修善寺温泉の観光・歴史と、弘法大師・空海および源頼家のエピソードにまつわる話題を、初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!
今回は、修善寺の観光と歴史
今回は、修善寺の観光と歴史を楽しく学びましょう!

修善寺温泉の景色(静岡県伊豆市)
修善寺温泉は、伊豆半島で最も古い歴史を持つ温泉地です。
すなわち、弘法大師・空海の伝説や、源氏の悲劇など、深い物語がたくさん詰まっています。
それでは、美しい自然と歴史ロマンに触れる旅へ、一緒に出かけましょう!
アクセス(移動手段)
修善寺へは、主に伊豆箱根鉄道・駿豆線を利用して行くことができます。
すなわち、新幹線も停車する三島駅(静岡県三島市)ら乗車するのが便利です。
ちなみに、駿豆線の終点駅が「修善寺駅」になります。

修善寺駅(静岡県伊豆市)
すなわち、そこからはバスやタクシーで温泉街へ向かいます。
つまり、東京方面からもアクセスしやすい観光地というわけですよ!
修善寺温泉の概要
修善寺温泉は、静岡県伊豆市にある、伊豆において最古の温泉地です。
それはかつて大昔、弘法大師・空海が、
- 独鈷という仏教のアイテムを用いて、
- 岩を砕いてお湯を湧出させた
という、いわゆる開湯伝説というものが残っています。
したがって、「独鈷の湯」は温泉街のシンボルになります。
また、鎌倉時代2代目将軍である源頼家が幽閉され(閉じ込められてしまい)、暗殺されたしまったエピソードでも知られる修禅寺を中心に栄えてきた町だったのでした。
すなわち、修善寺は歴史と風情あふれる、美しい温泉街が魅力ですね!
観光地・修善寺温泉とは?
では改めて、今回のメインである修善寺温泉は、静岡県・伊豆市修善寺にある温泉です。
伊豆半島のちょうど真ん中(よりちょっと上)くらいに位置し、かなりの内陸部であります
また、
- 天城峠とよばれる、まさに険しい山々に囲まれた、
- 狩野川が削って作ったわずかな平地の中に、
- たくさんの民家が並んでいる
という、なんとも風光明媚な町並みになります。

修善寺からの、狩野川の景色(静岡県伊豆市)
周囲はそれだけキレイな町並みがあるわけなので、かつてより川端康成などに代表される文豪たちにも愛されてきた町だったのでした。
修善寺は、伊豆半島で、最も古い歴史がある温泉なわけです。
温泉街の魅力

修善寺の温泉街を流れる修善寺川(静岡県伊豆市)
温泉街の中心には、修善寺川(通称:桂川)が流れています。
そして、川の周辺には温泉宿や飲食店が建ち並んでいます。
この温泉地のシンボル的存在といえば、やはり先述の
- 「独鈷の湯」
です。
ここは、無料で足湯を楽しめるようになっています。
「修善寺」の地名の由来となった修禅寺
また、修善寺のこの町の近くには、地名の由来となった修禅寺というお寺あります。
すなわち、
- お寺の名前が、そのまま地名の元になった
のですね。
ただし、字が若干異なりますので、注意が必要です。
- 地名:修善寺
- お寺の名前:修禅寺
修善寺温泉の歴史と伝説
修善寺温泉の歴史は、平安時代に弘法大師・空海が開いたという、修禅寺の歴史とともにあります。
つまりこのお寺が、温泉の起源とも深く関わっているのですね。
修善寺温泉・開湯の伝説
それは、修善寺川において、病気の父親の体を洗う少年を見たときのことです。
そこで、弘法大師が独鈷とよばれる仏教で使われる道具を用いて、岩を砕きました。
すると、なんとそこからお湯が湧き出した、という伝説です。
修善寺温泉を発見した、弘法大師・空海とは?
弘法大師・空海は、平安時代初期の僧侶ですね!
和歌山県の高野山に、真言宗という仏教の宗派を開いた人でもあります。
すなわち、仏教の教えを人々に広め、日本文化の発展に大きく貢献した、まさにスーパースター的な存在なわけです。
偉大すぎて、後の時代に「弘法大師」という称号が贈られたわけですよ!
修善寺温泉以外に、空海が発見した温泉は?
空海が発見したとされる温泉は、もちろん全国にたくさん残っています!
したがって、修善寺温泉以外にも、いくつかご紹介しますね。
例えば、
- 湯村温泉:兵庫県
- 別所温泉:長野県
- 杖立温泉:熊本県
などの温泉があります。
これらの温泉では、
- 「空海がお杖で地面を突いたら、お湯が湧き出した」
という伝説が残っているわけです。
つまり、空海の「仏の力」で、
- 人々の病を治すため
に、温泉を湧かせたと考えられていますね!
空海が発見した温泉は多い?
空海が発見したとされる温泉は、非常に多いです!
すなわち、彼が全国を巡って布教活動を行っていた際に、
- (病や怪我に陥った)人々を助ける目的で、温泉を湧かせた
という伝説が、日本各地に数多く残っているわけです。
昔はSNSやYouTubeなども無かったので、自力で歩いて旅して布教をするしかなかったのです。
そして、空海ゆかりの伝説の温泉が残る場所は、なんと数十か所にも及ぶと言われています。
これは、空海が温泉を通じて、当時の人々の生活や病気の治療に、深く寄り添っていた証拠だと考えられます。
したがって、彼がいかに民衆に愛されていたかがわかるエピソードだと言えるでしょう!
空海以外に、温泉を発見した人はいる?(円仁など)
空海以外にも、
- 円仁
- 行基
といった高僧が、多くの温泉を発見したという伝説があります。
高僧:徳が高く、優れた僧侶のこと。
例えば、
- 円仁(慈覚大師):蔵王温泉(山形県)など
- 行基:有馬温泉(兵庫県)など
を発見したと伝えられています。
また、彼らも空海の場合と同じように、布教活動をしていく中で、人々の病気の治癒を願って、温泉を見つけたとされているわけですよ!
つまり、昔のお坊さんたちは、
というわけですね!
源頼家の悲劇
鎌倉幕府の時代には、源頼朝の息子である、鎌倉時代2代将軍の源頼家が、修禅寺に幽閉されてしまい、そこで暗殺されてしまいました。
幽閉とは、人をある場所に閉じ込め、外部との接触を絶つことを意味します。
すなわち、監禁の一種です。
特に人里離れた場所や、人目につかない場所へ閉じ込めるというニュアンスを含みます。
つまり、源頼家は、
- まだ若くして、政治がさっぱりわからない状態で将軍職に就いたため、
- 独裁政治をやってしまい、北条氏の怒りを買い、
- 修禅寺に閉じ込められてしまった
のでした。
また、軟禁は、いわゆる監禁の一種です。
外出を禁じる程度の制限を指します。
幽閉は、軟禁よりもさらに厳しい処罰の状態を指します。
源頼家が、いかに北条氏たちからの怒りを買ったのかがわかりますね。
源頼朝の没後、源氏の勢力が弱まり、北条氏の台頭へ
頼朝の死後、源頼家の勢力が急激に弱まった背景には、以下の理由があります。
- 頼家の若さと、経験不足
- 御家人たちの反発を招くような、専制的な政治
- 北条氏による実権掌握の動き
すなわち、
- 頼家の独裁体制に反発する御家人たちによって結成された、話し合いを重視する「13人の合議制」によって、
- 源頼家は政治の実権を奪われたこと
が、衰退の直接的な原因です。
そして源頼家は、最終的には北条時政によって将軍職を解かれ、幽閉されてしまいました。
先述の通り、まだ若くして政治のことをさっぱり解っていなかった源頼家は、偉大な父親(頼朝)には到底及ばず、鎌倉幕府を支えるための基盤・実力が不足していたのですね。
実力・経験値が不足していたためか、頼家は気まぐれで専制的な政治を行い、御家人たちの反発を招いてしまったのでした。
これが、彼が修禅寺に幽閉されてしまった原因でした。
「13人の合議制」の導入
先述の通り、頼家が若年であるという理由により、北条時政らの主導により、
- 「13人の有力御家人による合議制」
が導入されました。
つまり、源頼家の気まぐれな独裁ではなく、みんなの「話し合い」で政治をやっていこうとしたのでした。
そのため幕政の主導権が、頼家から遠ざかってしまいました。
さらに、先ほどの「合議制」を開いた北条時政は、頼家を将軍職から解き、源実朝を三代将軍に擁立しました。
そして当の本人の北条時政は、将軍は一応形式に立てつつも、
- 自らが権力を握ることで、北条氏が幕府の最高責任者である
という、いわゆる「執権」の座を独占するという流れを作り出したのでした。
別当公暁による、鶴岡八幡宮での実朝暗殺
しかし、この3代将軍・実朝も、すぐに暗殺されてしまうことになります。
幽閉されて殺された源頼家の息子である公暁は、頼家が伊豆・修善寺へと追放された後に、神奈川県・鎌倉の鶴岡八幡宮の別当という管理職となりました。
別当:寺社の管理職のトップのことです。
したがって、源頼家の息子・公暁は、僧侶として育てられたわけです。
しかし公暁は、父である頼家を死に追いやったとされる北条氏への恨みを、徐々に募らせていきました。
そしてついに、叔父にあたる三代将軍・源実朝を鎌倉・鶴岡八幡宮において暗殺してしまうというなんとも衝撃的な事件を起こしてしまったわけですね…。
鶴岡八幡宮については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

修禅寺の主な施設
歴史あるお寺・修禅寺
弘法大師・空海が、807年に開基したと伝わる古刹です。
古刹とは、歴史が古く、由緒ある寺院のことです。
特に、長い歴史を持つ名刹(めいさつ=名高いお寺)を指すことが多いです。
「古刹」の定義
「古刹」という言葉は、
- 寺院(つまりお寺のこと)を指す「刹」という言葉に、
- 「古い」という意味の「古」が組み合わさったもの
になります。
もちろん、「古寺」という言葉もあります。
しかし、古寺は必ずしも由緒ある寺院とは限りません。
単なる古びた、または古い寺院という意味合いで使われることもあります。
修善寺温泉・独鈷の湯についてさらに詳しく
「独鈷の湯」の伝説
弘法大師・空海が修善寺を訪れたときのことです。
空海は、修善寺の真ん中を流れる桂川で、病におかされた父親の体を洗う少年を見つけました。
すなわち、その親孝行な少年の姿に心うたれたのです。
そして、空海は手に持った独鈷で、川の中の岩を打ち砕きました。
その結果、霊泉を噴出させたというわけです。
修善寺温泉・独鈷の湯の「足湯」
先述の修善寺温泉・独鈷の湯は、修善寺温泉発祥の湯です。
すなわち、温泉が最初に湧き出したとされる場所なのですね。
現在では、無料で足湯が利用できます。
足湯(あしゆ)とは、全身をつかるのではなく、足だけお湯に浸かるタイプの温泉です。
長野県の上諏訪駅のように、駅前にもあったりします。
したがって、靴下を脱ぐだけで手軽に入れるのが魅力です。
足湯の効果
足だけお湯につけておくだけでも、約20分もあれば、温まった血液が全身に行き渡ります。
そのため、冬でも暖まったり、疲れがとれたりするというわけです。
足湯には、様々な効果が期待できます。
- 冷え性改善
- リラックス効果
- むくみ改善
- 免疫力アップ
- 転倒防止
特に、足の血行を促進することで、全身の血行も良くなります。
すなわち、体の温まりや疲労回復に繋がります。
また、就寝前に足湯をすることで、寝付きが良くなるという効果も期待できるわけですよ!
冷え性の改善
足湯で足を温めることで、末梢血管が拡張します。
その結果、血行が促進されます。
これにより、冷え切った足先だけでなく、全身の冷えを改善するという効果が期待できます。
リラックス効果
足湯は、筋肉の緊張を和らげます。
そして、心身ともにリラックスした状態に導きます。
温かいお湯に足を浸すことで、副交感神経が優位になります。
すなわち、リラックス効果を高めることができるのですね。
副交感神経が優位になるとは、自律神経の一つである副交感神経が、交感神経より活発になることを指します。
すなわち、副交感神経はリラックスしているときや、休息しているときに優位になります。
その他の名所
竹林の小径(ちくりんのこみち)
桂川に沿う、手入れされた竹林の中の遊歩道です。
まさに散策にぴったりの、風情ある場所というわけですね。
源氏公園・指月殿(しげつでん)
源頼朝の妻である北条政子は、先述の通り修禅寺に幽閉されて亡くなった息子・源頼家の冥福を祈りました。
そして、源頼家を供養するための菩提所として建立したのが、この指月殿です。
ちなみに、これは伊豆最古の木造建築物とされています。
菩提所とは、先祖代々のお墓があるお寺や、供養を行うお寺のことです。
源頼家の墓
また、頼家のお墓は、江戸時代の1703年における頼家の500回忌の際、修禅寺の住職(つまり和尚さん)によって建てられたと伝わっています。
十三士の墓
頼家が暗殺された後、再起をはかろうとした頼家の家臣(部下)の13人たちが謀反を企てました。
しかし、それが発覚してしまい、彼らは殺害されてしまったと伝わっています。
十三士とは、源頼家が修善寺で暗殺された後に、主君・リーダーの仇を討とうとした、あるいは殉死したとされる13人の家臣(部下)たちのことです。
彼らの具体的な名前は、わかってはいないようです。
ちなみに、先ほどの「十三人の合議制」とは名前は似ていますが、全くの別物です。
すなわちこのお墓は、その頼家の家臣(部下)たちの霊を祀っているというわけです。
おわりに・まとめ
ここまで修善寺の歴史や見どころを学んでみて、いかがだったでしょうか?
源氏の悲劇や空海の伝説など、深い物語に触れることができたと思います。
したがって、修善寺が単なる温泉地ではなく、歴史の舞台であったことが伝わったのではないでしょうか。
本当に、訪れるのが楽しみになるような、魅力的な場所ですね!
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