飯田線の旅8【前半】「渡らずの鉄橋」水窪川のエリアを行く

飯田線の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
水窪~大原トンネルの鉄道旅について、やさしく解説してゆきます!

中部天竜駅を出て、天竜峡方面へ

中部天竜駅ちゅうぶてんりゅうえき(静岡県浜松市天竜区)を出ると、

  • 佐久間さくま
  • 相月あいづき
  • 向市場むかいちば
  • 水窪みさくぼ
  • 大嵐おおぞれ
  • 小和田こわだ

と進んでゆきます。

※いずれも、静岡県浜松市天竜区の駅。

険しい山岳地帯・秘境駅エリアへ

ここから先は、いよいよ本格的に飯田線らしい、険しい山岳地帯に入ってゆきます
それに伴い、いわゆる「秘境駅」の数も多くなってゆきます。

また、険しい山岳地帯のため、トンネルも非常に多くなります。

そして断崖絶壁の隙間をくぐっていくような場所を走っていくため、私が初めて乗ったときは他にほぼ誰も乗っていなかったこともあり、かなり心細かった記憶があります(^^;

つまり、

トンネル→断崖絶壁→トンネル→断崖絶壁・・・

みたいな景色にはなりますが、時々左側に登場する天竜川の景色はとても綺麗であり、また飯田線の魅力でもあります

飯田線の魅力の一つ・天竜川(長野県)

飯田線の魅力の一つ・天竜川(長野県)

「工場萌え」!?佐久間発電所

中部天竜駅を出ると、窓の左側には天竜川の向こうに巨大な

  • 佐久間発電所さくまはつでんしょ

が建ち並びます。

山奥にある巨大発電所天竜川という、壮大なスケールの景色です。

近年では「工場萌え」という言葉がありますが、工場萌えや「インフラ萌え(?)」する人にとっては、かなり威厳のある発電所の景色です。

現代の佐久間駅は「二代目」

ほどなくして、佐久間駅さくまえき(静岡県浜松市天竜区)に着きます。

佐久間駅(静岡県浜松市天竜区)

佐久間駅(静岡県浜松市天竜区)

現在の佐久間駅は、二代目になります
初代の佐久間駅は、現代の中部天竜駅でした。

「渡らずの鉄橋」第六水窪川橋梁を渡る

相月駅(静岡県浜松市天竜区)

相月駅(静岡県浜松市天竜区)

城西駅(静岡県浜松市天竜区)

城西駅(静岡県浜松市天竜区)

  • 相月駅あいづきえき(静岡県浜松市天竜区)
  • 城西駅しろにしえき(静岡県浜松市天竜区)

を過ぎると、やがて第六水窪川橋梁だいろくみさくぼがわきょうりょうという橋を渡ります。

第六水窪川橋梁を渡る。一旦川を渡ったのに、再び元の位置(写真奥・東側)に戻るところ。(飯田線の車窓より)(静岡県)

第六水窪川橋梁を渡る。一旦川を渡ったのに、再び元の位置(写真奥・東側)に戻るところ。(飯田線の車窓より)(静岡県)

一度(水窪)川を渡り、再度川を渡る

この第六水窪川橋梁は「渡らずの鉄橋」とも呼ばれています。

一度西側へカーブして川(水窪川みさくぼがわ)を渡り、今度は東側へカーブして同じ川を渡ります。

つまり、一度わたってもまた川をわたって戻るため、実質「川を渡っていない」ことから、「渡らずの鉄橋」というふうに呼ばれているわけです。

トンネル崩落を懸念し、あえて西の迂回ルートへ

もちろんこれには理由があり、かつては西側へ曲がらずにまっすぐに貫くトンネルが存在したのでした。

しかし、このトンネルが崩落したために、やむなく山側を避けて西側へと迂回するルートとなったわけです。

もし再びトンネルを掘ったとしても、再び崩落するリスクがありました。
なので、それ以降はトンネルを掘ってまっすぐ進むルートとはせず、あえて西側へカーブして迂回するというルートが採用されたのです。

そこを、たまたま下に流れている水窪川をまたぐという形になったので、「渡らずの鉄橋」となったわけですね。

第六水窪川橋梁を渡る(飯田線の車窓より)(静岡県)

第六水窪川橋梁を渡る(飯田線の車窓より)(静岡県)

武田信玄の西上作戦(遠江侵攻)の拠点となった高根城

向市場駅(静岡県浜松市天竜区)

向市場駅(静岡県浜松市天竜区)

向市場駅むかいちばえき(静岡県浜松市天竜区)に着くやや手前の位置には、高根城たかねじょうの跡があります。

高根城たかねじょうは、戦国時代に

  • 甲斐国かいのくに(山梨県)の武将・武田信玄しんげん

が、京都を目指すために遠江とおとうみ(静岡県西部)地方への侵攻・遠征をしていくために拠点にしたとされる城です。

つまり信玄は、

甲斐(山梨)→信濃(長野)→静岡県西部(遠江)→愛知県東部(三河)

という具合に進んでから、さらに西へと進軍してゆき、京都を目指すというルートをとろうとしたのです。

元々、遠江・三河という地域は今川氏の支配する領地でしたが、1560年の「桶狭間の戦い」で織田信長にやられてしまったため、今川氏は衰退してしまいました。
そこにつけ込む形で、北(山梨県)から武田信玄がやってきたのです。

遠江・三河を征服して、やがて天皇や織田信長、足利将軍がいる京都に入るつもりだったのでしょう。

こうして武田信玄が京都をめざした一連の軍事行動のことを、西上作戦せいじょうさくせんといいます。

なぜ西上作戦をとったのか?

なぜ武田信玄が西上作戦をとったのかについては諸説あります。
よく言われているのは将軍や天皇から支配権をもらって(むしろ、半ば無理やり許可を出させて)自身がこの世の支配者になるためだった、ともされています。

しかし1573年に武田信玄が病死したため、西上作戦は終わってしまいます。

つまりここは、かつて京都を目指す武田信玄が通った道でもあったのですね!

水窪の町への最寄駅・水窪駅(みさくぼえき)に到着

水窪川に沿って北上すると、やがて

  • 水窪駅みさくほえき(静岡県浜松市天竜区)

に着きます。

水窪の町への最寄駅・水窪駅(静岡県浜松市天竜区)

水窪駅(静岡県浜松市天竜区)

水窪川の周囲に広がる、水窪の町

旧・水窪町みさくぼちょう(現・浜松市天竜区)は、水窪川みさくぼかわの水が地面を削って作った平地(盆地)の上に、たくさんの人家が存在しているという形の町になります。

水窪川と、水窪の町なみ(静岡県)

水窪川(静岡県)

この時点で、静岡県のかなり北の山岳地帯に来ています。

そのため、ここに貴重な平地(盆地)があることは、昔から人々が農業や商業、宿泊業などをやっていくにはとても重要な土地だったことがわかります。

水窪の町を流れる、水窪川(みさくぼがわ)

水窪川と、川の向こうの水窪の町並み(飯田線の車窓より)(静岡県)

水窪川と、川の向こうの水窪の町並み(飯田線の車窓より)(静岡県)

水窪の町を流れる水窪川みさくぼがわは、天竜川支流しりゅうである川です。

支流しりゅうとは、本流の川に流れ込む川のことです。

この場合の本流とは「天竜川」のことになります。
そのため、水窪川は天竜川に注ぐ(つまり、天竜川と合流して、天竜川の一部となる)川という意味になります。

実際、水窪川は佐久間駅の南東にあたる場所で天竜川と合流しています。

水窪の町への最寄駅・水窪駅(静岡県浜松市天竜区)

水窪駅(静岡県浜松市天竜区)

水窪駅、水窪川を渡る(飯田線の車窓より)(静岡県)

水窪駅を出て、水窪川を渡る(飯田線の車窓より)(静岡県)

静岡県では珍しい豪雪地帯

水窪の町は、静岡県でもかなり北の山岳地帯に位置する町であるため、静岡県では珍しく数少ない豪雪地帯となっています。

冬でも比較的温暖な静岡県では、基本的には雪が降らない地域が多いため、珍しいといえば珍しいですね。

あ、富士山の頂上は雪が降りますね。
(^^;
富士山の頂上は、冬は-30度、夏でも8度くらいです。

次回は、「大原トンネル」を抜けて、大嵐・小和田へ

次は、「大原トンネル」を抜けて、

  • 大嵐おおぞれ
  • 小和田こわだ

という、名だたる秘境駅エリアへと向かいます。

今回はここまでです。

お疲れ様でした!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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