【栃木】宇都宮・大谷石資料館・地下採石場跡へ行ってきた

今回は栃木県宇都宮市(うつのみやし)の名物である大谷石(おおやいし)の歴史をたどる旅に出掛けます。
前回に続いて、栃木県の旅です

栃木県宇都宮市・大谷石採石場跡より。かつて関東地方の色んな建物に使う石を掘り出していた場所です。

大谷石(おおやいし)は、栃木県宇都宮市のやや西側にある大谷町(おおやまち)という地域で昔から採れてきた、また関東地方のあちこちで使われてきた、とても良い石の材料です。それは宇都宮城東京駅下野国分寺(しもつけこくぶんじ)、さらには駅のプラットフォーム・石垣・窯(かま)など、本当に色々なものに使われてきた歴史があります。そんな歴史ある石を掘り出してきた採石場(さいせきじょう)の跡と、その採石場を元に作られた記念館を見に行こうかと思います。

宇都宮駅をスタート

スタート地点は、東北本線・宇都宮駅(うつのみやえき、栃木県宇都宮市)からになります。

栃木県宇都宮市(うつのみやし)は、栃木県の県庁所在地であり、また栃木県最大の都市です。

宇都宮市下野国(しもつけのくに)などについての基本的な知識については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第10番 下野市をゆく 宇都宮まではあと少し

宇都宮市はギョーザの名所でもあり、宇都宮駅の前にあるギョーザの像も、大谷石(おおやいし)でできています。

宇都宮駅からはバスに乗り、西にある大谷石記念館に向かいます。そして大谷石採石場跡に到着します。

大谷石採石場跡

採石場(さいせきじょう)とは、かつて石(大谷石)を掘り出していた場所です。つまり自然に眠る石を、人々の手によって掘り出されていたわけです。

採石場は、火薬を使っても問題がなかったことから、かつては特撮ドラマのロケ地にも使われてきました。「戦隊ヒーロー」などがよく悪の軍団と戦っていた、あの場所ですね。爆発シーンなどでは本物の火薬を用いるため、使用されてきたわけです。しかし、近年では爆発シーンはCGによる演出が主となってきたため、採石場での特撮ロケは減少の傾向にあります。

また大谷石記念館の採石場跡はとても壮大なスケールの巨大地下があるため、たくさんのドラマやPVのロケにも使われてきました。

関東で使われてきた大谷石

大谷資料館(おおやしりょうかん)は、先述の通り栃木県宇都宮市大谷町(おおやまち)にある、大谷石採石場(おおやいしさいせいじょう)跡に関する博物館です。

そこでは巨大かつリアルな洞窟が、幻想的な雰囲気のまま存在しています。ロケ地に使われる理由もわかる気がします。

私が大谷石採石場跡・大谷石記念館にやってきたときは、思った以上にたくさんの観光客の皆さんが来られていてびっくりしました。普通に見るだけでも凄い場所なので、是非とも訪れる価値はあると思います!

大谷石の歴史について、より詳しく学ぼう

大谷石採石場跡(栃木県宇都宮市)

それでは、大谷石の歴史について、より深掘りして学んでいきましょう!

大谷石(おおやいし)は、まず古墳時代には、石棺(せっかん:石でできた、人の遺体を納めるための入れ物)に使われる石の材料として使われてきました。

大谷石は柔らかくて加工しやすく、また削ったりといった加工作業がとても簡単にできる石として、歴史的に用いられてきたというわけです。それは、大谷石は耐火性(たいかせい)に優れており、ちょっとやそっとじゃ燃えないことから、暖炉や窯(かま)の原料として用いられてきたというわけですね。

大谷石は、軽くて軟らかいために加工しやすく、さらに耐火性・防湿性にも優れています。

大谷石のメリット

・切り取りやすい
・形を変えやすい
・燃えにくい(耐火性
・湿気に強い(防湿性)

といったさまざまなメリットがあるのです。
これは大谷石を使って色んなものを作る大工さんたちにとっては、非常にありがたいものだといえます。

これがもしその辺のテキトーな石とかだと、

・切り取りにくい
・形を変えにくい
・燃えやすい(耐火性ゼロ)
・湿気に弱い(すぐ腐ったりする)

みたいな石もザラにあったりして、テキトーな石だと建物などには適していないわけです。

また宇都宮市の周辺では、縄文時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)において、暖炉などの石の原料として使用されてきたことが確認されています。ではなぜ、大谷石が暖炉などの原料になりやすいのかというと、それは先述の通り耐火性(燃えにくい)という性質があるからですね。逆に、もしすぐに燃えて溶けてしまうような石だったら、とても暖炉や窯(かま)などの原料に用いることはできないでしょう。下手したら大事故にもつながりかねませんからね。

奈良時代には、大谷石は下野国分寺(しもつけこくぶんじ)・下野国分尼寺(しもつけこくぶんにじ)の礎石(そせき)としても使われてきました。
国分寺(こくぶんじ)とは、奈良時代に聖武天皇が国の安全を願って、全国の「国」に対して作らせたお寺です。
下野国(しもつけのくに)とは、昔の栃木県の呼び方です。
(くに)とは、奈良時代の律令制におけるエリア分けで、現代でいう「都道府県」のことです。
礎石(そせき)とは、建物のベースとなる石のことです。これをしっかり作っておけないと、建物は崩れやすくなってしまいます。ちなみに礎石を作ることを「定礎(ていそ)」といいます。よく建物のベースに、この「定礎」の表記がありますよね。これは建物の安全を願う、ある意味で「儀式」のようなものでもあるのです。

大谷石は、冒頭にも述べたように石蔵(いしぐら:石で作った蔵のこと。たくさんの荷物を保管しておくための建物のことです)や、駅のプラットホーム・石垣・階段などにもたくさん利用されてきた歴史があります。また、大谷石は宇都宮城下野国分寺下野国分尼寺などの建築を行う際にも古くから使われてきたことは、先程も述べた通りです。

大谷石耐火性・蓄熱性の高さから、パンなどを焼くための(かま)や、石釜(いしがま)を作るための材料としても用いられてきています。ここで蓄熱姓(ちくねつせい)とは「熱を蓄(たくわ)えておく性能に優れている」というような意味です。もしこの蓄熱性がないと、熱がこもりにくい(温まりにくい)ので、料理をするにもマズい釜が出来てしまうでしょう。

また大谷石は、岩盤工学(がんばんこうがく)の分野においては、実験や検証のための扱いやすい素材として利用されています。岩盤工学とは、岩や岩盤の固さや、折り曲げやすさ、使い物になるかどうかなどを実験・検証するための学問です。この学問が無いと、どんな岩や岩盤が材料・部材・商品などに適しているのかがわかりません。なので必要な研究というわけです。

岩盤(がんばん)とは、地底に眠っているとても固い岩の層のことです。比喩的に「とても固くて手のつけようがないもの」のことを岩盤といったりします。例えば「岩盤のような奴ら」といえば、良くも悪くも「手に追えない人たち」「手のつけようのない人たち」という意味で使われます。

近隣にある大谷寺(おおやじ)の本尊である千手観音(せんじゅかんのん:たくさんの手がある仏さまのことです)は、平安時代に弘法大師(こうほうだいし)・空海によって作られたものになります。

千手観音(せんじゅかんのん)とは、「たくさんの手」を持つ観音さま(仏さま)のことです。なぜたくさんの手があるのかというと「たくさんの人々を苦しみから救ってあげたい」という意味が込められているからです。ちなみに観音(かんのん)とは「人々の声を聞く」「人々の声に耳を傾ける」というような意味合いがあります。つまりまとめると、千手観音は「たくさんの人々の声を聞き、苦しみから助けてあげる」という仏様ということになります。

大谷石の採掘方法 伊豆から伝わった技術とは

大谷石は、やみくもに地面や岩盤を掘るだけでは良い石は採れません。中には「質の悪い石」も含まれているため、それでは売り物になりません。なので大谷石は、歴史的に様々な採掘方法が考えられてきました。

かつての大谷石は、地表に露出した石をそのまま削って掘り出していくという「露天掘り(ろてんぼり)」という手法が行われてきました。今でも一部で行われているようです。

しかしこの方法では、後述するようにあまり「良い石」だけを掘り当てる手段としては適していません。それは大谷石が眠っている地層は、やや複雑な構造をしているからです。なので、地表から下へ下へと掘り進めていく「平場掘り(ひらばぼり)」と、横へ横へと掘り進めていく「垣根掘り(かきねぼり)」を、それぞれうまく組み合わせて掘ってゆきます。

平場掘り(ひらばぼり):縦に(下へ下へ)ずっと掘っていく方法
垣根掘り(かきねぼり):横に掘る方法。明治時代に、静岡県・伊豆長岡(いずながおか)の職人によつてもたらされました。

ではなぜこれらの堀り方を組み合わせないといけないのか。それは大谷石がたくさん眠っている地層は「利用価値の高い石材の層」と、「ミソが多くて使い物にならない石の層」が、それぞれ交互に積み重なって眠っているからです。

ミソ」とは、大谷石の中に存在する「茶色の斑点」のようなものです。いわば「ほくろ」のようなものです。この「ミソ」があまりにも多すぎると、黒い点ばかりに見えてしまうので、石としてはあまり見映えがよくありません。

大谷石の地層はまるでサンドイッチのように「ミソの少ない良い地層」と「ミソの多い悪い地層」が、それぞれ交互に重ねされているというわけです。そのため「良い地層」に眠っている石だけを掘り出していかなければなりません。

そのため、掘り方によっては、美しい石としてはおおよそ使い物にならない「ミソ」の多い石ばかりが出てきてしまうというわけです。なので、できればミソが少なく、使い物になる石だけが眠っている「良い地層」だけを掘り当てたいわけです。

明治時代に静岡・伊豆長岡から「垣根掘り」が伝わるまでは、ミソの多い石からわざわざミソを取り除いて売っていたため、この作業はとても手間とコストがかかるものだったといいます。

伊豆長岡(いずながおか)とは、伊豆半島の真ん中よりやや上にある、静岡県伊豆の国市(いずのくにし)の地名です。伊豆でも、昔から「伊豆石(いずいし)」という高級な石が掘り出されていました。

伊豆から伝わってきたこの技術のために、きれいな石だけが眠っている地層を「横へ横へ」と効率よく掘り出すことが可能になったのでした。

また、穴をさらに掘り進めていく手法として「坑内掘り(こうないぼり)」が使われます。坑内掘りでは、まず採掘の作業をするための大きな穴(空洞)を作って、そこを拠点に作業をしていくのです。まるで穴(坑道)を櫛(くし)のような形に掘っていくというわけです。

大谷石を掘り出す方法が1960年代に機械化される以前は、いわゆる「手掘り時代(手で掘っていた時代)」であり、主に「つるはし」という工具が(岩を切って掘るために)利用されていたのでした。この方法は、採掘のための方法が機械化された1960年頃まで行われていたのでした。

こうして掘り出され、外に運び出された石は、馬車やトロッコなどを用いて、遠くの地域まで運ばれたのでした。
地下の深い位置にある採石場からは、現在では機械を使って、石が上に巻き上げられていきます。
こうやって掘り出された石を、トラックや貨物列車などを使って、全国各地へと運び出されていくというわけです。

大谷石採石場跡は、見学がとても面白い

大谷石採石場跡より(栃木県宇都宮市)

今回も色々と知識的なことをいっぱい書いてきましたが、大谷石採石場跡と大谷石記念館はスケールがとても大きいため、とても楽しむことができます!

私はこの後、バスで宇都宮駅まで帰りました。

今回はここまでです!

お疲れ様でした!

【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント