中部天竜駅を出て、天竜峡方面へ
中部天竜駅(ちゅうぶてんりゅうえき、静岡県浜松市天竜区)を出ると、
佐久間(さくま)→相月(あいづき)→向市場(むかいちば)→水窪(みさくぼ)→大嵐(おおぞれ)→小和田(こわだ)
と進んでゆきます。
ここから先は、いよいよ本格的に飯田線らしい、険しい山岳地帯に入ってゆきます。それに伴い、いわゆる「秘境駅」の数も多くなってゆきます。
また、険しい山岳地帯のため、トンネルも非常に多くなります。そして断崖絶壁の隙間をくぐっていくような場所を走っていくため、私が初めて乗ったときは他にほぼ誰も乗っていなかったこともあり、かなり心細かった記憶があります(^^;
トンネル→断崖絶壁→トンネル→断崖絶壁・・・みたいな景色にはなりますが、時々左側に登場する天竜川の景色はとても綺麗であり、また飯田線の魅力でもあります。
現代の佐久間駅は「二代目」
中部天竜駅を出ると、窓の左側には天竜川の向こうに巨大な佐久間発電所(さくまはつでんしょ)が建ち並びます。山奥にある巨大発電所+天竜川という、壮大なスケールの景色です。近年では「工場萌え」という言葉がありますが、工場萌えや「インフラ萌え(?)」する人にとっては、かなり威厳のある発電所の景色です。
ほどなくして、佐久間駅(さくまえき、静岡県浜松市天竜区)に着きます。

現在の佐久間駅は、二代目になります。初代の佐久間駅は、現代の中部天竜駅でした。
「渡らずの鉄橋」第六水窪川橋梁を渡る


相月駅(あいづきえき、静岡県浜松市天竜区)と城西駅(しろにしえき、静岡県浜松市天竜区)を過ぎると、やがて第六水窪川橋梁(だいろくみさくぼがわきょうりょう)という橋を渡ります。

この第六水窪川橋梁は「渡らずの鉄橋」とも呼ばれています。一度西側へカーブして川(水窪川/みさくぼがわ)を渡り、今度は東側へカーブして同じ川を渡ります。
つまり、一度わたってもまた川をわたって戻るため、実質「川を渡っていない」ことから、「渡らずの鉄橋」というふうに呼ばれているわけです。
もちろんこれには理由があり、かつては西側へ曲がらずにまっすぐに貫くトンネルが存在したのですが、このトンネルが崩落したために、やむなく山側を避けて西側へと迂回するルートとなったわけです。
もし再びトンネルを掘ったとしても、再び崩落するリスクがありました。なので、それ以降はトンネルを掘ってまっすぐ進むルートとはせず、あえて西側へカーブして迂回するというルートが採用されたのです。
そこを、たまたま下に流れている水窪川をまたぐという形になったので、「渡らずの鉄橋」となったわけですね。

武田信玄の西上作戦(遠江侵攻)の拠点となった高根城
向市場駅(むかいちばえき、静岡県浜松市天竜区)に着くやや手前の位置には、高根城(たかねじょう)の跡があります。
高根城(たかねじょう)は、戦国時代に甲斐国(かいのくに:山梨県)の武将・武田信玄(しんげん)が、京都を目指すために遠江(とおとうみ:静岡県西部)地方への侵攻・遠征をしていくために拠点にしたとされる城です。
つまり信玄は、甲斐(山梨)→信濃(長野)→静岡県西部(遠江)→愛知県東部(三河)という具合に進んでから、さらに西へと進軍してゆき、京都を目指すというルートをとろうとしたのです。
元々、遠江・三河という地域は今川氏の支配する領地でしたが、1560年の「桶狭間の戦い」で織田信長にやられてしまったため、今川氏は衰退してしまいました。そこにつけ込む形で、北(山梨県)から武田信玄がやってきたのです。
遠江・三河を征服して、やがて天皇や織田信長、足利将軍がいる京都に入るつもりだったのでしょう。
こうして武田信玄が京都をめざした一連の軍事行動のことを、西上作戦(せいじょうさくせん)といいます。
なぜ武田信玄が西上作戦をとったのかについては諸説ありますが、よく言われているのは将軍や天皇から支配権をもらって(むしろ、半ば無理やり許可を出させて)自身がこの世の支配者になるためだった、ともされています。
しかし1573年に武田信玄が病死したため、西上作戦は終わってしまいます。
つまりここは、かつて京都を目指す武田信玄が通った道でもあったのですね!
水窪駅(みさくぼえき)に到着
水窪川に沿って北上すると、やがて水窪駅(みさくほえき、静岡県浜松市天竜区)に着きます。

旧・水窪町(みさくぼちょう:現・浜松市天竜区)は、水窪川(みさくぼかわ)の水が地面を削って作った平地(盆地)の上に、たくさんの人家が存在しているという形の町になります。
この時点で静岡県のかなり北の山岳地帯に来ているため、ここに貴重な平地(盆地)があることは、昔から人々が農業や商業、宿泊業などをやっていくにはとても重要な土地だったことがわかります。

水窪川(みさくぼがわ)は、天竜川の支流(しりゅう)である川です。
支流(しりゅう)とは、本流の川に流れ込む川のことです。
この場合の本流とは「天竜川」のことなので、水窪川は天竜川に注ぐ(天竜川と合流して天竜川の一部となる)川という意味になります。
実際、水窪川は佐久間駅の南東にあたる場所で天竜川と合流しています。


水窪の町は、静岡県でもかなり北の山岳地帯に位置する町であるため、静岡県では珍しく数少ない豪雪地帯となっています。
冬でも比較的温暖な静岡県では、基本的には雪が降らない地域が多いため、珍しいといえば珍しいですね。
あ、富士山の頂上は雪が降りますね。(^^;
富士山の頂上は、冬は-30度、夏でも8度くらいです。
長い「大原トンネル」を進む
水窪駅を出ると大きく西へ曲がり、長い「大原トンネル」を通ります。
大原トンネルは長さが5,063mもあり、飯田線では最長のトンネルとなっています。
飯田線は、かつて1955年までは、中部天竜駅~大嵐駅(おおぞれえき)の間は、天竜川に沿ってまっすぐ北へ延びるルートでした。
しかし1956年、中部天竜駅の北に佐久間ダムが出来たことで、元々あった飯田線の線路はダムの水の下に沈んでしまうことになりました。
そのため、ダムが出来た1956年以降は、東側の水窪(みさくぼ)経由のルートに変更されたのです。
このため、西へまっすぐ進むトンネル(大原トンネル)と、中部天竜駅・佐久間駅から東へ(相月駅まで)まっすぐ進むトンネルが新しく出来たというわけです。
難読駅名・大嵐駅
長い大原トンネルを過ぎると、やがて大嵐駅(おおぞれえき、静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家)に着きます。
大嵐駅(おおぞれえき)は難読駅名として知られ、すぐ横の天竜川が静岡県・愛知県の県境となっています。そのため、天竜川を渡った先にはすぐに愛知県があります。このことから、大嵐駅は愛知県北設楽郡豊根村(とよねむら)・富山(とみやま)地区へと向かう玄関口とされています。
秘境駅・小和田駅に到着
大嵐駅からさらに北へ進むと、やがて小和田駅(こわだえき、静岡県浜松市天竜区)に到着します。

小和田駅(こわだえき)は、とても広い静岡県浜松市でも最北端の駅になります。つまり、ここより北はすぐ長野県です。

駅前にはほとんど民家などの施設が無く、わずかな散策道があるのみになっています。また駅へと通じるような道路が存在していないため、自動車で駅へ来ることは不可能となっています。そのため、鉄道ファンからはいわゆる「秘境駅」の一つとして認知されています。
かつて天竜川の周りに存在した小和田集落 水窪へと通じた道

当駅が開業した1936年当時、今の小和田駅よりも下を流れている天竜川の周辺にたくさんの民家(小和田集落)が存在していました。この小和田集落は、やや東の水窪(みさくぼ)の町方面への玄関口となっていました。
昔は小和田集落から東へ進んで、今では大原トンネルのある「大津峠」を越えて水窪の町へ出てくると、そこからさらに南の奥三河(おくみかわ:愛知県北東部)や、または北の南信濃(みなみしなの:長野県南部)方面へと向かうような、街道ルート上の要所となっていたのでした。
もちろん昔は自動車も自転車も(もちろん飯田線も)ありませんでしたから、徒歩また馬による大変な旅だったのでした。
また、昔は小和田駅の下を流れる天竜川の川辺に筏(いかだ)の乗り場があり、ここが「水運」によって木材を輸送するための、中継地ともなっていたのでした。
昔はトラック等や貨物列車などはありませんでしたから、いかだで木材を運ぶしかなかったのですね。
かつて小和田駅からは、水窪の町にまでは鉄道で直接結ばれることはありませんでした。それは先述の通り、1955年までは飯田線・中部天竜駅~大嵐駅までの線路は、まっすぐ天竜川に沿うルートであり、大きく東へと外れる水窪の町は通らないルートだったからです。
しかし1956年に佐久間ダムが出来たために天竜川は巨大な「ダム湖」となったため、それまでの飯田線の天竜川に沿っていた線路は、ダムに沈んでしまうことになりました。
そこで、前年の1955年になって飯田線の付替え(東側の水窪経由での線路ルート変更)が行われたのでした。
それに伴って小和田駅は長い大原トンネルを通じて、水窪駅(みさくぼえき)とは鉄道で直接結ばれることになったのでした。
現在、小和田駅から最も近いところにある人家は、かなり険しい山道をおおよそ1時間ほど歩いて登った先にある塩沢地区に、わずか数軒の民家を残すのみとなっています。
しかし周辺や途中の険しい山道(獣道)は、ほとんど人の営みが感じられないような廃墟ばかりとなっているようです。
先述の通り、かつて1955年までは小和田駅の下にある天竜川沿いには、たくさんの民家が並ぶ集落があったのでした(小和田集落)。
その当時は旧・小和田駅まで車が通れる道路が通じていたのですが、1956年に佐久間ダムが建設されたことによって村(集落)がダム湖の底に沈んでしまったため、より標高の高い場所に飯田線の線路と駅が新しく付け替えられてしまったのでした。
天竜川(ダム湖)の向こう側は愛知県ですが、愛知県側に通じる橋や道路もダム(天竜川)の下に沈んでしまったため、愛知県側からも小和田駅へはアクセスできなくなっています。
こうした様々な経緯・事情により、小和田駅が周辺に住む利用者から「移動の足」として利用されることは、ほぼ皆無であるといえます。
そのため、小和田駅にやってくる客はほぼ「秘境駅めぐり」を行う鉄道ファンのみという状態となっています。
北海道・室蘭本線の小幌駅(こぼろえき、北海道虻田郡豊浦町)は、小和田駅と同じように駅へと通じている車道がなく(ただしわずかな散策道・獣道は存在)、鉄道以外でのアクセスがほぼ不可能なため、秘境駅となっています。
九州・日豊本線の宗太郎駅(そうたろうえき、大分県佐伯市)は、逆に車道は通じているものの、鉄道での本数が1日1~2本と極端に少ないため、鉄道でのアクセスが難しくて秘境駅となっています。
皇后陛下・雅子さまの旧姓と漢字が同じ小和田駅
現在の皇后陛下・雅子さまは、旧姓を小和田(おわだ)といいます。
小和田駅(こわだえき)とは読み方が異なりますが、漢字は同じなので、1993年に雅子さまが現在の天皇陛下(当時は皇太子殿下)とご結婚された際に、「恋愛成就の駅」ということで縁起がいい駅として、大きな賑わいをみせました。
天皇陛下の雅子さまへのプロポーズ
皇后雅子さまの経歴は、本当にスゴいとしか言いようがありません。
アメリカで最も偏差値の高いハーバード大学を卒業され、外務省に勤務され(=あらゆる語学に堪能でないと勤まらない)、また外務省の研修生としてイギリスで最も偏差値の高いオックスフォード大学で国際関係論を学ばれています。
しかも複数の国での海外滞在の経験や外交官という経験があるため、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語などの複数の外国語にとても堪能です。さすが天皇陛下に認められるほどの「(今でいう)高スペック女性」だったというわけですね!
天皇陛下は、雅子さまが外交官の試験に合格された直後の1986年10月に、東京・赤坂の東宮御所(とうぐうごしょ:皇太子がお住まいになる場所)で開かれたスペインのエレナ王女を歓迎する宮内庁主催の茶会において、雅子様と出会われました。
その後1992年に再会され、千葉県市川市にある宮内庁の新浜鴨場(しんはまかもば)においてプロポーズされました。
雅子さまは、当時皇太子だった天皇陛下からプロポーズを受け、これからまさに本格的にやっていこうと思っていた外交官の仕事を続けるのか、それても辞めるのるかどうかで悩まれました。
しかし、陛下からの熱い言葉に心を動かされて、29歳の時に結婚されたのでした。
天皇陛下は、皇后雅子さまに対し「僕が一生お守りします」とプロポーズしたと言われています。
結婚3年目には、東京都最高峰の雲取山(くもとりやま:標高2,017m)に登山されています。
天皇陛下は「大の登山好き」として知られます。
若い頃(皇太子時代)からたくさん数ある山に登っておられ、2008年には念願の富士山に初登頂されています。
天皇陛下は1986年に一度富士山に挑戦されるも挫折しているため、20年ごしに願いを叶えられたというわけです。
このように天皇陛下は大の「登山好き」であるため、皇后陛下、愛子さまと3人での登山もされています。
皇后雅子さまのご実家である小和田家(おわだけ)は、現在の新潟県村上市(むらかみし)にあたる越後・村上藩士、つまり江戸時代の村上藩に仕えていた武士の子孫であるとされています。
当時の水窪町(現:浜松市)は1993年、小和田駅の下にある広場において「結婚式を開きたい」というカップルを募集して、そのときのご夫婦がでめでたく挙式を行われています。
その結婚式を記念して「愛」と書かれたベンチ(「2人の幸せを呼ぶ椅子」という意味でのベンチ)が設置され、またそのときのハッピーな様子を写した結婚式の写真などは、現在も小和田駅に残されています。
次回から、長野県へ
小和田駅を出てさらに北上すると、ここからは長野県に入ります。
次回は平岡(ひらおか)・天竜峡(てんりゅうきょう)方面へと向かう行程になります。
今回はここまでです。
お疲れ様でした!
【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
コメント