山形新幹線とは何か?について、その基本・歴史から、初心者の方にも、わかりやすく解説してゆきます!

山形新幹線・新庄駅より(山形県新庄市)
今回は、山形新幹線と、その歴史
今回は、山形新幹線や、その歴史についての解説です!
山形新幹線は、いわゆる「ミニ新幹線」という、それまでの新幹線とはちょっと違った特殊な仕組みで実現したのでした。
すなわち、既存の在来線の線路の幅を広げるという、いわゆる改軌工事によって、
というわけです。
改軌工事:鉄道のレールの幅を変更するための工事のことです。
山形新幹線の場合は、新幹線が通れるように、幅を広くしたのでした。
したがって、かつて1992年に山形県で行われた国体という大きなイベント(後述)をきっかけに、
- 地元の人々の強い願い
- 柔軟な発想
ら生まれた、まさに知恵と努力の結晶だったというわけです。
それでは、これから東京と山形を結んだ、このとても画期的だった新幹線にまつわる誕生秘話を、一緒に学んでゆきましょう。
山形新幹線って、どんな新幹線?
基本情報とミニ新幹線
山形新幹線は、JR東日本が運行する、それまでの新幹線とは少し違った、特別な新幹線の通称です。
つまり、
- まず東京駅から福島駅までは、東北新幹線の線路を走って、福島県まで北上してゆきます。
- 福島駅から新庄駅までは、奥羽本線という在来線の線路を、内陸部・西にある山形県まで向かって、そのまま走ります。
という、二つの路線を直通して走る列車というわけです。つまり、福島駅での乗り換えは不要ということですね。
奥羽本線:
- 福島県の福島駅
- 青森県の青森駅
をそれぞれ結ぶ、東北地方を縦断する路線のことです。
今回解説する山形新幹線のほか、秋田新幹線も、この奥羽本線の一部の区間を走行します。
福島〜米沢の区間の峠は、急勾配の難所としても知られています。
直通:途中で乗り換えることなく、そのまま直接、列車が目的地まで走り続けることです。
在来線:新幹線ではない、それまでの既存の普通列車などが走る路線のことです。
山形新幹線の計画は、国体とTGVから!
この山形新幹線の計画は、1992年に山形県で「べにばな国体」という大きなスポーツ大会が開かれることが決まったことから始まったのでした。
「べにばな国体」:1992年(平成4年)に山形県で開催された、第47回の国民体育大会(国体)のことです。
国民体育大会(国体):毎年開催される、国内最大のスポーツの祭典のことです。
第1回は1946年の「近畿国体」で、第47回は1992年の山形県でした。
都道府県対抗形式で行われます。
2024年の第78回大会からは国民スポーツ大会(国スポ)に名称が変更されました。
そこで山形県は、この大会に合わせて、交通の整備を進めようと考えたわけですね。
それと前後して、当時の国鉄の幹部だった山之内秀一郎さんというすごい人が、あるアイデアを思いつきました。
彼は、フランスの高速鉄道であるTGVが、
- TGVの終着駅からは在来線に乗り入れて、
- そのまま地方都市へと直通している
ということに注目したわけです。
山之内秀一郎(1933年~2008年):日本の実業家です。
東京大学工学部を卒業後、日本国有鉄道に入社。
国鉄時代は、現場の鉄道技術者として、新幹線の技術開発などにも携わりました。
2003年には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の初代理事長に就任しました。
TGV:フランスの高速鉄道の愛称です。
「Train à Grande Vitesse」の頭文字であり、フランス語でそれぞれ「列車」「大きい」「速度」を意味します。
最高時速320km/hを誇り、日本の新幹線の記録を塗り替えたこともある高速列車です。
すなわち、これと同じような仕組みを応用して、
- スキーで有名な蔵王がある、山形にも新幹線を乗り入れさせたい!
との思いから、「ミニ新幹線」の構想を思いついたのでした。
蔵王:山形県と宮城県の県境にそびえる山々であり、最高峰は熊野岳で標高は1,841mです。
山形側(山形市)に位置する、蔵王温泉を中心とした一大観光地でもあります。
蔵王の山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

ミニ新幹線構想の実現へ
このミニ新幹線という計画は、先述の国鉄のお偉いさんである山之内さんが、すぐに発表したのでした。
しかし、最初は「意外な計画」に思われたのか、残念ながらほとんど誰からも反応がありませんでした。
しかし、この計画は約1年後にようやく計画が動き出します。
山形県は、「ぜひこの山形新幹線を実現したい!」と強く国に要望しました。
なぜなら、ミニ新幹線は、
- 今既にある在来線の線路を、広げるだけで走れる
というメリットがあったからです。
したがって、
と考えたのでした。
これは、とても現実的な方法だったわけですね!
奥羽本線ルートの決定
当初、国鉄は山形駅への乗り入れ方法として、
- 宮城県の仙台駅で東北新幹線から分かれて、仙山線を経由するルート
を考えていたわけです。
つまり、最初は山形県を通らないルートが検討されていたわけです。
仙山線:
- 宮城県の仙台駅
- 山形県の山形駅の少し手前にある、羽前千歳駅
とをそれぞれ結ぶJR東日本の路線です。
この路線名は、仙台と山形をそれぞれ結ぶことに由来して名付けられました。
全長58.0kmの山間部を通り、日本初の交流電化区間としても知られています。
しかしこれに対し、山形県内から強い要望が寄せられました。
すなわち、
との思いがあったからです。
そこで、山形県側は、県庁所在地である山形市へのアクセスを重視し、
- 「県庁所在地を通るルート」
を強く要望しました。
その結果、この要望が受け入れられ、
- 福島駅で東北新幹線から分岐し、米沢駅を経由して、山形駅へと向かう
という、まさに現在のルートである奥羽本線でも新幹線が通れるよう、線路の幅を広げていくという改良工事を進める方針が決まったのでした。
大規模な改軌工事と開業
こうして、山形新幹線の建設工事が始まりました。
実は、この工事は大規模な全面改軌工事でした。
つまり、山形新幹線の車両が走れるように、レールの幅を、
- 狭軌(1,067ミリメートル) → 標準軌(1,435ミリメートル)
に広げる工事だったのです。
標準軌:新幹線など、多くの国の鉄道で使われているレールの幅(1,435mm)。
狭軌:日本の在来線で主に使われているレールの幅(1,067mm)。
しかも、福島駅〜山形駅間は、元々ある奥羽本線の在来線の列車を運行させながらの作業という難工事だったわけです。
それはもう、大変だったことでしょう。
しかし、この奥羽本線の既設の線路を最大限に活用したことで、
- 工事費の削減
- 工事期間の短縮
という大きなメリットが得られました。
そして、1992年7月1日、
を果たしたのです!
開業後の効果と、新庄駅
山形新幹線の開業により、東京〜山形間の所要時間(かかる時間)は、最速42分も短縮されました。
実は、この短縮効果の大部分(32分)は、奥羽本線での最高速度が上がったことによるものです。
また、以前の在来線特急「つばさ」は、1日あたり7往復の運行でした。
しかし、山形新幹線に置き換わってからは1日あたり14往復へと倍増しました。
在来線特急「つばさ」:かつて1992年に山形新幹線が出来る前に、東北本線・奥羽本線などで運行されていた特急列車です。
同年に山形新幹線が開業したため、その愛称が新幹線「つばさ」として引き継がれることになりました。
そして、在来線の特急はその役割を終えて新幹線にバトンタッチする形で廃止されました。
さらに、お客さんが多い時期には、臨時列車もたくさん設定できるようになり、利便性が大きく向上しました。かなりの成功だと言えますね!
新庄駅(新庄市)の現状
新庄駅は、山形新幹線の終着駅です。
つまり、奥羽本線の
- 福島駅
- 新庄駅
までの区間は、新幹線が走れるように、標準軌(1,435ミリメートル)へと変更されています。
新庄駅:山形県の北部・新庄市にある駅であり、山形新幹線の終着駅です。
また、奈良県の葛城市にも同名の近鉄新庄駅や大和新庄駅がありますが、通常「新庄駅」とだけ言うと、山形県の方を指すことが多いです。
したがって、この標準軌になったことで、新庄駅から先の区間は、
- 狭軌(1,067ミリメートル)の奥羽本線・秋田駅方面
- 狭軌の他の路線
とは、同じ車両のままでの直通運転ができなくなっています。
線路の幅がそもそも違うため(新幹線=広い、在来線=狭い)、まあ仕方ない・当然ですよね。
また、新庄駅から西へ延びる陸羽西線は、2022年5月より列車の運行を休止しています。
そのため、現在はバスによる代行輸送となっているわけです。
陸羽西線:
- 新庄駅(山形県新庄市)
- 日本海側の、余目駅(山形県東田川郡庄内町)
を、それぞれを結んでいる路線です。
最上川に沿った路線で、愛称は「奥の細道最上川ライン」です。
おわりに・まとめ
山形新幹線の歴史について学んでみて、いかがだったでしょうか?
私は、「ミニ新幹線」というアイデアが、当初はなかなか理解されなかったというエピソードは、意外でした。
しかし、山之内秀一郎さんや山形県のによる必死の熱意が、やがて国を動かしました。
すなわち、TGV(フランスの高速鉄道)をヒントに、在来線の線路を活かすという柔軟な発想が、地域活性化に大きく貢献したというわけですね。
したがって、この山形新幹線の大きな成功は、
ということを教えてくれるように思いますね!
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