほどもチラッと書きましたが、このあたりは一時的に釧路市の領域になります。つまり飛び地になっているため、白糠町→釧路市→浦幌町という、ちょっと不思議な感覚になります。
この辺りは、海の景色がとても綺麗な区間になります。
この海の向こうには、はるか南国の「パプアニューギニア」という国と、オーストラリアまでは陸地が全くありません。
それくらい、果てしない広さの海になります。
ちなみに本州最東端の地・岩手県宮古市(みやこし)と、北海道・苫小牧市あたりがだいたい同じ経度です。
また、昔のアイヌ民族の防衛拠点だったヲタフンベチャシ跡があります。
チャシとは、昔のアイヌ民族の「砦(とりで)」「柵(さく)」みたいな意味の軍事拠点です。
つまり、昔のアイヌ民族の簡易な軍事・防衛拠点ということになります。
これは本州の「城」や「館」などにしても同じなのですが、チャシは「小高い山の上」に築かれたことが多かったようです。なぜなら山の上(高いところ)に防御壁を築いた方が、防衛の観点からすれば有利だったからですね。
ちなみに本州では安土桃山時代以降になって、「お堀(水)」をめぐらせることで防衛力を固め、山ではなく「平地」にお城を建てることが可能になりました。
ちなみに「フンベ」はアイヌ語で「クジラ」の意味です。
このヲタフンベ海岸からは、たま~にイルカなどが泳いでいるところが見られるそうです(ちなみにイルカは、クジラの小さいバージョンの動物になります)。
しかしこの「ヲタフンベチャシ」は、何のための防御陣地なのか調べたのですが、よくわかりませんでした。
あくまで想像ですが、蝦夷地がまだ日本人である蠣崎氏(かきざきし)や松前藩(まつまえはん)などが進出してくる以前にも、アイヌ民族同士での抗争はよくあったものと思われます。
例えばアイヌ民族の反乱といえば室町時代の「コシャマインの戦い」や江戸時代の「シャクシャインの戦い」などがあると思いますが、これらはあくまで「日本人VSアイヌ人」という戦いです。
しかしまだ日本人が蝦夷地に進出してくる以前にもアイヌ民族たちは暮らしており、アイヌ民族同士の紛争はあったものと考えられます。なのでこのヲタフンベチャシは、恐らくこうしたアイヌ民族の戦いでの防衛拠点として建てられたのではないかと思われます(違っていたらごめんなさい)。
新垣結衣さん主演の映画「ハナミズキ」のロケ地
音別駅(おんべつえき)を過ぎると、2010年に公開された映画「ハナミズキ」の主人公・紗江(さえ)さんの家のモデルとなった家があります。紗江さんは新垣結衣(あらがき ゆい)さんが演じています。しかしあれからだいぶ時が経っているため、経年でかなり痛んでいるようです。
「ハナミズキ」は、2010年放映の新垣結衣さん主演の映画です。北海道に暮らす主人公が女子高生として、憧れの東京の大学受験を目指すというストーリーですね。
また、新垣結衣さんの恋人役を担当したイケメン俳優・生田斗真(いくた とうま)さんは、帯広市の出身だそうです(初めて知りました)。また、次回も触れますが論破王・ひろゆきさんのお父さんや、歌手・松山千春さんも十勝・足寄町(あしょろちょう)の出身です。十勝地方の有名人は多いのですね。
新吉野駅 奈良の吉野と、関係あり!?
厚内駅(あつないえき、北海道十勝郡浦幌町厚内)を過ぎると、ここで北へ大きく向きを変え、厚内川(あつないがわ)に沿って北上します。海とはここでお別れであり、内陸部へ向かって進みます。そして北上すると、浦幌駅(うらほろえき、北海道十勝郡浦幌町)を過ぎ、新吉野駅(しんよしのえき、北海道十勝郡浦幌町)に到着します。
新吉野駅は「アイヌ語由来」っぽくはない駅名ですよね。
なので、私は個人的に「新吉野駅」の由来について、
・明治時代に「吉野さん」という人(お金持ち)が移住・開拓した土地だから?
・あるいは、奈良県の吉野や徳島県の吉野川あたりからやってきた移住者が開拓した土地だから?
など色々と考えてしまうクセがついてしまっています。
しかし残念ながら、真相はどちらも違ったようです。
元々は、新吉野駅は下頃部駅(したころべえき)という、ちょっと読みにくい駅名でした。なのでより読みやすい駅名に変えようという機運が、時代とともに高まったのです。そこで、昔この地域に「吉野の桜」が近くにあったことから「新吉野駅」に変えたらしいのですが、定かではなく、諸説あるようです。
「吉野」とはもちろん「奈良の吉野」のことであり、春は桜でいっぱいになる名所です。
まぁ「奈良の吉野」という点につきてだけは、上記の私の予想は少し当たっていたわけです(^^;
「奈良の吉野」の桜については、以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 関西編 第46番 再び紀ノ川(吉野川)を渡り、花の吉野山へ
池田駅に到着 「ワイン」と日当たりの良い町
新吉野駅を出ると、豊頃駅(とよころえき)・湯沸駅(とうふつえき)を過ぎて、やがて池田駅(いけだえき、北海道中川郡池田町)に着きます。
池田町は「ワインの町」として知られます。
また、日当たりがとても良く、雨があまり降らないため、その日照時間の長さを利用した農業(ブドウや牧畜など)が盛んです。
逆にいえば「雨や曇りに弱い作物」にとっては、うってつけの気候条件なわけです。
ワインといえば「ぶどう生産量日本一」の山梨県であり、また北海道・池田町は明治時代に山梨の人たちが明治時代に移住してきたことから(その歴史が)はじまっています。
しかし池田町のワインと山梨県の関係性については、かなり調べたのですがよくわかりませんでした。
池田町は先述の通りとても日当たりがよいため、ワインの原料となるぶどうにたくさんの日光があたり、とても甘くておいしいぶどうが出来上がります。
そのぶどうを生かしたワイン製造がさかんだというわけですね。
池田町の日当たりと気候がとてもよい理由として、日本海からやってくる冬の雨雲が池田町の北部にある山脈に遮られて雨雲がここまでやってこないこと、また太平洋に面した十勝平野にあることも大きな要因となっています。一般に、冬は太平洋側は晴れが多いのに対し、日本海側は曇り・雨・雪の日が多くなります。
池田町は日照時間がとても長いことで、牧草もとても栄養価が高いもの(栄養をたっぷり含んだもの)が育ち、それを食べる「牛さん」たちも大喜びになるのです。
鳥取藩主・池田氏が明治時代に移住してきた池田町
池田町も先述の新吉野と同じで、「北海道なのにアイヌ語由来っぽくない」地名ですよね。
これは、江戸時代に鳥取藩主を歴代務めてきた池田氏(いけだし)が明治時代に入植した(移住してきた)ことがきっかけです。
鳥取藩は、池田氏という一族によって代々治められてきたという歴史があります。その一族が、明治時代になって武士の時代が終わり、北海道に夢とロマンを求めて移住してきたわけです。
またこれは以前解説したように、かつて釧路市に「鳥取村」があったのと似ています。
以前解説したように、釧路市も鳥取藩の武士が移住してきたことによって開拓されたことがはじまりです。
詳しくは以前の以下の記事で解説していますので、ご覧ください。
道東の旅11 道東の中心都市・釧路市 鳥取と歩んだ製紙業・漁業の街
また、池田町は、神奈川県横浜市の偉大な人物である、高島嘉右衛門(たかしま かえもん)という人物によっても開拓されました。
高島嘉右衛門(たかしま かえもん)は、明治時代のはじめに東海道線・新橋~横浜間の鉄道建設の必要性を明治政府に「鉄道を開設すれば、日本の経済・軍事力はもっと上がりますよ!しかも建設工事が、四民平等で職を失った武士への職の受け皿にもなりますよ!」と進言・説得し、見事に1872年の鉄道開業に導いたという偉大な人物でもあります。なので「横浜の父」ともいわれており、また横浜市の高島町(高島)という地名の由来にもなっています。こちらはまた改めて、もっと掘り下げて開設します!
広大な十勝平野へ
池田駅を出ると、広大な十勝平野(とかちへいや)に出てきます。
十勝平野(とかちへいや)は、日本で3番目に大きな平野になります。
ちなみに1番は関東平野、2番は同じく北海道の石狩平野です。
十勝平野ではその広大な面積を生かして、また夏は涼しいことから農業と酪農(らくのう)が盛んです。
本州では夏は蒸し暑く、酪農に必要な牛や牧草は暑さに弱いため、適していません。
また、農業や酪農を行うためには、とにかく平地が必要です。
本州では基本的に山間部が多くて平地が少なく、北海道に匹敵する平野といえば都会の関東平野くらいしかありません。
しかし関東地方はご存知の通り、大部分が都会のビルや住宅地・ベッドタウンなどで占められていますから、農業が盛んな地域とはとてもいえません(ただし埼玉県や千葉県などであれば、農業が盛んな地域もあります)。
そんな本州の他地域が、まともにやったら北海道・十勝平野に農業や酪農などで勝てるわけがありませんよね。
それだけ、冷涼で広大な十勝平野は、農業と酪農に恵まれた地形・地域なのです。まさに「食の宝庫」といえるでしょう。
そして牧場にいる「牛さん」たちも暑さに弱い動物です。牛さんたちは汗腺(かんせん)があまり発達していないため、汗をかきにくいのです。正確には一応汗はかきますが、人間のそれに比べて10分の1ほどであるため、やはり人間に比べたら牛は暑さに弱い動物といえるでしょう。
汗には「体温調節」の役割があるため、汗をかけないと夏の高温にさらされたときに体温調節ができないため、熱中症にかかるリスクが上がってしまいます。
なので、牛さんたちは冷涼な北海道や本州の高原地帯などを好みます。牛さんたちが食べる牧草も同じく冷涼な地域で育ちやすいです。
涼しい長野県でも、標高が300m~1,000m前後という高原地帯なので、牧場が盛んですよね。
こうした冷涼地や高原地帯で採れる農産物や乳製品は、本州などの多地域では貴重なため、北海道が重宝されるわけですね。
牧場といえば、鉄道ファンには「牧場の朝」という曲がおすすめです。
東北本線・鏡石駅(かがみいしえき、福島県岩瀬郡鏡石町)の発車メロディーになっている、とても優しい雰囲気のメロディーが印象的な曲です。
鏡石駅のある鏡石町には、「岩瀬牧場」という有名な牧場があります。
利別・幕別を過ぎて、帯広駅に到着
池田駅を出ると、
利別駅(としべつえき)→十勝川(とかちがわ)→幕別駅(まくべつえき)→札内駅(さつないえき)→札内川(さつないがわ)→帯広駅(おびひろえき)
のように過ぎてゆきます。
利別(としべつ)は、慣れないとなかなか一発で読みにくい駅名ですね。
知らないと、普通に「りべつ」と読んでしまいそうですよね。
知床斜里(しれとこしゃり)に近い止別(やむべつ)も、「しべつ」と読んでしまいそうです。他にも、花咲線(はなさきせん)の厚岸(あっけし)も、「あつぎし」と日本語風に読めてしまいます。
北海道には改めて「難読地名が多いなぁ~」と思ってしまいますね。
札内川(さつないがわ)を渡ってゆくと、だんだんと帯広(おびひろ)の市街地に近くなります。
札内川(さつないがわ)は、南西の日高山脈(ひだかさんみゃく)から流れ出る川です。やがて十勝川(とかちがわ)と合流して、南東に流れ、太平洋に注ぎます。
十勝川(とかちがわ)は、北西の険しい山地から流れ出る川です。
そして帯広駅に近づく頃には、乗ってくる人々(通学客・買い物客・通勤客など)、降りる準備をしているお客さんなどが多くなります。
いよいよ道央・十勝の都(みやこ)に着くのか~といった雰囲気になります。
ほどなくして、帯広駅(おびひろえき、北海道帯広市)に着きます。
今回はここまでです!
お疲れ様でした!
【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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