岐阜県可児市の観光・歴史(森一族や木曽川の特徴、バラの街としての歴史など)について、わかりやすく解説してゆきます!
岐阜県可児市とは?
織田信長も愛した?可児市の歴史と地理の魅力

太多線・可児駅(岐阜県可児市)
前回も解説した通り、岐阜県可児市は、岐阜県のやや南東部、いわゆる東濃地域に存在する街になります。

筆者、可児駅より(岐阜県可児市)
可児市の名家・森氏(もりし)と森蘭丸
森蘭丸(もりらんまる)とは?
可児市の偉人である森蘭丸は、あの織田信長にとても可愛がられ、最も信頼されていた小姓(秘書のような役割)です。
ちなみに小姓とは、主に強い武将のそばに仕え、彼らの身の回りの雑用や秘書業務、さらには護衛などを行う若い武士のことをいいます。
信長の「愛弟子」森蘭丸
また、この森蘭丸は、信長の愛弟子でありしかも容姿端麗で頭も良く優秀であり、さらには信長の身の回りの世話から政治的な取次まで「何でも」こなす、まさにスーパーエリートでした。
ちなみに愛弟子とは、師匠が心から可愛がっている弟子のことです。
織田信長にとっての森蘭丸は、まさにこの「超使える」愛弟子のような存在だったと言えるでしょう。
しかしそんな森蘭丸の最期は、「本能寺の変」において、主君(上司)である織田信長を守るために最後まで戦い続け、残念ながら若くして命を落としてしまいした。
可児市の金山城で生まれた彼が、同じ可児市出身とされている明智光秀によって倒されるというのも、どこか運命のいたずらを感じて切ないものですね。
森氏の本拠地・金山城(かねやまじょう)とは?ー可児市の歴史
また、先述の森蘭丸をはじめとする森氏の本拠地であった金山城は、可児市兼山にある、かつての戦国時代の面影を今でも色濃く残している山城です。
つまり、防御力を考慮して山の上に築かれた城である、ということですね。
この可児市兼山という地域は、かつては「兼山町」という一つの独立した町(ちょう)でした。
兼山町は、2005年に可児市と合併するまで存在していた町の名前です。
しかし、現在は合併して、可児市の一部どなっています。
先述の金山城がある、歴史の深いエリアですね。
「兼山」と「金山」は表記ゆれ?
ちなみに、「兼山」と「金山」はどちらも「かねやま」と読みますが、それぞれいわゆる「表記ゆれ」なのでしょうか。
結論から言うと「表記ゆれ」ではなく、明確なルール・風習に基づく「使い分け」があります。
- 兼山:お城の下に広がる城下町や、かつての自治体名(兼山町)のことを指すときに使われます。
- 金山:お城「そのもの」のことを指す金山城という名称に対して(のみ)使われることが一般的です。
お城は「金山」、地域は「兼山」
したがって、
- 地域の名前としては「兼山」
- お城の名前としては「金山」
と書くのが、現在のルール・風習のようになっています。
ただし、元々はどちらも「金山」の表記だった
ちなみに、元々はどちらも「金山」という地名でしたが、次第に(江戸時代に)、
- 同じ読み方をする、別の場所(=金山/「かねやま」または「かなやま」と呼ばれる場所)と区別するために、
- ちょっとズラす形で「兼山」という字が当てられた
と言われています。
思えば近隣の名古屋にも「金山」という縁起のいい地名(=金の山)がありますから、こちら側(可児市側)が少しズラして「兼山」としたわけですね。
山だけでなく、川の美しさも「兼ね備えた」という意味も
また、単に「兼山」と字を変えるだけでなく、
といった、ポジティブな意味を込めてこの『兼山』の字が選ばれたという側面もありますね!
昔は「縁起がいい」「金の採れる山」から、「金山」という地名は多かった
さらに、昔は
- 「金の山」:縁起がいい
- 本当に「ゴールド」がザックザク採れる「金山」が近くにあった
ということから、「金山」という地名は多かったのでした。
森可成(もりよしなり)・森長可(もりながよし)
話が少し反れましたが、この金山城の城主(トップ)には、
- かつてより織田信長からの信頼が厚かった森可成や、
- さらにその息子の森蘭丸、
- そして「鬼武蔵」と恐れられた森長可
などの方々が代々にわたって、城主を務めてしました。
ちなみに森長可とは、森蘭丸のお兄さんです。
戦場での暴れっぷりから、「鬼武蔵」という恐ろしいあだ名がつきました。
したがって、彼らは敵からは「震え上がられる」ほどの猛将だったわけですよ!
特に「森長可」や「森可成」など、森一族の名前はやや読みにくく読み間違いやすいため、覚えておくと周りから歴史通に見えるかもしれませんね!
取り壊された破城(はじょう)の跡(金山城)
ちなみに金山城における破城とは、江戸幕府の命令などで、お城の石垣や建物を壊して、使えなくすることをいいます。
すなわち、金山城は江戸時代に「城を壊せ」という命令が出て壊されましたが、それでも石垣の壊し方が今に至るまでなんとそのまま残っているという、珍しい遺跡です。
すなわち、当時の「城を無力化する」という生々しい歴史の跡を肌で感じられるという、とても貴重な場所なのです!
金山城が壊されたのは「一国一城令」のため?ー可児市の歴史
ちなみに、金山城が壊されたのは、果たして「一国一城令」のためだったのでしょうか。
厳密に言うと、金山城が廃城になった理由は、少し複雑なタイミングが重なっています。
直接の理由
ちなみに、金山城が取り壊された直接の理由は、
- 1600年の「関ヶ原の戦い」の後に、
- 当時の城主(リーダー)だった森忠政(=森蘭丸の弟)が、
- 信州(長野県)へと転封(引っ越し)になった
ということが大きなきっかけです。
このように、主がいなくなったことで、金山城の建物の一部は、近隣の犬山城の改修のためなどに再利用するために、解体されました。
一国一城令の影響
その後の1615年に出された「一国一城令」によって、全国的に予備のお城を壊すというルールが徹底されてゆきました。
一国一城令とは、江戸幕府が大名の軍事力を削ぐ(反乱を起こさせないようにする)ために、大名が持つお城を「一つの国につき、一つだけ」に制限したという決まりのことをいいます。
金山城もその流れの中で、二度と軍事拠点として使われないように、石垣の一部を意図的に壊すという「破城」が行われたと考えられます。
金山城は、城主の引っ越しと、その後の幕府の厳しい方針(一国一城令など)によって、姿を消すことになったわけです。
可児市と木曽川
木曽川が育んだ「地理」の面白さ
可児市の地形を語る上で欠かせないのが、北側を流れる雄大な木曽川の存在です。
日本ライン
木曽川の峡谷の美しさは、ドイツのライン川になぞらえて、「日本ライン」と呼ばれています。
木曽川が作る急流と、珍しい形の岩たちが織りなす景色は、まさに自然の芸術作品ですね。
日本ライン:岐阜県・美濃加茂市から愛知県・犬山市にかけて広がる、木曽川沿いの渓谷の愛称です。
木曽川(日本ライン)沿いには、自然の力で削られた不思議な形の岩がたくさんありますね。
木曽川(日本ライン)の魅力
木曽川の中流域、特に岐阜県可児市から愛知県犬山市にかけての区間は「日本ライン」と呼ばれています。
このエリアは、まさにエメラルドグリーンの水面と、白く綺麗な岩がゴツゴツとした絶景が広がるスポットとして有名ですね!
そもそも「木曽川」とは?
木曽川とは、長野県から岐阜県、愛知県、三重県を経て伊勢湾へと注ぐ、日本を代表するとても大きな川の一つです。
戦国時代には、この木曽川が国境となり、お城を守るための天然の巨大な堀(バリヤー)としての役割も果たしていました。
なぜあんなに綺麗なの?
木曽川がこうした綺麗な特徴を持つ理由には、いくつかのポイントがあります。
- 上流から運ばれてくる水が、非常に澄んでいる
- 川がある程度の深さを持っているため、光の反射によって、美しいエメラルドグリーンに見える
ということになります。
チャートという岩石
この付近で見られる白い岩の多くは「チャート」と呼ばれる、非常に硬い岩石となります。
これらは長い年月をかけて木曽川の水によって削られてゆき、そのうち滑らかで白いという、独特の造形美を作り出しています。
すなわち、自然が作り上げた巨大な彫刻のようなものですね!
チャート(岩石)は火打ち石に使われるほど硬く、しかも水に削られにくいため、まるでゴツゴツした荒々しい景観を作りやすいのが特徴です。
木曽川のあの色彩は、本当に吸い込まれそうなほど綺麗で、見ているだけで癒やされますよね!
ライン川とは?(可児市関連)
ヨーロッパを流れる、世界的に有名な国際河川です。
なぜ木曽川に関係があるの?
大正時代、地理学者の志賀重昂が木曽川の景色を見て、「ドイツのライン川の美しい景観にそっくりだ!」と感動したことがきっかけです。
志賀重昂:明治から昭和にかけて活躍した地理学者です。
日本各地の風景を「日本風景論」という本で紹介し、木曽川を「日本ライン」と名付けた張本人ですね!
したがって、木曽川の峡谷は「日本ライン」と名付けられることになりました。
遠く離れたヨーロッパの川が、日本の川の呼び名に影響を与えているなんて、なんとも素敵ですよね!
犬山市(いぬやまし)とは?
愛知県犬山市は、木曽川を挟んで、可児市の少し下流側(愛知県側)に位置する歴史都市です。
国宝・犬山城
犬山市には、日本に5つしかない国宝の城の一つ、犬山城があります。
犬山城は木曽川のほとりにある切り立った崖の上に建っており(これは「高さ」と「川の水」によって防御力を高めるため)、天守閣からの眺めは、まさに「ライン川の古城」を彷彿とさせますよ!
バラの名所・可児市
世界に誇る「バラ」の楽園
また、可児市には決して歴史だけでなく、「バラの名所」という世界に誇るような華やかな一面もあります。
ぎふワールド・ローズガーデン
この「ぎふワールド・ローズガーデン」は、世界最大級のバラ園として知られています。
数千種類という、あまりにも多いバラが辺り一面へと咲き誇るその様子は、まさに言葉を失うほどの美しさです!
バラの街・福山市(広島県)のイメージ
ちなみに「バラ」と聞くと、広島県の福山市のイメージも強いですよね。
実は、可児市と福山市はどちらもバラで有名ですが、それぞれ「日本一」と言われる理由が少し違うんですよ。
復興のシンボル(福山市)
広島県福山市は、街全体がバラで溢れている「ばらのまち」ですね。
福山市では、戦後の焼け野原に対して、市民の方々が1,000本のバラを植えていったのが始まりだそうです。
したがって、福山のバラは単なる観光用ではなく、市民の皆さんの「心のよりどころ」として街中にバラが咲いているというのが特徴です。
日本一のバラの名所といえば?
では、「日本一のバラの名所」といえば、果たしてどこになるのでしょうか。
「どこが日本一か」は基準によって分かれますが、可児市にあるぎふワールド・ローズガーデンは、間違いなく世界トップクラスの規模を誇ります!
品種数で日本一(可児市)の、ぎふワールド・ローズガーデン
また、「ぎふワールド・ローズガーデン」では、約7,000種ものバラが植えられており、品種の多さでは日本一と言われています。
世界中の珍しいバラが見られるため、まさに「バラの博物館」ですね!
他にも、
- 千葉県の京成バラ園(歴史が古く、バラの育種で有名)
- 静岡県のアカオハーブ&ローズガーデン(海が見える絶景)
など、日本には素晴らしい名所がいくつかあります。
育種:植物の新しい品種を作り出したり、改良したりすることをいいます。
まとめ
福山市は、街の歴史と市民の想いが詰まった「心のバラの街」。
可児市は、圧倒的な品種数を誇る「バラの楽園(ワールド・ローズガーデン)」。
すなわち、街全体で楽しむなら福山、バラそのものの多様性に浸るなら可児、という贅沢な使い分けができるのです!
すなわち、福山も可児も、バラを愛する気持ちは共通していて素敵ですね!
可児市のぎふワールド・ローズガーデンでは、時期によって「青いバラ」など珍しいものも見られます。
おわりに・まとめ
いかがでしたか?
可児市は、戦国武将たちが駆け抜けたドラマチックな歴史がある。
木曽川という豊かな自然の恩恵を受けている。
このように、過去と現在が魅力的にミックスされた街なのです!
すなわち、次にこのエリアを訪れるときは、足元の歴史や川の流れを意識してみると、もっと楽しくなるはずですよ。
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