山口県宇部市の観光と、宇部興産専用道路・石炭と石灰石・秋吉台のマニアックな地学や歴史まで、わかりやすく解説してゆきます!
宇部線と宇部の魅力に迫る!
さて今回は、宇部線をベースに、宇部市や宇部興産の歴史、さらには地理や観光スポットについて探っていきましょう。
それは石炭産業の歴史や、瀬戸内海の美しい景色、さらには宇部興産という企業とともに発展してきた、独特な歴史を持っています。
それでは、宇部の歴史や、知られざる観光スポットについて学んでいきましょう!

筆者・宇部新川駅より(山口県宇部市)
宇部線
宇部線とは?

宇部新川駅(山口県宇部市)
宇部線は、JR西日本(西日本旅客鉄道)が運営する鉄道路線です。
この路線は、
- 山口県山口市にある新山口駅
- 山口県宇部市にある宇部駅
を結んでいます。
山陽本線がやや内陸を走っているのに対して、宇部線は周防灘沿いを走るのが特徴です。
周防灘:宇部市の南にある、瀬戸内海のうち最も西にある、瀬戸内海の一部である海域です。
山口県南部と、福岡県・大分県の北部に囲まれている海です。
かつて日本の近代化に貢献した石炭産業の歴史を感じさせる、趣のある沿線風景が魅力なというわけです。

筆者・宇部新川駅より(山口県宇部市)
宇部線の沿線には何がある?
宇部線の沿線には、美しい田園風景が広がるほか、見どころがたくさんあります。
- 山口きらら博記念公園
- ときわ公園
特に、常盤駅の北側にあるときわ公園の湖畔には、日本で初めての「石炭記念館」などがあり、自然とアートを楽しむことができます。
また、床波駅を過ぎた区間では、宇部線で唯一のオーシャンビューが楽しめます。
瀬戸内海の輝く海が広がる景色は、とても素敵ですね!
『エヴァンゲリオン』の聖地としても知られる宇部市
また、最近では『エヴァンゲリオン』の聖地としても宇部新川駅が有名になったために、ますます「町の顔」という印象が強まっている気がします!
2021年の映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストシーンに登場したことで、宇部新川駅は世界中からファンが訪れる「聖地」となりました!
ではなぜこの場所が選ばれたかというと、総監督でありエヴァンゲリオンの生みの親である庵野秀明さんが、宇部市の出身だからですね。
エヴァンゲリオンの生みの親 宇部市出身の庵野秀明監督
庵野秀明監督は、日本を代表するアニメーション監督・映画監督です!
彼は1960年に、山口県宇部市で生まれました。
代表作としては、『新世紀エヴァンゲリオン』や、実写映画の『シン・ゴジラ』などが有名です。
彼は幼少期に、宇部市の埋立地に広がる巨大な工場群や、複雑に絡み合う鉄塔、そして電柱などを見て育ちました。
この時の経験がまさに彼の作品に生かされており、彼の作品に登場する「無機質でかっこいいメカや風景」の原点は、すべて宇部の街並みにあると言われています!
すなわち、宇部市そのものがエヴァの世界の「設計図」だったわけですね。
宇部市の市街地は、ほとんど埋立地
先述の周防灘に面している宇部市の市街地は、かつて海底にあった炭鉱の採掘によって出てきた石炭のくずなどを利用して、埋め立てられてゆきました。
「ボタ」を利用した埋め立て・土地造り
かつての宇部は、海岸沿いや海底に、石炭の層が広がっていました。
石炭を掘り出すときには、石炭以外にも岩石や泥などの「くず」が、大量に出てきます。
これを「ボタ」と呼びます。
宇部ではこのボタを捨て場に困るような「ゴミ」にするのではなく、海を埋め立てるための「材料」として有効活用してゆきました。
ボタ:石炭を採掘するときに一緒に出てくる、燃えない石や泥のことです。
かつては山のように積み上げられて「ボタ山」と呼ばれたりもしました!
したがって、今の中心市街地や巨大な工場地帯の多くは、このボタによって海を埋め立てることによって作られた土地なのです!
すなわち、宇部の町は「石炭の副産物」でできていると言っても過言ではありません。
したがって、現在の広々とした宇部市街地の多くは、昔の人々が苦労して作り上げてきた、人工の土地なのです。
「宇部興産の町」宇部市のあゆみ
宇部市は、かつては「宇部興産の町」として知られていました。
この街の発展は、まさに宇部興産(現:UBE)という一つの企業が引っ張ってきたたと言えるでしょう。
ちなみに宇部興産が創業した理由には、ただ(今は沢山ある)石炭資源だけに頼るのではなく、
- 「有限の鉱業から、無限の工業へ」
という、なんとも壮大な理念がありました。
一つのジャンルに縛られない複合企業
創業者の渡辺祐策さんは、
- いつか石炭が枯れてしまう
ことを最初から見抜いていたのです。
つまり、石炭はいずれ無くなって(枯渇して)儲からなくなり、オワコン化することをかなり早い段階で見抜いていたわけです。
実際、石炭は高度経済成長期の頃から石油に置き換えられたため(エネルギー革命)、儲からなくなってしまっています。
いずれ無くなる「石炭」だけに頼らない!
すなわち、宇部興産は石炭だけでなくそこから「無限の富」を生み出すためにも、様々なジャンルの工業への挑戦・転換を目指してゆきました。
この理念にもとづいて、宇部興産は事業を次々に広げていきました。
一つのジャンルが衰退しても、他で補える「複合企業」へ
たとえば、石炭事業から派生して、
- 炭鉱に使う機械の修理を行う会社を作ったり、
- 石炭から出てきた副産物を利用した仕事を始めたり、
- さらには化学工業へと事業を拡大していったり、
など、色んなことにチャレンジしていったわけです。
このように、たとえどれか一つがオワコン化・衰退しても大丈夫なように、特定の商品や資源にとらわれない複合企業へと発展していったのですね。
複合企業:一つの製品だけでなく、ジャンルの全く異なる、広く様々な製品を作っている大きな会社のことです!
たとえ一つのジャンルが儲からなくても、別のジャンル分野で補えるというメリットがあります。
市民の多くは宇部興産の「関係者」だった?
かつての宇部市において、市民の多くは宇部興産の「関係者」だったのでした。
「三軒に一軒は関係者」とまで言われたこともあり、かつての全盛期には
と言われるほどでした。
すなわち、お父さんが宇部興産の工場で働き、子供は会社が建てた学校へと通い、さらには病気になれば宇部興産中央病院(現在の宇部興産中央病院)へ行く、というような生活が当たり前でした。
すなわち、街全体が巨大な一つの「家族」のような結びつきを持っていたわけです!
街のインフラが「会社」から生まれた
例えば一般的なの街であれば、役所が道路や水道を作ります。
しかし、宇部の場合は宇部興産(とその前身組織)が、多くの公共施設を作ってきました。
まずは「水道・病院・学校」です。
これらも、もともとは会社(やその歴代経営者)が、働く人や市民のために予算を寄付したり、また設立したりしたものが前身となっています。
次に、宇部市交通局(市バス)です。
これも、もともとは宇部興産と関係ある炭鉱で働く人を運ぶためのバスから始まっています。
したがって、 市民の生活のあらゆる場面に「会社の影響力」があるのが、まさに宇部の特徴ですね!
日本一長い私道、宇部興産専用道路
誰にも邪魔されない、石灰石を運ぶための私道
宇部興産の象徴とも言えるのが、日本で最も長い私道である「宇部興産専用道路」です。
この道路は、
- 美祢市にある石灰石鉱山
- 宇部市のセメント工場や港
とを、それぞれ結ぶために建設されました。
この道路は1968年から1982年まで、14年もの長い年月をかけて建設されました。
すなわち、この「スーパー道路」が建設された背景には、大量の石灰石やセメント材料を、とにかく誰にも邪魔されず、なおかつ大量に、しかも効率よく運ぶ必要があったからです。
美祢(みね)では何が採れたの?
宇部市のやや北にある美祢市では、セメントの材料となる石灰石が大量に採れました!
美祢市にある工場において、まずはそこにある山から、たくさんの石灰石をガッポリと掘り出してきます。
それを、宇部市の海に近い臨海部にある工場へと大量に運んで、「売り物」になるための製品へと作り変える必要がありました。
今でも美祢市に広がっている「秋吉台」周辺は、日本最大級の石灰石の産地として知られています。
石灰石の宝庫、山口県を「セメントの名所」にした秋吉台
山口県にある巨大な「秋吉台」は、まさに山口県をセメントの名所にした地形でした。
- たくさんの石灰石が、秋吉台に眠っている
- 石灰石は、セメントの原料になる
- それらの石灰石が、宇部港や小野田港などから、海で全国各地に運ばれる
なぜ秋吉台に、石灰石がたくさんあるのか?
それはなんといっても、
- かつてそこが海の底であり、
- しかもそこにサンゴ礁があった
からなのです!!
なんで山口県の内陸部にサンゴ礁?関係ないだろ!!
そう、おわかりと思いますが、
大昔、プレートに乗って、南の島が「北へ(日本へ)」移動してきた!
- その大昔、海底のプレート(つまり、動く地面)に乗っかって、
- 長い長い時間をかけて、
- 北へ北へ(日本列島の方へ)と運ばれてきた
そして、そこには(秋吉台の原型となる)巨大なサンゴ礁が作られました。
大陸への衝突
こうして、
- 古い南の島が日本列島にぶつかり、
- プレートが日本列島の下にどんどん沈み込んでいくとき、
- たまたま海の上にあったサンゴ礁が、
- 陸地の一部として、現在の山口県の秋吉台の位置にまで「押し上げられてきた」
というわけですね!
中央構造線とは?(→宇部や秋吉台と、何の関係が!?)
ちなみに先述のように、
- 大昔、南の島がプレートに乗ってきて北へ北へと移動してきて、
- 日本列島にぶつかった
という、このときにぶつかって出来た日本列島の古傷のことを、中央構造線といいます。
中央構造線:日本列島を横にまっすぐに伸びる、日本最大級の断層(地面の大きな割れ目)のことです。
大昔、南の島がプレートに乗って移動してきて、元々あった日本列島とぶつかった時にできた、日本列島の「古傷」です。
中央構造線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

プレートによって、北へ北へ(秋吉台の位置へ)と押し上げられてきた
また、中央構造線のうち、北側を内帯、南側を外帯といいます。
山口県のこの地域(宇部・美祢・秋吉台など)は、中央構造線の通っている四国山地のまさにやや北側にあたるため、内帯に属します。
と思うかもしれません。
これは、プレートによって北へ北へ押し上げられるとき、古い地層(サンゴ礁があった地層)から優先的に、どんどん北へ押し上げられているからなんですね。
なので、中央構造線のある四国山地よりもやや北(内帯)の、山口県・秋吉台あたりにあるわけです。
つまり、ここにかつての南の島のサンゴ礁の残骸が(北へ北へと)乗り上げてきて、
- 秋吉台の石灰石→セメントの材料→今や新幹線の建物などになっている
というわけですね!
石灰石の正体は、サンゴの死骸・化石だった!
すなわち、山口県・秋吉台でたくさん採れる石灰石の正体は、まさに、
- 大昔の南の島にあった、サンゴなどの死骸や化石そのものである
と言っても、過言ではないわけです。
山口県・秋吉台にたくさんのセメントの材料・石灰石がある理由まとめ
このように、
- 数億年前に南の海で生きていたサンゴたちが、
- 「プレート」に乗った長い旅を経て山口県にたどり着き、
- それが現代のビルや新幹線の高架橋(セメント)になっている…
まさに「地球のめぐみのサンゴ」が、宇部や美祢という場所でガッチリと握手をしたかのような歴史を感じます。
秋吉台は「巨大なセメントの原石」
山口県がセメント産業で、これほどまでに日本を代表する場所になったのは、やはりなんといっても秋吉台という、「石灰石の宝庫」がすぐそばにあったことが最大の理由です。
山口県美祢市に広がる秋吉台は、日本最大級のカルスト台地です。
その地表と地下には、膨大な量の石灰石が眠っています。
カルスト台地:石灰石が、雨の水などによって削られてゆき、白い岩がまるでヒツジの群れのようにゴロゴロと露出しているという、まさに独特の地形のことです!
セメントに欠かせない石灰石が大量に眠っている秋吉台
セメントは、その成分の約8割が、石灰石によってできています。
したがって、これだけ質の高い石灰石が、ほとんど無限に近いほど手に入る秋吉台(および、その周辺の美祢エリア)は、セメントを作る工場にとっては最高の立地だったのでした。
すなわち、
- 原料・石灰石の産地である、美祢
- セメントを作るために(高温に燃やすための燃料として)必要な石炭が採れる、宇部・小野田
というそれぞれの地域がセットになってまとまっていたことが、山口県にとって最大の幸運であり、また強みであったというわけです。
秋吉台は、石灰石の「量」が世界レベルでものすごかった!
また、秋吉台における石灰石がたくさん眠っている層は、厚さがなんと500メートルから1000メートルにも達しています。
これほどまでに分厚く、しかもピカピカで純度までが高い石灰石がまとまって存在しているような場所・地域は、世界的にみても非常に珍しいです。
したがって、大正時代から現在まで100年以上掘り続けても、まだまだ資源が枯渇しないという、まさに「宝の山」となったのです!
今でも秋吉台では、石灰石が掘り出されている
秋吉台という美しい観光地から、実はセメントの原料となる石灰石が掘り出され、日本のビルや道路を支える「産業の源」でもあるというのは、とても面白いですよね!
今でも秋吉台のすぐ隣では、巨大な重機が動いて巨大な山を削り、そしてセメントの原料・石灰石を掘り出している光景が見られます。
なぜ「宇部興産専用道路」のような専用道路が出来たのか?
公道の混雑を避けるため
当時は、もしものすごく重たい石灰石を運ぶトラックが、みんなが使う普通の道路(国道190号など)をまともに走ったりすると、ひどい渋滞や騒音が発生しました。
とてつもなく「巨大」なトレーラーを走らせるため
公道には「重さ」や「長さ」の厳しいルールがあります。
しかし、自分たちだけの道(私道)を作ることで、
- 一度にものすごい量の超大量の材料を、
- 信号も無しで、
- 24時間いつでも好きな時間に、しかも確実な時間に運ぶ
ということが可能になったのです!
人件費と燃料の、圧倒的な節約
また、宇部興産専用道路においては、普通の道路では認められないような超巨大トラックを走らせることもできます。そのため、
- 1人の運転手さんで、2台分の荷物を運ぶ
ということもできるようになったわけです。
これにより、人件費も燃料代も、大幅にカットできるようにったわけです。
したがって、 美祢にある広大な山から、海沿いの工場(宇部)へと、しかも24時間体制で大量の材料を送り込み続けるには、この形が一番効率的だったのです!
すなわち、このような究極の効率化を求めた結果、あの「日本一長い私道」が誕生したのでした。
公道との違い
一方、公共の道路、つまりみんなが使う公道では、
- 様々な決まりやルールも多く、大量の荷物を運ぶには効率が悪い
- そのうえに、近隣住民への騒音や渋滞の問題などもある
も心配されていました。
宇部興産専用道路の特別なルール
宇部興産専用道路は、私道であるため、いわゆる国の法律である道路交通法が直接には適用されません。
したがって、公道では基本的に走らせることのできない、超大型の特殊な車両を走らせることができるというわけです。
ただし、私道とはいえ、安全を確保するため、時速70キロメートル以下など、むしろより厳しいルールになっています。
すなわち、公道よりも厳しい、独自の社内ルールが設けられているというわけです。
運行には特別な社内ライセンスが必要で、もし違反すればライセンスを剥奪されることもあるといわれています。
宇部興産専用道路 なぜ公道よりも厳しいルールがあるのか?
ここまで聞いてきて、
と思われがちですが、実は公道よりもはるかに厳しい、独自の安全ルールが運用されています。
その理由は、主に2つあります。
もし事故が起きると、会社はおろか「街全体の物流」が止まるから
この専用道路で、もし巨大なトレーラーが大事故を起こして道をふさいでしまったら、工場の操業が止まってしまい、莫大な損害が出てしまいます。
すなわち、
だからこそ、公道以上により厳しい安全運転が徹底されているのです。
普通ではありえない超巨大な車両が走り、事故ったら大惨事につながるため
また、この宇部興産専用道路では、普通の道路(公道)ではまず許可されないほどの、非常な「重さ」と「長さ」がある、車両を走らせています。
そのため、ひとたび運転を誤れば、ありえないほどの大惨事になります。
最高速度も時速70km以下など、非常に厳格に決められています。
また、この宇部興産専用道路では、運行管理システムも非常に厳格に機能しています。
すなわち、すべての車両が今どこを走っているか、GPSによってリアルタイムに管理されています。
まあ、違反していたらすぐにバレる仕組みになってるわけですね(^^;)
また、この道を運転して走るためには、厳しい社内資格が必要です。
すなわち、特別な訓練を受けた「選ばれし運転手」である必要があります。
私道:国や市ではなく、個人や会社が所有している道路のことです。
自分たちの土地であるため、法律の範囲内ならば、独自のルールを作ることができます!
運行管理:どの車が、いつ・どこを・時速何kmで走っているかを常にチェックしておくことで、安全に予定通り進むようにコントロールすることです。
これがあれば、違反者はすぐにバレます。
すなわち、
- 「効率化」のために苦労して私道を作り、
- そこを「安全運転」のために、公道よりもさらに厳しいルールで運用する
という、まさにこのストイックな姿勢こそが、宇部という工業都市を支えてきたプライドなんだと感じますね!
宇部興産専用道路が「騒音対策」に強かった秘訣
なぜ宇部興産専用道路では夜間でも遠慮なく走れたのか、そしてなぜ騒音に強かったのか、というのはとても気になる点です。
夜間でも「問題なく」超大型トラックが走れた理由
まず公道では、夜間に超大型トラックの走行は騒音トラブルになりやすくなります。
一方、専用道路では最初から
ということを前提に設計されました。
工場の炉(つまりセメントを焼くための、大きな釜)は、一度火をつけると、それはもう簡単には止められません。
つまり工場は、24時間体制は必須というわけです。
したがって、たとえ夜中であっても材料を常に運び続ける必要がありました。
そのため、専用道路はに「誰にも邪魔されないルート」として機能する必要がありました。
また、宇部興産専用道路には公道のような信号待ちや渋滞がないため、夜間でも一定のペースで、たとえ時速70km以下という速度であっても淡々と走り続けることができたというわけです。
宇部興産専用道路が「騒音に強かった」理由
この道が騒音に強いのには、地形と構造のに対する、非常に計算された工夫があります。
人が住んでいない場所に、道路を通したこと
一つは、「人が住んでいない場所に道路を通した」ということです。
この道路のルートは、わざと集落や住宅密集地を避けて作られています。
したがって、夜中に超巨大なトレーラーが走ったとしても、住民の睡眠を妨げにくいような仕組みになっています。
「切り通し」を多く掘り、天然の防音壁となったこと
次に、深い「切り通し」構造を取っていたことです。
場所によっては、山を深く削って出来た底の部分に、道を通しています。
すなわち、周りの山が天然の防音壁の役割を果たし、音が外に漏れにくい仕組みになっているわけです!
そして、遮音壁の設置も大きな効果を発揮しました。
どうしても住宅に近い場所には、非常に高くて大きな遮音壁(防音パネル)が設置されており、住民に対する細心の注意が払われています。
切土・切り通し:山や丘を削って、そこに出来た「凹み」を道にした場所のことです。
まるで両脇が「自然の壁」のようになるため、音や風を防ぐという効果があります!
遮音壁:音を遮るための高い壁のことです。
高速道路の脇によく立っているパネルのようなものですね!
公害に苦しみ、それを克服した宇部市
かつての宇部は、石炭の煙と灰で「空が真っ暗になる」と言われるほど、深刻な公害に悩まされていました。
1950年代、戦後の復興にともなって工場がフル稼働した結果、宇部市は日本一、空から灰が降る街になってしまいました。その結果、
- 「洗濯物が真っ黒になる」
- 「もはや外に出るのもためらわれる」
という深刻な状況でした。
こうなると、市民の間で健康被害への不安が爆発し、大きな社会問題となりました。
すなわち、街の発展と引き換えに、市民の平穏な生活が奪われてしまったのです。
奇跡の解決策「宇部方式」
普通、公害問題は市民と企業が激しく争うことが多いですが、宇部の場合は違いました。
1951年に「宇部市降灰対策委員会」が設立され、4つのグループが手を取り合いました。
- 市民:現状の苦しさを企業や行政な対して伝えていく
- 企業(宇部興産など):技術と資金を出しつつ、対策していく
- 行政(市役所):お互いの話し合いの場を作り、ルールを決める
- 大学(山口大学):科学的な調査とアドバイスをする
これが有名な「宇部方式」です!
すなわちこれは、
という、とても活気的な考え方でした。
宇部方式:企業と住民が対立するのではなく、あくまでみんなで知恵を出し合って問題を解決するスタイルのことです。
国際連合(UN)からも賞を贈られるほど、高く評価されています!
宇部興産専用道路と、公害の解決
また、先述の宇部興産専用道路は、
- 先述の通り、かつて炭鉱の町として、大気汚染に悩まされた宇部市が、
- 公害を克服し、
- よりクリーンな工業都市へと生まれ変わった
という、まさにそんな苦難から解決へと生まれ変わったという、まさに歴史の象徴でもあります。
つまり、環境への負担が大きい物流を専用道路へと移したことで、公道の交通負荷を減らし、また環境の改善にも大きく貢献したというわけです。
また、現在は産業観光ツアーの一環として、この道路を走る様子や巨大な石灰石鉱山を見学できることがあります。
すなわち、公道からは決して見ることのできない、日本が誇る産業の大きさを体感できるというのは、とても貴重な体験ですね。
宇部興産から「UBE株式会社」へ
社名変更とグローバル化への挑戦
2022年4月、宇部興産は「UBE株式会社」に社名を変更しました。
これに伴って、専用道路の名称も「宇部伊佐専用道路」へと変わりました。
しかし、地元では今も「興産道路」や「宇部興産専用道路」という名前で親しまれているというわけです。
社名がアルファベットになった理由は、主に2つの大きな事業の再編が背景にあります。
- セメント事業の統合: UBEは、セメント事業を三菱マテリアル株式会社と統合しました。これにより、化学事業に特化することになったため、これまでの「興産(工業生産)」というイメージから脱却する必要がありました。
- グローバル展開の加速: また、化学メーカーとして世界市場で競争力を高めていくため、社名を刷新したのでした。
すなわち、国内・国外における知名度のさらなる向上や、ブランドイメージの統一などを目指していく上で、アルファベットの「UBE」が最適であると判断されたわけです。
社名に込められた想い「シンプルで力強い印象」
また、アルファベット3文字の「UBE」は、
- 短かくて簡潔である
- 日本だけでなく、国際的にも通用しやすいロゴである
ということで、新たな企業イメージを象徴しています。
グローバル企業への変革
さらには、日本国内こみにとどまらない、化学事業を中心とした新たなグローバル企業へと生まれ変わり、
という壮大な決意が込められています。
最後に:山口県がセメントの名所になれた理由
では、ラストは山口県がセメントの名所になれた理由を考えてみましょう。
それは、単に石があったからというだけではありません。
セメント製造に必要な要素が全て詰まっていた、理想的な土地
燃料の石炭(宇部)
セメントを作るには、石灰石を高温で焼くための「燃料」が必要です。
つまり燃やさないことには、いくら石灰石だけたくさんあったところで、セメントは生まれないわけです。
そのたくさん求められた石炭が、宇部の周辺で、たくさん採れたというわけです。
輸出に便利な港(小野田・宇部)
そして出来上がった大量のセメントはとても重たいため、船によって大量にまとめて運ぶのが一番です。
そのため、宇部港や小野田港には、たくさんのセメントを運べる鉄道の線路が敷かれていました。
鉄道網の整備
また、大正時代から昭和初期にかけて、美祢において採れたたくさんな石灰石を、大量に運ぶための鉄道が整いました。
これによって、
- 美祢の山(内陸部)から、
- 海沿いの工場(小野田セメントや宇部興産)へ、効率よく石灰石を届ける
というサイクルが出来上がったのです。
大正時代にセメント需要が加速した理由
大正時代、日本は近代化のためにビルや橋、ダムなどの建設ラッシュを迎えており、セメントの需要が爆発的に増えました。
様々な拠点が揃った、奇跡の土地柄
したがって、山口県の宇部市や山陽小野田市といった地域は、
- 「石灰石の山」
- 「石炭の鉱山」
- 「製品を出すための港」
の3つが、わずか30km圏内に揃っていたというのは、世界的に見ても非常に珍しい、とても奇跡の地形だったのです!
ちなみに、ここまで話してきた
- 小野田港・山陽小野田市のセメント業の歴史
- 大正時代に、レンガからセメントが主流になってきた理由
などについては、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

おわりに・まとめ
宇部線、宇部市、そして宇部興産の歴史は、いかがだったでしょうか。
「有限の鉱業から無限の工業へ」というUBEの壮大な理念から、日本一長い私道まで、たくさんの発見がありましたね。
宇部という街が、工業とともに発展し、公害を乗り越えてきた歴史は、とても興味深いものです。
これらの歴史を知ることで、宇部線の車窓から見える風景も、また違ったものに見えてくるかもしれません。
今回はここまでです。
お疲れ様でした!
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