五能線の旅(五所川原~東能代)についてと、鯵ヶ沢・深浦・白神山地など五能線の沿線の地理などをわかりやすく解説してゆきます!
今回からは、五能線の旅と沿線についての解説
前回で、五能線の歴史についてわかりやすく解説してきました!
今回からは、実際の五能線の旅とその沿線のみどころ等ついて、トリビアなどを交えながら楽しく解説してゆきます!
五能線の旅:まずは海側へ向かってどんどん進む
まずは五所川原駅(青森県五所川原市)を出ると、
- 木造駅(青森県つがる市)
に到着します。
そして海側へ向かって進みます。
五能線の旅:海側の主な駅一覧!!(青森県)
海側へと出てくると、
- 鰺ヶ沢
- 千畳敷
- 轟木
- 広戸
- 深浦
- ウェスパ椿山
- 十二湖
- 白神岳登山口
- 大間越
- 岩館
などの各駅を過ぎます。
上記のうち、鰺ヶ沢駅は
- 鰺ヶ沢町(西津軽郡)
の駅であり、 千畳敷駅~大間越駅までは
- 深浦町(西津軽郡)
の駅です。
さらに、岩館駅は、秋田県の駅になります。
五能線の旅:白神山地を横に、秋田県に入る
そして世界遺産・白神山地の西を通りながら、秋田県に入ります。
やがて、五能線の終着駅(正確には起点)である
- 東能代駅(秋田県能代市)
に至ります。
五能線の旅における強い味方・快速リゾートしらかみ号
やはり五能線の定番列車といえば、先述の「快速リゾートしらかみ号」です。
「しらかみ」とは、上記の白神山地に由来します。
快速「リゾートしらかみ号」では、できれば海側のみえる「A席」を取りましょう。
いわゆる快速列車であり、特急列車ではないため、840円の座席指定券を購入すれば
- 「青春18きっぷ」
- 「北海道&東日本パス」
でも乗れます。
五能線の旅:つがる市・木造駅
土偶と亀ケ岡遺跡
海側に出てくる前に、もう一つのポイントを紹介します。
五所川原駅から1駅西へ進むと、木造駅(青森県つがる市)に到着します。
木造駅は、つがる市の駅です。
駅舎では、なんと巨大な土偶が出迎えます。
なんともユニークな駅です。
この巨大な土偶は、つがる市にある亀ケ岡遺跡という、縄文時代の遺跡があることに由来します。
津軽藩が工事していたときに掘って出てきた縄文土器
亀ケ岡遺跡は、江戸時代に津軽藩(正式名称は弘前藩)が、ここに新しいお城を建設しようとして工事をしていたとき、掘った土の中から縄文土器がどんどん出てきたので、有名になりました。
そうした遺跡から出土したものから、縄文時代に人々が既にここに住んでいたこと、またどんな暮らしをしていたが判明するのです。
工事・畑を掘っていたときなどによく出土する縄文土器
縄文土器など大昔の土器は、例えば
- 「工事などで穴を掘っていたとき」
- 「畑を耕していたとき」
などによく出土します。
また、ちょっと縁起が悪いですが、まれに「人骨」が出土することもあり、その場所がかつての戦場だったり、処刑が行われていた場所だとわかることもあります。
また、工事中に穴を掘っていると「温泉」が吹き出すこともあり、そこから温泉街が形成されていくケースもあるのです。
ちなみに津軽藩はお城を建てようと思っていて工事をしていたわけですが、江戸時代の一国一城令によって、それは頓挫することになりました。
というのも、江戸時代には各地の大名たちが軍事的反乱を起こさないようにするために、無駄に(無断で)城を造る・改修するようなことは禁止していたのです。
女性がとても多い、土偶のモデル
そして土偶のモデルには、女性がとても多いです。
縄文時代は出産と同時に女性(母親)も亡くなることが多かったため、安産祈願などの意味をこめて、女性の土偶がたくさん造られたのでした。
中には「妊婦さん」をモデルにした土偶もあり、当時は出産・安産に対してなんとか神様の力を頼りたかった、という縄文時代の人々の願いがこもっていることがよくわかります。
縄文時代の日本にはまだ「仏教」が無く、飢餓や疫病など厳しい縄文時代を生きた人々はとにかく「神様の力」を頼るしかありませんでした。
なので土偶には、恐らくですがそうした「願いをこめるため」に造られた意味もあるものと考えられています(諸説あり)。
もちろん、今でいうフィギュアのような感じで、芸術的な意味で(もしくは趣味で)美人さんの土偶を作っていた人もいたのかもしれません(^^; いつの時代も若くて綺麗な女性が世の中の男性を魅了することは、1万年間(全世界?)共通のようです(^^;
五能線の旅:ついに日本海側へ
鰺ヶ沢駅(鯵ヶ沢町)に到着
ここからは本格的に日本海側に出てきます。
やがて、
- 鰺ヶ沢駅(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町)
に着きます。

鰺ヶ沢駅(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町)
鰺ヶ沢の名物「わさお」「ヒラメのヅケ丼」
鰺ヶ沢駅の名物には、白い犬「わさお」さんと「ヒラメのヅケ丼」があります。
わさおさんは、元々は迷い犬として飼われていました。
「ブサかわいい」ことから人々に親しまれましたが、残念ながら2020年に老衰のため、他界してしまいました。
今でも一定数のファンは存在するもようです。
江戸時代までは主要な港町だった鰺ヶ沢
鰺ヶ沢は、江戸時代までは主要な港町でした。
というのも、鰺ヶ沢は青森県の中では、
- 北海道
- 秋田県・酒田のような港町
- 大坂のような主要都市
にも近かったからです。
江戸時代は、たくさんの年貢米を舟に載せて、天下の台所・大坂まで運ぶ必要がありました。
日本海に面した港は、とりわけ江戸時代まではとても便利な立地で重要だったのですね。
鯵ヶ沢に集められた米は、舟で日本各地に運ばれた
津軽地方で徴収された年貢米(今でいう「税金」)は、みんな鰺ヶ沢の港に集められてこられ、
- ここで米俵は舟に載せられ、
- 日本海を経由して、
- 酒田、
- 富山の伏木、
- 下関(山口県)、
- 大坂へと運ばれていった
というわけです。
これは「西回り航路」といって、江戸時代の豪商・河村瑞賢という大金持ちが私財を投じて開拓した海上ルートになります。
昔は貨物列車・高速トラック・航空輸送は存在しなかったため、「舟」で大量の荷物を運ぶのが一番効率的なやり方だったわけですね。
西回り航路は「北前船」ともいいます。
明治時代以降は、青森港にその地位を譲る
しかし明治時代になって「弘前藩(津軽藩)」を改め「青森県」が発足すると、青森県のメインの港は「青森港」に変更されたのでした。
そのため、鰺ヶ沢の港と津軽半島の北にある十三湊は衰退することとなってしまいました。
明治時代は「北海道開拓」のために東京~北海道間の鉄道・交通ルートが、とても重要視されました。
そのため、
- 青森港~函館港の航路(津軽海峡・青函連絡船)の方がどうしても重要になった
- その結果、青森港の発展の方が優先された
ということも関係してくるでしょう。
五能線の旅:千畳敷
やがて、千畳敷駅(青森県西津軽郡深浦町)に着きます。

千畳敷駅(青森県西津軽郡深浦町)

千畳敷駅(青森県西津軽郡深浦町)
※写真は、あまり天気の良くない時に撮ったため、ちょっと殺風景な感じになってしまっています。
しかし本当はもっと綺麗な景色なので、勘違いしないでくださいね。
千畳敷は、津軽藩のお殿様が、ここの海岸に畳を敷いて、お祭り(ドンチャン騒ぎ)をしたことに由来しています。
快速「リゾートしらかみ」はこの駅で少しの時間停車するため、途中で降りたりして、千畳敷の散歩が可能です。
千の畳を敷き詰めて、飲み会を開いた海岸
この千畳敷は美しい海岸のため、津軽のお殿様に大変気に入られ、海岸に千もの畳を敷き詰めて、飲み会を開いたことに由来しているわけですね。
つまり、この天然の畳の上で「飲めや歌えや踊れや」といいながら、盛り上がっていたというわけですね。
なお、江戸時代に津軽藩が津軽地方を統治していた時代は、なんでも千畳敷は「殿様専用」の避暑地であったらしく、庶民は近づけなかったといいます。
つまり飛行機のファーストクラス、ホテルのスイートルームのような扱いですね。
その他の地域の千畳敷
なお千畳敷は、和歌山県・白浜町にもあります。
そして長野県のアルプスにも、千畳敷カールと呼ばれる地形があります。
そして千畳敷の由来については、地域によって「畳を千ほど敷き詰められるほどの広さだから」など、さまざまな説・差があります。

千畳敷駅からの、海の景色(青森県・深浦町)
深浦町の海岸沿いをさらに南下
五能線の旅:海の見える駅・驫木駅
轟木駅(青森県西津軽郡深浦町)は、「難読駅名」+「海の見える駅」として、鉄道ファンの間ではとてもよく知られる有名駅です。
私(筆者)が知っている駅で、他にも「海が見える駅」といえば
- 北海道・釧網本線・北浜駅
- 北海道・室蘭本線・北金岡駅
- 新潟県・信越本線・青海川駅
- 神奈川県・鶴見線・海芝浦駅
- 神奈川県・東海道線・根府川駅
- 兵庫県・山陰本線・鎧駅
などですかね。
他にもたぶんたくさんあると思います。
私もいずれ行ってみたいと思います。
五能線の旅:広戸駅
広戸駅(青森県西津軽郡深浦町)の近くには、かつて先述の西回り航路(北前船/きたまえふね)がよく行き交っていた、
- 行合崎海岸
という岬があります。
かつて舟を待ち合わせていた、行合崎海岸
行合崎は、いわゆる「風待ちの海岸」となります。
ここで江戸時代の船たちは、自分達の舟が前に進むために必要な「風」を待っていたのでした。
というのも、江戸時代の船は「帆船」が主流でした。
そのため、帆に 「よい風(=順風)」 が当たらなければ、船は速度を出すことができません。
お、帆によい風が当たることを「順風」といいます。
対義語は「逆風」です。
「順風」が来るのを待つために、船たちが風を待っていた行合崎
すなわち、この「順風」が来るのを待つために、船たちはこの行合崎において、風を待っていたのです。
なので「風待ちの岬」と呼ばれるわけです。
そして、そんな待ち合いをする船達がここでたくさん行き交っていたため、
- 「行合崎」
と呼ばれるわけです。
ちなみに「順風満帆」とはどういう意味?
ここで余談ですが、順風が船の帆にうまくあたり続けて、帆いっぱいに当たる(=満帆/まんぱん)と、当然ながら船は順調に進んでゆきます。
このことから、「物事がうまく順調に進むこと」を意味する、
- 「順風満帆」
という四文字熟語の由来になっています。
ちなみに明治時代になってからは、石炭を燃やして水を沸かしたエネルギーで動く「蒸気船」が主流となってゆきました。
さらに時代が進むと、「ディーゼル船」が主流になってゆきました。
五能線の旅:深浦町の各駅をさらに過ぎ行く
- 広戸駅
- 深浦駅
- ウェスパ椿山駅
- 陸奥岩崎駅
- 十二湖駅
- 白神岳登山口駅
※いずれも、青森県西津軽郡深浦町の駅です。
五能線の旅:かつて関所のあった、大間越
こうした駅をひたすら過ぎて南下してゆくと、だんだんと秋田県との県境に近づいてゆきます。
そして、
- 大間越駅(青森県西津軽郡深浦町)
に着きます。
そもそも「関所」とは?
大間越とは、かつて関所のあった場所です。
関所とは、不審者が入ってこないように取り締まっていた場所のことです。
特に、江戸時代は
- 自分達の領地に「鉄砲」が入ってこないこと
- 参勤交代で、江戸に人質に取られた(大名の)嫁が逃げてくること
を、厳しく取り締まっていたのでした。
これを「入り鉄砲に出女」といいます。
津軽三大関所の1つ・大間越関所
大間越関所は、いわゆる津軽三大関所の1つとされていました。
ちなみに、
- もう一つは、奥羽本線で秋田県との県境にある、碇ヶ関
- あと一つは、青い森鉄道で通る、青森市の野内
にありました。
参勤交代では、大名のお嫁さんは人質として江戸に捕らえられているため、これによって大名が江戸幕府に逆らえないような仕組みが出来上がっていました。
すなわち、もし嫁が江戸から脱走して領国(地元)へ帰ろうとしたときに、関所を通れば一発でバレるというわけです。
碇ヶ関は、太宰治の小説「津軽」にも出てきます。
そしてこうした「関所」は、現代でも「県境」となっている場所に多いイメージです。
世界遺産・白神山地
白神山地は、青森県~秋田県の日本海側にかけてまたがる山地です。
そして列車は、この白神山地の西側の海岸線を通ることになります。
白神山地は、鹿児島県の屋久島とならんで、1993年に日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録されました。
白神山地は、原生林のブナの木々が生えています。
原生林とは、いまだかつて人類の手がついていない、いわゆる「手付かずの林」ということですね。
つまり地球が誕生したときから、そのままの形で残っている林、ということになります。
白神山地が世界遺産に登録された理由
また、白神山地が世界遺産に登録された理由は、
です。
つまり、
- ブナの木々が、地球が誕生したまま(原生)の状態で保存されており、
- しかも世界で最も大きい範囲で存在しているから
といった理由により、世界遺産としての価値が認められる、というわけです。
まぁ、原生の林そのものであれば、確かにどこにでもあるかもしれません。
しかし白神山地レベルでの大きさ・美しさとなると、世界でもそうそうないために、価値が高いということですね。
白神山地はいうまでもなく、快速「リゾートしらかみ号」の名前の由来ともなっている山地です。
江戸時代の旅行家・菅江真澄
かつて江戸時代、秋田県・青森県(出羽・陸奥)のこの地域を旅した人に、
- 菅江真澄
という人物がいました。
今でいうと、旅行系YouTuberの大先輩です。
彼は江戸時代後半の人物なので、江戸時代前半に活躍した松尾芭蕉などの後輩にあたる旅人でもあります。
出身は愛知県(岡崎市か、豊橋市のどちらかと言われています)ですが、29歳のときに故郷を旅立ち、長野県・新潟県を経て、山形県・青森県・北海道を旅して回ったのでした。
すなわち、そのときの旅行の記録・日記が、たくさん残っているわけです。
これは松尾芭蕉でいうところの「おくのほそ道」ということですね。
秋田県の伝説のハンター「マタギ」
秋田県には、マタギ(又鬼)と呼ばれる伝説のハンターがいました。
マタギは、主に日本の東北地方・北海道などの山で、伝統的な(まさしく「ハンター」的な)方法・やり方で狩猟を行っていた人たちのことをいいます。
マタギが捕る獲物は主にクマなどであり、他にはニホンザル、ウサギなどを狩りの対象としていたようです。
また、クマは北海道の山奥にもたくさんいますから、アイヌ民族も狩りの対象にしていました。
現代ではマタギの数は減少
しかし現代では、昔ながらのマタギは減少してしまっているようです。
やはり山間部の人口減少や、若者の都会・都市部への就職・進学に伴う流出も関係してくるでしょう。
マタギが狩りをする時に食べていた料理が、秋田県の名物・きりたんぽの起源になったともされています。
こちらは、次回も扱います。
五能線の旅の終わり:東能代駅に到着
やがて、五能線の旅の終点である、東能代駅に到着します。

東能代駅(秋田県能代市)
次回は、東能代駅からさらに秋田方面へ向かってゆくことになります。
今回はここまでです!
お疲れ様でした!
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