栃木県栃木市の名所である巴波川の観光や、またその水運の歴史などについて、わかりやすく解説してゆきます!
栃木県にある「小江戸」の街並みを探訪

栃木市の町並み(栃木県栃木市)
今回は栃木県栃木市に行った時の話をしようと思います。
今回も、都心から日帰りで気軽に行ける、関東地方の旅になります!
北関東の県・栃木県
栃木県は、埼玉県の北・福島県の南側に位置する関東地方の県です。
県庁所在地かつ最大の都市は宇都宮市であり、第二の都市は小山市になります。
後述するように、今回探訪する栃木市は県庁所在地ではありませんので注意しましょう。
ただ、栃木県は関東地方とはいっても、やや東北寄りの方言が話されていたりします(これは恐らく福島県に近いからだと思われます)。
栃木県の観光スポット
また、栃木県には
- 日光
- 那須
などの主要名所・観光地があったりと、楽しめるポイントはたくさんあります。
栃木県は「都道府県魅力度ランキング」においては、隣の茨城県・群馬県と並んで、常に最下位に近いくらいの順位となっています(2020年は最下位、2021年は41位、2022年は40位、2023年・2024年は39位)。
どうしても地味なイメージがある栃木県ですが、今回はそんな栃木県の魅力を存分に語ってゆき、楽しんでいこうと思います。
那須に行った時の話【わかりやすく解説】

日光に行った時の話【わかりやすく解説】


栃木市・巴波川の景色(栃木県栃木市)

栃木市・巴波川の景観を訪れた筆者(栃木県栃木市)
まずは栃木県・小山駅からスタート
スタート地点は、栃木県小山市の、東北本線・小山駅からです。
小山市は、宇都宮市の南にある、栃木県第二の都市です。
小山駅と小山市については、以下の記事でもわかりやすく解説しておりますので、ご覧ください。

小山駅からは、両毛線に乗り換え、栃木市方面へと向かうわけです。
つまり、群馬県・高崎駅の方に行くわけですね。
思川(おもいがわ)を渡る
小山駅を出ると、思川を渡り、思川駅(栃木県小山市)を過ぎます。
思川って、なんだか切ない名前ですが、これはいわゆる「水の神様」であるタギリヒメに由来します。
タギリヒメは漢字で「田心姫」とも書くため、この「田+心」が「思」に変化したことが由来だとされています。
タギリヒメは、福岡県宗像市にある宗像神社で祀られている、海上交通の安全を守るための女神です。
福岡県の神様ではありますが、全国各地の神社に観請(神様の魂をお招きすること)され、祀られています。
タギリヒメについて詳しくは、以下の記事でもわかりやすく解説しておりますので、ご覧ください。

栃木市に到着 栃木県の県庁所在地ではない!?
やがて、
- 栃木駅(栃木県栃木市)
に到着です。

栃木市の伝統的な街並み(栃木県栃木市)
栃木県栃木市は、県名と同じ市名ではありますが、県庁所在地ではありません。
栃木県の県庁所在地は、先述の通り宇都宮市になります。
このように、県名と市名が同じだけど県庁所在地ではない市は、他にも、山梨県山梨市、沖縄県沖縄市があります。
- 栃木県:栃木市 県庁所在地:宇都宮市
- 山梨県:山梨市 県庁所在地:甲府市
- 沖縄県:沖縄市 県庁所在地:那覇市
小江戸・栃木市 巴波川の水運による歴史

栃木市・巴波川の町並み(栃木県栃木市)
栃木市の町並みは、小江戸という風に言われています。それはまるで、江戸(かつての東京)の昔の古い町のような景色を今でも保っていることから、「小江戸」と呼ばれるわけです。
栃木市内を流れる巴波川という川を中心とした、江戸時代の美しい建物の町並みが、今でも保存されているのです。
昔はトラック輸送など無かったので、舟で大量に荷物を載せて運んだ方が効率が良かったのでした。なので、町の中に流れる川(巴波川)を舟を使って通り、荷物を載せて運んでいたというわけです。
荷物を一時的に保管しておく「倉庫」と「蔵」
また、荷物を運んだら運んだで、その荷物(商品)が果たしていつ必要になるのか(売れるか)はわかりません。
なので、荷物を一時的に保管しておくために「倉庫」のようなものが必要になります。
それが「蔵」であり、町のあちこちに当時の「蔵」が残されています。
これは、港にたくさんのコンテナがあるのと似ていますね。
港にあるコンテナも、海から運んできた荷物を一時的に保管しておいたり、逆に(これから船に載せる予定の)荷物を一時的に保管しておくために使用されているというわけです。
超余談:コンテナの話(IT系)
コンテナ関連でさらに全然関係ない話題に逸脱します。
興味ない方は、読み飛ばしてください。
現代の仮想化サーバーではコンテナ式というものが主流です。
これはコンテナと呼ばれる仮想的なコンピューターを、一つのコンピューター内でたくさん動かすことによって、物理的にたくさんのコンピューターを用意せずに済む環境が実現できるというものです。
例えば、コンピューターを10台用意するよりも、1台のコンピューターで10個のコンテナ(仮想PC)を動かせば、予算(コスト)を削減することができますし、また物理的スペースも取らなくて済むようになり、管理が楽になります。
データセンター(=機械をたくさん置いておくための施設)もすっきりします。
コンテナ型の環境を実現するには、主にDocker(ドッカー)というプラットフォーム(土台)が使われます。
・・・以上、全然関係ない話題ですみません!興味ある方だけ興味示してもらえれば幸いです!!
渦を巻く川「巴波川(うずまがわ)」

栃木市・巴波川の美しい景色(栃木県栃木市)
話を元に戻します。
巴波川は、まるで「ウズ(渦)を巻くような川」という意味に由来しています。
昔の川はよく氾濫して人を悩ませてきたので、このような名前がついたのかもしれません。
巴波川は、やがて南で渡良瀬川と合流します。
渡良瀬川は、さらに南で利根川と合流します。
さらに、利根川を経由して江戸まで荷物が運ばれるため、川を使った水運(荷物運び)は、まさに栃木と江戸との荷物運びに使われてきたというわけです。
なぜ栃木市に、江戸時代のい古い町並みが残っているのか?
なぜ栃木市に江戸時代の古い町並みが残っているのかというと、それは
- 戦時中に、空襲の被害に遭わなかったから
- 空襲のターゲットにされるのを避けられたから
ということ等が挙げられます。
もし空襲に遭っていたら古い町並みは全て焼き払われてしまうわけですが、それが無かったために古い町並みが残っているというわけです。
そして、そうした伝統的な町並みを保存するために、地元の人々の懸命な保存活動と努力が行われてきたことにより、当時のままの景観を保っているというわけですね。
小江戸には、他にも埼玉県川越市や、千葉県香取市の「佐原の町並み」が挙げられます。
日光例幣街道の「水運」の町

栃木市・巴波川の町並み(栃木県栃木市)
栃木市には、かつて江戸時代に日光例幣街道という、日光へ食料などの捧げ物を届けるための、江戸時代の道がありました。
「例幣」とは、神様にささげる物のことをいいます。
つまり、江戸から栃木県・日光まで「神様への捧げ物(例幣)」を運んで届けるための道路が、日光例幣街道だったというわけです。
日光に鎮座ある日光東照宮は、初代将軍である徳川家康が祀られているため、徳川歴代将軍にとって日光はとても重要な町・神社だったのです。
日光例幣街道は、栃木市から北の日光までは、
- 楡木
- 鹿沼
という町を通っていたため、現在の東武日光線のルートとかぶっているかもしれません。
巴波川の水運は、いつから始まったか
巴波川における水運の始まりは、江戸時代の初めにに徳川家康の亡き骸を、静岡県の久能山から栃木県の日光へと移転・移送した時に、日光へ運ぶの荷物を、栃木市のこの地域の河の岸に上げたことが、そもそものはじまりでした。
徳川家康は73歳という当時しては異例の長寿で亡くなったとき、その遺言によって、最初は静岡県の久能山東照宮に祀られました。
そして、一年後に栃木県の日光東照宮に亡き骸を移されて祀られたのです。
静岡は、徳川家康にとっては幼少期を過ごした思い入れ深い場所でもあります。
久能山東照宮については、詳しくは以下の記事でもわかりやすく解説しておりますので、ご覧ください。

静岡(駿府)と徳川家康の関係については、以下の記事でもわかりやすく解説しておりますので、ご覧ください。

その後、巴波川の周辺は、江戸時代にはたくさんの物資・荷物などの集散地(たくさんの荷物を集めておいて、必要になったら運ぶための場所)として、江戸との交易(商品の物々交換をすること)をやっていくことで栄えてきたのでした。
そのためにたくさんの舟が集まってきたり、ここの蔵にたくさんの荷物が保管されたりして、必要に応じて江戸に運ばれていったりしたわけですね。

栃木市・巴波川の美しい景色を散策!(栃木県栃木市)
おまけ:筆者の自撮り写真

うずま公園より(栃木県栃木市)

うずま公園より(栃木県栃木市)
今回は栃木市の巴波川の町並みに行ってきたわけですが、とても天気も良く、気持ちいい日でした!地元の方にも親切に案内してもらって、とても充実した歴史探訪になりました!!
今回はここまでです。
お疲れ様でした!
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