新庄(山形県新庄市)の基本的な地理の知識から、「鉄道の町」「荘園の町」としての歴史についてまで、わかりやすく解説してゆきます!
今回は、山形県新庄市の地理・歴史
さて今回からは、山形県・新庄市の地理や歴史についての解説です!
新庄市は、雪深い最上地方の中心都市です。
すなわち、地域経済を支えてきた城下町であり、鉄道の町としても栄えた歴史があります。
こうした新庄市の歴史を知り、学んでおくことで、新庄の観光・旅行・探訪がよりずっと面白くなることでしょう!
山形県新庄市って、どんなところ?
最上地方の中心地・新庄

山形新幹線・新庄駅(山形県新庄市)
新庄市は、山形県の北東部に位置する市です。
東北地方の内陸部に位置する山形県は、大きく4つの地域に分かれます。
- 庄内地方: 日本海側の沿岸部にあたるエリアです。酒田市や鶴岡市が含まれます。
- 最上地方: 山形県北部。今回話題にしている新庄市を中心とした、内陸の盆地エリアです。
- 村山地方: 県の中央部にあたるエリアです。県庁所在地の山形市などがあります。
- 置賜地方: 県の南部にあたり、南は福島県です。米沢市などがあります。
新庄市は、山形県のこの4つの地方のうち、最上地方で一番大きな都市・中心都市となっています。
また、新庄市は人口規模で見ると、山形市・鶴岡市・酒田市・米沢市・天童市・東根市に次いで、現在は7番目前後の規模となっています。
山形新幹線による、新庄市への「流入」と「流出」
1999年に山形新幹線が新庄まで延伸されてから、「流入」「流出」といった人々の動きは大きく変わることとなりました。
まず、東京から新幹線で乗り換えなしで来られるようになったため、新庄まつりや銀山温泉(近隣)への観光客(流入)は、確実に増えました。
山形新幹線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

銀山温泉については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

便利な交通手段の代償「ストロー現象」
しかしその一方で、買い物やビジネス、若者の進学・就職で東京などの大都市へ人が流出・吸い寄せられるという「ストロー現象」も起きています。
したがって、便利になった反面、地方都市としての人口維持には苦労している面もありますね。
ストロー現象:交通手段が発達することで、地方の人が都会へ流れてしまい、地方が痩せ細ってしまう現象のことです。
しかしこのストロー現象は決して新庄だけに限った話ではなく、全国の地方都市にも言えることなのです。
そのため、新幹線のおかげで便利になった分、ますます観光客の誘致・移住者促進・企業の誘致などが地方都市にとっては課題・目標となっているわけです。
新庄駅の待合室が「広くて暖かい」理由
新庄駅のあの広々とした待ち合い室とロビー(もがみ交流センター)は、旅人にとっても地元の方にとっても、まさに「オアシス」のような場所です。
あの快適さは
- 「厳しい冬」
- 「乗り継ぎの待ち時間」
を考慮した、まさに雪国ならではの知恵と配慮が詰まっています。
真冬の新庄は、外に数十分いるだけで凍えるほどの寒さです。
そのため、暖房完備の広い空間は、単なるサービスではなく、安全に電車を待つための「避難所」としての役割も持っています。
また、本数が少ないからこそ、ただ待つだけでなく、お土産を見たり、地域の展示(新庄まつりの山車など)を楽しんだりできる工夫がされています。
待合室の待ち時間ですら、貴重や観光時間!
すなわち、
という町の意気込みが、あの綺麗な施設を生んだのですね!
例え真冬の駅の外に出なくても、展示を眺めているだけで観光気分になれるのは、旅人たちにとってはとても嬉しいおもてなしであると言えるでしょう。
「新庄」という駅名は、全国に多い!
実は「新庄」という名前が付く駅は、実は全国にたくさんあるんです!
山形県の新庄駅以外にも、北は青森から南は和歌山まで、各地に点在しています。

和歌山線・大和新庄駅(奈良県葛城市)
調べてみたところ、現在も使われている駅名は以下の通りです。
「新庄」が含まれる主な駅名
- 新庄駅:
今回話題にしている、山形県新庄市にある、山形新幹線の終着駅ですね。 - 大和新庄駅:
奈良県の葛城市にある、JR和歌山線の駅です。 - 近鉄新庄駅:
同じく奈良県葛城市にあり、大和新庄駅のすぐ近くにあります。 - 紀伊新庄駅:
和歌山県田辺市にある、JR紀勢本線の駅です。かつて「紀伊国」と呼ばれた和歌山県は、他の地域の駅名重複を避けるため、特に「紀伊~」という駅名が多いです。 - 津軽新城駅:
青森県青森市にあります。漢字は「新城」ですが、読み方は「しんじょう」なんですよ! - 東新庄駅:
富山県富山市にある、富山地方鉄道の駅です。 - 南新庄駅
山形県新庄市のお隣、舟形町にあるJR陸羽東線の駅です。 - 上新庄駅
大阪府大阪市東淀川区にある、阪急電鉄の駅です。 - 下新庄駅
こちらも大阪市東淀川区にある、阪急電鉄の駅ですね。
なぜ「新庄」という名前が多いのか?
「新庄」という地名は、もともとは
という意味があります。
したがって、昔、ここに新しい田んぼを耕しまくって、広大な領地が作られた場所に、この名前が付けられることが多かったんですね!
荘園とは?
昔の日本で、貴族や寺社などが持っていた私有地(自分たちの田んぼや土地)のことです。
まあ、もっと簡単に言うと、
- 743年の墾田永年私財法によって、「みんないくらでも耕していいよ!死んだ後も国へ返さず、自分の田んぼにしていいよ!」ということになり、
- あまりにもやる気マンマンで耕しまくったら、
- 盗賊などにお米を狙われるリスクもも大きくなったため、
- 武装した農民(これが武士のはじまり)などに守られた、デッカイ田んぼ
のことです。
なぜ荘園は、貴族や寺の傘下に入ったのか
それは、国司による強引な取り立てから逃れ、税金・年貢を安くしてもらうためでした。
国司:都から地方へ派遣された、今でいう「県知事」のような役人のことです。
当時、「不輸」と「不入」という強力な特権があったんです。
- 不輸の権
「税金を払わなくていいですよ」という特権です。 - 不入の権
「国司(その地域のエラい人)は、やたら税金・年貢を取り立てる目的でこの土地に勝手に入ってはいけません」というルールです。
したがって、農民たちは自分たちの土地を、あえて有力な貴族(藤原氏など)や大きな寺社に「寄付」する形をとりました。
こうして荘園を「寄進」してエラい人に守ってもらうことで、乱暴な国司を追い返してもらったわけです。
また、荘園を預かるお寺や貴族にとっても、自らが農作をしなくても「手数料」という不労所得を得られるというメリットがあったのでした。
つまりこの「寄進地系荘園」の仕組みは、荘園とお寺・貴族にとってもWin-Winの関係だったわけですね!
すなわち、この仕組みは荘園にとっては少しでも自分たちの材を守るための戦略だったわけです。
山形県新庄市が「新庄」になったのはいつから?
実は、山形県の新庄市が「新庄」と呼ばれるようになったのは、平安時代ではなくもっと後、室町時代から戦国時代にかけてと言われています。
もともとは「沼田」と呼ばれていました。
しかし、そこに新しいお城(新庄城)が築かれ、その周辺が「新しい荘園(領地)」として整備されたことから「新庄」という名前が定着したのです。
平安時代の新庄の地は何をしていた?
平安時代の山形県北部(新庄周辺)は、まだ中央政府(平安京・朝廷)の支配が完全には及んでいない、「未開の地」でした。
つまり、もう少し後の室町時代くらいになってから、武士たちが自分たちの力を示すために、新しい土地を切り拓いていったというイメージですね!
「新庄」は、「新たな希望の土地」のようなニュアンスも含まれているのかもしれない
すなわち、「新庄」という名前の裏には、古いしがらみを捨てて
という、当時の人たちの情熱が隠れているのかもしれません。
「新庄」という言葉が、昔から人々にとって「新しい希望の土地」だったのかもしれないと思うと、なんだかワクワクしませんか?
鉄道の町・新庄の歴史
かつての「鉄道の町」としての活気

新庄駅のやや北にある、明治時代のレンガ造りの機関庫(山形県新庄市)
明治時代以降に鉄道が開通すると、新庄は「鉄道の町」としてとても栄えました。
つまり、鉄道関係者たちが働く場所になった、というわけです。
新庄は「鉄道の町」として発展した
新庄はまさに「鉄道とともに歩んだ町」と言っても過言ではありません。
まず歴史的に交通の要衝として。重要な位置にありました。
- 奥羽本線
- 陸羽東線
- 陸羽西線
それぞれ交わる場所として、かつて町には鉄道職員やその家族が数多く住んでいました。
というのも、まだ「電車」ではなく蒸気機関車だった時代、鉄道のメンテナンスには多大な労力・人手が必要だったからです。
そのため、新庄駅の周りには多くの人が働き、またその家族の方々もたくさん町に住み、彼らが町へとお金を落とすことで、駅周辺の商店街や飲食店が非常に賑わいました。
すなわち、鉄道が生み出す雇用と税収こそが、新庄の近代化を支える大きな原動力になっていったのです。
こうした「鉄道の町」は新庄だけでなく全国各地にもありました。
しかし、時代とともに蒸気機関車が減少してゆき、また列車の性能が上がるとともに多くの人手は徐々に不要となっていったため、町からも徐々に鉄道関係者はいなくなっていったのでした。
それでも今なお残るレンガ造りの車庫は、そのときの栄華を今に伝えるシンボルというわけですね!
新庄駅のレンガ車庫と蒸気機関車の歴史
新庄駅の北にある「レンガ造りの車庫」

新庄駅のやや北にある、明治時代のレンガ造りの機関庫(山形県新庄市)
あのインパクトある建物は、鉄道ファンにはたまらない「旧新庄機関庫」です!
明治時代の1903年(明治36年)に建てられたという、まさに国内でも数少ない貴重なレンガ造りの車庫です。
それは、先述のようなかつての賑わいのシンボルでもあります。
機関庫(機関区)については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

車両基地については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

かつて「これから険しい山を越える」という機関車が、たくさん配備されてあった
昔は蒸気機関車(SL)がたくさんそこに並び、さらには奥羽本線の険しい山越えのために、列車の前につなげて引っ張る(または後ろから押す)ための補助機関車が配備されていました。
もちろん、現在もJR社の施設として使われており、その歴史的な美しさは新庄市の誇りとなっています。
たくさんの鉄道のプロが働いていた場所
かつての新庄駅は、現在からは想像もつかないほど「蒸気機関車の聖地」として賑わっていました。
まず、山々に囲まれた新庄駅は、まさに峠越えのための拠点でした。
すなわち、新庄から北の「雄勝峠」や、東西の険しい山道を越えるには、強力なパワーを持つ機関車が不可欠でした。

かつて「鉄道の町」として栄えた現在の新庄駅周辺(山形県新庄市)
かつて「鉄道(機関車)のプロフェッショナル」が多く働いていた機関庫
そのため、あのレンガ造りの大きな機関庫は、何台もの機関車を整備・格納するために作られました。
そして、
- 機関車に大量の石炭を積む人→機関車を動かすエネルギーに
- 大量の水を機関車に補給する人→石炭を燃やして、「蒸気」というエネルギーを発生させるために大量に必要
- 機関車などの修理する人
など、膨大な数の鉄道のプロが、この車庫の周りで働いていました。
すなわち、あのレンガ車庫は、かつて新庄が東北の物流を支えるための、大きな心臓部・拠点だったことの証なのです!
新庄駅の「補助機関車」と日常
また、かつての新庄駅はまさに「峠越えのための作戦本部」でした!
まずは、毎日のような補助機関車の連結と切り離しです。
山々に囲まれた新庄駅では、これから列車が険しい山道を越えていくるために、列車の前と後ろに(坂を登るパワーを足すため)に付ける「補助機関車(補機)」をガチャン!と連結する作業が、昼夜を問わず毎日のように行われていました。
また、付け外しの間、乗客はホームに降りて駅弁を買ったり、そばを食べたり、また機関車の迫力を眺めたりしていました。
したがって、かつての新庄駅には常に多くの機関車と、それを操るプロたちがたくさん待機していたのです。
おわりに・まとめ
鉄道の要衝として栄えた新庄の歴史、いかがだったでしょうか。
明治時代から残るレンガ造り機関庫は、かつて多くの蒸気機関車が峠越えに備えた、情熱の跡地です。
すなわち、新庄の町はこうして「鉄道の町」として人々の夢と生活を支えてきた場所なのですね。
こうして背景にある地理や歴史を学ぶことで、いつもの駅の景色がより深く、感動的な探訪へと変わるはずです。
ぜひ、当時の熱気を感じに新庄を訪れてみてくださいね!
次回は、新庄市の「宿場町としての歴史についてです!」
コメント