山形県・新庄→秋田県・大曲までの険しい山岳区間を、なぜ新幹線は延伸できないのか?について、わかりやすく考察してみました!
はじめに
新庄(山形)→大曲(秋田) なぜ新幹線は延伸できないのか?
今回は、
- 新庄駅(山形県新庄市)
- 大曲駅(秋田県大仙市)
の区間において、なぜ新幹線が延伸できないのかについて考察してみました!
【前提となる基本用語集】
新庄駅:
山形県新庄市にある、山形新幹線の終着駅です。
奥羽本線:福島から山形・秋田を経由して、青森までを結ぶ全長約484kmの長い路線です。
山越えや平野など変化に富んだ景色が楽しめ、東北の背骨(せぼね)のように地域を支え続けています。
陸羽東線や陸羽西線も乗り入れる、山形県北部の交通の要所として賑わっています。
新庄市:
山形県北部に位置する、かつての城下町です。
江戸時代から続く「新庄まつり」や、美味しい鳥中華が有名で、人情味あふれる街ですね!
大曲駅:
秋田県大仙市にある、秋田新幹線の停車駅です。
毎年夏に開催される「大曲の花火」の玄関口として、全国から多くの観光客が訪れます。
大仙市:
秋田県の中東部にある、農業と花火の街です。
日本三大花火の一つが開催されるほか、広大な平野で美味しいお米が作られている豊かな地域です。
山形新幹線:
福島駅から新庄駅までを結ぶ新幹線です。
車窓から見える蔵王などの美しい山々や、果樹園の風景が旅の気分を盛り上げますね!
秋田新幹線:
盛岡駅(岩手県盛岡市)ら秋田駅までを結ぶ新幹線です。
真っ赤な車体が特徴の「こまち」が、険しい山を越えて秋田の街へと連れて行ってくれます。
ミニ新幹線:
元々あった在来線の線路の幅を広げて、新幹線が直接乗り入れられるようにした方式です。
山形と秋田の新幹線はこの方式なので、町の景色を間近に感じながら走るわけですよ!
新庄も大曲も、新幹線が通ることでとても便利になり、街の魅力がさらに広がりました。
新庄市の基本的事項などについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

山形新幹線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

険しい山岳地帯と国内屈指の豪雪地帯
この区間は、
- 険しい山岳地帯
- 国内屈指の豪雪地帯
という、自然の厳しい壁が立ちはだかる場所です。
すなわち、線路の幅を広げる「改軌」や電化の再整備には、天文学的なコストと高い技術力が必要となるのです。
現状の課題を知ることで、車窓から見える険しい峠道や、静かな駅の風景がより深く、意味を持って見えてくるはずですよ。
新庄から北の奥羽本線(新庄→大曲)
山形〜秋田は「高速バス」の圧倒的優位か?
ちなみに山形〜秋田の区間は、鉄道ファンとしては残念なことではありますが、現状は「高速バスの圧勝」と言わざるを得ません。
まずは、「直通の有無」についてです。
鉄道の場合は新庄駅で必ず乗り換えが必要ですが、高速バスは山形市内から秋田市内まで、乗り換えなしで結んでいます。
また、高速道路が整備されたことで、バスの方が早く、しかも安く移動できるという現象が起きています。
したがって、鉄道はどちらかというと駅周辺の学生さんの通学や、ゆったり旅を楽しむ方のための手段になっているのが現実ですね。
新庄〜院内(→横手・大曲)間の便が少ない、切実な理由
また、新庄~湯沢の利用者が極端に少ないのは、険しい地形と厳しい気候が最大の理由です。
しかし、それだけではなく「県境」という特有の事情も絡んでいます。
山形県の最北(真室川町)と秋田県の最南(湯沢市)は、もともと生活圏が分かれています。
したがって、わざわざ県境を越えて日常的に移動する人が非常に少ないのです。
また、後述する通り、公立学校に通う生徒さんたちが、この県境をまたいで通学することは、基本的にないわけです(後ほど、こちらでその理由を解説)。
また、この区間は、過酷な山岳・豪雪地帯にあります。
この区間の雄勝峠は、古くから交通の難所でした。
それは、人が住みにくい環境ゆえに沿線人口が希薄であり、採算が取れないため、本数も減ってしまうという悪循環に陥っています。
災害による「非電化(ひでんか)」への変更
実は、2024年7月の大雨による被害で、この区間はさらに厳しい状況に追い込まれてしまいました。
そのため、2025年4月から、
- 新庄駅
- 院内駅(秋田県湯沢市)
の間は運転を再開しましたが、JRは「電化設備(架線など)」を廃止して復旧させる決定を下しました。
これにより、電気で走れる電車が走れなくなり、基本的にはみんな気動車(ディーゼル車)(GV-E400系など)に置き換わりました。
これは、雪や災害で壊れやすい電線をなくすことで、維持費を減らそうという判断です。
沿線人口の減少と需要
悲しいことですが、この県境区間は利用者が非常に少なくなっています。
山形県と秋田県の県境付近は、移動する人が極端に少ないエリアとなっています。
そのため、少ない利用者に合わせて、1両や2両の短い編成で、回数を絞って運行せざるを得ないのですね。
歴史ある「奥羽本線」という大動脈の一部が、電化をやめて本数を減らしていく姿を見るのは、鉄道ファンとしても非常に寂しい気持ちになります。
新庄~大曲間で新幹線が繋がればどんなに便利か……という夢と、現実の厳しい採算性のギャップには、胸が締め付けられますね。
新庄→大曲間の新幹線延伸の、高いハードルの数々
山形新幹線と秋田新幹線の「線路の幅」
ちなみに、山形新幹線も秋田新幹線も、どちらも「標準軌」です。
標準軌:世界の鉄道や、日本の新幹線で使われている、1,435mmの広いレール幅のことです。
コストが高くつきますが、スピードが安定して出やすいメリットがあります。
狭軌:日本の多くの在来線で使われている、1,067mmの少し狭いレール幅のことです。
スピードは劣りますが、コストが安くなるメリットがあります。
新幹線用の線路幅に広げてあげないといけない「ミニ新幹線」
どちらも「ミニ新幹線」という方式なので、もともとあった在来線の線路の幅を、新幹線と同じ幅に広げてあります。
- 山形新幹線: 福島駅〜新庄駅が標準軌(1,435mm)
- 秋田新幹線: 盛岡駅〜秋田駅が標準軌(1,435mm)
したがって、どちらも新幹線が走るための広い幅になっています。
しかし、「新庄駅〜大曲駅」を含む区間は、新幹線が走らない在来線のままです。
すなわち、ここだけが昔ながらの「狭軌(1,067mm)」のまま残されているため、新幹線が直通できない「陸の孤島」のような状態になっているのです。
秋田新幹線も「改軌(かいき)」したのか?
ちなみに、ミニ新幹線である秋田新幹線も大規模な改軌工事を行いました。
改軌:線路の幅(ゲージ)を作り変えることです。
在来線の狭い幅から、新幹線が走れるような広い幅へ、(あるいはその逆に)変更することをいいます。
かつては「田沢湖線」と「奥羽本線」の一部区間という、普通の在来線(狭軌)だった区間を、新幹線が走れるように作り変えたのです。
工事は1990年代に行われ、1997年に開業しました。
この工事中、田沢湖線(盛岡〜大曲)を約1年間も全面運休させて、一気に線路の幅を広げるという、凄まじい工事だったわけですよ!
新庄〜大曲間の改軌にかかる費用は?
新庄駅から大曲駅までの約100km弱を改軌する(レールの幅を新幹線向けに広くする)のにも、やはり膨大な費用がかかります。
正確な最新の試算は公表されていませんが、数千億円規模になるのは間違いありません。
ではなぜそれほど高くなるのか、理由は決して「線路の幅」を広げればいいだけではないのです。
新庄〜院内間は、現在「非電化(架線がない状態)」になりました。
すなわち、新幹線を走らせるにはもう一度すべての区間に電線を張り直し、巨大な変電所を作る必要があり、これだけで莫大なコストが上乗せされます。
また、作る時だけでなく、維持するのにもお金がかかります。
利用者が少ない区間でこれだけの投資をするのは、JRにとっても自治体にとっても、非常に勇気がいる決断なのです。
すなわち、
と思われがちですが、実は鉄道を丸ごと作り変えるような大工事になるわけですね。
交流方式の新幹線に「変電所」はなぜ必要?
車両にトランス(変圧器)を載せているのなら、変電所はいらないのでは?と思うかもしれません。
しかし、それでも新幹線に変電所は絶対に必要というわけです。
まず、電力会社から届く電気は数万〜数十万ボルトという超高圧です。
したがって、そのままでは車両が耐えられないため、変電所でまず25,000V(新幹線の場合)まで落とす必要があります。
また、車両についているトランスは、25,000Vの電圧を、さらにモーター用の電圧に下げるためにあるものです。
そのため、もし発電所からの電気を直接的に車両で受けようとすると、車両に巨大な変電所を丸ごと載せるのと同じことになってしまい、重すぎて走れなくなってしまうのですね!
車両のトランスで「数十万ボルト」は落とせないの?
技術的には可能ですが、「重さと安全性」の問題で、現実的ではありません。
まず、電圧を下げるためのトランスは、大きな鉄の塊と銅線でできています。
数十万ボルトという超高電圧を25,000Vまで一気に落とすには、巨大でとてつもなく重いトランスが必要です。
すなわち、そんな重いものを車両に載せると、重すぎてレールが耐えられなかったり、走るためのエネルギーを使い果たしたりしてしまいます。
また、感電の危険もあります。
車両の屋根のすぐ上で数十万ボルトを扱うのは、絶縁(電気が漏れないようにすること)の面でも非常に危険です。
すなわち、重い作業は地面(変電所)に任せて、車両は身軽にしておくのが鉄道の鉄則なのです!
絶縁:電気が流れてはいけない場所に、電気が漏れないように遮断することです。
奥羽本線・新庄→大曲 沿線の地理など
真室川→院内・湯沢・横手の交通など
真室川の生徒が湯沢の高校に通うことはないの?
ちなみに、真室川(山形県)の生徒が湯沢(秋田県)の高校に通う、ということはないのでしょうか。
結論から言うと、
というのが現状です。
まずは、「県境の壁」があります。
基本的に、日本の公立高校は、原則として「自分の住んでいる県」の学校に通うことになっています。
したがって、隣の県の高校を受けるには特別な許可や手続きが必要なので、心理的にも物理的にもハードルが高いのです。
次に、「運行本数の少なさ」という問題点もあります。
そもそも電車が1日に数本しかないため、部活動や補習などで遅くなると、帰れなくなってしまいます。
したがって、わざわざ県を越えて通学するメリットが少ないのですね。
私立高校なら他県に通えるのか?
すなわち、公立と違って、私立は全国どこからでも生徒を自由に募集できます。
したがって、経済的な事情や通学時間(本数の少なさ!)さえクリアできれば、県境を越えた進学は可能です。
秘境駅・及位駅(奥羽本線・新庄→大曲)
及位駅で冬に置き去りにされた人がいる?
及位駅(山形県最上郡真室川町)は、鉄道ファンの間では有名な「秘境駅)」ですね。
このあたりは、国内有数の豪雪地帯です。
そのために、猛吹雪の恐怖が常に付きまといます。
実際に
- 「駅で降りたものの、あまりの雪で身動きが取れなくなった」
- 「吹雪で次の電車が運休になり、しかも無人駅で途方に暮れた」
というエピソードは、ネット上の意見などでも時々見かけます。
夜の無人駅で、外はマイナス10度の猛吹雪……。
考えただけでも恐ろしい、まさに命がけの「置き去り」ですね!
湯沢市と「小野小町」の関係 (奥羽本線・新庄→大曲)
また、湯沢市の雄勝(おがち)地区は、小野小町の生誕の地という伝説が非常に強く残っています!
湯沢市には「小野」という地名があり、小町が産湯をつかったとされる泉や、晩年を過ごしたとされる岩屋があります。
また、毎年6月には、小町に扮した女性たちが和歌を詠む「小町まつり」まつりが行われます。
したがって、この地域は「秋田美人」のルーツとしても、大切に語り継がれているのですね!
小野小町については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

醍醐駅 (奥羽本線・新庄→大曲)
醍醐駅(秋田県)は、近くにある醍醐地区から名付けられましたが、もとは仏教用語で「最高に美味しいもの」を意味します。
すなわち「醍醐味」という言葉ですかね。
この地が豊かで美しい場所であってほしい、という願いが込められているのかもしれません。
したがって、醍醐天皇や後醍醐天皇とも無関係というわけです。
横手市 (奥羽本線・新庄→大曲)
秋田県第2の都市
秋田県横手市は、秋田県第2の都市であり、人口規模や経済の活気において、県南エリアの中心地です。
横手市は、後述する後三年の役の舞台となりました。
平安時代、東北の覇権をめぐって激しい戦いが行われました。
市内には、その最終決戦の場となった「金沢柵」などの跡地があり、まさに歴史が動いた場所なんです。
冬の風物詩「かまくら」
横手市は歴史だけでなく、450年以上の伝統がある「かまくら」も有名ですね!
雪で作られた小さなお堂の中で、子供たちが
と迎えてくれる光景は、本当に心が温まります。
後三年駅と「後三年の役」 (奥羽本線・新庄→大曲)
また、歴史に詳しい方なら、
- 後三年駅(秋田県仙北郡(せんぼくぐん)
と、平安時代の「後三年の役」は、関係あるのでは?って思ったりしませんか?
これについては、バッチリ関係があります!
すなわち、平安時代の真ん中あたりの1083年に、東北地方で始まった
- 「後三年の役」
の古戦場が、まさにこの駅の周辺というわけです。
後三年の役:平安時代末期に、今の秋田県や山形県を舞台に行われた大きな戦いです。
これに勝利した源義家は、後に武士の英雄として崇められるようになりました。
ちなみに、
- そもそも後三年の役とは何や?
- なぜ起こった?
などの背景については、残念ながら全部話すと非常に長くなってしまいます(^^;)
そのため、後三年の役については以下の記事で基本から解説していますので、ご覧ください。

戦いがあった場所だから、そのまま駅名になった
また、金沢柵という、 源義家が清原氏を攻めた激戦地が近くにあり、歴史好きにはたまらない場所です。
すなわち、戦いがあった場所だから、そのまま駅名になったという、非常に分かりやすい由来というわけですよ!
義家は恩賞をもらえなかった?
また、源義家はこの戦いで朝廷からほとんど恩賞をもらえませんでした。
まず、私戦扱いにされてしまったことでした。
というのも、朝廷は
と、冷たくあしらいました。
また、この戦い(後三年の役)には自作自演の疑いがあったことです。
すなわち、
と疑われたのも一因です。
自らの「ポケットマネー」で、部下に給料を払った→源氏の人気爆発へ
そのため、恩賞が出ないと知った義家は、なんと自分の財産から恩賞を捻出し、部下たちに分け与えました。
これがきっかけで、武士たちの間で
と人気が爆発し、後の源氏の繁栄に繋がったのです。
義家は結果的に、朝廷に冷遇されたことが、最強の武士団を作るきっかけになったのは皮肉なものですね。
義家が自分のポケットマネーで恩賞を払ったというエピソード、本当にかっこいいですよね!
東北の「柵」と、アイヌの「チャシ」は似ている?
非常によく似ていますが、少し成り立ちが違います。
- 柵: 主に大和朝廷と戦うために、東北の豪族たちが作った大規模な軍事拠点です。
- チャシ: アイヌの方々が作った施設で、砦としての役割だけでなく、儀式の場や談判(話し合い)の場としても使われました。
すなわち、どちらも「盛り土・木の囲いによって守りを固める」という構造は共通していますが、「チャシ」の方がより多目的で、精神的な意味合いも強かったのが特徴ですね。
義家が自分の財産を分け与えた理由
それは単なる「給料を払う」という親切心以上に、武士としてのリーダーシップが関係しています。
まずは、義家の「命を預かった」という責任でした。
部下たちは義家を信じて、命がけで冬の雪の中を戦い抜きました。
しかし恩賞ゼロでは、部下たちが路頭に迷ってしまいます。
そこで義家が私財を投じて恩賞を払ったたことで、
という最強の絆が生まれました。
すなわち、まさに「お金では買えない忠誠心」を得るための、最高の投資でもあったのです。
これがのちに、源氏が東国で絶大な力を持つ理由になりました!
義家が「勿来の関」を訪れたのはいつ?
源義家が、福島県・茨城県の太平洋側の県境にある「勿来の関」において有名な和歌を詠んだのは、まさに「後三年の役」の帰り道だと言われています。
福島県の勿来の関については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

秋田での激戦を終えて、京都へ帰る途中に、福島県の勿来の関を通りました。
すなわち、散りゆく桜を見て、戦いの厳しさと命のはかなさを詠んだのですね。
したがって、部下たちに私財を分け与えた直後、精神的に非常に高まっていた時期の出来事と言えます。
おわりに・まとめ
新庄〜大曲の地理と、なぜ新幹線が延伸しにくいのか?についてを学んでみていかがだったでしょうか。
莫大な建設費や採算性の問題、そして過酷な自然環境という高いハードルが、夢の延伸を阻んでいる現実が見えてきましたね!
したがって、今ある在来線がどれほど貴重な「地域の足」として機能しているのか、その大切さを改めて感じずにはいられません。
これらの背景を学ぶことで、あなたの鉄道探訪が、未来への想像を膨らませるより豊かな体験になれば、嬉しい限りです!
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