飯田線の旅8【後編】 大原トンネル→大嵐→小和田 数ある秘境駅のエリアへ

飯田線の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
大原トンネル~大嵐~小和田の鉄道旅について、やさしく解説してゆきます!

長い「大原トンネル」を進む

大原トンネルに向かって、大嵐・小和田方面へと進む(静岡県)

大原トンネルに向かって、大嵐・小和田方面へと進む(静岡県)

水窪駅を出ると大きく西へ曲がり、長い「大原トンネル」を通ります。

大原トンネルは長さが5,063mもあり、飯田線では最長のトンネルとなっています。

かつては天竜川に沿った、真っ直ぐなルートだった

飯田線は、かつて1955年までは、中部天竜駅~大嵐駅おおぞれえきの間は、天竜川に沿ってまっすぐ北へ延びるルートでした。

しかし1956年、中部天竜駅の北に佐久間ダムが出来たことで、元々あった飯田線の線路はダムの水の下に沈んでしまうことになりました。
そのため、ダムが出来た1956年以降は、東側の水窪みさくぼ経由のルートに変更されたのです。

このため、

  • 西へまっすぐ進むトンネル(大原トンネル)
  • 中部天竜駅・佐久間駅から東へ(相月駅まで)まっすぐ進むトンネル

が、新しく出来たというわけです。

難読駅名・大嵐駅

長い大原トンネルを過ぎると、やがて

  • 大嵐駅おおぞれえき(静岡県浜松市天竜区)

に着きます。

大嵐駅(静岡県浜松市天竜区)

大嵐駅(静岡県浜松市天竜区)

大嵐駅おおぞれえきは、難読駅名として知られます。
また、すぐ横にある天竜川が、静岡県・愛知県の県境となっています。
そのため、天竜川を渡った先には、すぐに愛知県があります。

このことから、大嵐駅は愛知県北設楽郡豊根村とよねむら富山とみやま地区へと向かうための、玄関口とされています。

秘境駅・小和田駅に到着

大嵐駅からさらに北へ進むと、やがて

  • 小和田駅こわだえき(静岡県浜松市天竜区)に到着します。
小和田駅(静岡県浜松市天竜区)

小和田駅(静岡県浜松市天竜区)

小和田駅こわだえきは、とても広い静岡県浜松市でも最北端の駅になります。
つまり、ここより北はすぐ長野県です。

小和田駅付近(飯田線の車窓より)(静岡県浜松市天竜区)

小和田駅付近(飯田線の車窓より)(静岡県浜松市天竜区)

駅前にはほとんど民家などの施設が無く、わずかな散策道があるのみになっています。
また、駅へと通じるような道路は存在していないため、自動車で駅へ来ることは不可能となっています

そのため、鉄道ファンからはいわゆる「秘境駅」の一つとして、よく知られています。

かつて天竜川の周りに存在した小和田集落 水窪へと通じた道

小和田駅。奥の方に、下を流れる天竜川がみえる(静岡県浜松市天竜区)

小和田駅。奥の方に、下を流れる天竜川がみえる(静岡県浜松市天竜区)

この小和田駅が開業した1936年当時は、今の小和田駅よりも下を流れている天竜川の周辺に、たくさんの民家(小和田集落)が存在していたのでした。
この小和田集落は、やや東の水窪みさくぼの町方面への玄関口となっていました。

昔は、小和田集落から東へ進んで、今では大原トンネルのある「大津峠」を越えて水窪の町へ出てくると、

  • そこからさらに南の、奥三河おくみかわ(愛知県北東部)
  • または、北の南信濃みなみしなの(長野県南部)方面

へと向かうような、街道ルート上のまさに要所となっていたのでした。

もちろん昔は自動車も自転車も(もちろん飯田線も)ありませんでしたから、徒歩また馬による大変な旅だったのでした。

天竜川の水運の拠点でもあった、小和田集落

また、昔は小和田駅の下を流れる天竜川の川辺にいかだの乗り場があり、ここが「水運」によって木材を輸送するための、中継地ともなっていたのでした。

昔はトラック等や貨物列車などはありませんでしたから、いかだで木材を運ぶしかなかったのですね。

元々、小和田集落の周りには、鉄道は来ていなかった

かつて小和田駅からは、水窪の町にまでは鉄道で直接結ばれることはありませんでした。

それは先述の通り、1955年までは飯田線・中部天竜駅~大嵐駅までの線路は、まっすぐ天竜川に沿うルートであり、大きく東へと外れる水窪の町は通らないルートだったからです。

佐久間ダムの下に集落が沈んでしまい、現在の高いところに移動してきた小和田駅

しかし、1956年に佐久間ダムが出来たために天竜川は巨大な「ダム湖」となったため、それまでの飯田線の天竜川に沿っていた線路は、ダムに沈んでしまうことになりました。

そこで、前年の1955年になって、飯田線の付替え(東側の水窪経由での線路ルート変更)が行われたのでした。

それに伴って小和田駅は長い大原トンネルを通じて、水窪駅みさくぼえきとは鉄道で直接結ばれることになったのでした。

現在、小和田駅に最も近い集落は、徒歩で1時間の距離

現在、小和田駅から最も近いところにある人家は、かなり険しい山道をおおよそ1時間ほど歩いて登った先にある塩沢地区に、わずか数軒の民家を残すのみとなっています。

しかし周辺や途中の険しい山道(獣道)は、ほとんど人の営みが感じられないような廃墟ばかりとなっているようです。

佐久間ダムに沈む前に、かつて存在していた小和田集落

先述の通り、かつて1955年までは小和田駅の下にある天竜川沿いには、たくさんの民家が並ぶ集落があったのでした(小和田集落)。

その当時は、旧・小和田駅まで車が通れるような道路が通じていたのでした。
しかし、1956年に佐久間ダムが建設されたことによって村(集落)がダム湖の底に沈んでしまったため、より標高の高い場所に、飯田線の線路と駅が新しく付け替えられてしまったのでした。

天竜川(ダム湖)の向こう側は、愛知県です。
しかし、愛知県側に通じる橋や道路もダム(天竜川)の下に沈んでしまったため、愛知県側からも小和田駅へはアクセスできなくなっています。

こうした様々な経緯により、今や「秘境駅 」となった小和田駅

こうした様々な経緯・事情により、小和田駅が周辺に住む利用者から「移動の足」として利用されることは、ほぼ皆無であるといえます。

そのため、小和田駅にやってくる客はほぼ「秘境駅めぐり」を行う鉄道ファンのみという状態となっています。

秘境駅・小幌駅(北海道)と宗太郎駅(大分県)

同じく秘境駅として有名な、北海道・室蘭本線の

  • 小幌駅こぼろえき(北海道虻田郡豊浦町)

は、小和田駅と同じように駅へと通じている車道がなく(ただしわずかな散策道・獣道は存在)、鉄道以外でのアクセスがほぼ不可能なため、秘境駅となっています。

一方、九州・日豊本線の

は、逆に車道は通じているものの、鉄道での本数が1日1~2本と極端に少ないため、鉄道でのアクセスが難しいことから「秘境駅」となっています。

皇后陛下・雅子さまの旧姓と漢字が同じ小和田駅

現在の皇后陛下・雅子さまは、旧姓を小和田おわだといいます。

小和田駅こわだえきとは読み方が異なりますが、漢字は同じなので、1993年に雅子さまが現在の天皇陛下(当時は皇太子殿下)とご結婚された際に、「恋愛成就の駅」ということで縁起がいい駅として、大きな賑わいをみせました。

天皇陛下の雅子さまへのプロポーズ

皇后雅子さまの経歴は、本当にスゴいとしか言いようがありません。

アメリカで最も偏差値の高いハーバード大学を卒業され、外務省に勤務されました(=あらゆる語学に堪能でないと勤まらない)。
また、外務省の研修生としてイギリスで最も偏差値の高いオックスフォード大学で国際関係論を学ばれています。

しかも複数の国での海外滞在の経験や外交官という経験があるため、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語などの複数の外国語にとても堪能です

さすが天皇陛下に認められるほどの「(今でいう)高スペック女性」だったというわけですね!

皇太子時代の天皇陛下が、雅子さまと出会われ、ご結婚

天皇陛下は、雅子さまが外交官の試験に合格された直後の1986年10月に、東京・赤坂の東宮御所とうぐうごしょ(皇太子がお住まいになる場所)で開かれた、スペインのエレナ王女を歓迎する宮内庁主催の茶会において、雅子様と出会われました。

その後1992年に再会され、千葉県市川市にある宮内庁の新浜鴨場しんはまかもばにおいてプロポーズされました。

「僕が一生お守りします」天皇陛下からのプロポーズ

雅子さまは、当時皇太子だった天皇陛下からプロポーズを受け、これからまさに本格的にやっていこうと思っていた外交官の仕事を続けるのか、それても辞めるのるかどうかで悩まれました。
しかし、陛下からの熱い言葉に心を動かされて、29歳の時に結婚されたのでした。

天皇陛下は、皇后雅子さまに対し「僕が一生お守りします」とプロポーズしたと言われています。

結婚3年目には、東京都最高峰の雲取山くもとりやま(標高2,017m)に登山されています。

「大の登山好き」「ビオラの名手」としても知られる天皇陛下

天皇陛下は「大の登山好き」として知られます。
若い頃(皇太子時代)からたくさん数ある山に登っておられ、2008年には念願の富士山に初登頂されています。
天皇陛下は1986年に一度富士山に挑戦されるも挫折しているため、20年ごしに願いを叶えられたというわけです。

このように、天皇陛下は大の「登山好き」であるため、皇后陛下、愛子さまと3人での登山もされています。

雅子さまのご実家「小和田家」

皇后雅子さまのご実家である小和田家おわだけは、現在の新潟県村上市むらかみしにあたる越後・村上藩士、つまり江戸時代の村上藩に仕えていた武士の子孫であるとされています。

小和田駅で成婚したカップル

当時の水窪町(現:浜松市)は1993年、小和田駅の下にある広場において「結婚式を開きたい」というカップルを募集して、そのときのご夫婦がでめでたく挙式を行われています。

その結婚式を記念して「愛」と書かれたベンチ(「2人の幸せを呼ぶ椅子」という意味でのベンチ)が設置されました。
また、そのときのハッピーな様子を写した結婚式の写真などは、現在も小和田駅に残されています。

次回から、長野県へ

小和田駅を出てさらに北上すると、ここからは長野県に入ります。

次回は

  • 平岡ひらおか
  • 天竜峡てんりゅうきょう

方面へと向かう行程になります。

今回はここまでです。

お疲れ様でした!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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