東京都心から気軽に行ける日帰り旅行・西武国分寺線・西部新宿線でゆく川越の観光や、歴史(川越夜戦など)を、楽しく解説してゆきます!
川越市へ移動
前回の所沢市の観光を終え、航空公園駅を出ると、狭山市を過ぎて、やがて川越市に到着します。

西武新宿線・本川越駅(埼玉県川越市)

本川越駅に到着!(埼玉県川越市)
川越市には江戸時代からの古い建て物がたくさん残っており、先述の通り小江戸とも呼ばれます。
江戸時代からの情緒を残す川越
川越市は、先述の太平洋戦争(大東亜戦争)のときに、空襲のターゲットにはなりませんでした(理由は諸説あり。
恐らく東京の方が優先されたから?)。
すなわち、空襲を受けなかったために、川越市には江戸時代からの建物がそのまま残っているというわけですね。
その他の「小江戸」
また、他にも関東地方で小江戸と呼ばれる地域は、他にも
- 栃木県栃木市の、巴波川の景色
- 先ほども少し紹介した、千葉県香取市の「佐原の町並み」
などがあります。
佐原の町並みについては、以下の記事でもわかりやすく解説しているため、ご覧ください。

水運の町としての川越
また、川越は昔から江戸方面への「水運」の街として栄えてきました。
まだ「貨物列車」や「高速トラック」などが無かった時代には、舟で大量の荷物を運んだ方が都合がよかったというわけです。
したがって、江戸時代の川越の町には、町の中にたくさんの「運河」が張り巡らされていました。
運河とは、舟が通れるように掘られた、人工的な川です。
かつては多く存在した運河
また、かつて江戸(東京)や大坂(大阪)にもたくさんの運河が掘られ、たくさんの舟が町の中を行き交っていたわけです。
しかし、明治時代以降は鉄道・自動車などが発展してくるため、水運は用済みとなって、運河は埋め立てられていったのでした。
ただし、例えば
- 上記の「佐原の町並み」
- 北海道・小樽運河
などのように、観光・景観を保つ目的で、地元民の意向・努力により敢えて残されている場合もあるのです。

本川越駅に到着!(埼玉県川越市)

川越市・伝統的な町並みを散策!(埼玉県川越市)
川越市のランドマーク「時の鐘」
川越市の最大のランドマークは、やはり「時の鐘」です。

時の鐘(埼玉県川越市)
時を刻む「時計」というデバイス
江戸時代ほどの昔には、「時計」を持っている人が少なかったのでした(一応ありましたが、大名や一部のお金持ちの人々のみが所持していました)。
そのため、このような大きな時計台を使って、音を鳴らして町の人々に時間を教えていたわけですね。
また、現代人の多くはスマホ等で時間を確認していると思いますが、当時は正午になったら「正午の鐘」、みたいな形で鳴っていたのでした。
こうした手段によって、人々は時間を知っていったわけです。
また、戦争中には、軍隊が正しい時間で攻撃するために、一気に時計が普及してゆきました。
それだけ、時計の存在はとても重要だったのです。
マニアックな「時間サーバー」のお話
現代では、たくさんのIT機器(例えばコンピューター、サーバーなど)がネットワーク(「光ファイバー」や「無線」など)を通じて繋がっています。
そのため、世界中のコンピューターやシステムで「同じ時刻」を保持してなければなりません。
その理由は、
- もし機器ごとに「保持している時刻」が違っていたり異なっていたりすると、
- 万一の障害発生時におけるトラブルシューティングのときに、
- 「何時にシステム不具合が発生した」などの原因究明ができなくなるため
になります。
すなわち、どっちの時間(ログ)を信頼したらいいのかわからなくなるわけですね。
同じ時間を「同期」することの重要性
したがって、世界中のコンピューターはNTP(ネットワーク・タイム・プロトコル)とよばれる仕組みによって、全てのコンピューターが「同じ時間」を保持(同期)できるようになっています。
すなわち、このNTPを使えば、システムやサーバーの管理者がわざわざ「手動で設定する」というような手間が省くことができるようになる、というわけです。
また、さらには管理者の「思い込み」に起因する「時刻設定ミス」などのヒューマンエラーを無くすことができます。
ちなみにこれ、応用情報技術者試験などの知識ですよね(^^; しかし、川越の「時の鐘」とNTPの役割って、なんか凄い似てるなーってふと思ったので、このように書いた次第でございます(^^;
川越夜戦とは?
日本三大奇襲の一つ・川越夜戦(かわごえやせん)
川越夜戦は、1546年に行われた戦国時代屈指の大逆転劇のことをいいます。
この「川越夜戦」は、
- 敵をワナにはめ、油断させ、
- 夜中に酒に酔っぱらっていた敵を、
- 油断させて奇襲した
という戦いということで知られます。
いわゆる「日本三大夜戦」の一つに数えられるほど、戦術的にも非常よく知られる戦いです。
日本三大夜戦とは?
ちなみに、この川越夜戦も含まれる日本三大夜戦とは、日本の戦国時代における有名な3つの夜襲のことをいいます。
- 河越城の戦い(川越夜戦)
- 厳島の戦い
- 金ヶ崎の戦い(または備中高松城の戦いなど諸説あり)
をいいます。
金ヶ崎:福井県敦賀市にある地名です。
かつて織田信長が同盟相手の裏切りに遭い、命からがら逃げ帰った「退き口」の舞台として有名ですね!
備中高松城:岡山県岡山市にあったお城です。
やや北の高梁市にあるにある備中松山城とは似てるので混同しないようにしましょう。
金ヶ崎および、そこにおける信長の退却については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

川越夜戦:圧倒的な兵力差
当時、川越夜戦では、城(川越城)にこもっていたのは北条氏康が率いる、後北条氏のたった約3,000人ほどの軍勢でした。
これに対し、上杉氏・足利氏の連合軍は約80,000人もいるという、圧倒的な数で川越城を包囲したのでした。
後北条氏とは?については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

川越夜戦:北条氏康の奇策
このように、川越城の後北条氏は大勢の上杉・足利の軍に包囲されてしまうという、普通に考えれば降伏してしまうような、まさに絶望的な状況だったのでした。
しかし、北条氏康は連合軍に対してあえて低姿勢な態度を見せることで、敵を油断させたのでした。
そして、すっかり油断した敵(上杉・足利の連合軍)が宴会などで酒に酔っぱらい完全に慢心してしまい、その隙を突く形で、深夜にわずか少数の精鋭によって奇襲を仕掛けたのでした。
川越夜戦の結果
こともあろうに(後北条軍に)夜中に奇襲を仕掛けられた連合軍は大混乱に陥ってしまい敗北、彼らをまんまとワナにはめた後北条軍が大勝利を収めました。
したがって、この戦いによって後北条氏による関東地方の支配は、決定的なものとなっていったのでした。
勝った後北条氏・負けた上杉氏のその後
そして、この戦いを境にして、後の関東の勢力図は、劇的に塗り替えられていくこととなりました。
後北条氏(勝者):関東の覇者へ
まず勝利した後北条氏の北条氏康は、この勢いで武蔵国(現在の東京都・埼玉県あたり)の支配をどんどん固めてゆきました。
そしてこれにより後北条氏は、自分の領国の経営・支配に成功していくことになります。
それは単に軍事的に強いだけでなく、税金を安くしたりなど、民衆に支持されるような政治を行っていったわけです。
そう、1590年に豊臣秀吉によって滅ぼされるまでは。
ちなみに、そのあとの1564年に千葉県で起こった、後北条氏の進軍である第二次国府台合戦については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

小田原城の要塞化
また、後北条氏は拠点の小田原城を、「難攻不落」と言われるほどまでに巨大な城塞都市に成長させてゆきました。
城塞都市:街全体を高い壁や堀で囲んで、防御力を高めた都市のことです。
後北条氏の本拠地である小田原は、町ごと巨大な外郭で囲んだ日本最大級の城塞都市でした。
これにより、当時戦国最強といわれた武田信玄や上杉謙信の攻撃ですら退けるような、まさに黄金時代を現在の神奈川県において築いていったのでした。
小田原城については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

上杉氏(敗者):没落と名跡の譲渡
一方、負けた連合軍側は、文字通り壊滅的な打撃を受けました。
山内上杉家・扇谷上杉家の衰退
まず、上杉家の系統の一つである扇谷上杉家は、当主が戦死してしまい、滅亡してしまいました。
扇谷上杉家:室町時代に関東で勢力を持っていた名高い一族の一つです。
川越城を築いたことで知られますが、川越夜戦で当主が戦死し、勢力を失ってしまいました。
また、もう一つの系統の一族である山内上杉家の上杉憲政は、負けたことで領地を追われることとなってしまいました。
山内上杉家:数ある上杉家の中でも、最も権威があった家系・一族です。
代々「関東管領」という高い役職に就いていましたが、後北条氏に攻められたことで、関東を追われることになりました。
そして、越後(新潟県)の長尾景虎を頼って逃げ込みました。
長尾景虎:戦国最強とも称される軍神、上杉謙信の若い頃の名前です。
「上杉謙信」の誕生
ここで歴史が動きます!
上杉憲政は、自分を助けてくれた長尾景虎に対して「上杉」の名跡と、関東管領という役職を譲り渡しました。
関東管領:室町幕府が設置した役職で、関東公方を補佐するナンバー2の地位です。
名誉ある役職ですが、川越夜戦の敗北によってその実権は失われていきました。
すなわち、これによって誕生したのが、あの有名な上杉謙信なのです。
関東管領および戦国時代の関東地方については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

このように長尾景虎は、やがて関東を追われ、越後(新潟)へ逃げてきた上杉憲政を助けた縁によって上杉家を継ぎ、上杉謙信となりました。
そして、生涯のライバルである武田信玄らと激闘を繰り広げていくことになるのでした。
武田信玄と上杉謙信の両者が激戦を繰り広げた、川中島の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「日帰り観光」旅も終わり
以上、東京都心からも「1日で日帰りで来られる、埼玉観光」でした。
川越市に訪れたのは初めてでしたが、風情ある江戸の町並みがある一方で、駅前はとてもお店も多く、とても便利な街だと思いました!
今回はここまでです!
お疲れ様でした!
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