南九州の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
指宿・枕崎・西大山の観光・歴史などを、初心者の方にもやさしく解説してゆきます!
鹿児島中央からは、指宿枕崎線で、鉄道南の果ての地へ
前回で鹿児島中央駅(鹿児島県鹿児島市)に到着しました。

鹿児島中央駅(鹿児島県鹿児島市)
今回は、鹿児島中央駅から指宿枕崎線に乗って、鉄道最南端の地へと向かってゆきます。
いわゆる、寄り道になります。
ただ「鉄道最南端」とはいっても、実際には後述するように赤嶺駅(沖縄県那覇市)が「鉄道最南端」になります。
なので厳密には、JR最南端の地ということになります。
薩摩半島の南をぐるっとまわる、指宿枕崎線
指宿枕崎線は、鹿児島市を南下して
- 指宿
- 山川
- 西大山
を経由して、薩摩半島の南をぐるっとまわる路線です。
最南端の鉄道路線の一つということで、多くの鉄道ファンが訪れます。

指宿枕崎線を走る、国鉄型車両・キハ47形
鹿児島のシンボル「桜島」
鹿児島中央駅を出て、指宿枕崎線をずっと南下していくと、窓の左後ろ側には桜島の容姿が優れています。

指宿枕崎線からの、窓のバックにそびえる桜島(鹿児島県)
つまり、鹿児島湾(別名・錦江湾)の向こう側に、まるで富士山のような大きく美しい山である桜島がそびえるため、その景色はとても圧巻です。
指宿駅(指宿市)に到着
桜島を左後ろにして南下していくと、やがて
- 指宿駅(鹿児島県指宿市)
に着きます。

指宿駅(鹿児島県指宿市)
鹿児島県指宿市は、指宿温泉などの観光地として知られます。

「ようこそ指宿へ」(鹿児島県指宿市)
古くは湯豊宿(ゆほすき)と呼ばれた指宿
指宿温泉は、古来よりその存在がよく知られていました。
古くは「湯豊宿」というふうに呼ばれていました。
つまり
- 「お湯が豊富な宿(=滞在場所)」
ということですね。
天智天皇にゆかりある指宿
「指宿」の名称は、この「湯豊宿」に由来すると言われています(諸説あり)。
つまり、
ということで、飛鳥時代に天智天皇が指宿まで行幸(天皇陛下が出張されること)をされたときにつけられました。
古くから「生活に必要なお湯」としても役立ってきた、指宿温泉の湯
指宿温泉は、江戸時代よりも以前は、とても熱いお湯が地面から吹き出してくる「口」がたくさん点在するような湿原であったのでした。
そのため、お湯が熱すぎて「危険な場所」であるとされていました。
しかし、熱いお湯は
- 麻という植物の加熱をするために使われたり、
- 炊事・料理や「お風呂の湯」などとして使われた
など、古くから役立ってきたのでした。
つまり温泉の恩恵をきちんと受けられていたわけで、決してデメリットばかりではなかったわけですね。
海外旅行が禁止だった60年代 ハワイの代わりに訪れられてきた指宿温泉
また、1960年頃から始まったハネムーンブーム(新婚旅行ブーム)の中、
- 「東洋のハワイ」
とも呼ばれた指宿温泉は、そのメッカとして賑わったのでした。
1964年までは日本で海外旅行は禁止されており、本物のハワイに行くのは基本的に不可能だったからです。
その代わりに、南国にあたるこの地域が、新婚旅行の行き先として選ばれたというわけですね。
宮崎も、ハネムーンブームで賑わった
また宮崎県も、新婚旅行ブームの行き先としてよく選ばれていました。
あのときは、本当に多くのカップル(当時は「アベック」とも呼ばれていました)が、飛行機やバスなどに乗って、ここ南国(九州南部)を目指していたのです。
宮崎では、臨時急行列車「ことぶき」が運行されるなど、新婚旅行ブームを引っぱってゆきました。
「結婚は贅沢品」とも呼ばれるような令和の現代からしたら、当時のハネムーンブームは、ちょっと凄すぎる(羨ましすぎる?)現象だったのかもしれません。
高度経済成長期は、今よりも新婚旅行が盛んだった
高度経済成長期だった当時の日本では、人々はたくさんお金を持っていたため、結婚・新婚旅行・ベビーブームが当たり前のような時代でした。
だからこそみんな結婚式や新婚旅行を派手かつ豪華に行ったり、赤ちゃんをどんどん産んだりして、日本経済は次々に成長していったのでした。
現代のような不景気・少子化の時代に生きる我々からしたら、いささか羨ましいような時代に思えるかもしれませんね。
アロハシャツで職員が勤務 指宿市の「アロハ宣言」
指宿市では、観光を促進することと、冷房を節約するという観点から、市長によって「アロハ宣言」が行われます。
これにより、10月末まで市の職員などはみんなアロハシャツを着て仕事をしています。
つまり「アロハビズ」という新しい勤務形態です。
夏の間だけネクタイを着用しない「クールビズ」と似ていますね。
その他「アロハビズ」を行っている自治体
他にも「アロハビズ」をやっている自治体として、
- 山口県の周防大島町
- 神奈川県茅ケ崎市
などがあります。
「瀬戸内のハワイ」とも呼ばれる周防大島町では、
- かつて地元民が、当時人手不足だったハワイの畑で働くために、
- また、彼らが仕事を求めて、
- 明治時代に大量にハワイに移住したことがきっかけで、
- その縁から、ハワイにあやかって「アロハビズ」を採用している
というわけです。
山川駅(指宿市)で乗り換え
指宿駅を出ると、多くの場合は一つ向こう側の
- 山川駅(鹿児島県指宿市)
で乗り換えになります。

山川駅に停車中のキハ47形。(鹿児島県指宿市)
山川駅から先は、列車の本数がかなり減ります。
なので、ここからの移動はややシビアになります。
しかし本数が減ることで、いよいよ最南端の地になっていくんだなぁ~ということで、テンションが上がってゆきます!
逆にいえば、
- 鹿児島中央~指宿~山川
までの列車本数がなぜ比較的多いのかというと、それは県庁所在地である鹿児島市街地への通勤・通学・買い物などの需要が多いためですね。
山川駅は「日本最南端の有人駅」とされています。

指宿枕崎線を進む(鹿児島県)

指宿枕崎線を進む(鹿児島県)
JR最南端の駅「西大山駅」
山川駅で枕崎方面の列車に乗り換えて、さらに西へ進んでゆきます。

指宿枕崎線の車窓より(鹿児島県)
やがて
- 西大山駅(鹿児島県指宿市山川大山)
に着きます。

JR最南端の駅・西大山駅(鹿児島県指宿市)
西大山駅は、JR社における日本最南端の駅となります。
ちなみに、すべての鉄道最南端の駅は、
- 沖縄県のモノレールの駅・赤嶺駅(沖縄県那覇市)
になります。
北緯31度に位置する、西大山駅
西大山駅は、日本ではかなり南の「北緯31度11分」という位置にあります。
日本最北端に位置する北海道稚内市は北緯45度の位置にあるため、西大山駅がいかに南にあるのかということがよくわかります。

西大山駅に停車中のキハ47形(鹿児島県指宿市)
鉄道全体の最南端は、沖縄県・赤嶺駅
西大山駅は1960年の開業以来、長らくの間はずっと日本最南端の駅として知られていました。
しかし2003年に沖縄県で、
- 沖縄都市モノレール線(ゆいレール)
が開通したことによって、那覇空港駅の一つ南の駅である
- 赤嶺駅(沖縄県那覇市)(北緯26度)
に、その「鉄道最南端」の座を空け渡したのでした。
2つの種類がある「モノレール」
モノレールは、いわゆる「鉄道事業法」における
- 「懸垂式鉄道」
- 「跨座式鉄道」
に分類されています。
なので、モノレールは法律上は鉄道という扱い・分類なのです。
ちなみに「懸垂式」とは、レールに”ぶら下がって”走るタイプのモノレールです。
「跨座式」とは、レールに”またがって座る”ように走るタイプのモノレールです。
- 沖縄のゆいレール
- (羽田空港へ行く)東京モノレール
は、「跨座式」になります。
千葉都市モノレールは、「懸垂式」になります。
モノレールは鉄道事業法で「鉄道」に分類される
話を元に戻しますが、上記の理由により沖縄のモノレール「ゆいレール」は鉄道に分類されるわけです。
そのため、鉄道最南端は「ゆいレール」の最南端の駅である赤嶺駅(那覇市)である、というわけです。
西大山駅は、沖縄のモノレール「ゆいレール」が出来たその時に「日本最南端の駅」ではなくなったため、「本土最南端の駅」ということに改められたのでした。
しかしこれに対して「沖縄は本土では無いのか」との意見・苦情が多数寄せられたことから、再び表記を「JR日本最南端の駅」へ改めています。
モノレールを除いた最南端の鉄道は、屋久島の「安房森林軌道」
モノレールではなく、いわゆる「普通の線路」を用いた路線であれば、鹿児島県屋久島の
- 安房森林軌道
が、さらにより南にあります。
「森林鉄道」とは?
ここで「森林鉄道」とは、森から切り出した木材を運ぶための鉄道です。
今ではほとんどが(トラックなど)自動車に置き換えられたために、森林鉄道はほとんど廃止されました。
しかし、屋久島の安房森林鉄道は、現存する珍しい森林鉄道になります。
まとめ:様々な「最南端の駅」
以上をまとめると、「鉄道最南端」ということであれば沖縄県・赤嶺駅になります。
また、モノレールではない「普通の線路」の最南端ということであれば、屋久島・安房森林鉄道になります。
したがって、西大山駅は、JR最南端の駅であるというわけですね。
薩摩富士・開聞岳

西大山駅からの、薩摩富士・開聞岳(鹿児島県指宿市)
JR最南端の駅である西大山駅からは、開聞岳の勇姿がとても素晴らしいです。
開聞岳(指宿市)
このインパクト大な山である開聞岳は、標高が924mの火山です。
開聞岳は、いわゆる円錐形をしており、まるで富士山のような形・山容であることから、
- 「薩摩富士」
ともよばれます。
いわゆる全国各地の「富士山そっくりの山」である、「郷土富士」の一つです。
開聞岳は、どうやって出来た?
開聞岳は、
- 飛鳥時代・平安時代にそれぞれ起きた2回の噴火によって、
- 噴出物が積み重なっていったことで、出来た(高くなっていった)
という火山です。
このように、噴出物によってどんどん積み上がり、高さが増していく火山を「成層火山」といいます。
富士山は、まさに成層火山の代表格です。
代表的な成層火山「富士山」
富士山(3,776m)も、数回にもおよぶ噴火によって、吐き出された噴出物が積み上がってゆき、どんどん高くなっていったという歴史があるのです。
つまり、成層火山は
- 火山が噴火する
- 噴出物が「頭」と「周辺」にたまっていく
- 噴出物が重なって積もってゆく
- 山が高くなる
- さらに噴火する
- さらに山が高くなる
というサイクルが繰り返されることで、まるで富士山のような、きれいな円錐形の山(成層火山)ができていくのです。
地面から発掘された物・地層などから、火山の噴火の時期がわかる
開聞岳は飛鳥時代と平安時代に、2回の噴火によってできました。
噴火したのが「飛鳥時代」「平安時代」だと分かっているわけなので、発掘された遺物から、その時の人々の生活が想像できるようになっているわけなのです。
その(発掘された)遺物から、飛鳥時代の噴火では、いまだに古墳時代のような生活が続けられていた、ということがわかったのです。
最初の噴火が行われた地面(地層)から、古墳時代に使われていたモノが発掘されたからですね。
つまり地方では、なかなか文明が進んでいなかったという地域が普通に存在していた、ということがわかったわけですね。
鉄道の南の終着点・枕崎駅に到着

枕崎駅(鹿児島県枕崎市)
枕崎駅(鹿児島県枕崎市)は、JRグループの中では日本最南端の路線である指宿枕崎線の終着駅となります。
駅には「本土最南端の始発・終着駅」の碑が設置されています。

枕崎駅より(鹿児島県枕崎市)
指宿枕崎線の終着駅・枕崎駅
枕崎駅は、先述の西大山駅よりも、やや北の位置(緯度)にあります。
なので「最南端の駅」というわけではないのですが、日本で最も南にあるJR線の鉄道路線である指宿枕崎線の終着駅であるということで、「南の終着駅」という呼び方をされるわけです。
鉄道最北端は、言うまでもなく稚内駅(北海道稚内市)
ちなみに日本のすべての鉄道最北端の駅は、言うまでもなく
- 北海道稚内市にある、宗谷本線・稚内駅
です。
なので、枕崎市と稚内市は、友好都市の関係にあります。
台風がとても多いことで知られる、枕崎市(鹿児島県)
鹿児島県枕崎市は、南国だけあって気候は温暖ではあるものの、とにかく台風が多いことで知られます。
特に夏から秋にかけて台風がよく通過してゆき、
- 高知県室戸市の室戸岬
- 和歌山県串本町の潮岬
などと並んで、いわゆる「台風銀座」の一つであるとして知られます。
かつては、枕崎市から現在の南九州市まで鉄道が出ていた
なお、
- 枕崎~加世田(南さつま市)
間は、戦前の1931年に南薩鉄道という鉄道路線が出ていました。
つまり当時は、枕崎駅からはさらに北に、南さつま市への鉄道路線が出ていた、というわけですね。
戦時中は、まだ鉄道がかなり現役だった
戦前の当時はまだ自動車が一般的ではなく、人々の移動手段はほぼ鉄道がメインでした。
しかも当時は「戦争の影」が世界から迫ってきていたような時代だったので、いつ日本が戦争になってもいいように軍事輸送(兵士・武器・食糧を運ぶ)のためにも鉄道の存在は非常に重要でした。
しかし戦後になると軍事需要は無くなり、また自動車が普及してくるため、日本各地の鉄道は廃止されていくことになります。
それに伴って、南さつま市までの路線は、1984年には廃止されています。
鹿児島中央に戻り、次回は日豊本線を北上
指宿枕崎線の観光を終えると、鹿児島中央駅に戻り、次回は日豊本線を北上してゆきます。
今回はここまでです。
お疲れ様でした!
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