箱根について、わかりやすく解説!【後編】

前回に続いて、今回も箱根特集です。

芦ノ湖(あしのこ)(神奈川県足柄下郡箱根町)

前回は「箱根」とはなんぞや?といった基礎基礎や、また鎌倉時代~室町時代の箱根での合戦の歴史などのお話をしました。

今回は、江戸時代以降の箱根の歴史について、どんどん掘り下げていこうかと思います!

江戸時代の箱根

まだ「新幹線」も「高速道路」も無かった江戸時代、箱根の険しい峠道は江戸~京都の間を移動する旅人たちにとっては、絶対に通らなくてはならない道でした(それが嫌なら、これまた険しい中山道(なかせんどう)・木曽路(きそじ)を通らなくてはなりませんでした)。それも、地面がぬかるんだ薄暗い道を、山賊に襲われるリスクまでをも覚悟しながら峠道を登っていったのです。しかも坂道は急でとてもキツいですし、スマホやGPSなども無い時代、もし道に迷ったら遭難のリスクさえありました。

あまりに険しい山道なので、「箱根の山は天下の険(けん)」とも呼ばれたのです。

もちろん、やや難易度が低い「足柄峠(あしがらとうげ)」のルートがやや北にあったのですが、こちらはやや大回り・遠回りのルートになるため、江戸時代には少しでも距離の短い「箱根峠ルート」がメインであり重視されたのでした。こちらの箱根ルートの方がショートカットになるからですね。

これはなんとなく、明治時代かつての東海道線が現在の御殿場線(ごてんばせん)経由だったものが、1934年に「丹那トンネル(たんなトンネル)」が開通してから熱海経由の東海道がメインになったのと似ていますね(違うかな?)。

御殿場線がかつての東海道線だったエピソードについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 東海道編 第13番 御殿場線へ入り、山北駅・駿河小山駅を進む 複線時代の跡も

芦ノ湖(神奈川県足柄下郡箱根町)

箱根の山の上にある芦ノ湖(あしのこ)のほとりには、箱根関所(はこねせきしょ)という関所が設けられました。関所とは、好き勝手に人々を往来させないために、取り締まりや監視を行う場所のことです。そして箱根関所は、西日本側から江戸へ反乱を企ててくる勢力を防ぐための、幕府防衛のための関所というふうにされました。

箱根関所跡(神奈川県足柄下郡箱根町)

戦国時代終わりの1590年に、豊臣秀吉による「小田原攻め」によって後北条氏(ごほうじょうし)が滅亡し、豊臣秀吉は念願の「天下統一」を果たしました。

その後、豊臣秀吉の命令で徳川家康が関東に入ってきました。徳川家康は、それ以前はどちらかというと静岡県や愛知県東部を拠点に活動していました。ここで関東の支配を任されたことで、江戸に幕府を築くきっかけとなったのです。その後、関ヶ原の戦いでの勝利のあとに江戸幕府を開いたのでした。

「入り鉄砲に出女」箱根関所は、鉄砲と大名の妻を取り締まっていた

箱根関所跡(神奈川県足柄下郡箱根町)

入り鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)」という言葉があります。昔、箱根関所では江戸に入ってくる「鉄砲」と、江戸から逃げようとする「人質となっている大名の妻」を取り締まっていたのでした。

まず関所は、江戸へむやみに鉄砲が入ってくるのを取り締まり、防いでいました。これは不必要な鉄砲が江戸の町にあふれてしまうことで、治安が乱れてしまうのを防ぐためでした。なので江戸に入ってこようとする「入り鉄砲(いりでっぽう)」を防ぐことは、関所の重大任務だったのでした。

また江戸時代には「参勤交代」といって、全国各地の大名は、定期的に地元と江戸(東京)を往復しなければならないという義務がありました。このとき、大名は自身の奥さんを、人質として預けなければなりませんでした。それはもし江戸幕府に不満を持つ大名が反乱を起こそうとしても、嫁が江戸に人質にとられているために防げるわけですね。もしその嫁が江戸から逃げると、箱根関所を通ることになるので、ここで「江戸から出ていく女」を取り締まっていたいたのですね。

箱根関所跡(神奈川県足柄下郡箱根町)

これがいわゆる、関所で取り締まっていた「入り鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)」というわけです。江戸幕府は、あの手この手を使って各地の大名が謀反・反乱を起こすことを防いでいたわけです。

明治時代以降の箱根

明治時代がおとずれ、1869年に箱根関所は廃止されました。そのため、箱根の道は一般人でも自由に往来することが可能となったのでした。
その後、関所の跡地は史跡・観光地として整備され、現代にいたっています。

2007年にはそれまでの文献(古い史料)や発掘作業などで得られた手がかり・ヒントを参考にしながら、箱根関所がほぼ完全なかたちで復元されたのでした。

現代では神奈川県~静岡県の移動は「東海道新幹線」「東海道線」「国道246号」「東名高速道路」がメインのルートであり、今では箱根峠は神奈川県~静岡県を越えるための主要ルートからは外れてしまっています。

御殿場線・国道246号・東名高速道路は、箱根の山の北を流れる酒匂川(さかわがわ)に沿ったルートです。川が流れている地域には「谷間」「平地」ができるので、そこを線路や道路が通っているわけですね。こちらは箱根越えに比べたら勾配がゆるいため、現代でも主力のルートなわけです。

ちなみに「国道1号」はまさしく箱根峠を通る、険しいルートです。国道1号は江戸時代までの「東海道」に準拠したルートなので、険しい箱根峠を通っているわけですね。国道1号で神奈川県~静岡県を越えようとすると、やはり勾配やカーブが非常に厳しいため、ドライバーにとってはやや難易度が上がることでしょう。

観光地としての芦ノ湖

芦ノ湖(神奈川県足柄下郡箱根町)

芦ノ湖(あしのこ)は、湖畔・湖の周りに多くの観光名所やリゾート施設が存在している素晴らしい観光地であり、また富士山までもが眺められる景勝地としても知られています。芦ノ湖クルーズ船として、海賊船も運行されています。

ジョン・レノンも泊まったことで知られる富士屋ホテルもあります。富士屋ホテルは、明治時代から長く続く老舗(しにせ)ホテルでもあります。

戦後には、西武グループ小田急グループが、箱根の観光客をお互いに奪うために、お互いに膨大な資金を投入して競いあっていくという「箱根山戦争」も起きました。
戦後になって日本が復興してゆき、徐々に日本の経済が持ち直して豊かな人が増えてきだすと、箱根に旅行したいという人が増えてきます。そうなると、箱根にお客様を運ぶための交通機関を運営する西武グループと小田急グループが、鉄道とバスとの間で、移動手段でお客様の取り合い・シェア争いを起したのでした。西武グループは「バス」で、小田急グループは「箱根登山鉄道」などでお互いに対抗しあったのです。もはや「ここはウチの領域だ!」といった具合の陣取り合戦であり、しかも裁判に発展したり、各行政機関や各自治体をも巻き込んだ争いになるなど、国家まるごと巻き込んだ争いになったのです。
この「箱根山戦争」は20年にもわたって続き、当時大きな話題となり、書籍化までされました。

芦ノ湖は、毎年お正月に開催される箱根駅伝における往路(=東京から箱根へむかって走る、1区から5区のコース)のゴールであり、また復路(=箱根を下って東京へ戻る、6区から10区までのコース)のスタート地点としても知られており、多くの駅伝ファンや観光客を集めています。

復路は、往路で優勝したチームから順番にスタートしてゆきます。6区は箱根の山を一気に下っていくので、かなり足への負担になります。ランナーは登りよりもむしろ「下りの方がきつい」と言います。しかも真冬のお正月の季節なので、低温もありそれはかなり足や体への負担となるでしょう。

芦ノ湖の「水利権」

芦ノ湖(あしのこ)の水利権(すいりけん)は、静岡県にあります。つまり、神奈川県(箱根町)にあるにもかかわらず、水利権が神奈川県側に無いのです。

水利権(すいりけん)とは 好き勝手に水を使わせないための権利です。つまり、自分達の水資源や水のキレイさなどを守るための権利のことをいいます。いくら自然の水だからといっても、いずれは町の人々の生活に使われる水です。
なので、好き勝手に「工場の水」「農業用水」「水力発電」などの目的で大量に水をくみ上げられると、本来に必要な水が不足してしまいます。また、勝手に水を使われると汚されたりしてしまう可能性があるのです。なので「水利権」というものが保障されているわけです。もし水利権を侵すと、刑法123条違反の「水利妨害罪」として罰せられます。

芦ノ湖の水は、後述する「深良用水」によって静岡県側に供給されているため、静岡県に水利権があるというわけです。芦ノ湖は静岡県にほぼ接近しているため、神奈川県よりも静岡県に対する影響力の方が大きいというわけですね。

さらに具体的にいうと、芦ノ湖の静岡県裾野市(すそのし)にほぼ近い位置にある深良水門(ふからすいもん)から、水が西(裾野市)側へと流れ出てゆきます。この芦ノ湖の水門から流れ出た水は、さらに深良用水(ふからようすい)という用水路(水が通る経路)を通って、静岡県側に水がどんどん供給されていくのです。この「深良用水」は、江戸時代に工事によって造られたものです。

さらに明治時代の「廃藩置県」のときに「芦ノ湖の水利権は神奈川県・静岡県のどちらのものか」という議論になり、先述の「深良用水」が静岡県側の領土に組み込まれることになったため、静岡県に水利権があるということに決まりました。

こうした事情のため、神奈川県側では芦ノ湖の水が(緊急の場合を除き)基本的には自由に利用できないのです。
ただし水不足などによる渇水が起きたときや、逆に湖の水が増えすぎて減らす必要が生じたときなどの非常時は、芦ノ湖の水を神奈川県側に利用(緊急放水)できることができるということになっています。

一方、芦ノ湖において建設したいといった要望を認める権利である「土木工事許認可権」については、神奈川県側にあります。このため、芦ノ湖にある水門や、その他の水道管などの施設を維持・管理していくための権利は、神奈川県側が担っているというわけです。

芦ノ湖と火山・カルデラ

芦ノ湖(神奈川県足柄下郡箱根町)

芦ノ湖は、箱根火山の「カルデラ」の一部になります。カルデラとはスペイン語で「大きな鍋(なべ)」という意味です。つまり火山が噴火して、中身が噴出してしまい空っぽになった大きな空洞のことをカルデラといいます。まるで大きな鍋(なべ)の形のようにみえるので、カルデラというわけですね。

箱根の火山である神山(かみやま:標高1,438m)が、約3,000年前に水蒸気爆発と火砕流を起こしてしまい、そのとき山の一部分が大崩れしてしまったのでした。そして大噴火が起きたため、たくさんの火山堆積物が降り注いで下へと流れてくるようになりました。

そのとき、カルデラの中にあった早川(はやかわ)を、流れてきた火山堆積物が堰(せ)き止めてしまい、水がたまって芦ノ湖が生まれたのでした。

ちなみに早川(はやかわ)とは、箱根登山鉄道の線路に沿って流れる川です。末は小田原市の東海道線・早川駅(はやかわえき)の近くを通って、相模湾(さがみわん)の海に注ぎます。

箱根神社と、芦ノ湖の九頭竜伝説

箱根神社(はこねじんじゃ)は、九頭竜(くずりゅう)と関連性がある神社です。九頭竜とは、日本の各地・あちこちにその伝説が残る、9つの頭を持った怪物のことです。それは長野県の戸隠連峰(とがくしれんぽう)や、石川県の白山(はくさん)など、たくさんの山々にその伝説が残っています。箱根の芦ノ湖にも、その九頭竜の伝説が残っているわけです。

箱根神社は、奈良時代の757年に、万巻上人(まんがんしょうにん)という僧侶によって建立されました。
伝承(言い伝え)によると、その昔、芦ノ湖に現れて箱根周辺に住んでいた人々を苦しめていた九頭龍を万巻上人が調伏(=成敗して倒すこと)し、箱根神社を建てて、九頭龍を守護神として祀(まつ)ったのだとされています。

アジサイの花に見守られながら、帰途につく

箱根の観光を終えたら、箱根の山を降りて帰途(きと)につきます。

箱根登山鉄道沿線は、アジサイの花がとてもキレイです。

なぜ箱根にアジサイが多いのかというと、アジサイの根っこを地面に張り巡らせて、地面を強くすることで線路の土砂崩れを防いでいるのだそうです。これは、アジサイが「根っこを横に強く張る」という性質が注目され、このような施策が行われたとのことです。箱根登山鉄道が通る早川(はやかわ)の渓谷は、すごく急峻(きゅうしゅん)な地形のため、土砂崩れが多いわけですね。なのでこうした土砂崩れ対策のために、きれいなアジサイのお花を植えるというのは、昔の人は本当にナイスアイデアだと思いました!

以上、前回と二回に分けて解説してきましたが、いかがだったでしょうか。箱根の観光を少しでも楽しむために、あなたの何らかの参考になれば幸いです!

今回はここまでです。

お疲れ様でした!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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