山梨県の甲府盆地についての地理・歴史(釜無川・笛吹川・なぜ暑くなるのか・フェーン現象・信玄堤など)を、わかりやすく解説してゆきます!
山梨県・甲府盆地

甲府盆地の南側の景色(身延線)(山梨県)
山梨県における自然が作った巨大な扇状地と歴史の舞台である甲府盆地は、周りを高い山々に囲まれた、まるで天然の要塞のような場所ですね!
見ていてワクワクするほど、地形がダイレクトに歴史や生活に影響を与えています。
甲府盆地の「なるほど地理」
「甲府盆地」の名前の由来
まず、甲府盆地の由来は、
- かつての甲斐国の国府が、現在の県庁所在地の甲府市の位置にあったこと
- その「甲斐国の国府」が、時代とともに短い名前となり、甲府(=現在の山梨県の県庁所在地)となったこと
- その甲府を中心とした盆地だから
ということになります。
甲斐の国府(かいのこくふ)
甲斐国とは、現在の山梨県の古い呼び方です。
その昔(といっても奈良・平安時代というかなりの昔)、かつての日本にあったそれぞれの国には、「国府」という役所がありました。
つまり、今でいう県庁所在地のような場所です。
これが今の山梨県の県庁所在地(=甲府市)と同様に、古くから甲斐国の「中心地」だったわけです。
甲府市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「甲府」という名前へ
そして、時代とともに「甲斐の国府」というフレーズを短縮して、甲府という地名が誕生しました。
また、
- 戦国時代に、かつて最強の強さを誇った武田信玄の父・信虎が、
- 今の甲府市の中心部に対して拠点を移したことで、
- この「甲府」という名前が定着した
と言われています。
武田信玄については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

武田家三代の栄華については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

甲府を中心とした「盆地」
その後、今や県庁所在地でもある歴史的に大きな街であった「甲府」を中心とした盆地ということで、甲府盆地と呼ばれるようになりました。
したがって、歴史の順番としては
- 「甲斐国」→「甲府(都市)」→「甲府盆地(地形)」
という流れで名前が広がっていったのですね!

甲府城からの甲府盆地と富士山(山梨県甲府市)
天然の「扇状地」が作った名産品
甲府盆地の周辺には、かつて「釜無川」「笛吹川」と呼ばれる大きな川が運んできた大量の土砂が積もってできた、「扇状地」と呼ばれる逆三角形の土地が広がっています。
扇状地とは、
- 主に、高い山から平地に向かって流れ出てきた川が、
- 地面を削り、その時に出来た大量の砂や石を下流部まで運んできて、
- それらの土砂を、まるで「扇」(逆三角形)のような形に積み上げたことで出来た地形
のことをいいます。
すなわち、こうして甲府盆地のような平地(扇状地)が出来たというわけですね。
しかし、甲府盆地は後述するように水はけが非常に良過ぎて、お米を作るのには向いていません。
しかし、その水はけの良さが、実は美味しいブドウやモモなどの果物作りには最高のご褒美だったのですね!
「水はけ」とは?地面がザルの隙間のようになる!
ちなみに「水はけ」とは、
- 地面に降った雨や流れてきた水が、
- どれだけスムーズに、土の中を通って抜けていくか(土の下へ逃げていくか)
という度合いのことです。
これには、砂や石の「隙間」が鍵となります。
例えば甲府盆地のような扇状地においては、アルプスというとても高い山から流れてきた大きめの砂や石が、ゴロゴロ積み重なってできています。
すなわち、
- 土の粒が大きいため、
- まるで地面がザルのように隙間だらけとなり、
- たとえバケツを使って田んぼに水をまいたとしても、
- すぐに地下へと吸い込まれてしまう
というわけですね!
これがいわゆる、「水はけが良い」という状態です。
武田信玄の知恵「信玄堤」
かつての甲府盆地は、雨が降るとすぐに川が溢れる「暴れ川」との戦いでした。
そこで、戦国時代に山梨県(甲斐国)のトップであった武田信玄は、水の流れを弱め、洪水・氾濫を防ぐための巨大な堤防である、信玄堤を作りました。
治水:川の流れを整えたり、堤防を作ったりして、洪水・氾濫などの水害を防ぐための工夫のことです。
すなわち、武田信玄によるこの治水工事があったからこそ、今の豊かで安全な甲府の町があると言っても過言ではありません。
甲府盆地 なぜお米作りに向いていなかったのか?
また、甲府盆地がまるでお米作りに向いていなかった理由は、おおむね以下の通りです。
- 田んぼには基本的に、ある程度「大量の水」を溜めて、水を張っておく必要があります。
- しかし甲府盆地の場合は、たとえ田んぼに大量に水を張ったとしても、
- それらの水が、みんな地面の下へと逃げてしまい(つまり「水はけ」が良すぎる)、
- 十分な水を確保するのが難しかった
というのが、甲府盆地で田んぼをうまく構えられなかった大きな理由です!
すなわち、それは「水がなかったから」ではなく、地形のせいで「水がすぐに逃げてしまうから」であったというわけですね。
川よりも高い土地にあり、川から水を引っ張ってきにくくかった
また、甲府盆地は、川が地面を強く削っているため、「比較的深い(低い)ところ」を川が流れているという場所が多くなっています。
しかし、昔の技術では「低い川」から「高い場所」にある田んぼへと水を汲み上げていくという作業が、非常に大変でした。
したがって、甲府盆地においてお米を作るのは、当時の人々にとっては至難の業だったというわけですね!
甲府盆地 身延線とリニアが紡ぐ「新旧」の物語
鉄道の話も、甲府盆地を語る上では欠かせない、とってもエキサイティングな要素です!
富士山を眺めながら走る「身延線」
甲府盆地を縦に延びる身延線は、甲府と静岡県の富士を結ぶ路線です。
身延線は、元々は富士川の舟運に代わるような輸送手段として誕生したのでした。
つまり、江戸時代までは富士川の舟に荷物を載せて運んでいたところを、明治時代以降は鉄道によってより効率的に運べるようになったというわけです。
身延線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

↓↓後編

未来を駆け抜ける「リニア中央新幹線」
そして、これからの注目は何といってもリニア中央新幹線です!
このリニア中央新幹線は、甲府盆地のやや中央~南側あたりに駅ができる予定です。
しかしながら、線路のほとんどがトンネル区間になります。
ただし、甲府盆地に出てきた瞬間だけは地上に現れるため、一瞬の景色がものすごく貴重になりますね!
リニアの影響力
このように、もしリニアができると、甲府から品川までの区間がわずか15分〜20分程度で繋がることになります。
これによって日帰り通勤も十分に可能になるため、山梨県が「東京の通勤圏」に変わるかもしれません。
甲府盆地と「母なる川」
甲府盆地を形作る、大いなる川の物語
また、甲府盆地を流れる川を知ると、山梨の地形がもっと面白く見えてきますよ!
釜無川(かまなしがわ)
まず釜無川は、甲府盆地の北西からやってきて、西側を流れる川です。
釜無川は、
- 南アルプスの甲斐駒ヶ岳あたりから流れ出て北上してゆき、
- 中央本線の信濃境駅あたりで中央本線を南東へ甲府方面へ(小淵沢駅こぶちざわえきさ→韮崎駅のように)進み、
- 竜王駅のあたりで、急に南へ進路を変え(信玄堤を過ぎ)、
- 甲府盆地を一気に南下し、中央市のすぐ西(左)を通り、
- やがて笛吹川と合流して、富士川となります。
- 信濃境駅:甲府のはるか北西、長野県・諏訪湖寄りの駅です。
- 小淵沢駅:甲府の北西、山梨県 北杜市の駅です。
- 韮崎駅:甲府のやや北西の、韮崎市にある駅です。
- 竜王駅:甲府の少し西、甲斐市にある駅です。
釜無川は、北西の南アルプスの険しい山々から一気に流れ下ってくるため、昔から「暴れ川」として恐れられてきました。
したがって、武田信玄が作った信玄堤も、主にこの釜無川の氾濫を防ぐためのものでした。
笛吹川(ふえふきがわ)
笛吹川は、甲府盆地の東側を流れる川であり、こちらは北東の秩父山地の方からやってきます。
つまり、釜無川とは対になるような、甲府盆地の二大河川といってもいいでしょう。
この川と釜無川が盆地の南端で合流して、日本三大急流の一つである富士川へと名前を変えるというわけです。
芦川(あしがわ)
芦川は、盆地の南側にある、御坂山地の間を流れる川です。
かつては「芦川村」という独立した村が存在しましたが、現在では笛吹市の一部になっています。
釜無川が「暴れ川」になる本当の理由
釜無川が「暴れ川」になる理由として、流れるルートである南アルプスの険しさと、雪解け水は大きな原因です!
急すぎる斜面、大量の土砂
釜無川が流れてくる南アルプスは、日本でも有数の「急峻」な山々です。
すなわち、南アルプスというとても高いところから流れてくることになります。
そのため、水の勢いが強すぎて、山の岩や土をゴリゴリと削り取りながら流れて、大量の土砂を下流へ向かって運びます。
したがって、川底に土砂が溜まって川が浅くなり、少しの雨ですぐに水が溢それてしまうのですね。
「母なる川」とは?
まず、その地域の人々の命を支え、文化や産業を育んできた大きな川のことを、敬意を込めて「母なる川(マザー・リバー)」と呼びます。
釜無川と笛吹川も「母なる川」に含まれます!
この「釜無川」「笛吹川」という二つの大きな川は、甲府盆地の人々にとってまさに「母なる川」そのものです。
もちろん、ときには氾濫して人々を困らせるということもありましたが、それと同時に、
- 豊かな土砂を下流へと運んできて、
- 人々の飲み水や、農業などに必要な水を与え、
- そして舟運という水のルート・道を、人々に与えてくれた
というわけです。
もちろん、この二つの大きな川が合流してできる富士川も、山梨全体にとってはまさしく「母なる川」と言えますね!
文明の発展はやっぱり「川」から!
文明の発展は、主に川の周辺から発達していくことが多いといえます。
また、甲府盆地や山梨県も、かつては世界の古代文明と同じように、川のそばからその発展の歴史が始まっています。
しかし、甲府盆地にはちょっとユニークな特徴があるんですよ!
甲府盆地の場合は、最初は「高いところ」から始まった
普通、文明は川のすぐ横(低地)から始まりますが、甲府盆地は先ほどお話しした通り、洪水や氾濫を頻繁に起こすような「暴れ川」が多すぎました。
したがって、大昔の人たちは、洪水に遭わないように盆地の縁にある、少し高い場所(台地や扇状地の上のほう)に住み着いたのです。
技術が進んで「下」へ降りてきた
しかし時代が進み、堤防を作る技術などが発達してくるようなると、ようやく人々は川の近くの便利な平地において、土地を新たに切り拓き、農地や家屋などを築いていけるようになりました。
このように、かつての人々は川の恵み(水や物流)をもうまく使いこなしつつ、時代とともに怖い氾濫をコントロールできるようになったことで、今のような賑やかな街並みが完成したというわけですね!
竜王でのドラマチックな「右折」
そして、甲斐市の竜王駅の近くにある信玄堤があるあたりは、実は釜無川にとってはまさに「運命の場所」となります。
すなわち、
- それまでは高いところから勢いよく流れてきた川の水が、
- 盆地の平らな地面にさしかかったときにぶつかってしまい、
- 行き場を失いそうになるポイントである
というわけです。
かつての川は、ここから四方八方へとデタラメに溢れようとしていました。
しかしそれを武田信玄が、ここに頑丈な堤防(信玄堤)および「聖牛」などの仕掛けを使って、力技によって南へと川の進路を固定したというわけです。
ちなみに聖牛とは、丸太をピラミッドのような三角錐の形に組み、中に石を詰めてできた水防設備のことです。
まるで「牛の角」のように見えることから、その名がつきました。
夏は暑い!甲府盆地の特有の気候
なぜ甲府盆地は「あんなに暑い」のか?
例えば夏になると、天気予報などにおいて、
- 「今日の最高気温は甲府で…」
とよいうニュースがよくありますよね。
実は、甲府のあのとてつもない暑さには、盆地特有の理由があるわけです。
「フェーン現象」のダブルパンチ
まずは、「フェーン現象」というものがあります。
すなわち、
- 高い山をはるかに越えてきた風が、
- 山の斜面を勢いよく下っていく時に、
- 空気がギュッと圧縮されて、温度が上がる
という現象が起きます。
これを「フェーン現象」と呼びます。
甲府盆地は四方(東西南北)を山に囲まれているという地形のため、たとえどの方向から風が吹いてきても、このフェーン現象が起きやすいのです!
熱がこもる「フライパン」構造
盆地はそもそも、「周りが壁だらけ」のような構造になっています。
このため、盆地では一度温まった(熱くなった)空気が「逃げ場」を失ってしまいやすくなります。
これによって、夏の盆地はまるで巨大なフライパンの中にいるような状態になってしまうわけですね。
甲府盆地を熱く、激しくする「山の力」
甲府盆地の暑さや川の激しさ、さらには山に隔てられた暮らしについて、もっと深く探っていってみましょう!
フェーン現象:なぜ風が吹くと暑くなるの?
先述の通り、フェーン現象とは、
- 駿河湾などの南からやってきた湿った空気が、
- 富士山などの山を越えて、反対側(甲府側)へと山の斜面を吹き下りるときに、
- 雨を降らせ尽くしたことで、乾燥してしまい、
- この乾燥した空気が、まるでドライヤーのようになり、
- 気温が高くなる現象
のことをいいます。
甲府盆地の場合、風は先述の通り駿河湾(太平洋)側から吹いてくるものがメインとなります!
駿河湾については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

山で雨を降らせる
また、
- 駿河湾からくる南のムシムシした湿った空気が、
- 富士山などの山の斜面に沿って上昇気流が起こり、
- やがて上まで上がると急に冷やされ、
- これによって空気の温度が下がる
ことになります。
そして、水分を含みきれなくなって雨となって、山の上に大量に雨として降り注ぎます。
乾いた風が吹き降りる
そして
- (山の上で)大量の雨を降らせたことで、
- 水分を失ってしまい、軽くなった空気は、
- 山の反対側の斜面を、まるでドライヤーのように猛スピードで下りていく
- このとき、空気がギュッと圧縮されていく
- 100m下がるごとに、なんと約1℃も温度が上がる
のです!
したがって、高い山に囲まれた甲府盆地には、たとえ駿河湾に限らずどの方向から風が吹いてきても、「熱風」がまるでドライヤーのように吹き込んでくるというわけですね。
これは満員電車で例えると、狭い場所(地上)へギュウギュウに押し込めら「おしくらまんじゅう」状態になり、熱気(温度)が上がるのと似ています!
断熱圧縮:外部から熱をもらわなくても、空気をギュッと押しつぶす(圧縮する)だけで、そのエネルギーが熱に変わって温度が上がることです。
日本の盆地はどこも暑いの?
ちなみに、基本的に日本ではどの盆地においても、暑くなりやすいという特徴を持っています!
例えば、京都盆地や山形盆地も夏の暑さで有名ですね。
しかしアルプスに囲まれた甲府盆地の場合は、周りの山が「3,000m級」と格段に高いため、フェーン現象のパワーが他の地域・盆地と比べ、より強力になりやすいのです。
甲府盆地の数ある文化・経済
全部で11もある、甲府盆地の市町村
広大な甲府盆地には、県庁所在地の甲府市だけでなく、甲府市も合わせて周辺に実に11もの市町村が存在しています。
東の「くだもの・ぶどうエリア」
- 甲州市:甲府盆地の東端に位置する街です。
- 山梨市:甲州市の西隣に位置する街です。
- 笛吹市:山梨市の西隣、甲府市の東隣に位置する街です。
甲府盆地の「中心地」エリア
- 甲府市:言わずと知れた、山梨県の県庁所在地です。
- 甲斐市:甲府市の西隣に位置する街です。
- 昭和町:甲府市のやや南に位置する街です。
- 中央市:昭和町のさらに南に位置する街です。
西側・南側の「山と川」エリア
- 韮崎市:甲府盆地の北西の端に位置する市です。
- 南アルプス市:中央市の西側に位置する市です。
- 市川三郷町:最南端の富士川町のやや北に位置する町です。
- 富士川町:甲府盆地の南端に位置する町です。
甲府盆地が「たくさんの市や町」に分かれている理由
このように、これだけ多くの市町村に分かれている甲府盆地ですが、
- 「甲府盆地なんだから、全て甲府市でもいいじゃない?」
と思うかもしれません。
しかし、これには歴史的な「土地の豊かさ」と「境界」など、様々な地域の成り立ちが関係しています。
川が作った「独立した世界」
また、先ほどお話しした釜無川や笛吹川といった(渡れないほど)大きな川によって、人々が暮らす盆地の中は、細かくエリアごとに区切られていました。
昔は橋を架けるのも大変でしたから、それぞれの地域が、お互いに独自の文化や経済圏を持って発展してきたというわけです。
経済圏:例えば「買い物」や「仕事」「通学」など、人々が日常生活を送る上においての、まとまりのある地域・範囲のことです。
また、後述するように、昔の人にとっては川は「国境」と同じくらい大きな壁でした。
それが「橋がない」だけで文化が変わる理由の一つでした。
豊かすぎてまとまれない?
このように、甲府盆地は場所によって、
- 「果物づくりが盛んな場所」
- 「お米が作れる場所」
- 「城下町として栄えた場所」
とそれぞれ個性がハッキリしています。
すなわち、それぞれの地域(現在の山梨市、笛吹市、南アルプス市など)が、自分たちの誇りと生活基盤をしっかり持っていたからこそ、あえて一つの市にまとまらずに、共存してきたという側面があるというわけですね!
「橋がない」だけで文化が変わる理由
また、「たかが橋」と思うかもしれませんが、昔の人にとって川の存在は、もはや「国境」と同じくらい大きな壁でした。
川によって分断されたこたで、言葉や習慣の違いが起きた
その昔、川を渡ること自体が危険で命がけだったような時代は、川の対岸・向こう岸に暮らしている人々と話す機会は、滅多にありませんでした。
したがって、
- 川の右岸・左岸それぞれにおいて、方言が少し違うようになった
- 「お祭り」のやり方も、それぞれ変わったりしていった
というわけです。
長年にわたり川により隔てられていたことで、経済・文化の独立が起きた
橋がないと、そもそも荷物を川の向こう側まで運ぶことが大変です。
すなわち、
- 各村で必要なものは自分たちで作るという「自給自足」に近い形となり、
- そこから、その土地独自の「こだわり」や「文化」が育っていった
というわけですね!
おわりに・まとめ
今回は、甲府盆地の地理・歴史を学んでみていかがだったでしょうか。
かつて海のないこの地に魚を運んだ人々の情熱や、暴れ川を抑え込もうとした先人たちの苦労を知ると、目の前の風景がまるでドラマの一場面のように感じられますね!
したがって、次に身延線に乗ったり、リニアの線路を見かけられたときなどには、その「新旧」の繋がりにきっとワクワクするはずです。
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