【愛知県】三河安城駅の魅力や歴史を、わかりやすく解説!

愛知県安城市にある東海道新幹線の駅・三河安城駅について、さまざまな魅力や意外な歴史などについて、わかりやすく解説してゆきます!

  1. 三河安城駅の不思議な魅力と歴史
    1. 新幹線で「通過されるだけの」駅!?
      1. なかなかこの駅で降りる機会は少ない
      2. 通過するだけでは「勿体無い」「一度は降りてみたい」駅
    2. ​地理と建設の背景:三河安城駅
      1. 在来線には「安城駅」もある
      2. 「安城駅」と「三河安城駅」は全く別の駅
      3. そもそも「三河」とは?
      4. 「新安城駅」ではなく「三河安城駅」となった理由
      5. 地元の要望荷より、1988年に開業した「請願駅」
  2. ​三河安城駅 興味深いエピソードの数々
    1. ​幻の「幸田駅」設置案の真実
      1. 元々、豊橋~名古屋の間には、新幹線の駅がなかった
      2. 幸田駅は、在来線と新幹線が交差する位置にある
      3. 幸田町との​激しい誘致合戦
      4. 駅誘致失敗の幸田町 しかし後に自動車工場誘致で発展
  3. ​三河安城駅 新幹線駅と在来線駅が少し離れている理由
    1. ​なぜ安城駅に(新幹線駅を)併設できなかったのか?
      1. ​新幹線のルートが「直線」を優先したため
    2. 駅同士が150m離れている 「ニチバン工場」との関連性
      1. 完全に交差する場所に、ちょうど工場があった!
      2. そもそも工場の「​立ち退き」自体が困難だった
      3. ​結果として生まれた「150mの通路」
  4. 日本のデンマーク・安城市
    1. ​「日本のデンマーク」の玄関口・三河安城駅
      1. 「​日本のデンマーク」とは?
      2. ​安城市と「日本デンマーク」の物語
    2. ​農業の水を運ぶ「明治用水」と「矢作川」
      1. 明治用水が起こした「奇跡」
      2. 明治用水(めいじようすい)とは?
      3. ​安城の地が「宝の山」に変わった
      4. デンマークと安城の共通点 ​デンマークも「不毛の地」から始まった
      5. ​精神が同じだったから「日本デンマーク」
  5. 安城市が誇るニチバン工場(三河安城駅の旅)
    1. ​三河安城が誇る「セロテープ」の秘密
      1. ​ニチバンセロテープとは?
      2. 「​セロテープ」は正式名称ではない?
    2. ​なぜ安城に「セロテープ」の拠点があるの?
      1. ​広大な土地があり、交通の便が最高だった
    3. ニチバン工場の誘致と安城市の発展
      1. 「​雇用」の大きな受け皿になった
      2. ​街を豊かにする財源(税収)
  6. ​名古屋までの「あと一歩」を味わう
  7. おわりに・まとめ

三河安城駅の不思議な魅力と歴史

東海道新幹線・三河安城駅(愛知県安城市)

デンマークの農家を模した駅舎デザインの、東海道新幹線・三河安城駅(愛知県安城市)

新幹線で「通過されるだけの」駅!?

列車はただいま三河安城駅を、定刻通り通過いたしました。
あと10分ほど名古屋に到着します。
お降りの方は、お忘れもののないよう…

東海道新幹線「のぞみ号」に乗って名古屋・新大阪方面に向かうときに、このアナウンスをよく聴く機会のある人も多いことでしょう。

なかなかこの駅で降りる機会は少ない

そんな​三河安城駅みかわあんじょうえき(愛知県安城市)は、基本的には新幹線は「こだま」のみの停車となっています。
そのため、世の中の大半の人々にとっては「通過されるだけの駅」となってしまっているという、少し特殊な特徴を持つ駅です。

通過するだけでは「勿体無い」「一度は降りてみたい」駅

しかしながら、この三河安城駅は単に通過するだけでは少し勿体無い、たくさんの魅力に溢れているわけです!
地元の方々鉄道ファンからも愛着を込めて語られることが多い場所となっています。

そんな「一度は降りてみたい駅」である三河安城駅について、今回はたくさん掘り下げて研究してゆきます!!

筆者、東海道新幹線・三河安城駅より(愛知県安城市)

筆者、東海道新幹線・三河安城駅より(愛知県安城市)

​地理と建設の背景:三河安城駅

三河安城駅みかわあんじょうえきは、愛知県の東側にある安城市あんじょうしに位置しています。

在来線には「安城駅」もある

ちなみに、在来線(東海道本線)にも別の安城駅という駅があり、どちらかというとこちらの方が、安城市のメインの駅となっています。
安城駅の方がむしろ市の中心部に近く、快速列車が停車するのもこちらの安城駅の方というわけですよ。

すなわち、在来線三河安城駅には快速列車などは停車せず、普通列車しかし停車しないという駅となっています。
さらには新幹線の駅とは直結しておらず、150mほどの通路を徒歩で移動する必要があるため、注意しないといけないわけですね。

「安城駅」と「三河安城駅」は全く別の駅

このように、安城駅三河安城駅はそれぞれあくまで別の駅ですので、間違えて降りてしまないよう注意しましょう!!
また、さらに言うと両駅の間は数キロ離れているため、たとえ1駅といえど徒歩だと(交通や信号なども考えると)30〜40分ほどくらいはかかります。
うっかり降り間違えると大変なことになるので、注意が必要ですね!

そもそも「三河」とは?

ちなみに「三河みかわ」とは、愛知県東部の古い呼び方です。愛知県は大きくわけて2つの国(地域)に分かれます。

  • 愛知県北部尾張国おわりのくに
  • 愛知県南東部三河国みかわのくに

つまり、在来線の「安城駅」と区別するために、「三河安城駅」となっているわけですね。

「新安城駅」ではなく「三河安城駅」となった理由

​こうして、新幹線の駅ができるときに、既存の在来線「安城駅」と区別する必要がありました。
しかし「新安城駅」とせず「三河安城駅」とつけたのは、単に安城市だけでなく、周辺の岡崎市おかざきし刈谷市かりやし豊田市とよたしといった「西三河地方全体」の駅であることを強調したかったからという事情があったわけです。

このように、新幹線の駅名に対して「三河」という接頭辞せっとうじをつけることで、より歴史ある土地への敬意と、三河地方全体への広域アクセスへの期待が込められているというわけですね!

地元の要望荷より、1988年に開業した「請願駅」

この三河安城駅は1988年に、請願駅せいがんえきとして誕生しました。​

請願駅せいがんえき:地元の自治体や企業などが、鉄道会社に対して「ここに駅を作ってほしい」とお願いして、建設費用自分たちで負担して建設される駅のことです。

したがって、地元自治体が自分達建設費を負担して作られたという経緯があります。
三河安城駅は、それだけ地域の発展への熱い期待が込められた駅であったというわけです。

​三河安城駅 興味深いエピソードの数々

​幻の「幸田駅」設置案の真実

​実は、岡崎市のやや南にある幸田町こうたちょうも、元々はこのときの新幹線駅設置にあたっての有力候補でした!

元々、豊橋~名古屋の間には、新幹線の駅がなかった

元々、1964年・東海道新幹線開通時からの約20年間は名古屋・豊橋とよはしの間には東海道新幹線の駅は存在していませんでした。
そして、約20年後の1988年に駅を建設するときに、安城市三河安城駅)だけでなく、南の幸田町こうたちょう幸田駅こうだえき付近)にも設置する案も実際に検討されていたといいます。

読み方についての豆知識(幸田町・幸田駅

  • 町の名前:こうたちょう(幸田町)
  • 駅の名前:こうだえき(幸田駅)

駅名には「濁点だくてん」が入るわけですね。

幸田駅は、在来線と新幹線が交差する位置にある

なぜなら、この(幸田町・幸田駅)位置には

  • 東海道新幹線
  • 在来線(東海道本線)

がそれぞれちょうど交わる(立体交差する)地点が存在するからですね。

立体交差りったいこうさ:例えば信号などで止まらなくて済むように、トンネルを使って、異なる高さで交差するようにすることです。

幸田町との​激しい誘致合戦

豊橋駅名古屋駅のちょうど中間にあたるこのエリアでは、「わが町に新幹線を!」という熱いバトルが繰り広げられたといいます。
​そのため、もし幸田町に駅が決まっていたら、今の三河安城駅周辺の景色は全く違ったものになっていたかもしれません。

しかし、最終的には安城市建設費を負担する「請願駅」という形をとり、より有利な形で1988年に三河安城駅が開業したというわけです。

駅誘致失敗の幸田町 しかし後に自動車工場誘致で発展

このように、結果的には安城市に新幹線駅の設置が決まったことで、幸田町にとっては「落選」という苦い歴史となってしまいました。
しかし、それでも幸田町は、後に独自の努力によって自動車産業などの工場誘致に成功したため、たくさんの従業員やその家族が暮らすという町に成長しました。
そのため、今では人口が増え続けるという元気な町になっています。

したがって、どちらの町も「それぞれの形」で夢を叶えたと言えるのではないでしょうか!

​三河安城駅 新幹線駅と在来線駅が少し離れている理由

三河安城駅は、先述の通り、新幹線の駅と在来線(東海道本線)の駅が、それぞれ約150mほど離れています。

この2つの駅は屋根付き通路によってつながっており、それぞれの駅間の移動が可能という形になっています。

​なぜ安城駅に(新幹線駅を)併設できなかったのか?

​新幹線のルートが「直線」を優先したため

先述の通り、元々は豊橋~名古屋の間には、新幹線の駅はありませんでした。

新幹線は時速200km以上(当時)で走行するために、なるべくカーブを少なくして、直線的に線路を敷く必要がありました。
したがって、既存の安城駅(市街地)を通るようにルートをやや東に曲げると、大きな時間ロスや急カーブが生じてしまうことになるわけです。

そのため、1964年の開業時点では、元々新幹線が安城市の中心部を通り抜けるルートになることはなく、安城駅(安城市の中心部)の場所を避ける形で決まったのでした。
そして、約20年後の1988年になって、新幹線在来線の線路がほぼちょうど重なる、今の三河安城駅の位置に駅ができることになったというわけです。

しかし後述するように、この位置にはちょうどニチバンの工場がある場所であり、新幹線の駅設置には、もう少しの苦労・工夫が必要でした。

駅同士が150m離れている 「ニチバン工場」との関連性

完全に交差する場所に、ちょうど工場があった!

新幹線の三河安城駅と、在来線の駅が少し離れている最大の理由は、まさにちょうどこの位置に存在する「ニチバンの工場」の敷地に配慮してのことでした。

新幹線東海道本線がちょうど立体交差している「まさにその場所」のすぐそばには、古くからニチバン安城工場の広大な敷地がありました。

そもそも工場の「​立ち退き」自体が困難だった

しかし、もし在来線のホームを新幹線完全に重なる位置に作ろうとすると、

  • 工場の設備を縮小してもらう
  • 工場に立ち退き移転してもらう

などの必要がありました。もちろん、ニチバン工場としてはもしこれらを要求されると、単なるムチャ振りでしかないわけです。

したがって、わざわざ工場に立ち退いてもらうための膨大な補償費移転期間などといった様々な問題を避けるために、あえて在来線のホームから、少し西側(名古屋方面)へとずらして、新幹線の駅を建設したのでした。

​結果として生まれた「150mの通路」

そしてその結果、新幹線から在来線に乗り換えるためには、あの150mほどの通路を歩くという形になりました。
すなわち、あの通路の上を歩いているときは、まさにニチバンの敷地を避けながら移動していると言っても過言ではないわけです。

こうして見ると、一見すると不便に思える「150mの距離」も、かつての日本の物流を支えるセロテープの生産を守るための「優しさの距離」にも思えてこないでしょうか。
そして、​新幹線のホームから見えるニチバンの大きな看板も、そう考えなら眺めるとまた違ったおもむきがあることでしょう。

日本のデンマーク・安城市

「日本のデンマーク」の説明がなされた案内板(三河安城駅前より)(愛知県安城市)

「日本のデンマーク」の説明がなされた案内板(三河安城駅前より)(愛知県安城市)

​「日本のデンマーク」の玄関口・三河安城駅

「​日本のデンマーク」とは?

安城市では、大正時代から昭和初期にかけて、農業の仕組みが世界的に見ても非常に進んでいたのでした。
そのため、当時「農業先進国」だったデンマークになぞらえて「日本のデンマーク」と呼ばれたのでした。

​安城市と「日本デンマーク」の物語

かつては「安城ヶ原」と呼ばれる不毛の地だったこの地域は、水がろくになくて、農業がまるで出来ないような土地でした。
というのも、川よりも高い位置にある台地だったため、雨が降っても水がすぐに地下へ抜けてしまい無くなっていたのでした。

このように、当時は田んぼを作るための水が全く足りず、ただ松林や原っぱが広がるだけの、農業をするには厳しい土地だったわけです。

しかし、そこを人の力で劇的な変化を遂げました。

​農業の水を運ぶ「明治用水」と「矢作川」

明治用水が起こした「奇跡」

​「水がないなら、遠くから引っ張ってこよう!

明治時代、このカラカラの大地に水を引くために、矢作川やはぎがわの上流からずーっと水路を作って水を引っ張ってくるという、壮大な計画が実行されました。
これが「明治用水」です。

矢作川やはぎがわとは、愛知県へのこの地域を流れている大きな川のことです。
また、明治用水の水源にもなっている、三河地方の人々の暮らしには不可欠な川です。

矢作川については、こちら(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。

明治用水(めいじようすい)とは?

明治用水めいじようすいは、かつて矢作川やはぎがわから水を引き、安城市周辺の乾いた大地を潤すために作られた、人工の川です。
これによって、安城の「不毛の地」が一大穀倉地帯に生まれ変わり、「日本デンマーク」への道が開かれました。

​安城の地が「宝の山」に変わった

この「明治用水」の水が届いた途端に、それまでの不毛ふもうだった安城ヶ原は、一気に豊かな農地に生まれ変わりました。
したがって、今の美しい田園風景は、昔の人たちが泥まみれになって水路を掘った努力の結晶というわけですよ。

デンマークと安城の共通点 ​デンマークも「不毛の地」から始まった

実はヨーロッパのデンマークも、元々はは砂地が多く、農業にはまるで適していないような土地ばかりでした。
しかし、彼らはそこを大規模な土地改良や、そこに酪農らくのうを組み合わせるというより進んだ農業によって克服し、世界トップクラスの農業国になったというわけです。

​精神が同じだったから「日本デンマーク」

安城市の人たちも同様に、たとえ土地の条件が悪くて恵まれていなくても、

知恵と団結があれば、必ず豊かになれる

という成功体験がデンマークとそっくりだったため、そう呼ばれるようになったわけですね!

ちなみに、三河安城駅の特徴的な駅舎デンマークの農家を模したデザインとなっています。

日本のデンマーク・安城市」については、こちら(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。

安城市が誇るニチバン工場(三河安城駅の旅)

​三河安城が誇る「セロテープ」の秘密

​ニチバンセロテープとは?

実は、誰もが知る「セロテープ」の国内最大級の生産拠点(安城工場)が安城市にあるわけです!
1967年に安城市工場が出来てからずっと、この街で私たちの生活に欠かせないテープが作られ続けています。

ニチバンセロテープについては、こちら(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。

「​セロテープ」は正式名称ではない?

実は、「セロテープ」は正式名称ではありません
一般的な名称は「セロハンテープ(またはセロハン粘着テープ)」と言います。
そのため、「セロテープ」はニチバン株式会社の登録商標ブランド名)というわけです。

しかしあまりにも有名になりすぎて、みんなが普通の名詞だと思って使ってしまう「普通名称化」の代表例ですね!

普通名称化ふつうめいしょうか特定の商品名が有名になりすぎて、そのジャンルの製品全体を指す言葉として、世間に定着してしまう現象のことです。

​なぜ安城に「セロテープ」の拠点があるの?

​広大な土地があり、交通の便が最高だった

明治用水によって農業が盛んになった後、さらに街を豊かにするために「工業」の誘致も進められてゆきました。

  • 安城市は地理的に愛知県のほぼ中央にあること
  • 街には国道1号線、東海道本線が通っており、便利な交通の要所であり、材料や商品を各地に運びやすいこと
  • 明治用水による豊かな水資源があること(工場は水をたくさん使うため)
  • 周辺から電力を得られやすいこと

などの要素が、ニチバンがここを拠点に選んだ決め手の一つだったと言われています。

ニチバン工場の誘致と安城市の発展

「​雇用」の大きな受け皿になった

先述の通り、1967年に安城工場ができて以来、多くの地元の人々がそこで働くようになりました。
したがって、街に安定した仕事・雇用が生まれたことで、多くの人の暮らしが豊かになり、街に活気がもたらされたのは間違いありません。

​街を豊かにする財源(税収)

また、街にこのような大きな工場があると、

  • 会社が支払う「法人市民税
  • 工場という大きな建物・土地に対してかかる「固定資産税

などの税収が、ドカンと市(安城市)に入ってくるようになります。

すなわち、ニチバンのような大企業の存在は、市が図書館や公園(デンパークなど)、さらには福祉や道路などを充実させていくための大切な資金源になっているんです!

まとめると、

  • かつて​不毛の地を潤した「明治用水」が農業を育て、
  • その広い土地と交通の便が「ニチバン」などの工業を呼び込み、
  • その税収こそが、今の「住みやすい安城」を作っている。

これこそが、三河安城駅周辺のドラマの正体ですね!

​名古屋までの「あと一歩」を味わう

名古屋まであと10分弱という場所で、あえて降りて一息つく。

都会の喧騒けんそうに飛び込む前の、贅沢な「静寂の時間」を過ごすことができます。

通過する際のアナウンスを聞くだけでなく、実際にホームに立って風を感じてみると、また違った世界が見えてくるはずです。

おわりに・まとめ

三河安城駅の地理・歴史を学んでみていかがだったでしょうか。

一見すると「こだま」しか止まらない静かな駅に見えますが、そのルーツには「日本デンマーク」と呼ばれた誇り高い農業の歴史や、街の発展を支えた工業の力強さがギュッと凝縮されています。
​したがって、次にこの駅のホームに降り立ったり、車窓からニチバンの看板を眺めたりする時は、これまでとは違う感動があるはずです。

このように、歴史の重みを知ることで、何気ない風景が特別な「探訪スポット」へと生まれ変わります。
これらの知識を学ぶことで、三河安城駅および安城市への探訪が、より豊かで面白いものになることを願っています!

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