福井県敦賀市にある日本三大松原の一つ「気比の松原」について、その歴史や役割・観光・地理などについてわかりやすく解説してゆきます!
福井県敦賀市「気比の松原」

気比の松原(福井県敦賀市)
福井県敦賀市にある気比の松原は、いわゆる日本三大松原のひとつに数えられる絶景スポットですね。
歴史や地理の視点で深掘りすると、実は不思議な伝説や意外な役割が見えてきます!
福井県敦賀市についての基本的知識については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「気比の松原」についての基本的知識
一晩で松林が出現?「一夜の松原」伝説

気比の松原(福井県敦賀市)
まずこの場所には、神様が関係する面白い伝説(神話)が残っているわけですよ。
すなわち、
- 聖徳太子の時代(飛鳥時代?)に、
- 異国の軍勢が、どこからともなく押し寄せてきたときに、
- 気比神宮の神様が、一晩で数千本の松を出現させた
というお話です。
気比神宮とは?
ちなみに気比神宮とは、福井県敦賀市に存在する、北陸道総鎮守とも呼ばれる、非常に格式の高い神社のことです。
北陸道総鎮守とは、北陸地方(北陸道)全体をまるごと守護する、最も格の高い神社のことです。
先述の通り、気比神宮がその役割を担っています。
すなわち、この地域の「神様の総本社」であり、政治的にも宗教的にもものすごく強力なパワーを持っていた場所なのですよ。
松に止まる大勢の白鷺が、まるで「軍旗」のように見えたから?
そのとき、松の枝に止まった多くの白鷺を、敵軍は「日本軍の旗」だと見間違えて、逃げ出したと言われています。
白鷺が「旗」に見えた理由は、敵の軍勢が海から攻めてきたときに、松の木々に無数の白鷺が止まったといいます。
その「真っ白な羽たち」が「たくさん風に揺れている」という様子が、遠くから見るとまるで「無数の兵士が掲げる白い旗(軍旗)」のように見えたというわけです。
と、敵が勘違いして逃げ出したというわけですね。
まるで神様の粋な計らいを感じるエピソードですね。
気比の松原は「人工」か「神話」か
では、気比の松原の誕生はそもそも「人工」か「神話」なのか。
結論を言うと、現在の気比の松原は
- 少なくとも(奈良時代に既に)元々自然発生したものに対して、
- 人がさらに手を加えて育てた
というのが、おおむねの歴史的な見方となっています。
少なくとも、奈良時代には既に「自然に」松原が生まれていた
このように気比の松原は、奈良時代にはすでに自然発生していたと考えられます。
もともと敦賀湾の地形によって砂が溜まりやすい場所(砂州)だったため、そこに強い松が自然に生えてゆきました。
後述の通り、奈良時代の万葉集にも詠まれるほどだったので、気比の松原は当時から既に立派な松林が出来上がっていたという証拠となっています。
神話の役割
ちなみに一晩でできたという「一夜松原」の伝説というものは、
- 気比の松原がそれほどまでに大切であり、
- また気比の松原がそれだけ不思議な場所である
という信仰を集めるために語り継がれてきたのでした。
しかし実際には、
- 砂州という地形に自然に松が生え、
- それを代々の人々が、人工的に手入れして守り抜いてきた
というハイブリッドな歴史を持っています。
「一夜の松原」神様への感謝
このような奇跡から「一夜の松原」と呼ばれるようになり、今でも地元で大切に守られているわけですね。
古くから「越前国(現在の福井県北部)」で最も重要なパワースポットとして信仰されています。
「日本三大松原」としての 気比の松原
虹の松原・三保の松原と並ふ「日本三大松原」
また、気比の松原は日本三大松原として、
- 佐賀県の「虹の松原」
- 静岡県の「三保の松原」
と並び称されています。
これは、それだけ歴史的な知名度が高い証拠ですね!
虹の松原については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

三保の松原については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「気比の松原」の歴史
天然の防波堤!地理的に見た松原の役割

気比の松原からの海(福井県敦賀市)
まだ「堤防」などの技術が存在しなかったその昔、「気比の松原」は昔の人々にとっては「生活を守る盾」のような存在でした。
強風と砂を防ぎ、日本海の荒波を和らげる
まず気比の松原は、敦賀湾における最も奥が深い部分に位置しています。
そして、海から吹き付けてくる強い潮風や砂などが、その背後にある住居エリアに対して届かないように防いでいるわけです。
すなわち、歴史的に松林はこうした高潮などの被害を最小限に抑えるためのクッションの役割を果たしてきたというわけですね、。
「森林法」という法律で守られてきた
松原は、まだ堤防・防波堤などが無かった時代、主に強風や飛砂からといった人々の生活に危険を与えるようなものから、街を守るための壁として機能してきたという歴史があります。
また、この松原は現在は森林法などの法律によって厳しく守られており、勝手に木を切ったりすると厳しく罰せられることになります。
森林法とは、大切な森林を守り、また育てていくためのルールについて、国によって決められた法律です。
主に森林の災害を防いだり、また環境を保ったりするために作られました。
防風林とは
また、防風林とは、主に
- (海などから吹き付ける)風の力を弱めるために植えられたり、
- そのために守られたりしている
という森林のことをいいます。
また、防風林には砂が飛んでくるのを防ぐという「飛砂防止」の効果も大きいです。
明治の文豪も愛した?「万葉集」から続く歴史
気比の松原は、さらに歴史を遡っていくと、古く万葉集の時代(奈良時代あたり)から、当時のアーティスト(歌人)や旅人たちから歌に詠まれてきたほど、多くの人にとって既に有名な場所でした。
万葉集は、奈良時代における日本に現存する最古の和歌集です。
天皇から庶民まで幅広い層の歌が収められており、当時の風景や人々の感情を知るための貴重な資料となっています。
万葉歌人は、現代の旅行系YouTuberの元祖!?
こうした当時の歌人にとって、気比の松原のような有名な場所(=歌枕といいます)を訪れて歌を詠むことは、現代の旅行系YouTuberが「映えるスポット」でロケ動画を撮る感覚にそっくりです。
という承認欲求や感動をみんなとシェアしたい気持ちは、たとえ1300年前であっても今であっても、その本質は変わりません。
歌枕:和歌によく詠まれる、有名な名所のことです。
現代でいう、旅行系YouTuberの皆さんがよく訪れる場所のことです。
昔の人にとっては、一生に一度は行ってみたい「聖地」のような場所でした。
したがって、万葉歌人は「元祖インフルエンサー」と言えるかもしれませんね!
気比の松原と、小浜藩との関係性
小浜藩によって守られてきた、気比の松原
気比の松原は、江戸時代には小浜藩の管理下に置かれ管理されてきました。
そして、松の伐採が厳しく制限されるなど、松原の存在は小浜藩によって徹底して守られてきました。
すなわち、松の木を一本切ることさえも、勝手するのは不可というほど、徹底して大切にされてきたのですね!
もしも、勝手に松の木を伐採したり、枝を折ったりするようなことがあれば、それは大変な罪になるほど厳しいルールがありました。
厳しい決まりがあったからこそ守られてきた松原
こうした「厳しい決まり」があったからこそ、外側の海から吹きつける強い風や砂などから、私たちの住む街や田畑を、長い年月にわたって守り抜くことができたというわけです。
すなわち、この松原は何百年もの間、たくさんの人々の手によって
という強い心で守られてきたと思うと、ここに広がる松林がよりいっそう、神聖でありがたいものに感じられますね!
塩害防止(えんがいぼうし)の役割
また、気比の松原には塩害防止という非常に重要な役割もありました。
海風に乗って運ばれてくる強い塩分は、農作物を枯らしたり、建物を傷めたりします。
塩害:海の強い塩分が風によって運ばれてくることで、植物が枯れたり、鉄が錆びたりする被害のことです。
これを防ぐために植えられた林を「防潮林」とも呼びます。
そこで、気比の松原がまるで巨大な壁のようになって塩混じりの風をブロックすることで、松原の背後・後ろにある敦賀の街や田畑が守られていたというわけです。
松原の塩害防止については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「小浜藩」とは?
ちなみに小浜藩とは、江戸時代にこの地を治めてきた藩です。
すなわち、江戸時代に若狭国(現在の福井県南部)にあたるエリア・地域を治めてきた領地のことをいいます。
若狭国:今の福井県の嶺南地方とも呼ばれる、福井県南部の地域の古い呼び名のことをいいます。
ちなみに福井県の北部は越前国または嶺北と呼ばれます。
この小浜藩は、徳川家とも非常に深いつながりを持っていました。
すなわち、幕府から「日本の大切な場所を任せられる」と認められた、特別な役目を担っていた藩だったというわけです。
逆に言えば、徳川家に対して(「関ヶ原の戦い」で負けたことが原因などで)恨みを持っていたり、信頼できない藩に対しては、こんな重要な土地を任せたりしないわけです。
重要な松原を守ることを任された小浜藩
そして、そんな「重要な場所」にある気比の松原を、万が一にも
- 燃料にするための「枝拾い」行為をする人→枝を拾えば、お風呂を沸かす燃料などになるから
- 勝手な「木こり」行為をする人→売れば儲かるから
などの行為で松原が荒らされてしまわないよう、幕府と小浜藩は力を合わせて厳重に管理し、守ってきました。
こうした先人たちの並々ならぬ努力があったからこそ、私たちは今でも、この美しい松林の景色を眺めることができるのですね。
小浜藩は「譜代」を越えた信頼の証
また、小浜藩を治めた酒井家は、数ある譜代大名の中でも最高ランクの家柄でした。
譜代大名とは、「関ヶ原の戦い」よりも前から、代々徳川家に仕えていた家臣(部下)たちのことです。
ただ「戦いの前」というだけでなく、徳川家康がまだ弱くて戦に勝てずに困っていた頃の「ずっと前」から彼のことを支えてきた大名たちであり、そのため家康からの恩義・信頼が厚い人たちでした。
気比の松原関連・敦賀市の独特の地形
歴史的に、敦賀の防衛が重要だった理由
では歴史的に、敦賀の防衛が重要だった理由は何でしょうか。
江戸幕府にとって、敦賀を守ることは江戸の平和を守ることと同義でした。
それは主に、以下の理由によります。
日本海側中の物資がここに集まってくるため
敦賀の港はかつて「北前船」の拠点であり、ここからさらに琵琶湖を経由して、京都・大阪へと様々な荷物が運ばれてゆきました。
北前船とは、江戸時代に大阪と下関・酒田(秋田県)・北海道を、それぞれ日本海回り(西回り)のルートで結んでいた船のことです。
当時は貨物列車も高速トラックもありませんでしたから、船で荷物を運ぶ方が効率が良かったというわけですね。
北前船およびその有名な港である秋田県・酒田については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

敦賀が「京都を守る盾」として選ばれた、とても大切な理由
敦賀という場所は、当時の日本の中心地であった京都にとって、非常に重要な「裏玄関」としての役割を持っていました。
すなわち、敦賀の土地・港は日本海側からやってきた人々や荷物・モノたちが一番最初に行き着くという大切な「入口」だったというわけです。
裏玄関:表の入口ではなく、建物の裏側にある入口のことです。
ここでは、太平洋側ではなく日本海側から都(京都)へと入っていくルートを指しています。
京都に近く、敵対勢力に上陸させてはならなかった敦賀
もしも、海の外側からやってきた敵対勢力が、この敦賀に上陸して突破してしまったらどうなるでしょうか。
実は、そこから天皇のいらっしゃる京都までは、山を越えれば一番短いルートで攻め込まれてしまうという、防衛上の大きな弱点でもあったのです。
このような、国を揺るがすような一大事を防ぐために、当時の江戸幕府はとても慎重に考えました。
そこで、自分たちが心から信頼している「酒井家」という一族に、この敦賀の地の守り(小浜藩)を託すことにしたというわけですね!
波が静かな理由「抱え込み」の地形

気比の松原からの海(福井県敦賀市)
敦賀湾は、入り口が狭くなっていて、しかも奥のほうまで長く続いている「抱え込み」という珍しい形をしています。
つまり、まるでクレーンゲームの「手」のような形をしている地形・海ですね。
抱え込みとは、まるで両手でそっと包み込むような地形のことです。
外からの影響を受けにくいのが特徴です。
したがって、広い海の外側で起きている激しい荒波が、そのまま中まで入ってくることがほとんどありません。
すなわち、海の外側からの荒波が直接中・湾までには入ってきにくいために、松原の前はいつも穏やかなのですね!
海上保安庁がある理由
敦賀は、大昔から船が行き来するような「交通の要」として、とても大切にされてきた場所です。
すなわち、現在でも世界中の国々とつながる重要な国際港としての役割を担っています。
国際港:外国の大きな船が荷物を運んできたり、また外国の人が出入りしたりする特別な港のことです。
国際港には、税関などの特別な施設が必要になります。
敦賀のような国際港は、そんな大切な海の安全をしっかりと守り、また外国から悪いモノを持ち込んでくるという「密輸」などを防ぐために、気比の松原のすぐお隣に活動の拠点が置かれているというわけです。
敦賀という土地が持つ、不思議な形と役割

気比の松原からの海(福井県敦賀市)
敦賀の街をぐるりと見渡してみると、とても興味深い地形をしていることに気がつきます。
実は、東・西・南の「三方」を険しい山々にしっかりと囲まれていて、北側だけがぽっかりと海に向かって開いているのです。
すなわち、まるで大きな「袋」のような形の中に、街や港がすっぽりと収まっているのですね!
この独特な地形のおかげで、海の外側の激しい風や波から、大切な港が守られています。
こうした自然の守りがあるからこそ、古くから船が安心して泊まれる「天然の良港」として、大きく発展する決め手となったのですね。
天然の良港:人間が大きな工事をしなくても、元々ある地形のおかげで、波が静かで船が安全に止まれる優れた港のことをいいます。
おわりに・まとめ
福井県敦賀市・気比の松原の地理と歴史を学んでみて、いかがだったでしょうか。
一晩で出現したという神秘的な伝説から、小浜藩による厳格なサポート、さらにら街を塩害から守る頼もしい姿まで、多彩な一面があることに驚かされますね!
こうした背景を知ることで、松の枝を抜ける風や白い砂浜の輝きなどが、今まで以上に特別なものに感じられるはずです。
すなわち、歴史や地形を知ることは、旅の景色に「深み」を加える最高のエッセンスになります。
これらを学ぶことで、あなたの探訪がもっと豊かで、ワクワクするものになることを願っています!
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