今回は、山形県尾花沢市の銀山温泉の観光になります!
銀山温泉の観光・歴史について、わかりやすく解説してゆきます!

銀山温泉(山形県尾花沢市)
はじめに
今回は、山形県・銀山温泉の魅力をもっと深く知るために、観光・地理や歴史について学んでいきましょう!!
これらを学ぶことで、ただ訪れるだけでは気づかなかった、新しい発見があるかもしれません。
これらの知識が、あなたの旅・観光をより豊かなものにしてくれるはずです!!
銀山温泉とは?

能登屋の創業者・木戸佐左エ門の名前が記された、能登屋旅館(山形県尾花沢市)
銀山温泉は、山形県尾花沢市にある温泉街です。
尾花沢市とは、山形県のやや北部に位置する街です。
まだ「ビジネスホテル」が一般的ではなく、旅館が主流だった大正時代から昭和初期にかけて建てられた木造の旅館が、町の真ん中を流れる銀山川の両岸に立ち並んでいます。
大正時代の建物が取り壊されずリアルのまま残されているため、まるで大正時代にタイムスリップしたような、ロマンチックな雰囲気が魅力ですね。
冬には雪景色が加わり、さらに幻想的な景色を楽しむことができます。
日本の美しい温泉街の代表格として、多くの人に愛されています。
そもそも「山形県」とは?
山形県とは、ご存知の通り東北地方にある県です。
すなわち、
- 福島県の北
- 宮城県の西
に存在する県になります。
山形県は、日本一のさくらんぼの産地として知られます。
また、ラーメンの消費量日本一の県です。山形市は、「ラーメンの聖地」を宣言しており、市民みんなで盛り上げていっています。
銀山温泉の建物は、大正時代そのまま?
銀山温泉の建物は、多くが大正時代のまま、そのまま残されています。
基本的に、大正時代に建てられた木造の建物の多くは、
- 老朽化・腐敗
- 雨風にさらされて倒壊
- 雪の重みで倒壊
- 火事・大火で消失する
- 空襲で被害を受けた
などの理由で、基本的には全国的に残っていないのが普通です。
しかし、銀山温泉の場合は、地元の人達がお金を出しあったり、助け合ったり、さらには国からサポートを受けたりして、その建物の保存・維持のための努力がなされてきました。
これは、地元の人々が後述する「条例」を制定し、景観を守る努力をしてきたからです。
新しい建物も、この条例に従って、伝統的な雰囲気を壊さないように建てられています。
だからこそ私たちは、昔ながらの美しい街並みを今も楽しむことができるわけですね。
銀山温泉のはじまり
さて、銀山温泉のはじまりは、おおむね以下のようになります。
- かつて江戸時代までに、銀(シルバー)がザックザク採れる、いわゆる「銀山」があった。
- 人々はこのシルバーを売ることで、食べていくことができた。
- しかしその銀山で、残念なことにシルバーが、全く産出されなくなってしまった。
- 儲からなくなってしまい、窮地に陥ってしまった。
- その代わり、この地域でたまたま沸いていた温泉で、お客様を呼び込むというスタイルに変わった。
- その結果、温泉宿として発展していった。
という歴史があります。

銀山温泉「江戸屋」(山形県尾花沢市)
山形県にある、その他の有名温泉
他にも山形県では、「かみのやま温泉(山形県上山市」)」が有名です。
山形県ではさらに、他にも、
- 蔵王温泉(山形市)
- 天童温泉(天童市)
などといった温泉が有名・人気です。
山形県に温泉が多い理由
ではなぜ、山形県にはたくさんの温泉が集中しているのか。
- 山形県には、火山が集中しています。火山は、地下水を高温に熱するため、温泉が出来る要因になります。
- これによって、山形県には多様な温泉が生まれたと言われています。
「太平洋プレート」が、沈み混んで火山ができる
また、なぜ山形県では火山が多いのか。
- 日本列島の東の海にある、太平洋プレートが、列島(ここでは東北地方)の下に沈み込んでゆきます。
- 海底での沈み込んだ衝撃・摩擦熱などから、高温のマグマが沸き上がります。
- そのマグマが地上に出てきて、火山の噴火となります。
- 火山のマグマによって地下水が温められ、
- マグマが地下水をまるでお風呂のガスコンロのようにお湯をわかし、
- その「お湯」が地上に出てきて、温泉となります。
このように考えられています。
火山の周りには、温泉ができる
また、
- 雨や雪が降ると、それらの水は地下の奥深くにもぐってゆき、地下水となります。
- その地下水が、地下の火山によるマグマで温められます。
- 以下、先述のようなプロセスで、暖められたお湯が、地上に涌き出てきます。
ことによって、温泉となります。
銀山温泉へのアクセス
銀山温泉へは、奥羽本線・大石田駅から、バス等で向かうことができます。
つまり、奥羽本線・大石田駅(山形県尾花沢市)からのアクセスが便利ということです。
例えば、東京などから山形新幹線に乗って、大石田駅まで行くことができます。
そして、大石田駅からは「銀山温泉」行きのバスが出ています。
バスに揺られながら、山々の景色を楽しむのもいいですね。
ただし、バスの本数は多くないので、事前に時間を確認しておくのがおすすめです。
ラブひな「ひなた温泉」の舞台?
また、銀山温泉はラブひなという漫画の「ひなた荘」という温泉宿のモデルにもなりました。
現・参議院議員の漫画家・赤松健によって描かれた漫画です。
ヒロインの成瀬川なるが、東北・北海道へ逃亡するときに、通った場所でもあります。
なるパンチを何百回も食らった浦島K太郎君は、不死身の体を持つと言われています。
私(筆者)はラブコメ系の漫画が好きであり、昔はラブひなや「ぱすてる」という漫画をよく読んでいました。
「おしん」のロケ地にもなりました。
銀山温泉は、「おしん」のロケ地にもなりました。
その他、
- 鬼滅の刃
- 千と千尋の神隠し
などのロケ地になったとも噂されています。
銀山温泉の歴史
銀山温泉の歴史について、もう少し詳しくみてゆきましょう。
かつては「延沢銀山」から、その歴史がはじまった
かつてこの地でシルバー(銀)ががっぽり産出・採れたという延沢銀山は、室町時代の15世紀に開かれました。
ちなみに、日本の三大銀山は、
- 石見銀山:島根県
- 生野銀山:兵庫県
- 延沢銀山:山形県
になります。
かつてこれらの銀山は、多くの銀(シルバー)を産出したのでした。
そして、これらを売ることで、働く人々は食べていくことが出来たのでした。
石見銀山とは?(島根県)
ちなみに石見銀山は、島根県大田市にある銀山です。
石見銀山は、戦国時代後期~江戸時代前期にかけて、最盛期を迎えたのでした。
石見銀山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

生野銀山とは?(兵庫県)
また、生野銀山は、兵庫県の銀山です。
この生野銀山は、織田・豊臣・徳川それぞれの幕府による直轄領の鉱山として栄え、銀・銅などを産出してきた鉱山です。
銀山温泉のはじまり(開湯)
銀山温泉の開湯(つまり、温泉のはじまり)は、
- 江戸時代の前半あたりに、
- かつてこの地に栄えてきた野辺沢銀山で働いていた鉱夫(※)が、
- 洞窟(炭鉱)を掘っていたとき、たまたま温泉(お湯)が吹き出して、
- 温泉を発見した
ということがはじまりです。
※鉱夫:炭鉱で働く人・銀を掘り起こす人のこと。
江戸初期、鉱山で働く人が増え、人口増加
江戸時代初期の17世紀(1600年代)前半には、銀山で働く(銀を掘り起こす)人たちがたくさん住んできました。
そして、人口約20万~30万を数えるほどまでに発展し、栄えていました。
江戸時代の人口は1,200万人でしたから、当時の人口規模ではすごいですね。
銀山の衰退 温泉街・観光へシフト
しかし江戸時代初期の17世紀中期あたりから、銀山における銀の採掘は、どんどん衰退していってしまいました。
銀の量が減少し、大崩落が発生したことで、廃山となったのでした。
こうした銀山の衰退に代わって、温泉による湯治が盛んになっていったのでした。
つまり、銀の利益で儲けるのでなく、温泉の利益で儲けることができるように、ビジネスモデルがシフトチェンジ(転換)していったというわけです。
温泉街の発展
1689年に銀山が閉山した後には、代わって「温泉宿」が建てられてゆきました。
そして、はじめて湯治場として賑わっていったのでした。
湯治とは、お湯の力を使って病気や怪我などを治すことです。
しかし銀山温泉は、1913年に起きた大洪水により、温泉街は壊滅してしまったのでした。
その後は地元の財界(お金持ち達)の力によって、銀山温泉はそこから復興していったのでした。
現在よく知られる温泉街の光景は、そのときに作られていったのでした。
「国民保養温泉地」に指定
1968年に、銀山温泉は国から「国民保養温泉地」に指定されています。
国民保養温泉地とは、温泉の利用を促進させていくために、温泉法という法律に基づいて、国のエライ人である環境大臣によって指定された温泉地のことです。
「国民保養温泉地」として指定された温泉地には、
- 温泉施設の整備・維持・メンテナンス
- 環境を改善していくための労力
のために必要な、補助金が支給されます。
補助金を支給する目的
- 温泉を利用するための施設を、お金をかけてでも整備していくこと
- 温泉の環境を改善していくこと
指定条件
- 温泉の効能がとても優れていること
- 湧き出てくるお湯の量が、豊富であること
- 環境衛生面における条件が良好であること(つまり、汚くないこと)
- 医学的な立場から、温泉利用の指導を行うための顧問医がいること
昔は行きづらい場所にあった、銀山温泉
銀山温泉は、奥羽本線に沿った奥州街道から、10km以上のかなり山奥にあったのでした。
そのため、長い間はなかなか人々にとっては行きづらい秘湯(秘境の温泉)でした。
花笠踊り
銀山温泉では、5月~10月までの毎週末には、山形県の名物である花笠踊りが、川の橋の上で練り歩き、披露されています。
練り歩きとは、いわば行列をつくって、みんなでゆっくりと歩くことです。
花笠踊りは、
- 山形県
- 京都市
- 新潟県佐渡市
などで行われる郷土芸能です。
花笠とは、花で模様をつけられた笠(つまり、かぶるもの)のことです。
すなわち、花笠や太鼓、また歌に合わせて踊るという、いわゆる民俗舞踊になります。
花笠踊りには、
- 五穀豊穣
- 安寧な暮らし
を願うという祈りが込められています。
山形県の花笠踊りは、
- 威勢のいい掛け声
- 花笠太鼓(ドラムみたいな楽器)
に合わせて、花笠音頭(歌)に合わせて踊ります。
銀山温泉の街並みは「大正ロマン」にあふれている
まず、銀山温泉の街並みについてです。
温泉街の真ん中を流れる銀山川の下流から温泉街を眺めると、まるで大正時代にタイムスリップしたような、リアルに素敵な風景が広がっています。
この光景こそが、まさに銀山温泉を代表する景色なわけですね。
なぜ銀山温泉では、この景色が守られているのか?
この素晴らしい街並み、どうしてそのままの姿で残っているのでしょうか。
普通は長年の雨風などにさらされたり、老朽化・腐敗などしてしまいそうなものですね。
実は、その秘密は「条例」にあるわけです。
すなわち、美しい景観を守るために、ルールが定められているからです。
銀山温泉家並保存条例
山形県の尾花沢市では、1986年に
- 「銀山温泉家並保存条例」
とよばれる条例を制定しました。
- 家並:家が建ち並ぶ様子や風景のこと。
- 保存:大事なものを守り、そのまま保つこと。
- 条例:主に「市」「町」などが定めたルール。国が作る法律よりも下に位置するため、当然ながら法律に違反するような条例は作れない(ダメな例:「市長や町長を批判することを禁止する条例」など)。
そもそも「条例」とは?
この「条例」という言葉、少し難しく聞こえるかもしれませんね。
この条例とは、簡単に言うと
のことです。
たとえば、国が定める「法律」よりも下の位置づけになりますが、その地域に住む人々や、訪れる人々の暮らしをより良くするために、作られるものなのです。
地域ごとに特化した「条例」の重要性
例えば、商業や工業をバリバリやっているような市や町に対して、銀山温泉のような「景観を保つような条例」を定めても、無意味なわけです。
このように、条例というのは国全体で守る「法律」とは違い、地域ごとに特化したルールを決めることが可能なのです。
また、日本では憲法で「言論の自由」が保障されていますので、例えば
- 市長や町長を批判してはならない
みたいな条例を作るのは認められません。
この条例によって、銀山温泉は何が変わった?
この条例のおかげで、銀山温泉の美しい街並みは、ずっときれいに保たれています。
すなわち、みんながこの条例というルールを守ることで、素晴らしい景観を後世に引き継いでいけるのですね。
こうした地域ごとのルール作りって、本当に大事となってくるわけです。
条例の目的
- 銀山温泉の温泉街の、キレイで美しい景観を保っていくこと。
- 風情 のある旅館の町並みを維持・保存してゆき、そのために補助金を出したり、どうしたらキレイになるかについて、みんなで話し合いをしていくこと。
この条例の主なポイントは?
銀山温泉の美しい景観を守るための「条例」ですが、その中にはいくつかの重要なルールが含まれています。
建物のデザインを統一する
まず初めのルールとして、温泉街の雰囲気に合うように、「いかにも温泉街」っぽくなるように、建物の外観・デザインを守るための基準が定められています。
つまり、温泉街にふさわしくないような、変な建物は建てられません。
銀山温泉がいかにも「大正時代っぽい」あふれる街並みを保つためにも、修理や改築をするときにも、こうした気を付けるべきルールがあるのですね。
補助金がもらえる
建物を修理したり、メンテナンスしたりするには、甚大なお金がかかります。そのため、そんな地元の維持負担を少しでも軽くするようにお金がもらえる「補助金」制度があります。
もちろんこの「補助金」は好き勝手に使っていいわではなく、必ず「地域の発展」のために使われなくてはなりません。
ルール違反すると、補助金が停止させれてしまうことも考えられます。
つまり、素敵な建物を維持していくためのサポートがある、ということですね。
これはとてもありがたいことだと思いませんか?
みんなで話し合いをする
この条例がきちんと機能するように、まともに運用されるように、「審議会」とよばれる、話し合いの場が設けられています。
町をきれいに保つためには、
- みんなで協力して、意見を出し合うこと
が大切だという考えがうかがえますね。
条例がもたらした素晴らしい成果
この条例のおかげで、銀山温泉の街並みは大きな成功を収めました。
地元の住民と行政が一緒になって景観を守る努力をした結果、温泉街の歩道は「敷石」で舗装されるなど、より一層のこと「大正時代っぽい」雰囲気が演出されるようになりました。
こうした取り組みが評価され、1995年度には「やまがた景観デザイン賞」を受賞しているわけです。
これは、地元の皆さんの努力が報われた結果ですね。
銀山温泉の風情ある街並み
銀山温泉は、最上川の支流(つまり、最上川といずれ合流し、吸収される川であるということ)である銀山川の両岸に、素敵な旅館が立ち並んでいます。
これらの旅館は、大正から昭和の初めにかけて建てられたもので、当時としてはとてもモダンでおしゃれなデザインだったわけですよ。
大正時代は現在のようなビジネスホテルや、カプセルホテルなどの様々な選択肢はありませんでした。
なので、当時は温泉旅館が主流だったのです。
レトロなガス灯の秘密

銀山温泉・ガス灯(山形県尾花沢市)
温泉街の石畳の歩道には、いわゆる「ガス灯」が並んでいます。
このガス灯が、温泉街の雰囲気をより一層引き立ててくれていますね。
ちなみに、日本で初めてガス灯が使われたのは、1872年の横浜でした。
そのあと、1874年には東京の銀座通りにも登場したそうです。
しかし、明治時代が終わりを迎えるころには、電気でつく「電灯」が主流になり、ガス灯はほとんど見られなくなってしまいました。
そんな中で、こうしてガス灯が残されているのは、とても貴重なことですよね。
銀山温泉の藤屋旅館を支えた、藤ジニーさん
銀山温泉にある旅館「藤屋」で、かつて女将を務めていた藤ジニーさんをご存知ですか?
彼女は、旅館の7代目当主の奥様でした。
藤ジニーさん(Jeanie Fuji)は、1966年生まれのアメリカ人です。
もともとはジニー・ピュー(Jeanie Pugh)というお名前でした。
日本に来る前は、外国語指導助手(ALT)として働いていたそうです。
しかし、現在は離婚され、地元のアメリカ・オレゴン州へ帰国されています。
女将とは?
女将とは、日本の旅館や料亭などで、経営を取り仕切る女性のことです。
お客様を温かく迎え入れ、サービス全体を管理する、いわば「お宿の顔」ですね。
着物姿で働く姿を思い浮かべる人も多いかもしれません。
女将は、お客様が快適に過ごせるように、細やかな気配りや心遣いを大切にしています。
いわば「おもてなしの心」で、そのお店や旅館の雰囲気を形作る、とても大切な存在です。
最上川が育んだ歴史
銀山川と大石田町は、かつて最上川を使った「舟運」でとても栄えました。
「舟運」とは、舟を使って物資を運ぶことですね。
最上川は、山形県を象徴する、県内で一番大きな川です。
そして、この川は、なんと
- 一つの県の中だけで流れる川としては、日本一の長さ
を誇るわけです。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅でこの川を通ったとされています。
舟の難所「最上川三難所」
大石田町の南側には、「最上川三難所」と呼ばれる、舟が通るのがとても難しい場所がありました。
- 碁点
- 隼
- 三ヶ瀬
という3つの場所です。
そのため、モノを安全に運ぶためには、一度、大石田河港とよばれる、川のそばにある港・船乗り場みたいな場所で、舟から荷物を下ろさなければなりませんでした。
つまり、この難所を避けて、荷物を陸路で運んだ方が、ずっと確実だったわけですね。
また、日本海側にある酒田港から最上川を逆上して登ってきた来た大きな舟も、この難所があるため、それ以上は進むことができませんでした。
このように、大石田は舟運の重要な拠点だったわけですね
奥羽山脈を越えて、仙台へも大阪の名物をもたらした
こうした事情から、大石田は最上川の港としては最大の物資の集積地(=売るために必要なモノがたくさん集まってくる場所)もして繁栄してきたのでした。
つまり、先述の最上川のルートにおける難所を避けるために、陸に荷物をあげるためですね。
さらにその輸送ルートは、南の山形県・村山地方や置賜地方のみとはなりませんでした。
むしろ、そこからはるか奥羽山脈を越えて、東の仙台藩にまでかけて、
仙台城の城下町へと、関門海峡・日本海を大回りしてやったした上方(大阪)の物資をもたらしたのでした。
なお最上川は、
- 熊本県の球磨川
- 静岡県の富士川
と並び、日本三大急流のひとつに数えられています。
ちなみに、日本の川の「流れが速い」のは、
- 日本の山々はみんな急で傾斜がきつく、
- とても短い距離で標高差を落とし・下げるような流れている
ことなどが理由です。
おわりに・まとめ
さて、銀山温泉の地理や歴史について学んでみて、いかがでしたか?
この場所が持つ物語や、美しい街並みが守られてきた背景を知ることで、ただの観光地ではない、特別な場所だと感じてもらえたら嬉しいです。
これから銀山温泉を訪れる際には、きっと今までとは違った視点で見ることができるでしょう。
街並みのひとつひとつに、昔の人々の思いが詰まっていると考えると、旅がもっと面白くなりますよね!
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