大糸線の観光・地理・歴史について、わかりやすく解説しています!鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説しています!
大糸線で、白馬・信濃大町・松本方面へ
前回で、新潟駅から糸魚川駅(いといがわえき、新潟県糸魚川市)に到着しました。
今回で、青森からスタートした東北・日本海側の旅はラストにしようかなと思っています。
ここまでついてきてくださった皆様、とても感謝です!
糸魚川からは、大糸線(おおいとせん)で
- 南小谷(みなみおたり)
- 白馬(はくば)
- 信濃大町(しなのおおまち)、
そして長野県・松本方面へ向かいます。松本に着いたら、篠ノ井線・中央線などで東京へと帰還します。

大糸線の景色
糸魚川から、大町・松本方面まで続く「大糸線」
大糸線(おおいとせん)は、糸魚川を姫川(ひめかわ)に沿ってずっと南下してゆき、
- 南小谷駅(みなみおたりえき、長野県北安曇郡小谷村)
- 白馬駅(はくばえき、長野県北安曇郡白馬村)
- 信濃大町(しなのおおまちえき、長野県大町市)
- 豊科駅(とよしなえき、長野県安曇野市)
- 松本駅(まつともえき、長野県松本市)
へと至る路線です。
大町市(おおまちし)と糸魚川市(いといがわし)を結ぶので、大糸線(おおいとせん)と呼ばれるわけです。
なお、始点は松本駅、終点は糸魚川駅となっています。
姫川に沿って進む大糸線
大糸線は、糸魚川の名物「ヒスイ」で出来た宝物を身につけている女神であり、また出雲大社でおなじみの神様・大国主命(おおくにぬし)のお嫁さんである、ヌナカワヒメにゆかりある姫川(ひめかわ)の横を通ります。

姫川(大糸線の車窓より)
姫川に由来するとされる、糸魚川の地名
糸魚川(いといがわ)という地名の由来は、この「姫川(ひめかわ)」にあります(諸説あり)。
姫川は昔はさんざん荒れて氾濫してきて、周辺地域を困らせてきたため、厭う(いとう:嫌われる)ような川でした。
なので
となっています。
似たようなネーミングの川に、東京の荒川(あらかわ)があります。
こちらも昔から散々荒れて氾濫し、人々を困らせてきた歴史があります。
そのため、
となっています。
飛騨山脈の東側を走る、大糸線
大糸線は、飛騨山脈(ひださんみゃく)の東側を通る路線でもあります。
また、前回紹介した糸魚川静岡構造線(いといがわしずおかこうぞうせわ)や、フォッサマグナの西端を通ります。
糸魚川静岡構造線やフォッサマグナについては、前回の記事でも解説していますので、ご覧ください。

白馬岳など、スキー場の横を通る 大糸線
大糸線は、途中で白馬村(はくばむら)といった、スキー場も多い場所を通ります。
また、大糸線は、白馬岳(しろうまだけ:「はくばだけ」とは読みません)などへの、登山者たちにとっての玄関口にもなっています。
仁科三湖
途中で仁科三湖(にしなさんこ)と呼ばれる、
- 青木湖(あおきこ)
- 中綱湖(なかつなこ)
- 木崎湖(きざきこ)
などを通ります。
余暇やリフレッシュを楽しむためのリゾート地としても人気がある場所です。

青木湖(大糸線の車窓より)

木崎湖(大糸線の車窓より)

大糸線の景色
立山アルペンルートの近くを通る、大糸線
また、大糸線では立山黒部(たてやまくろべ)アルペンルートの東の玄関口である、大町市(おおまちし)を通ります。
大糸線は、松本市の周辺地域においては、安曇野市(あずみのし)など松本市へ近い街に住む人たちにとっての、通勤・通学のための路線としても機能しています。
JR西日本から孤立した、大糸線における区間
大糸線(おおいとせん)は大半がJR東日本の管轄の区間ですが、北側の糸魚川駅~南小谷駅(みなみおたりえき)の区間は、JR西日本の管轄となっています。

大糸線の途中にある、JR西日本とJR東日本の境界駅・南小谷駅(長野県北安曇郡小谷村)
北端の糸魚川駅は、前回解説したえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインとの接続駅となっています。
また、南側(南小谷駅より南の区間)はJR東日本の区間との接続になっています。
したがって、他のJR西日本の路線との接続はなく、大糸線は、JR西日本からの孤立した路線が存在することとなってしまっています。
つまり、他のJR西日本の路線からは取り残されてしまった区間、というイメージです。
北陸新幹線の開業により、第3セクターでの運営が増えたこと
この理由は、2015年に北陸新幹線が金沢延伸(長野駅~金沢駅間で開業)したことにあります。
このことにより、
- 北陸本線の金沢駅~糸魚川駅~直江津駅(なおえつえき、新潟県上越市)
の区間が、前回も解説した通り
- えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン
として、つまり第三セクターの経営として改められたためです。
ではなぜえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインに変わったのかについては、前回の記事でわかりやすく解説していますので、ご覧ください。
「北海道&東日本パス」で旅行しているときには注意
この時に注意したいのが、「北海道&東日本パス」で旅行しているときです。
例えば、松本から大糸線で(北の)糸魚川まで向かうときに、南小谷駅からは別途きっぷを購入しなければなりません。
なぜなら、ここ(南小谷~糸魚川)はJR西日本の区間であり、JR北海道とJR東日本の区間のみでの乗車可能となる「北海道&東日本パス」では乗れない区間になるからです。
ここは充分に念頭に入れておくとよいでしょう。
かつて昔、内陸まで「貴重な塩」を運んだ「塩の道」
大糸線(おおいとせん)は、かつて昔の人々が内陸部にまで塩を運んだ、千国街道(ちくにかいどう)に沿っています。
これは昔の人が、徒歩または馬で、何日も何日もかけてはるばると越えていた道です。
この千国街道(ちくにかいどう)は、かつては「塩の道」と呼ばれてきたのでした。
海のない(長野県などの)内陸部には塩がないため、日本海側から、塩のない内陸部のために、貴重な塩を運んでやってきていたわけです。
これはかつてユーラシア大陸で、昔の人々が絹(きぬ:シルク)を運んだ、シルクロードと似ていますね。
「塩尻」の由来にも
「塩の道」に沿って塩をずっと売っていくと、内陸部に到達したあたりで塩の在庫が途切れてしまっていたのでした。
そのため、その塩が途切れてしまった場所のことを、昔の人は塩尻(しおじり) と呼んだのでした。
これが長野県塩尻市(しおじりし)の由来になっています。
また、長野県上田市(うえだし)にも塩尻という地名が残っています。
大糸線の歴史 かつては「信濃鉄道」という民間会社が立ち上げた
松本駅~信濃大町駅までの区間は、かつて明治時代に信濃鉄道(しなのてつどう)という民間の鉄道会社により、線路を敷いてゆき開業したのでした。
ただし信濃鉄道は、現在の第三セクター線である「しなの鉄道」とは無関係です。
かつて松本から糸魚川にまで、鉄道を延ばしてやろうという気運が高まった
これは、中央線と篠ノ井線(しののいせん)の開通が大きいです。
明治時代になって日本でも鉄道がひらかれて、中央線と篠ノ井線が開通してからは、東京から長野へのアクセスが飛躍的に向上しました。
こうなると、
という国の雰囲気(機運)がどんどんあがってゆくことになります。
こうして北の糸魚川まで線路が延ばされたのが、大糸線のはじまりになります。
このようにして、松本駅~糸魚川駅の区間が全通して現在の「大糸線」となったのは、1957年のことになります。
大糸線と並行して流れる「姫川」
大糸線(おおいとせん)は、特に北側は姫川(ひめかわ)に沿って走る路線です。
大国主命との結婚エピソード
姫川については、日本の古~い歴史書である古事記(こじき)や出雲国風土記(いずものくふどき)といった史料には、以下のように記されています。
- かつて、高志国(こしのくに:越国のこと。現在の北陸地方)を治めていた強い者たちの集団・豪族の娘である、奴奈川姫(ヌナカワヒメ)に対して、
- 島根県・出雲大社(いずもたいしゃ)の神様である大国主命(おおくにぬし)こと八千矛神(やちほこのかみ)が、
- このヌナカワヒメに対して一目惚れして、
- 出雲・島根県からはるばるとやってきて、求婚しに来た
という神話エピソードが残されているのです。
「こしのくに」とは
越国(こしのくに)とは、大昔の新潟県・富山県・福井県にあたる地域のことです。
これらは後に3つに分割されて、京都に近い順に
- 「越前国(えちぜんのくに:福井県)」
- 「越中国(えっちゅうのくに:富山県)」
- 「越後国(えちごのくに:新潟県)」
に分けられています。
しかし、同じ北陸地方の石川県は「加賀国(かがのくに)」であり、なぜか「越」ではありません。
昔は、例えば
「筑紫国(つくしのくに:福岡県)→
- 「筑前国(ちくぜんのくに)」
- 「筑後国(ちくごのくに)」
「吉備国(きびのくに)」→
- 「備前国(びぜんのくに:岡山市あたり)」
- 「備中国(びっちゅうのくに:倉敷市あたり)」
- 「備後国(びんごのくに:広島県福山市あたり)」
などのように、勢力を削ぐために国を分割する、ということがよくありました。
八千矛(やちほこ)は、大国主命(おおくにぬし)のことです。
以下の記事をご覧ください。
山陰鉄道唱歌 第32番 出雲大社に参拝 大国主命を祀る尊き神社
ヌナカワヒメと姫川
この大国主命(オオクニヌシ)のお嫁さん・奴奈川姫(ヌナカワヒメ)こそが、まさしくこの「姫川(ひめかわ)」の名の由来とされています。
ヌナカワヒメは、糸魚川の名物「ヒスイ」のアクセサリーを身につけていた、という伝説があるそうなのです。
つまり姫川は、大国主命のお嫁さん・ヌナカワヒメにゆかりある川、ということですね。
大国主命と八上姫
ちなみに勘が鋭い人は「大国主命の本命はヤカミヒメでは?」と思った人もいるかもしれません。当時は一夫多妻制?だったのかもですね。
大国主命(オオクニヌシ)は、サメに襲われて泣いていた因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)を助けたというエピソードがよく知られています。
ヤカミヒメは、その大国主命の優しさの噂を聞きつけ、求婚・結婚したのです。
この大国主命の結婚のエピソードもあり、出雲大社は縁結びの神社とされているわけです。
また、大国主命とヌナカワヒメという、二人の神様との間に生まれた子が、まさしく上諏訪(かみすわの)神様・建御名方神(タケミナカタ)です。
タケミナカタは、諏訪大社(すわのたいしゃ)でまつられる軍神であり、男性の神様です。
タケミナカタについての詳細は、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。
中央線鉄道唱歌 第32番 軍神・タケミナカタの鎮座する、諏訪大社の上社
ちなみにタケミナカタは、「大国主命の国譲り(くにゆずり)」の戦いにおいて、大国主命側が天照大神(アマテラスオオカミ)に負けたとき、姫川を登っていって、諏訪(すわ)に入った、との伝承もあります。
かつて タケミナカタが通った、大糸線の道
つまり大糸線は、かつてタケミナカタという神様が通った道、ということでもあるわけですね。
そして先述の通り、大昔、塩のない内陸部に対して、人々が必死の思いで塩を運んでいたという道でもあるのです。
そう考えると、大糸線の旅はちょっと面白くなるというような気がしますね。
白馬村と、白馬連峰
大糸線の途中には、白馬村(はくばむら)があります。
白馬村(はくばむら)においては、白馬連峰(はくばれんぽう)の山の上から流れてくる複数の川である
- 「松川(まつかわ)」
- 「平川(ひらかわ)」
が平地(扇状地)を作り上げています。
川が運んだ土砂によって作られた、扇状地
扇状地(せんじょうち)とは、川が運んできた土や砂が、流れがゆるやかな下流部において積み重なることで、出来た地形・平野です。
川は下流部にいけばいくほど、流れがゆるやかにります。
そのため、ゆるやかになったタイミングで土や砂が積み重なりやすく、そこに扇形の平野を形成する、というわけです。
白馬村は、松川・平川といった町を流れる複数の川が運んできた土や砂によって、できた平地(扇状地)の上にある村だというわけです。
そして、白馬村が存在している平坦な盆地を、白馬盆地といいます。
山は急なほど、川の流れは速くなる
これは、川の周辺が白馬岳(しろうまだけ:標高2,932m)を始めとする、標高2,000 mを超える山々が連なる地域になります。
そのため、そんな非常に流れが急な場所を流れることが理由として挙げられます。
つまり、これらの川は険しい山々の傾斜に沿って流れるため、川の勢いやスピードが凄くなります。
川の流れが速いほど、より多くの砂を運ぶ
このように、川の流れが凄まじいほど、水が地面を削りやすくなり、そのときに多くの土や砂(土砂)が作られます。
その土や砂を川が大量に運ぶことで、流れがゆるやかになる下流部で土や砂が溜まりやすくなり、扇状地が作られやすいのです。
ちなみに白馬岳は「はくばだけ」ではありません。「しろうまだけ」と読みます。
連峰(れんぽう)とは、複数の山々が連なっていることを意味します。
白馬連峰(はくばれんぽう)には、長野県歌「信濃の国」でも歌われている、乗鞍岳(のりくらだけ)もあります。
信濃大町 「立山黒部アルペンルート」への入口
信濃大町駅(しなのおおまちえき、長野県大町市)は、飛騨山脈の一部・立山連峰(たてやまれんぽう)を越えてはるか富山県へと至る「立山黒部アルペンルート」へのスタート地点にもなっています。
立山黒部アルペンルート(たてやまくろべアルペンルート)は、
- 富山県・立山町の立山駅(たてやまえき)
- 長野県大町市(おおまちし)の扇沢駅(おおぎさわえき)
とを結ぶルートです。
1970年にこの名前がつけられ、1971年に全ての路線ルートが開通しました。
様々な乗り物を乗り継ぐ、立山黒部アルペンルート
そしてルート内の交通機関としては、以下のようなものがあります。
- 信濃大町駅(標高712m)~扇沢駅(標高1,433m):路線バス約25km
- 扇沢駅~黒部ダム(標高1,470m):黒部ダムを建設するために造られたトンネルを走る「電気バス」
- 黒部ダム~黒部湖(標高1,455m):日本で一番の高さを誇る「黒部ダム」の堤防の上の、徒歩での移動
- 黒部湖~黒部平(標高1,828m):全ての区間が地下を走るケーブルカー
- 黒部平~大観峰(だいかんぼう:標高2,316m):立山連峰(連なる山々)の景観を眺めることができる、「立山ロープウェイ」
※この後、立山(たてやま:標高3,015)の真下を、トロリーバスでくぐります。そこからさらに、富山県側に至るまで、まだまだ続きます!
などなど、様々な乗り物や移動手段を駆使して、また乗り継いで富山県~長野県の県境を越えます。
北アルプス(飛騨山脈)を越える、というのがもはや既に凄いですよね。
料金は、全てを乗り倒すと片道1万円ほどかかります。
また、このルートは4月~11月の期間のみなので、注意しましょう。必ずネット等で時期をご確認願います。
立山黒部アルペンルートの最高地点は、室堂(むろどう)という、人々にとっての山の上の登山拠点であり、標高2,450mになります。
地元民の足というよりは、むしろ観光ルートとしての役割が大きい
立山黒部アルペンルートは、先述のとおり、片道約1万円と高額になっています。
これは立山の自然保護の観点などから、このような設定となっています。
そのため、確かに長野県~富山県をまっすぐに結ぶショートカットのようには見えますが、実際には多くの乗り物を乗り継ぐ上に、時間がとてもかかり、高額となります。
このことから、地元民の移動手段として利用されることはあまり少なく、どちらかというと「黒部ダム」や「立山」を観光するための「観光ルート」としての用途・性格が強いといえます。
そのため実際に、立山黒部アルペンルートの利用者の大半は、観光を目的とする県外からの観光客がメインとなります。
「黒部に怪我はない」 壮絶を極めた、黒部ダムの建設ヒストリー
扇沢(おおぎざわ)~黒部ダムまでの区間は、かつて昔に黒部ダムを建設するための資材を運搬のために建設されたものです。
工事現場が非常に山奥にあり、困難を極めた黒部ダムの建設
黒部ダムは、標高1,470mのとても険しい山岳地帯にあります。
そのため、人の手だけで(ダムを作るための部品である)資材を運ぶのにはとても苦労することでした。
なので運搬する車両などが通れるように、トンネルを昔の人々が命懸けで掘ったのでした。
黒部ダム完成後になって、現代では一般の旅客の観光向けにトンネルは開放されている、というわけです。
戦後の電力不足を解消するために作られた、黒部ダム
黒部ダムは、元々は戦後に、関西地方の電力不足を解消するために作られたダムです。
戦後になって日本の経済が高度に成長してゆくと、人口が爆発的に増加してゆきます。
人口増加して家がたくさん増えると、電力がどんどん足りなくなってゆきます。
こうなると停電なども当たり前、という感じになってゆきます。
ダムの水をエネルギーに変える、水力発電
しかし、それではいくらなんでもマズいため、そこで考えられたのが、ダムの水を利用した水力発電です。
つまり、ダムから水が大量に落ちてくるときのエネルギーを利用して、それを電気に変えてやろう、というわけです。
「黒部に怪我はない」命がけの工事だった、黒部ダム
しかし、山奥でこんなダムを建設するというのは本当に大変なことだったのでした。
そのため、工事中に事故で亡くなった人も多く存在したのでした。
山奥にある黒部ダムを作るのに、昔の人々は命懸けでダムを作ったため、「黒部に怪我はない」という言葉が生まれました。
これは、黒部で怪我をしないというわけでは決してなくて、黒部でひとたび事故をすると「怪我では済まずに死んでしまう」ことを意味する、というわけでした。
昔の人々の努力や犠牲のもとに黒部ダムは完成し、人々の電力不足や水不足を改善してきたのだということがわかります。
巨大な雪の壁「雪の大谷」
立山黒部アルペンルートの最高地点(標高2450m)かつ登山の拠点として、室堂(むろどう)という地域があることは、先述の通りです。
その室堂の4月~6月の期間にかけての観光として「雪の大谷(ゆきのおおたに)」というものがあります。
高さ20mにもなる、雪の大谷
雪の大谷(ゆきのおおたに)は室堂から麓(ふもと)の方へ歩いたところにあり、15m~20mにもおよぶ巨大な雪の壁を、周辺に囲まれて目にすることができます。
ウルトラマン(身長40m)が「雪の大谷」を歩くと、ウルトラマンの上半身のみが、雪の壁から突き出る程の大きさですね(←何の例え?)。
室堂のあたりには3月にかけて「吹き溜まり」が起きて大量の雪が降り積もるため、巨大な雪の壁ができます。
アルペンルートで最も雪が積もりやすい場所「大谷」
ここ・大谷はアルペンルートで最も雪が積もり上がりやすい場所ということになります。
そこから徐々に雪を取り除いていって、人が通れるようにして、4月から観光できるようにしたものが、雪の大谷というわけですね。
雪の大谷は、雪による巨大な壁であり、雪の降ることの少ない東南アジアからの観光客からとても人気があるということです。
信濃大町から松本へ 松本に到着 東京へ帰還
話がだいぶズレましたが、信濃大町からはさらに南下して、豊科駅(とよしなえき)から松本駅(まつもとえき、長野県松本市)に着きます。
松本駅からは、篠ノ井線・中央線などを経由して、東京へと戻ります。
青森のスタートから、最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました!
このシリーズはここまでです。
次回からはまた別の話題となります。
お疲れさまでした!
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