北海道の十勝の中心都市・帯広市
列車はすでに、帯広駅(おびひろえき、北海道帯広市)に到達しています。
北海道帯広市(おびひろし)は、十勝総合振興局(とかちそうごうしんこうきょく)の振興局所在地であり、また十勝地方の中心都市です。
振興局(しんこうきょく)とは、北海道を14の細かいエリアに分けて、管理する政治の機関です。
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
食料自給率1,200%を誇る、帯広市
帯広市は食糧自給率1200%(カロリーベース)を誇る、とても高い生産力を誇っています。
「食糧自給率」とは、その国やエリアで、どれだけ地元の人たちだけで食糧を賄(まかな)っているかどうかという指標です。
例えば、A市の住民が全く農業・漁業をやっておらず、完全に多地域からの仕入れや輸入に頼っていたら、食糧自給率は0%です。
これが半分を自分たちの農業・漁業で、残り半分を多地域からの仕入れ・輸入したもので食べていたら、食糧自給率は50%です。
仕入れ・輸入を全くやらず、完全に自身で作っていたら100%になります。
それどころか、多地域に10倍以上出荷・輸出していたら、食糧自給率は1,000%です。
帯広市は、1,200%(カロリーベース)になります。
つまり帯広市民の食べる物は当然のように、全て自分達で生産しています。
それどころか、自分たちが食べる12倍の食糧を、帯広市は生産・他の地域に出荷しているということになります。
北海道が「食の宝庫」と呼ばれるのは、この帯広市を中心とする十勝平野(とかちへいや)の生産力が半端ないからになります。
十勝平野については前回の記事でも解説していますので、ご覧ください。
道東の旅14 根室本線・釧路→白糠→浦幌→豊頃→池田→幕別→帯広
その十勝牛乳をふんだんに利用した「十勝ソフトクリーム」はとてもおいしいのです。
なぜカロリーベース?食料自給率について補足
なお食料自給率について補足しておくと、食料自給率が低ければ低いほど、外国からの輸入に頼っているということであり、自国の農業が衰退してしまうことを意味します。
日本では「カロリーベースの食料自給率がわずか3割」などという報道がなされ、これだけ見ると日本の農業はかなり弱々しい印象を受けます。
しかし「カロリーベース」で食料自給率を計算している国は正直日本くらいであり、世界(他国)では「生産高ベース」で食料自給率を計算しています。
日本は「生産高ベース」の食料自給率では約7割であり、約3割が輸入ということになるので、実はそんなに食料自給率が低い(国産の生産高が低い)というわけではありません。
なぜカロリーベースで計算すると「食料自給率が低くなるのか」というと、それは日本で作られる農業品・食品はカロリーが低いものが多いからです。
対して、外国から輸入されてくる食品は比較的高カロリーのものが多いため、カロリーベース計算だとどうしても食料自給率が低くなります。
では、なぜ(不利になる)カロリーベースでわざわざ公表するのか?
これは様々な理由があり、まぁ、正直あまり言いたくないのですが、理由の一つはマスコミ・メディアが「我々の不安を煽るため」でしょう。
テレビや新聞のニュースは、視聴者の不安を煽った方が視聴率やPVを稼ぎやすいため、これもまぁ仕方ないのかもしれません。彼らにも生活がありますからね。
これはある意味、YouTuberが過激な動画を公開したら再生数が延びやすい、というのと似ているかもしれません。
なので、カロリーベースで公表すると
「まるで日本の農業がピンチだ!輸入品におされて自国の農業は壊滅してしまう!」
という雰囲気になりやすくなり、
さらには
「日本の農業を守れ!」
「農家にもっと手厚い施策を!」
「今の農業は後継者が不足している!もっと増やせ!」
というような激しい世論にもなってきます。
そしてここから先はもはや「政治」の話となり、また色々と「闇が深い話」とも関係してくるため、すみませんがこれ以上は触れないことにします(^^;
興味ある方は、調べてみてください。
かつて帯広から南へ出ていた、広尾線
かつて帯広駅から南には、国鉄・広尾線(ひろおせん)という路線が出ていました。
広尾線(ひろおせん)は北海道南端(※正確には白神岬です)の襟裳岬(えりもみき)より約30km手前の、広尾駅(広尾町)まで出ていた路線です。
広尾線は「幸福駅(こうふくえき)」「愛国駅(あいこくえき)」などユニークな名前の駅があったので、これらの駅を目指してかつて多くの観光客が訪れました。しかし残念ながら1987年に廃止となってしまいました。
さらに帯広から北には、士幌線(しほろせん)という路線も出ていました。
士幌線は、帯広市から北の士幌町(しほろちょう)や、陸別町(りくべつちょう)まで出ていました。
陸別町は、日本でありながらオーロラが見られる町として有名です。
帯広の北東にある足寄町(あしょろちょう)は、昭和を代表する歌手・松山千春さんや、論破王・ひろゆきさんのお父さんの出身地でもあります。
松山千春さんは「大空と大地の間で」「長い夜」などの曲が有名です。北海道出身であることにとても誇りをもっておられ、ツアーに出るときは常に新千歳空港から出発されるそうです。
ひろゆきさんのお父さんは足寄町の税務署員であったそうで、ひろゆきさん自身は東京都北区赤羽(あかばね)の出身です。自身の配信でも大都会・赤羽をゴリ押しされております。
帯広駅を出て、新得(しんとく)方面へ
帯広駅を出ると、柏林台駅(はくりんだいえき)を過ぎて、芽室駅(めむろえき、北海道河西郡芽室町)に着きます。
芽室町(めむろちょう)は、とうもろこしの名産地として知られます。
富良野方面との分かれ道・新得駅
芽室駅を出ると、十勝清水駅(とかちしみずえき)を過ぎ、やがて新得駅(しんとくえき、北海道上川郡新得町)に着きます。
新得駅(しんとくえき)からこの根室本線・富良野(ふらの)方面は、残念ながら2024年3月をもって廃止になってしまいました。
それは2016年8月の台風によって線路が寸断されてしまい、長らくの間運休(代行バスあり)の状態だったのですが、復旧の目処がたたなくなってしまい、そのまま廃止・廃線へと追い込まれてしまったのでした。
なので新得駅は、今や富良野方面へは鉄道で行けないため、ここから先へ進む石勝線(せきしょうせん)との繋ぎの駅というような役割になっています。また、後述の滝川駅と同じく根室本線の起点という扱いにもなっています。
富良野(ふらの)からは、さらに富良野線(ふらのせん)に乗り換えて旭川(あさひかわ)に至ります。
途中、美馬牛(びばうし)という駅につきます。
美馬牛駅からは徒歩で約30分、四季彩の丘(しきさきのおか)というものがあり、とても綺麗です。
また、富良野から北へは根室本線がそのまま続き、やがて根室本線のトータルの起点・滝川駅(たきかわえき、北海道札幌市)に至ります。
途中、かつて赤平炭鉱(あかびらたんこう)で栄えていた赤平市(あかびらし)を通ります。
新得駅から新夕張方面へ 「特例」で特急列車に乗れる区間
新得駅からは、石勝線(せきしょうせん)でトマム・占冠(しむかっぷ)・新夕張(しんゆうばり)・追分(おいわけ)・南千歳(みなみちとせ)方面へと向かいます。
なお新得~新夕張の区間は、7日間を11,300円で乗り放題となる「北海道&東日本パス」を利用している場合、なんと「特例」で特急列車に乗ることができます。これはあくまでこの区間のみの特例措置になります(他にも、奥羽本線・新青森駅~青森駅など特例措置で乗れる区間がありますので、旅行前に是非とも調べられることをオススメします)。
というのも、この区間は普通列車が無い(オール特急列車である)ため、ある意味での救済措置というわけですね。
この区間を通行する列車は、ほとんどは貨物列車か、札幌~釧路間を遠距離輸送する役割を担う特急列車がメインであり、短距離輸送がメインの普通列車の出番は存在しないというわけですね。北海道の背骨ともいうべき険しい日高山脈を貫く区間のため、民家や利用者もほとんどなく、普通列車を設定する理由もないからということでしょう。
なお余談ですが、「青春18きっぷ」を利用しているときも、九州・日豊本線(にっぽうほんせん)の延岡(のべおか)~佐伯(さいき)の区間(いわゆる「宗太郎越え(そうたろうごえ)」とよばれる難関区間)に限り、もし同じように特例で特急列車に乗れるという救済措置があれば、青春18きっぷユーザーの難易度も一気に下がるでしょう。
しかし「宗太郎越え」の区間にはこのような特例・救済措置は存在しないため、多くの青春18きっぷユーザーはこの区間だけ「特急料金」を別途支払って移動するか、根性で1日1本(佐伯方面は2本)しかない普通列車を待って移動することになります。
まぁ、余談でした。
リゾート地・トマム
やがて、トマム駅(北海道勇払郡占冠村)に到着します。
勇払郡は「ゆうふつぐん」
占冠村は「しむかっぷむら」
と読みます。
トマムとは、アイヌ語で湿地(tomam)という意味です。
トマムは、いわゆる「リゾート地」として有名です。つまり「スキー場」や「リゾートホテル」などからなる、レジャー・休暇を楽しむための場所ということです。
日本が今と違ってとても裕福だった昭和の後半(高度経済成長期~バブル期)には、冬の長期休暇や土日休みなどにおいて、男女でスキーなどの高級でおしゃれなレジャーを楽しみ、その日の夜はリゾートホテルやペンション等に泊まって、星空と「雪の幻想的な世界」を眺めながら、優雅なお休みを満喫する、ということが普通に行われてきました。
現代の日本では、そういった豪華なレジャーを楽しむことができるのは一部の裕福層くらいなので、羨ましいと思う人も多いかもしれません。
それだけ高度経済成長期~バブル期にかけては、多くの日本人、若者であってもお金を持っていたわけです。
約35~45年前の当時は若者(つまり現在の50代~70代の年齢層の方々です)が多かった上に、スキー場にいけば「出会いがある」とされていたことから、多くの若い男女がスキー場を目指してレジャーの旅に出かけていました。
特にバブル期ではスキーが大流行であり、「私をスキーに連れてって」という映画まで流行したほどでした。
当時はアルバイトでも多ければ月40万、社員の初任給でも多ければ月100万円はもらえたそうですから(しかも社員旅行・住宅補助費などの手厚い福利厚生つき)、今では考えられないくらい待遇が良く、若者ですらもお金を持っていたのです。
なのでみんな休み(バケーション)になれば「スキー場」「リゾートホテル」なのという、オシャレで豪華な趣味と週末を楽しむことができたわけですね。
そうして若者たちの間でスキーが大ブームとなると、全国の各地に「スキー場」や「リゾートホテル」などが次々に建設されていくことになります。
つまりお金持ち(資本家)たちが私財・お金をかけて投資してゆき、次々にスキー場やリゾートホテル、ペンションなどを建設してゆくわけです。
そうして人々に楽しんでもらい、多くのお金を落としてもらい、さらに資本家たちはお金持ちになる、といった効果が期待され、実際にそうなっていったわけです。
しかし昭和が終わり「バブル崩壊」とともに、こうしたスキー場・リゾートホテル等にはお客様が徐々に来なくなり、衰退の一途(いっと)をたどることとなりました。
世の中が不景気になると、旅行やレジャーなどの娯楽費は真っ先に削られることになるので、人々がスキー場に来られなくなるのは仕方ないのです。そもそもスキー場に行くまでの多大な交通費や、ホテル代、そしてスキーの用具を買うための費用なども軽視できないですからね。
ちなみに余談ですが、新潟県・越後湯沢(えちごゆざわ)のスキー場にあるリゾートホテルは、バブル崩壊に伴って価値が大暴落したことから、なんと「10万円」で売られていたりします。
「家賃」が10万円なのではなく、(本来は何千万円もするはずの)マンションの部屋が「わずか10万円」で売られているということになります。
それはバブル期に勢い余って建てすぎたため、今やほとんど誰も買い手がつかなくなったことで、このような非常に安い値段で売られているわけですね。
ただし「えっ、10万円で買えるの?ラッキー!」と単純に喜ぶわけにもいかず、固定資産税(こていしさんぜい)や管理費などの経費が他にたくさんかかることも考えられるため、そこは充分注意しなければなりません。
険しい日高山脈を越える
日高山脈(ひだかさんみゃく)は、北海道の「背骨(せぼね)」ともいうべき、北海道を南北に貫くとても険しい人脈峠になります。
そしてこのような巨大な山脈を貫くわけですから、鉄道にとっても一苦労の難所になります。
そのためヘアピンカーブ(Uの字やかつ)や、長大トンネルの連続する区間になります。
特急列車で走っていても、かなりの難関・難所になります。
やがて占冠駅(しむかっぷえき)を過ぎてゆきます。
占冠(しむかっぷ)は、かなりユニークな地名だと思います。もちろんアイヌ語由来です。「シモカプ(shimokap)」で「とても綺麗な上流の場所」という意味だそうです。占冠村(しむかっぷむら)には、末は日高半島(ひだかはんとう)の南西にある「むかわ町」に流れる鵡川(むかわ)が流れているわけですが、まさしく鵡川の「上流にある美しい場所(シモカプ)」だというわけです。
不思議な泣く木
占冠駅(しむかっぷえき)の少し手前には、なんと「不思議な泣く木」という木があります。
なんとその「不思議な泣く木」は、なんと伐採しようとすると「うえーん」と泣くという木だそうです。まさに心霊現象というべきであり、不思議なことですね。この木を道路建設のために伐採しようとしても泣き出すため、なかなか道路建設が思うようにいかなかった、というエピソードがあります。
なぜこの木が泣くのか?というと、昔のアイヌ民族の女の子の魂が宿っているからだそうです。アイヌ民族はまだ日本人が蝦夷地に進出してくるずっと昔から存在していたわけですが、その頃にはアイヌ同士の紛争がありました。つまり、敵のアイヌ民族との恋愛はできないのです。しかし、その若い男女は許されない恋に落ちてしまい、彼氏は敵に捕まってしまいました。しかし彼はなんとか命からがら脱走して、この場所で待つ彼女のところへと向かったのですが、彼女は既にこの木の下で力尽き倒れてしまっていたそうです。
その彼女の無念の魂が、この木に宿っていて、「不思議な泣く木」となったということですね。
「石勝線脱線火災事故」の起きた、清風山信号場
占冠駅(しむかっぷえき)を過ぎると、2011年5月27日に起きた石勝線脱線火災事故(せきしょうせんだっせんかさいじこ)の起きた清風山信号場(せいふうざんしんごうじょ)を過ぎます。
信号場とは、列車の行き違いを行うためのスペースのことです。線路が1本の「単線」の場合、対向の列車とぶつからない(衝突しない)ためにも列車を退避させるスペースが必要になります。それが信号場というわけです。
この清風山信号場(せいふうざんしんごうじょ)において、なんとも痛ましい脱線・火災事故が、あの東日本大震災とほぼ同時期に起きたのでした。
では、なぜこの事件が起きたのか。
以下、できるだけ簡単にまとめてみました。
・2011年5月27日の夜、釧路発・札幌行きの、「特急おおぞら」が夜21時頃、石勝線のこの区間を走行中だった
・その「特急おおぞら」は、出張帰りのサラリーマン等でほぼ満席だった
・清風山信号場にかかったとき、突き上げるような衝撃音がした
・JR北海道の車両整備体制が杜撰(ずさん)だったため、列車の各部品が走りながらポロポロと線路に落ちてしまった
・落ちた部品によって燃料タンクが損傷し、さらにそこから燃料がこぼれ落ちて引火した
・引火した炎で、すべての車両が丸焦げになってしまった
・危険を感じた乗客は速やかに退避し、暗い夜道を携帯電話の明かりなどを便りに無事避難した
・負傷者こそ多く出たものの、幸いにも死亡者は皆無(0人)だった
・その後、JR北海道はその「杜撰な車両点検や保守体制」などについて、世間から猛バッシングを受けた
・国からもJR北海道に対して「業務改善命令」が出されるほどの事態となり、国から厳しい監視の目に置かれるようになった
・これに責任を感じたJR北海道の中島社長が、その年11月に「遺書」を残して突然消息を絶ち、小樽市の沖合いの海で遺体となって発見された
・2年後の2013年にも、函館本線・大沼駅(おおぬまえき)で貨物列車の脱線事故が起きた
・その原因は、線路の点検結果を「改ざん」して報告しており、整備されていない「ズタボロ」の線路の上を走ってることにあった
といつた具合でしょうか。
あと脱線の理由については、車両から垂れ下がった部品が、列車がポイント(線路の分岐点)にさしかかった時に引っ掛かってしまい、車両が乗り上げたことから脱線に繋がったものと思われます。
亡くなった中島社長の思いは、ただ「二度と痛ましい事故が起きないこと」「JR北海道がより良い会社になること」であり、あれから「国の監視」「国民の厳しい目線」のもとで様々な改善策が重ねされていった結果、現代の我々の安全・安心はこうした過去の過ちと反省からきているのだなぁ、と痛感させられます。
夕張方面への入り口・新夕張駅
険しい日高山脈の長大トンネルをいくつも潜り抜けると、やがて新夕張駅(しんうばりえき、北海道夕張市紅葉山)に着きます。
ここまで険しい山岳地帯と、とても長いトンネルをいくつも超えてきたので、新夕張駅に着いたときはすごくホッとした気分になります(^^;
新夕張駅(しんゆうばりえき)は、夕張方面への分かれ道となります。
夕張市と夕張炭鉱の歴史については、以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 北海道編 北の巻第16番 夕張炭鉱の繁栄と、その衰退
新夕張駅を出ると追分(おいわけ)方面へ進み、千歳(ちとせ)も近くなるわけですが、現在では残念ながら滝ノ上駅(たきのうええき)が廃止になってしまいました。
鉄道唱歌 北海道編にも歌われている駅なので、残念ではあります。
蒸気機関車最後の地・追分駅
やがて室蘭本線(むほらんほんせん)との合流点である、追分駅(おいわけえき、北海道勇払郡安平町)に到着します。
追分駅(おいわけえき)は、日本の鉄道の歴史において、蒸気機関車が最後に走った駅ということになります。
蒸気機関車は今は観光路線以外の用途では使われておらず、旅客や荷物を運ぶといった「ガチの理由」として使われることはほば皆無となっていると思いますが、その「ガチの理由」で蒸気機関車が最後まで生き残ったのが、この北海道・追分駅ということになります。
追分(おいわけ)とは、昔の言葉で「分かれ道」という意味です。
全国各地に追分という地名や、駅名があります。
また、追分駅にはたくさんの鉄道関連の施設があり、明治時代の鉄道全盛期にはたくさんの鉄道関連の施設で働く人たちがいました。当時はたくさんの石炭を運ぶ必要があったので、貨物列車たちがたくさん集まる重要拠点でした。そして、蒸気機関車たちを保管・メンテなどをするための車庫である「追分機関区(きかんく)」もありました。
なのでそこで働く人たちが増えると、町の人口も増えます。そういった人たちを中心に町が発展してきた歴史があるので、「鉄道の町」とも呼ばれます。
追分駅と室蘭本線については、以下の記事でも解説しておりますのでご覧ください。
鉄道唱歌 北海道編 北の巻第14番 再び室蘭本線に戻り、夕張行きの乗換場へ
南千歳・千歳に到着
追分駅を出ると線路は南へ大きくUの字を描き、北西へ進みます。やがて新千歳空港方面への分岐駅である南千歳駅(みなみちとせえき)を経て、やがて千歳駅(ちとせえき、北海道千歳市)に着きます。
千歳市については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。
千歳駅に着くと、もはや札幌都市圏にも充分入ってくるため、なんだかすごい「ホッとする安心感」があります。
それまでずっと北海道の広大な原野や湿原、そして山岳地帯を進んできたわけですからね。
今回はここまでです!次回は最終回で、札幌でゴールとなる予定です。お疲れ様でした!
【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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