かつて箱根の観光を激震させた歴史である箱根山戦争について、初心者や観光に詳しくない方にも、わかりやすく解説してゆきます!
箱根山戦争とは
今回は箱根山戦争について学ぼう
あなたは箱根山戦争という、ちょっと過激な名前の出来事をご存知ですか。
これは、日本の二つの大きな会社が、箱根の観光客を奪い合うために、激しく争った物語なのです。
すなわち、この「戦争」は、日本の歴史を語る上でも、とても有名な出来事として知られています。これから、この「箱根山戦争」について、一緒に学んでいきましょう。
「箱根山戦争」とは

箱根・芦ノ湖(神奈川県足柄下郡箱根町)
箱根山戦争とは、第二次世界大戦が終わった1947年ごろから、約20年以上にもわたって、
- 西武グループ
- 小田急・東急グループ
という、まさに日本の二つの大きな会社の間で繰り広げられた、とても激しい戦いのことなのです。
決して本当の「戦争」というわけでなく、あくまで「激しいシェア争い」
もちろん「戦争」とはいっても、武器や兵器でドンパチするような怖いものではなく、あくまでも
箱根山戦争の舞台となった超人気観光地「箱根」とは?
箱根とは、神奈川県の南西部にある、富士山の近くに位置する場所です。
箱根にはたくさんの温泉があることから、昔からとても有名な観光地として知られてきました。
また、箱根には芦ノ湖などのたくさんの見どころがあり、日本のみならず、海外からもたくさんの観光客が訪れています。
まず箱根とは何ぞや?については、以下の各記事でも基本から解説していますので、ご覧ください。
↓↓前編

↓↓後編

西武グループとは?
西武グループとは、
- 鉄道会社の西武鉄道や、プリンスホテル
- 伊豆箱根鉄道など
などの、さまざまな会社が集まってできた、鉄道やその乗客が楽しむための観光地に関する事業を行っているグループです。
すなわち、西武グループは単に鉄道事業だけを行っているわけではなく、ホテルや観光施設の開発も行っているのです。
たくさんホテルや観光地を作れば、たくさん乗客が鉄道に乗ってくれるからですね。
小田急グループとは?
また、一方の小田急グループとは、『ロマンスカー』という特急電車で有名な、小田急電鉄を中心としたグループ会社です。
このグループも、鉄道の他にも箱根や江の島といった観光地へのアクセスや、ホテル・百貨店などの事業を、幅広く手掛けています。
「箱根の観光客」を巡る、経営者同士の戦い!
すなわち、この「箱根山戦争」とは、
という、輸送シェアを巡る戦いでした。
この争いは、両グループのカリスマ経営者であった、
- 堤康次郎さん
- 五島慶太さん
という、二人の強烈な個性・圧倒的な情熱を持つ人物によって、火花が散らされたのです。
まるで、ものすごい挑戦心に満ち溢れた社長のようなイメージですね。
堤康次郎とは?
堤康次郎さんは、西武グループの創業者です。
すなわち、彼は西武鉄道やホテル、リゾート開発などを次々と手掛けてゆき、ついには「箱根山戦争」を繰り広げたカリスマ的経営者として知られています。
「鉄道が発展すれば、沿線も発展する」彼の理念
彼は
という考えを持っていました。
すなわち、彼は
- たくさんの観光客が(移動のために)乗る鉄道と組み合わせることで、
- 様々な土地(ホテル・リゾート地など)に利益がもたらされる
という原理のもとに、西武グループを大きくしていきました。
五島慶太とは?
また、五島慶太さんは、小田急や東急グループの創業者です。
すなわち、彼もまた、『強盗慶太』というあだ名が付くほど、なんとも強引な手法で事業を拡大したという、まさしくカリスマの名前に相応しい、挑戦心あふれる経営者でした。
そのため彼は、鉄道やバス、百貨店などを次々と傘下に収めてゆき、自身の会社を大きくしてゆきました。
やがて、「箱根山戦争」では、堤康次郎さんと激しくバトルの火花を散らしたのでした。
次々に事業を拡大していく、凄まじい経営者
こうしてその戦いは、相手の邪魔をしたり、裁判を起こしたりするほど、本当に激しいものでした。
つまり、国をも巻き込むような大騒ぎにまで発展したことから、「箱根山戦争」と呼ばれるようになったわけですね。
ホールディングスとは?
ちなみに伊豆箱根鉄道は、西武ホールディングスの子会社であり、いわば西武グループの仲間であるというわけです。
ここで、ホールディングスとは、
- 事業を行う(それぞれの)子会社を管理すること
を目的とした、親会社のことです。
たくさんの子会社をまとめ上げる親会社のようなもの
すなわち、
- たくさんの子会社を、
- まるでひとつのチームのようにまとめることで、
- グループ全体が、より効率よく、
- そして、強い事業を進めることができる
ことを目的としているわけです。
したがって、西武ホールディングスも、
- 西武鉄道
- 伊豆箱根鉄道
といった、たくさんの会社を傘下に収めて、その上でグループ全体を動かしているというわけです。
そもそも伊豆箱根鉄道が、西武グループの一員である理由
また、伊豆箱根鉄道が、あまり関係なさそうな西武グループの一員になっているのは、ちょっと不思議に感じますよね。
これは、かつての買収騒動がきっかけになっており、今回の「箱根山戦争」と関連してくる部分もあります。
「箱根山戦争」のとき、伊豆箱根鉄道は西武グループの一員に組み込まれた
伊豆箱根鉄道は、もともと箱根エリアで、独自の事業(単独での会社の仕事)を展開していました。
しかし当時、この地域で観光事業を拡大しようとしていた西武グループと東急グループが、激しい争いを繰り広げます。
いわゆる、今回メインの「箱根山戦争」です。
- 東急は、小田急電鉄と手を組む
- 西武グループは、伊豆箱根鉄道をグループに取り込む
ということで、それぞれ対抗しました。
つまり、
- 元々はライバル関係にあった西武が、
- 箱根での勢力拡大を目指す中で、
- ちょうど同じ地域を走っていた伊豆箱根鉄道をグループに迎え入れた
ということですね。
現在は、お互いが平和的に共存しています。
そもそも鉄道会社が、百貨店や土地開発などを行う理由
鉄道会社が、電車を走らせるだけでなく、百貨店や土地開発まで行うのは、なぜだろうと思いますよね。
と感じるかもしれません。
しかし、これには、明確な理由があります。
それは、
- 「沿線の価値を高める」
という重要な目的があるからです。
すなわち、鉄道会社は、
- 沿線にある、駅周辺の土地を開発し、
- そこに百貨店や商業施設、住宅などを建設してゆきます。
- そうすると、そこに住む人が増えます。
- そして、その人たちが、毎日の通勤や買い物で、電車を利用してくれるようになる
というわけです。
つまり、鉄道会社にとっての本業である鉄道事業の利用者数が増えて、利益が上がるというわけです。
このように、鉄道会社が、百貨店や土地開発を行っていくことは、本業の鉄道事業を発展させていくための、とても重要な戦略なんですね。
すなわち、沿線の発展と、自社の事業成長がうまくつながっている、というわけです。
箱根山戦争の経過を、さらに詳しく
「箱根山戦争」が激しくなった理由
第二次世界大戦が終わって、日本が復興していく時期に、箱根は観光地として、とても発展していきました。
したがって、箱根に訪れるお客さん(観光客)を運ぶための「輸送需要」が、ぐんぐんと高まっていったのです。
この流れに乗って西武グループは、たくさんの観光客を呼び込むために、別荘地の開発を次々に進めていきました。
自然が多く、別荘地の開発に適していた箱根
この「別荘地」は、海や山など、美しい自然に囲まれた場所に作られることが多く、心も体もリフレッシュできる場所なのです。
したがって、西武グループが箱根で別荘地を開発したのは、箱根の豊かな自然を活かして、観光客を呼び込むためだったわけです。
箱根山戦争における、あらゆる分野での激しい争い
この両グループは、観光客を奪い合うために、
- バス路線
- ロープウェイ
- 遊覧船
などといった、箱根の観光に関わる、あらゆる分野で激しく競い合うことになってしまいました。
遮断機や株の買い占め…もはや手段を選ばず
したがって、特に西武グループは、小田急のバスを箱根から「排除」しようと、
- 有料道路に「遮断機」を設置する
- 小田急の株を買い取ろうとする→小田急に対して、西武の影響力を大きくする
なだといった、まるで「戦い」のような、もはや手段を選ばない戦術を取ったのでした。
箱根山戦争の、ヤバすぎる争いの数々
箱根山戦争における両社のやり取り、本当に壮絶なものでした。
まるで映画かドラマのような、とんでもない「奪い合い」や「妨害工作」があったわけです。
熱烈な争い ヤバい妨害工作へ
先述の通り、この箱根山戦争を率いたのは、
- 西武グループの堤康次郎
- 東急グループの五島慶太
という、どちらも「カリスマ剛腕経営者」として知られる人物でした。
そのため、お互いの熱意はとてもハンパないものであり、それに伴って妨害工作も激しさ・熾烈さを極めてゆきます。
たとえば、箱根の山道を走るバス路線では、両社のバスが文字通り「デッドヒート」を繰り広げました。
すなわち、観光客を少しでも早く目的地へ運ぼうと、運転手たちが危険なカーブでもスピードを出すなど、競争が過熱したのです。
「遊覧船」における、桟橋の奪い合いにも発展
また、芦ノ湖の遊覧船でも、激しい争いがありました。
両社は観光客を呼び込もうと、それぞれ特徴的な船を導入します。
- 西武は「双胴船」
- 東急は「海賊船」
です。
そして、観光船が発着するための「桟橋の奪い合い」にまで発展しました。
西武が桟橋を設置すると、今度は東急側が県に訴え、強制的に撤去させることもあったわけです。
ついには国をも味方につける
さらに五島慶太は、運輸省に顔が利く(つまり、政治家と仲がいい)ことを利用して、西武の専用道路に東急のバスを乗り入れさせるなど、その強大な権力をも駆使した妨害活動までも行ったのでした。
どちらも「絶対に負けない」という強い執念を持っていたからこそ、常識を超えた争いが繰り広げられたということですね。
まさに、生きるか死ぬかの激しい戦いだったわけです。
箱根山戦争における法廷闘争
あの箱根山戦争は、ただの企業間の争いというだけでは終わりませんでした。
さらには国までも巻き込んだ、すごい法廷闘争にまで発展したのでました。
「通行権」をめぐって裁判へ発展
箱根山戦争は、先述のように西武と東急がバスの運行や道路の所有権などを巡って激しく争った結果、ついには裁判において決着をつけようとしました。
その中でも特に有名だったのが、「箱根山通行権訴訟」です。
この訴訟は、西武グループの伊豆箱根鉄道が、箱根の有料道路の通行権をめぐって東急グループを訴えたものでした。
すなわち、
- この区間において、両社のバスが競合するようになったため、
- お互いにそれぞれ「通行権がない」と主張し、
- ついには国の判断を仰ごうと、ある意味最終手段ともいえる裁判で争うことに発展した
というわけです。
ついには「法律の解釈」をめぐって論争へ
そしてこの争いが、ただの企業間のものではなくなったのは、国の法律である道路運送法が争点になったからです。
つまり、東急側はこの「道路運送法」という国の法律を盾にして、西武側の運行は不当であるとして、妨害しようとしたのでした。
最高裁判所へ もはや国全体をも巻き込んだカオスに
もちろんそれに対して西武も黙っているわけではなく、この法律の解釈を巡って、東急側と徹底的に争うことになります。
そして一向に決着のつかないこの争いは、最終的に最高裁判所にまで持ち込まれることになったのでした。
つまり、最初は企業の争いから始まったものが、国の「法律の解釈」そのものが問われる事態にまで至ったのです。
このように両社は、自社の利益を追求するために(あるいは守るために)、法律という武器・防具を最大限に活用しました。
これは、ただの企業間の戦争ではなく、法律のプロたちをも巻き込んだ、壮大な戦いだったというわけです。
ライバル会社の株を買い取る理由とメリット
ちなみに、先述のライバル会社の株を買い取るというのは、なんだかスパイ映画みたいで、ドキドキしますよね。
でも、これには、ちゃんとした理由とメリットがあります。
「経営権を握る」というメリット
一番大きな目的は、経営権を握ることです。
ライバル会社の株をたくさん買い占めると、その会社の経営に口を出せるようになります。
そして、最終的には、その会社を自分の思い通りに動かすことができます。
これを「敵対的買収」といいます。
これは、自分の会社にとって有利な形で、ライバル会社をコントロールできるという、とても大きなメリットがあります。
市場での競争を有利に進めるための強力な手段にも
たとえば、ライバル会社の事業戦略を変更させたり、新しい路線の建設を阻止したりすることが可能になります。
また、将来的に、その会社をグループ全体に取り込むこともできます。
したがって、「ライバル会社の株の買い占め」は、市場での競争を有利に進めるための、非常に強力な手段というわけです。
箱根山戦争の終結
箱根山戦争が、なぜ・どうやって落ち着いたのか気になりますよね。
「まだ争っているんじゃないか?」と心配になるかもしれませんが、今はきちんと終結しており、平和です。
箱根山戦争が終結した理由
箱根山戦争が落ち着いた大きな理由は、神奈川県が仲介に入り、有料道路を買い上げたことでした。
これは、かつての買収騒動がきっかけになっています。
西武グループと東急グループの激しい競争は、やがて道路の建設にも及びます。
- 西武は「早雲山線」
- 東急は「湖畔線」
という有料道路を作り、それぞれが有料で運営し、通行料を巡って争いました。
神奈川県が有料道路を買収し、「県道」としたことで決着
しかし、この争いが激化すると、両社はまたまた対立を深めてしまい、さらには観光客や地元住民にとっても不便という、まるで本末転倒な状況となってしまいます。
この状況を解決するため、神奈川県が仲介に入ります。
そして、1961年に神奈川県が、両社の有料道路を買い上げて、県道として無料開放することを決定しました。
両社の関係は改善、以後は協調関係へ
その結果、通行料を巡る競争がなくなり、両社の関係は改善へと向かいました。
こうして、観光地としての箱根の発展を優先する形で、長きにわたる箱根山戦争は事実上、終結したというわけです。
現在は、観光振興のためにお互いが協力し合うという、協調路線をとっています。
箱根山戦争は、結局どちらが勝ったのか?
箱根山戦争は、実は「どちらか一方が完全に勝利した」とは決して言えない、少し複雑な結末を迎えました。
しかし、あえて勝敗をつけるならば、小田急や東急が優勢だったと言えます。
どちらかといえば、小田急や東急が優勢だった
彼らは、箱根観光の玄関口である小田原から、ケーブルカーやロープウェイを使って、箱根の中心部へと観光客をスムーズに誘い込むというルートを確立しました。
さらには、芦ノ湖の観光船でもシェアを大きく獲得しました。
苦戦を強いられた西武
一方の西武グループは、伊豆箱根鉄道を傘下に収めるなど、観光事業を拡大しました。
しかし、観光客のメインルートを押さえきれなかったため、この争いでは苦戦を強いられました。
したがって、観光の動線を押さえた東急・小田急連合が、この争いで優位に立ったと見られています。
箱根山戦争 結局どちらが負けたのか?
箱根山戦争で、明確に「負けた」と断言できる会社はありません。
なぜなら、両社とも多額の投資を行い、観光事業を拡大していったからです。
しかし、長期的な視点で見ると、西武グループがこの争いで苦戦したと言えます。
思った位置に建設できなかった西武
西武は、箱根のメインルートとは少し離れた場所に、観光施設や交通網を整備してゆきました。
それに対して、東急と小田急は、小田原駅から箱根の中心部へと向かう、観光客にとって最も便利なルートを確立しました。
その結果、西武グループの施設は、観光客の主要な流れから外れてしまうことになりました。
したがって、観光客の獲得競争という点では、西武グループの方が不利な状況に置かれたと言えます。
西武あってこその、小田急の発展だったと考えることもできる
しかしこの争いは、箱根全体の観光インフラを充実させたという意味では、地域全体にとってプラスになったという側面もあります。
つまり、観光地箱根の発展という観点では、どちらも「負け」ではなかったのかもしれません。
箱根山戦争の影響
箱根山戦争は、このように決して両グループの経営陣の対立だけでなく、法廷闘争や「株の買い占め」なども起こったとあう、まさに経済界全体を巻き込む騒動となりました。
そして、あまりにも熾烈だったこの争いは、作家の獅子文六によって小説『箱根山』として描かれ、映画化もされました。
箱根の現在
現在では、箱根山戦争は過去の話となり、両グループ間の関係も改善されています。
しかし、箱根を訪れたときには、当時それぞれのグループ会社が整備した交通機関や施設を、現在の我々も利用することになります。
そのため、そのときの「戦いの名残」を感じることができるわけです。
(※松尾芭蕉風に詩を詠んでみた)
箱根山戦争が箱根に与えた影響
すなわち、今の私たちが享受できている箱根への便利な交通手段は、この箱根山戦争における壮絶な争いによってもたらされた発展・便利さであるともいえるわけです。
今の我々が享受できている便利さ
確かに箱根山戦争では、当時、西武と東急が激しく争ったことで、誰もが大変な思いをしました。
しかし、
とも言い換えられるわけですね。
これは、なんだか皮肉にも聞こえますが、事実です。
なぜなら、両社が激しい競争を繰り広げたことで、様々な交通手段や観光施設などのインフラが、驚くほどの速さで整備されていったからです。
例えば、現在でも我々にとって便利な箱根登山鉄道や箱根ロープウェイ、芦ノ湖の遊覧船などといった、今の箱根観光に欠かせないインフラの多くは、この「箱根山戦争」のときにに誕生・あるいは改良されたわけです。
どちらの会社も、必死で戦った
すなわち、どちらの会社も
- 「より多くの観光客を呼び込もう」
- 「相手の会社に、お客さんを奪われたくない」
- 「相手よりもっと便利なインフラを作ろう」
と、自分達の生命をかけて必死だったわけです。
決して無駄だけではなかった、あの戦い
したがって、箱根山戦争は、一見すると無益な争いに見えるかもしれません。
しかし、実は箱根の観光インフラを飛躍的に発展させるきっかけになったわけです。
つまり、あの激しい競争があったからこそ、私たちは今、快適に箱根を旅することができるわけですね。
そう考えると、歴史はとても面白く、興味深く思えるのではないでしょうか。
おわりに・まとめ
箱根山戦争は、西武と東急という巨大企業グループが、箱根の覇権をめぐって繰り広げた、激しい争いでした。
また、バスや鉄道、遊覧船、そして土地や法律までもが、その戦いの舞台になりました。
しかし、この争いは、箱根の観光インフラを飛躍的に発展させるという、意外な結果をも生み出しました。
つまり、観光地・箱根における今の利便性や豊かさは、あの激しい競争があったからこそ生まれたものだとも言えるわけです。
なんだか、不思議な歴史の巡り合わせですね!
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