今回は絶世の美人と言われた小野小町について、その栄華・モテエピソード、そして切ない老衰などについて、わかりやすく解説してゆします!
はじめに:小野小町について学んでゆきましょう!
今回は、謎多き美人歌人である、小野小町について一緒に学んでいきましょう!
彼女は、歌人としてだけではなく、その美貌や老衰後の悲しい伝説などから、日本の歴史や文化に、深く根付いているというけです。
すなわち、彼女の歴史・モテエピソードや様々な伝説を知ることで、小野小町の「ゆかりの地」を訪れた時の観光や探訪が、きっと何倍も面白くなることでしょう!
小野小町とは?(基本的なこと)
小野小町は、平安時代初期に活躍した歌人です。
古今和歌集でも特に優れた歌人
彼女は、いわゆる「六歌仙」や「三十六歌仙」などという、特に優れた歌人の一人に数えられています。
六歌仙:『古今和歌集』の序文において、特に優れた歌人として列挙された、6人の和歌の達人のことです。
「美貌」「才能」両方を持ち合わせていた歌人
つまり、彼女は単に美人というだけでなく、才能にも恵まれたわけです。
すなわち彼女は、世の中の男であれば誰でも欲しがるような、まさしく才色兼備という言葉が相応しい美人であったというわけです。
才色兼備:美貌にも才能にもめぐまれた女性のこと。
小野小町の基本データ
- 生年・没年:これについては、詳しい記録がなく、不明です。
- 出身地については、これもまた諸説あり、出羽国つまり現在の秋田県という説が有力です。
出羽国:古代日本における旧国名・古いエリア分けの一つです。
現在の秋田県と山形県にあたります。
すなわち、小野小町の有力な出身地とされる、東北地方の大きな国だったわけです!
「謎」多き小野小町
小野小町は、先述の通り、平安時代初期を代表する歌人です。
彼女は「美人歌人」、「才色兼備の代表格」として非常にとても有名ではあります。
ただし、その生涯には、謎がとても多いことでも知られています。
そもそも「小町」とは?「小野小町」とは本名?
ちなみに「小町」という言葉には、もともと
- 「宮中に仕える、身分の高い女性」
- 「貴族の豪華な邸宅にいる、若い女性」
といったことを指す言葉だったわけです。
宮中:天皇がお住まいになる場所、すなわち皇居のことですね。
ここでは、政治や儀式など国にとって大事な仕事(公務)が行われていました。
すなわち、「小町」とは、
というニュアンスの言葉になります。
すなわち、「美しく気品のある女性」という意味合いで使われていた、通称や愛称のようなものですね。
「小野小町」は本名ではない!
- 本名: 小野小町の本名は不明です。
- 「小野」: これは彼女の氏、つまり姓ということになります。
- したがって、「小野小町」は、「小野氏出身の美人」という意味合いで呼ばれていたという可能性が高いと言えます。
なんだか、ミステリアスな雰囲気があって、余計に好奇心をそそられますね。
小野小町はなぜ・どうやって、秋田から京都へ移住した?
小野小町が出羽国、すなわち現在の秋田県から、京都の都へと移り住んだことに関する正確な理由や経緯などは、記録がまるで残っていないため、まったくの不明というわけです。
有力な説としては、彼女の父とされる(祖父ともされる)小野篁が中央の貴族だったため、その縁で都へ上がったと考えられています(※諸説あり)。
すなわち、京都の中心である宮中に出仕するために移住し、そこで歌人としての才能を開花させた、という説が有力です。
こうした美しい謎こそが、さらに彼女の魅力を高めていきますね!
世界三大美人?実は違う?
小野小町は、世界史における「三大美人」には、実は含まれていません。
例えば、世界三大美人としてよく挙げられるのは、以下の3人ですね。
- クレオパトラ(古代エジプト)
- 楊貴妃(古代中国)
- ヘレネ(古代ギリシャ神話)、または小野小町
したがって、「小野小町」が、日本の代表的な美人として、この「ヘレネ」の代わりに挙げられるケースも多いわけです。
残念ながら、世界では「小野小町」は世界三大美人とは思われていない、という可能性があるわけですね。
「日本三大美人」には、間違いなく入っている
一方、日本三大美人としては、
- 小野小町
- 衣通姫
- 藤原道綱母
の、3人が挙げられることが多いです。
まあ、さすがにこの「日本三大美人」には、小野小町が入っていないとおかしいですよね。
実は現代の「美人顔」「アイドル顔」などとは異なる!
小野小町は、例えば現代のような
- ぱっちりした大きい目
のようなアイドル女子顔とは、全く異なるのものでした。
小野小町は現代ではモテない!?現代と平安時代で異なる「モテ基準」
一方、彼女が生きた平安時代における美人の基準は、
- ぷっくりとしたほっぺた
- 細い目
- 色白い顔
という、いわゆるオタフクソースみたいな顔が美人とされていたのでした。
そのため、小野小町も、まさにそんな顔立ちだったとされていたわけです。
すなわち、もし小野小町が現代に生きていたとしても、アイドルの総選挙などでは苦戦するばかりか、むしろ美人としてモテていたかも微妙であるというわけです。
今と昔で、モテる女性(男性も)の定義や基準は異なるわけですね。
小野小町の、古今和歌集に収められた数々の名作
彼女の代表作は、『古今和歌集』に収められた、情熱的で少し物悲しい恋の歌が多いですね。
古今和歌集:延喜5年(905年)に醍醐天皇の命令で編纂された、最初の勅撰和歌集(=すなわち、天皇の命令で国が作った、とても重要な和歌集)であり、小野小町の歌も多く選ばれています。
小野小町のモテ伝説と、悲しい恋の歌
小野小町は、どれくらいモテた?
また、小野小町は、
- 「その類まれなる美貌」
- 「優雅で美しい、和歌の才能」
で、当時の男性貴族たちから、それはもう絶大な人気を誇っていたようです。
つまり単に「美人だったから」だけではなく、才能もとてもあったから、世の中の男性が欲しいほどモテたわけです。
彼女と結婚する条件「百夜通い」
また、美人すぎる彼女を求める男性をめぐっては、『百夜通い』という、有名な伝説が残されています。
この「百夜通い」は、モテすぎた彼女に求婚する男性に対して、
という無理難題・ムチャ振りな要求なわけです。
当然これは、小野小町にとっては意中にない男性を、相手のプライドを傷つけないための(相手にチャンスという余白を与えながら)断るための口実だったわけです。
99回もずっと通い続け、あと一歩で無念にも亡くなった深草少将
この「百夜通い」は、より具体的にいうと、
- 深草少将という男性が、
- 小野小町から「あなたと結婚してあげる」ための条件を提示される
- それは、「百夜(ひゃくや/ももよ)、ずっと私の元へ通いなさい」というムチャ振りな要求・提案だった
- 彼はなんと九十九夜まで根気よく続けたものの、
- あと一晩というところで、無念にも病に倒れて、亡くなってしまった
という、なんとも悲しいお話です。
深草少将:小野小町に恋をして、『百夜通い』という伝説に登場する、架空の人物です。
したがって彼は、小野小町の美しさを表す象徴として語り継がれている、悲恋の主人公というわけですね。
これはあくまで一例に過ぎませんが、多くの男性が彼女に夢中だったという数々のエピソードから、その絶大な人気とモテっぷりがうかがえますよね!
小野小町自身は、男性に恋することはあった?
彼女の歌は圧倒的に「叶わぬ恋」が多い
また、小野小町の歌には、たくさんの「叶わぬ恋」について歌ったものが登場します。
モテすぎた彼女が、なぜ「叶わぬ恋」!?
ん?あれ?ここで疑問が生まれるはずです。
と思いますよね。
理由のひとつには、当時は現代のような自由恋愛が無かったことです。
当時は身分によって恋愛が報われない(周囲から反対される)ことは普通だったため、たとえ小野小町のような美人であっても、叶わぬ恋はたくさんあったわけです。
バーチャル「失恋」だった!?
もう一つは、モテすぎた彼女にはリアルに好きな人はいなかったため、「妄想イケメン」に対して「叶わぬ恋」を描いて歌っていたという可能性です。
すなわち、彼女に好きな男性がいなかったのは、いわゆる「失感情症」、すなわちアレキシサイミアというやつです。
これは「人を好きになれない」という、いわゆる「モテ慣れ」した人におこる症状です。
すなわち、その辺のイケメンなどでは飽きてしまうため、ちょっとやそっとじゃ恋に落ちることはなかったわけですね。
想像(むしろ妄想)で書いた可能性
このように、彼女はモテ過ぎたゆえに、現実世界に好きな人もおらず、「リアル片思い」をしていたとは考えにくいというわけです。
そこで、
- 頭の中で、理想の「妄想イケメン」を作る
- そのイケメンに対して、恋が報われない気持ちを想像する
「いや、そんなバカな」と思うかもしれませんが、実は作詞をするときには、このような「妄想力」はとても重要になってきます。
というか、むしろこの妄想力が無いと、作詞やポエムなどを作ることはほぼ不可能です。
現代のJ-POPでも、多くのラブソングは「仮想異性」「妄想力」で書かれている
実は、現代の我々が好きなJ-POPのラブソングなども、妄想イケメン(美人)というペルソナに対して書かれたものが多いといえます。
ペルソナ:本来はマーケティング用語で、理想とする顧客像のことです。
なぜなら、実体験の恋愛だけに基づいた歌詞を書いていると、バリエーションが生まれにくく、売れる可能性を狭めてしまい、またリスナーの共感も得られにくいからです。
すなわち、真の作詞家というのは、こうした妄想力、そして圧倒的なクリエイティブな力によってなせる技なのです!
このスキルはAIには代替できない、まさにクリエイティブの結晶ともいえるでしょう。
したがって、小野小町の歌は、現代にも通じるJ-POPやラブソングの先駆けなのかもしれませんね!
老衰から晩年 失われゆく美貌
歳をとるごとに、彼女はモテなくなってきた?
彼女が若い頃にモテたことは、こうした様々なエピソードからも明らかです。
しかし、歳をとる(加齢・老化)につれて彼女の美貌は衰えてゆき、さらに晩年の姿については、悲しい伝説・エピソードが数多く残されています。
「花の色はうつりにけりな」自らの老衰を嘆いた歌
小野小町のうち、特に有名な歌は、こちらです。
「花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに」
- 花の色:私(小野小町)の美貌
- うつる:経ってしまう、すなわち経年劣化してしまう
- いたずらに:無駄に・むなしく
- ふる:「(雨が)降る」と「(時間が)経る=歳を取る」を掛けている
- 眺め:世の中のこと+恋の物思いにふける
- せし:「する」の過去形→した
- まに:間に
ずっと長い間、恋など思いにふけっていた間に。
すなわち、「時の流れによって(私の老化によって)美貌が衰えてしまった」という、世の中の無常観を詠んだ歌というわけです。
すなわち、
- 小野小町は、自分が美人であることを自覚していた
- しかし歳をとる(老化する)毎に、むなしくもその美貌は衰えて(衰退して)しまった
- それも、私が様々な恋について、思いにふけっていた間に。
といった、なんとも切ない・むなしいエピソードを書き表しているわけですね。
「卒塔婆小町」に描かれた、彼女の老衰しきった姿
また、例えば『卒塔婆小町』という能の演目では、彼女がすっかり老化してしまった、みすぼらしい姿になって登場します。
これは、「美しさは永遠ではない」という無常観を示すために、後世の人々が作り出した物語・創作だと考えられています。
若い女性は、今すぐ婚活市場へ!(あるいは稼ぐスキル取得)
現代の女性にとっても、いくら若い時にモテたとしても、歳を取ると容赦なくその容貌やモテ度は衰えていくわけですね…。
これには、世の中の無常を感じさせられます。
晩年は老衰・落ちぶれて、各地を放浪した?
こうした彼女の老衰エピソード・後世の創作は、たくさん存在しています。
- 老いた小野小町が、地方へと都落ちして、
- 哀れな姿で、各地をさまよった
- そして、最期は各地で無念に亡くなった
といったような「老衰エピソード」は、歴史的に能や御伽草子といった様々な形・エピソードで創作されていきました。
こうした「落ちぶれた老女」のイメージは、実話ではなく、後世の創作・フィクションである、という可能性が高いわけです。
したがって、小野小町の実際の晩年がどうだったかについては、正確にはわかっていない、というわけです。
小野小町の墓は、全国にたくさんある?
先述の通り、彼女は老衰して、各地でむなしくも亡くなったと伝えられています。
そのため、小野小町の墓と伝わっている場所は、なんと全国に十数か所も存在します。
特に、
- 秋田県湯沢市や、
- 京都市山科区の随心院
などが知られています。
水面に映る、自らの老化した顔に絶望…
さらに、中にはこんな老衰エピソードも存在します。
生涯独身だった小野小町
彼女は結婚したという記録はなく、生涯独身だったとされています。
やはり、「モテ慣れ」してしまった彼女にふさわしい相手は、生涯現れなかったのでしょう。
小野小町は、そもそも実在した?
ここまで読むと、小野小町は本当に実在したの?伝説や創作上の人なのでは?と思うかもしれません。
しかし、小野小町は実在した歌人であると、現在ではほぼ確実とされています。
『古今和歌集』に彼女の歌が18首も収められていることが、何よりの確かな根拠です。
しかし、彼女の美しい伝説や、悲劇的な物語が、あまりにも有名になりすぎています。
したがって、歌人としての実像よりも、伝説的な美人としてのイメージが先行しているわけですね。
彼女の詳しい生涯は謎に包まれていますが、歌人として存在したことは間違いありません!
その他、小野小町に関連すること
秋田新幹線「こまち」は、小野小町に由来?
秋田新幹線「こまち」の愛称は、いうまでもなく小野小町に由来しています。
それは当たり前ですが、「こまち」が走る秋田県は、冒頭にも述べた通り、小野小町の有力な出身地の一つとされている地域だからですね。
秋田新幹線:東京駅から秋田駅までを結ぶ新幹線です。
東北新幹線と田沢湖線、奥羽本線を、乗り換え無しの直通で運行しています。
1997年に開業し、最高速度は東京駅から盛岡駅までは320 km/hです。
しかし、盛岡駅から秋田駅まではミニ新幹線の区間のため、130 km/hに制限されています。
したがって、新幹線の愛称に「小町」という名前を付けることで、美しく、親しみやすいイメージを持たせようとしたのでしょう。
なんだか、華やかで素敵な新幹線の名前ですね!
「はやぶさ君」と「こまちちゃん」は、連結姿がキスしてるように見える?
また、
- 東北新幹線「はやぶさ」
- 秋田新幹線「こまち」
のそれぞれがお互いに連結している姿は、「まるでキスしてる」みたいですね!
これは、
- 「はやぶさ君」の緑色のノーズ(鼻)と、
- 「こまちちゃん」の赤いノーズが、
それぞれぴったりと接合している様子が、まるで二つの車両がキスしているように見えるわけですね。
とても愛しい、なんとも愛らしい姿ですね。
新幹線のこのアイデア考えた人スゴい!
「あきたこまち」は、小野小町に由来?
また、お米「あきたこまち」も、小野小町に由来しています!
「あきたこまち」は、秋田県で開発された、美味しいお米の品種ですね。
すなわち、秋田県の誇る「美人」である小野小町の名を、お米の名前として、冠することで、
- 「美しくて美味しいお米」
というイメージを強調したわけですね。
「あきたこまち」および「秋田美人」などについては、こちらの記事(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。
すなわち、「秋田」と「小町」、両方の名前を組み合わせた、地元愛あふれるネーミングというわけですね!
おわりに・まとめ
以上、小野小町の謎めいた生涯や、美しさと哀しみに満ちた物語を学んでみて、いかがだったでしょうか。
彼女の実在と伝説が混ざり合った人生は、まさしく興味深いものだったのではないでしょうか。
すなわち、彼女の歌が残る古都や、ゆかりの地とされる秋田などへ旅に出る時は、今回学んだ知識がきっと役立つことでしょう!
したがって、今後は彼女の歌の心を感じながら、各地に伝わる小町伝説に触れることで、きっとより深く感動的な旅になることでしょう!
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